大聖堂にて
小鳥の鳴き声が聞こえる。空を見上げるとどこまでも広がる青に思わず吸い込まれそうになって慌てて、視線をそらした。よくある昼下がりに、リーリアは第一王子の住まう城に向かうべく枷を外してもらい外に出ていた。
「おい、リーリア。何をもたもたしている」
「す、すみませんっ」
リーリアが立ち止まってぼうっとしていたのを嗜めるように、クロードが呼んだ。リーリアは慌てて駆け出すと、途中躓きながら急いで馬車へと向かった。馬車の中では、クロードの説教が永遠と聞かされ、正直楽しいものではなかったが、もはや完全に慣れたものだったので聞き流すことに成功していた。
馬車に乗って行き着いた先はそう遠くなかった。馬車を降りると否応なく視界に入ってしまったのは、大きな大きなお城だった。
今にもこちら側に倒れてきそうとさえも錯覚してしまうくらい高い高いお城だった。
昔絵本の中で読んだ世界の話にこんな大きなお城の挿絵があったことを思い出す。この中には素敵な王子様が住んでいて魔王に囚われたお姫様を救いに行くお話。だけどリーリアはお姫様を攫った魔王の方が好きだった。自分とは異なる種族である人間のお姫様に恋に落ちてしまった魔王。強引にでも姫を拐い、それはそれは姫を大切にしたそうだ。まあ姫は怖がって心を開かなかったそうなのだけど。リーリアはこの絵本を何度も思い出しては、いいなあ、と思っていた。自分もいつか、王子様なんかじゃなくて、自由で気高くて義理堅い、そんな魔王みたいな人が連れ出してくれないかと、そんな夢を見ていた。
「ようこそ、おいでくださいました。クロード公爵様、リーリアお嬢様」
そういってリーリア達を出迎えたのは、案内人らしき人であった。その人に対しクロードはひどく傲慢な態度を取っていたため、リーリアが申し訳なさそうな表情をすると、その人は心配するなというように、にこりと微笑みかけた。自分にはそのように気を使ってもらうという経験があまりないため、気恥ずかしさに思わず目を逸らしてしまった。
「第一王子は後ほど大聖堂の方にいらっしゃいます。私めがご案内いたしましょう」
そう案内の人目を向けた方には、お城の敷地内に教会のようなものが目に入った。この国では政治による教会への介入は不可侵とされているが、友好の証として城の敷地内に大聖堂があるのだ。無論大司祭様は常駐していないが、司祭様が一人だけ住まわれているそうだ。城付きの騎士たちは遠征など重要な任務の前にはその大聖堂で祝福を受けるのだ。
そのようなところに呼び出されるとは、リーリアが聖女であるという認識が広まってきたのだろうか。自分の父親であるクロードが勝手に聖女だと言いふらしていることをリーリアは知っていたため、この第一王子の視察で糾弾されるのではないかとリーリアの内心は気が気でなかった。もしここで偽物と罵られて、この大きな城の地下牢に入れられ、今許されているささやかな自由を一生奪われたりでもしたら…そう考えると、リーリアは身震いするのだった。
ややあって案内人に連れてこられた大聖堂は、遠くから城のサイズと比べるとそれほど大きいとは思わなかったが、実際に近づくと自分の暮らしている屋敷よりも大きな建物であることがわかる。中に入ると、それはもう圧巻な光景であった。どこまでも伸びていきそうな高い天井に荘厳な柱。その一つ一つに高度な彫刻があしらわれており、その上部にはステンドグラスがあてがわれている。身廊を進んだ先には半円状となっている内陣があり、その上部__つまりリーリアの正面にも巨大な円形のステンドグラス窓があった。それらは太陽の光を目一杯に反射し、堂内を虹色に照らし今にも天使が舞い降りてきそうだとリーリアは思った。
この大聖堂内にはリーリアとクロード、そして数名の騎士、そして下級神官のみであり、それ以外の人々は見当たらなかった。司祭様は今日はお見えにならないらしい。クロードは先ほどの案内人に殿下はまだかとイライラした様子で訴えかけている。まだここに入ってまもないのに本当にせっかちである。
