小さなコウモリ
___咲いた
星々に
どうか、私を包み込んでと___
銀髪の少女は美しい声で旋律を奏でた。月の光だけが部屋を満たすそんな日にはいつも歌うこの歌を。
この銀髪の少女___リーリアは小さい頃から、不思議な力を持っていた。
歌に心を乗せて歌えばどんな傷でも癒せてしまう、そんな不思議な力。魔法というものが廃れゆき、もはや魔法を使えるものが指で数えられるほどとなってしまった世界であるが、その中でも傷を癒すという力を使える存在は大変稀有と言っても過言ではなかった。
物心ついた時から母と二人だけで貧民街で暮らしていた。不便なことは多かったかもしれないが、確かに幸せに暮らしていたとリーリアはそう思っている。母はリーリアに似てとても美しかった。彼女には癒しの力はなかったが、リーリアに数々の歌を教えてくれたのは他でもない彼女だった。この能力があることを知り、母はリーリアにひたすら力を隠すことを強要した。能力がバレたら奴隷のように誘拐され、奴隷のように使われる事が懸念されたからだ。
だがまだわずか6歳の時であった。母はずっと患っていた病を拗らせあっけなく死んでしまった。体の内側から蝕まれゆく母の体に癒しの歌は病には効かず、打ちひしがれるしかなかった。
そんなある日のことだった。突然貧民街に背の高い男の人がたくさんの騎士を連れてリーリアの家に訪ねてきた。そしてこう言ったのだ。「お前は公爵家の娘だ」と。そして半ば強制的にリーリアは連れ去られ、アッシャー公爵の一員___『リーリア・アッシャー』となった。
そこには貧民街での暮らしよりもひどい生活が待っていたのだ。実はリーリアの実の母はアッシャー公爵家で働いていたメイドであり、そんなメイドに手を出したのが実の父、クロード・アッシャーであった。母はリーリアを身篭るとこの家から追い出され、人知れずリーリアを産み女手一つで育てていたそうだ。
そんなリーリアは妾の子だからと、メイドや義母や義姉にいじめられ、ご飯もろくに与えられず薄汚い部屋の中で息を潜めて過ごした。リーリアの外見が美しい銀の髪に、まるでサファイアのようなブルーの瞳、そしてそれらが人形のように整っていたのもいじめられる原因だったに違いなかった。
そしてある日、庭を散歩していたところ怪我をした小鳥を見かけ、いても経っても居られずに癒しの力を使ってしまったところを偶然クロードは目撃してしまいリーリアを閉じ込め、聖女として公爵家の見せ物としてその権威と高める道具として使われるようになった。リーリアは呼び出されれば人々を癒し、聖女様と讃えられては、家に帰り、閉じ込められる。ご丁寧に逃走防止のために足に枷までつけられた。
そんな日常。
そしてそれが17歳のリーリアの世界の全てだった。
リーリアはひんやりと冷たい足についた枷をさする。枷がついている足首は赤く跡ができている。リーリアは小さく嘆息すると、小さな窓のそばにおいてあった椅子に腰掛けた。窓と呼ぶにはずいぶんとお粗末な大きさだが、この窓からみる外の世界だけがリーリアの精神安定剤だと言っても過言ではない。
癒しの力が人々の力になれるのは嬉しかった。だが、籠の中の鳥のように閉じ込められて、見せ物にされる生活が耐えられなかったのだ。かと言ってすがるものもない。唯一の血縁は公爵様であるクロードのみだが、何を隠そう彼がリーリアを籠に閉じ込めている。だがこの籠も能力がバレる前の部屋と比べたら随分豪華だ。寝室と窓がある部屋、そして洗面室とお風呂場、ダイニングとここから出なくても生活できるようになっている。
(こんな枷はなくても、私はどこにもいけないのに)
夜空に咲いた満天の星々が部屋を照らす中、リーリアは溶けるように意識を手放した。
目を覚ませばもうすっかり日は昇り、次の日となっていた。椅子で寝てしまったからだろうか。体の節々が少しだけ痛い。リーリアはまだ完全に覚醒していない脳を起こすべく、おそらくメイドが持ってきたであろう冷たい水で顔を洗い、いつもの服に着替えた。白い聖女のような衣装だ。髪飾りにはサファイアの装飾が施され、痩せ細ったその腕には金のブレスレットをつけている。聖女たるもの生活から聖女でなければならぬ。本物の聖女をつゆも知らないクロードの言いつけだった。鏡の前に立って見ると確かに聖女のように見えるが、足の枷に目をやれば、もはや罪人のようにしか見えない。リーリアは小さく嘆息すると今日もまた窓の椅子で過ごそうとくるりと身を翻す。
父親から呼び出しがない限り、この部屋で一日を過ごすため大体は窓の近くにいるようにしているのだ。その椅子に座って外の香りを嗅ぎながら季節を感じ、本を読む。それがリーリアの日課である。朝食もその部屋に置いてあるのだが、今日は食欲が出なかった。癒しの力を使うにはものすごく体力がいる。ましてや昨日治療した人々があまりに多く、まだ完全に体力が戻っていないのかもしれない。
そして目的地に視線をやる途中、ふと、窓の内側の床に何か黒いものが落ちているのが目に入った。先ほどまでそのようなものがあった覚えはない。恐る恐る近寄ってみると、それは小さなコウモリだった。よくみると、所々に火傷のような怪我をしていた。
「大変!」