リーリアはクロードにバレぬよう、ため息をついていた。すると青色の髪をした下級神官がそんな手持ちぶさげなリーリアを笑顔で中心の交差部へ連れて行ってくれたので、先ほどよりも近づいた円形のステンドグラス窓に目をキラキラと輝かせた。いろいろな色が様々な方向に反射してとても綺麗だ。まさにこの世のものとは思えない、という表現がぴったりだ。そんな様子を見て下級神官がとても嬉しそうに話しかけてきた。
「まるでリーリア様は天使様のようですね」
「わっ、私のようなものを天使様と行ってしまっては天使様に失礼です…!」
リーリアは自分の外見に自信もなければ、この能力を使っているのは他人のためではなく自分が生き残るためであるという自己中心的なものと思っているので、自分が天使様など身に余ると思い恥ずかしそうに目を伏せた。神官が何か言おうと口を開きかけたその時だった。
どこからか声がした。男の人の声だ。
「__あなたが天使様であるのか、それとも聖女であるのかわからないが、その力確かめさせていただきましょう」
後方、すなわちリーリアたちがきた方向から声がしたため、急いで振り返るとそこには金髪でエメラルドグリーンの瞳を持つ美しい青年がこちらに向かっていた。その人物を見た瞬間、自分の直感が『この人が第一王子だ』と告げた。彼から威厳のような___クロードが放つものとは全くレベルが違う、そんな雰囲気を感じたのだ。
その予想は的中し、その場にいた人々は跪いた。クロードも先ほどまで怒鳴っていたのに、静かに膝をついている。リーリアも急いで跪き顔を伏せた。こつ、こつ…と靴音がリーリアたちのいる中心部にゆったりと近づいてくる。リーリアはその音を聞いて少しだけ違和感を覚えたが、その後に続く複数の足音に思考を元に戻される。きっと護衛の騎士だ。
「クロード公爵、顔をあげてください。お久しぶりですね」
「王国の太陽にお目にかかります、ロイ殿下。本日は時間を取っていただき大変光栄です。お会いするのは生誕祭以来でしょうか」
第一王子__名をロイ・ディートリヒ・フォン・エティネルという__は、ふふっと笑みを漏らしたのを感じる。
「そうですね。その際、あなたの家のご令嬢はお一人だけ出席なさっていた…そう確か、アナベル嬢ですね。聖女の力というものを見せてくださるのはその方でしょうか」
アナベルはリーリアの義姉だ。いつもリーリアのことをいじめる、恐ろしい姉。
「いえ、アナベルではなくもう一人の娘にございます。生憎昔から体が弱く、生誕祭にもご出席できなかったためご存知なくて当然でございます。大変な無礼を失礼いたしました」
そもそもリーリアは第一王子の生誕祭があったなど知らなかったし、知っていても連れて行ってはもらえなかっただろう。
もともとリーリアが公爵家に加わったのは、おそらくどこかの貴族の嫁に出すためだったのだろうから、公爵家の汚点でしかなかったのだ。能力が発覚する前でも、した後でも部屋から出してもらえるはずがない。リーリアはマナーについても一生懸命学んだのだが、それでも社交界に行けるような振る舞いができるのか自信がなかった。体が弱かった記憶はないが、ちょうどよかったのだと自分に言い聞かせる。
「ほう…。それではこちらがもう一人のご令嬢ですか。顔をあげてください。発言の許可を与えましょう」
ロイが自分に目を向けたのがわかり思わず萎縮してしまいそうになったが、リーリアは深呼吸すると、ゆったりとカーテシーをした。
「王国の輝く一番星にご挨拶申し上げます。お初にお目にかかります。リーリア・アッシャーと申します」
リーリアが顔をあげると、深いエメラルドグリーンを目があった。そしてその目が少しだけ驚いたかのように広げられると、すぐに読めない笑顔に変わった。透き通るようなサラリとした金色の髪はステンドグラスを吸収して輝き、いかにも王子様といった容貌だ。
「はじめまして。僕はロイといいます。今日は君の力を見るのが楽しみだ」
「もったいないお言葉、感謝存じ上げます」
リーリアは緊張で語尾が震えてしまったのを、ロイはおかしそうに笑った。
「そんなにかしこまらないでください。ほら、僕とあなたは年が近いし、ぜひ友達になってくれると嬉しいな」
リーリアは現在17歳であり、ロイは18歳である。確かに歳は近いが、彼の方が幾分か大人びている気がする。そもそも友達なんていないため、どうしたらいいのかわからず声が詰まってしまった。すると、クロードがリーリアに叱咤の声を上げる。