コウモリは夜に飛び回っているイメージだったため、太陽の光で目が眩んでここに迷い込んできたのかもしれない。
リーリアはすぐにコウモリを抱き抱えると、眩しいだろうと窓のない薄暗い寝室へと移動し、スゥと息を吸った。その瞬間リーリアの身に纏う空気が一瞬にして変わる。
「__未だ光を知らぬ我らに、光を
この歌をあなたに捧げましょう
風よどうかこの歌を届けて___」
言葉を発するたびに、その歌が空気を揺らし、光の球のようなものが身を包む。歌に乗せてその球がはぜて光の粒となり小さなコウモリに注ぎ込まれていく。コウモリは一瞬震えるように、目を薄らとあけたが再び目を閉じる。
「そんな…」
確かに癒しの力はコウモリに注ぎ込まれた手応えがあったのに、傷は少しも癒えてなかったのだ。リーリアはひどく狼狽したが、まだできることはあるはずと自分のベットにコウモリを横たわらせ、何か食べられそうなものや水を用意し、ひたすら祈った。
祈りの効果があったのか、はたまたそれは夜になれば必然であったのか。月が輝き始める頃に小さなコウモリは目を覚ました。
「よかった!ごめんなさい、私の力でもあなたの傷は治せなくて…。ここにあるお水やご飯でよかったら食べてください」
リーリアが嬉しそうにニコッと笑うと、コウモリは一瞬怪訝そうな表情を浮かべた気がしたがそれは気のせいだと思うことにした。コウモリは水や食べ物に手はつけなかったが、その代わり再びまぶたを落とすと疲れたかのように眠ってしまった。
少し元気を取り戻したと見たリーリアは安心した表情で、いつもの窓際の椅子に腰を下ろした。初めて癒しの力が効かない者に出会い、動揺していたのは間違いない。あのコウモリはまだあの傷の痛みに苦しんでいるのだろうか。リーリアは寝室にいるであろうコウモリに「早く元気になりますように」と小さく呟いた。
それからは、この地獄のような生活の中で一番楽しい日々を送っていた。なんと話し相手ができたのだ。
__と言っても、こちらから一方的に話しているだけだが。
「コウモリさんはどこからきたんですか?私はもっと遠くから来たはずなんですけど、もうあんまり思い出せなくて」
コウモリは夜になると決まって目を覚まし、部屋の周りを軽く飛ぶようになった。リーリアが話しかけると、仕方がないなというようなそぶりを見せた後、話を聞いてくれる、とリーリアは思っている。窓は開けっぱなしにしているため、いつでも外に行けるはずだが出て行かないのは、まだ飛ぶ元気がないのか、はたまたリーリアの話し相手になってくれているのか。後者だったらいいなとリーリアは話を続ける。
「いいなぁ。私も翼があったらな…。あっ…でも翼があったとしても、こんなものがついてたら出られませんね」
リーリアは恥ずかしそうに、えへへと微笑んだ。
「…」
するとコウモリは静かにリーリアの枷を見るそぶりを見せると、そっぽを向いた。
「それに、あの窓も私の大きさじゃ出られません」
ふと瞳に影を落としたリーリアを横目に、コウモリは天井にぶら下がっている。もうすっかり元気に見えるのに、まだここにいてくれるのはコウモリの優しさなのだろうか。
ずっとここにいてくれるわけではないのをわかっている。だからこそ、この時を大切にしたいのだ。初めてできた、友達だから。
次の日のことだった。リーリアはいつも通り支度をし、いつもの椅子に座っていた。あのコウモリは昼の間は寝室でベットを占領して眠っている。
それにしても少し不思議なコウモリなことに間違いはなかった。普通のコウモリというものをよく知りはしないが、あのコウモリは時々リーリアの話を聞きながら少し反応を見せるそぶりをする気がする。そして何よりリーリアの気を引いていることはその瞳の色だった。真っ赤なのだ。血のように赤い瞳の色。恐ろしいと思うよりも先にその美しさに震えそうになる。そのことをコウモリに伝えた時には当然だ、とでもいうようにつんとした態度を見せていたようにも見えた。そんなことをぼんやりと考えていると、この部屋に近く足音が聞こえた。まもなく扉が勢いよく開けられる音がする。
「リーリア!」
そうノックもせずに部屋に入ってきたのは父であるクロードだった。その声色から今日は機嫌がいいことを察する。
「は、はい…」
「今日は仕事だ。なんと今日この国の第一王子がお前の奇跡を観に来るそうだ。絶対に失敗のないように」
王子…このエティネル王国の第一王子が本当に自分の癒しの力をみに来るのだろうか。とはいえ、この国の事情について知っていることはほぼない。だから第一王子と聞いてもピンと来ることは何もなかった。だがメイドから聞いたことがあるのは、クロードが以前から王族を繋がりを持ちたいと考えていることだった。
この日はリーリアにとっては、第一王子にお目にかかるということ以外は、ただのありふれた日常だった。そんな日はずっと続くと思っていたし、窓の世界を知ることはないと思っていた。だが、なんとも言えない不安感___例えば、今まで動かなかった時計の針がギシギシと音を立てて動くような、また雨の降る前の腫れぼったい雲と湿気のおびた空気のような___そんなようなものが、確かに近づいている気がした。
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