「リーリア、ロイ殿下がそう仰っているんだ。しっかりしなさい!」
思わず、リーリアは驚いてびくっと肩を震わせた。するとロイはスッと目を細めるとクロードを一瞬だけ睨みつけたのをリーリアは見てしまった。だがその表情もすぐに読めない笑顔に変わる。そんな様子にクロードは気付いていないようだ。
「クロード公爵。今僕はリーリア嬢と話しているのです。口を挟まないでいただけますか」
そういうと、クロードは悔しそうに口をつぐんだ。帰ったら怒られるのだろうなと、回っていない頭でそれだけがぼんやりと理解できた。
「リーリア嬢、いきなり友達だなんて失礼しました」
ロイは申し訳なさそうに微笑むものだから、リーリアは申し訳なくなって、ようやくつっかえていた言葉が出てきた。
「い、いえ!こちらこそ、申し訳ありません…わっ、私で良ければお友達になってください…」
後半は消え入るような声になってしまったが、頑張って伝えることができた、と思う。するとロイは本当に嬉しそうに頬を緩めると「ありがとう」と笑顔を浮かべた。先ほどの申し訳なさそうな顔は作戦だったのかもしれない。
とはいえ、コウモリ以外の友達ができたのだ。リーリアも嬉しくて、思わずはにかんでしまう。そんな様子にロイは少し頬を染めたように見えたのは気のせいだったかもしれない。なぜなら彼の目はすぐに真剣な眼差しに変わったからだ。
「それじゃあ早速、君の能力を見せてもらいましょう。確か怪我を治せると聞いたのですが、本当ですか」
「はい、本当です」
「では失われた体の一部を元に戻す、というのはいかがでしょう」
そう問われ、すぐには答えられなかった。なぜなら試みたことがないからだ。そんなこと可能なのだろうか。それに最近能力を使ったあのコウモリの怪我のようなものも治せなかったのだ。そう思い至るとふと頭の中に初めての友達であるコウモリが思い浮かび、先ほどまで知らずに緊張していた体が少しだけ弛緩した。クロードは何かいいたげにしていたが先ほどの注意から、グッと堪えて言葉を飲んでいるのがわかる。
「…どうでしょう。やってみたことがないのでわかりません…申し訳ありません」
「そうですか。では物は試しです」
ロイはにこりと笑うと、「クラウス」と名前を読んだ。すると先ほどまでロイの後ろにいた護衛騎士の中から一人、少しロイよりも年上と見受けられる青年が出てきた。短い黒髪に誠実そうな見た目のその青年は右目を怪我しているのか眼帯をしていた。
「彼は僕の一番の護衛のクラウスといいます。ですが最近送り込まれた暗殺者から僕を守ろうと、右目にナイフを突き立てられ、見えなくなってしまいました。無理でも構わないのです。希望があるなら僕は彼の目を治したいのです」
ロイは表情を少し歪めた。その表情はすごく年相応に見えて、それほどクラウスと呼ばれる騎士のことを大切にしているのだなと感じられる。クラウスは何かいいたげに眉を崩すと、力なく項垂れた。きっとロイに気を遣わせ、そんな顔をさせてしまった自分に不甲斐なさを感じているのだろう。
そんな彼らをみて、リーリアは心から直してあげたいと思ったのだ。何か自分のモノを犠牲にしてでも彼らの笑顔が見たい、そう思ったのだ。
「わかりました、やってみます…!」
「ありがとう、でも無理はしないでね」
ロイは申し訳なさそうにそういった。
誰かの怪我を治す時、自分の中の何かをものすごく消費しているかのような気分を味わう。それはいわゆる魔力のようなモノなのかわからないけれど、それは重症であればあるほど多く消費され、また治す人数が多くても消費が激しいような気がする。目を元に戻す、となるとなんとなくそれ相応の覚悟が入りそうだ。だけど彼らの笑顔を再び見れて、そして帰って、あのコウモリと今日もお話しするんだと思うと不思議と力が出てくるのだ。
リーリアは歌っている途中に立っていられなくなることも考慮して、静かに両膝をついて祈るように掌を結んだ。その場にいた人々からするとその姿は____まさに聖女という言葉以外に見当たらなかった。
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