放浪騎士リードマイヤーの滑落 2
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夏だというのに、洞窟の中はひんやりとしていた。
水に濡れた岩場はよく滑った。そこを、槍を突きつけられながら歩くのは楽ではなかった。リードマイヤーは五人──あるいは五匹?──のマーマンに、囲まれ、連行されていた。
明かりと言えば、先頭のマーマンの持つ松明しかなかったが、夜目の聞くリードマイヤーにとってはさほど不便ではなかった。
天井はかなり高かった。人の背丈の二倍ほどはあるだろうか。横幅はさらに広く、岩壁が火に照らされてうっすらと見えるだけだった。その洞窟が、地の奥底に下っていく。水の流れる音が聞こえた。濡れているのは地面だけでなく、壁も天井もだ。どうやらここは、川の底の、さらに下にある洞窟らしい。
五匹の(便宜的にこう記しておく)マーマンは、無表情でリードマイヤーを奥へと導いた。もっとも彼らの表情などというものが人間のリードマイヤーに分かるものかどうか。彼らのつやつやした肌は、蛙に似ていた。背は高く、長身のリードマイヤーに劣らない。そのかわりというか、胴体も手足も、人間の基準からすれば不自然なほど細く、透き通るように薄いヒレがついていた。細いのはそれだけではなく、目も口も、粘土に入れた切れ目のように細く、表情が分かり辛い。その口を開いて、うがいのような音を時たま発していた。それが彼らの言葉なのだった。背負っている弓と矢を見て、伝統的にマーマン族の使うものじゃないな、とリードマイヤーは見当をつけた。おそらく人間から奪い取った武器なのだろう。
四半刻(三十分)ほども歩いていた。水から引き上げられ、連行されてから、相当に深いところまで進んでいた。リードマイヤーは疑問に思った。地竜でもドウォーフでもなく、マーマンがこんな山の下にいるというのが解せなかった。
やがて彼らは、地の底にある村にたどり着いた。
巨大な滝が、真っ正面にあった。
地底湖だった。ドーム状の広い空間で、向こう岸も天井も、とても見えないくらい遠くにある。そして闇の向こうから、巨大な滝が落ちてきて、湖に降り注いでいるのだった。
その湖からは、ぞくぞくとマーマンが岸に上がってきていた。全部で数十匹ほどはいるだろうか。何人かは、女の身体をしている。つまりマーメイドと呼ぶべきか。それとも女マーマンか。
それらの先頭に立っているのは、ひときわ背が高く、そして驚くほど痩せたマーマンだった。葦の穂のように細い。そして、年老いていた。彼らを前にすると、リードマイヤーをここまで連れてきたマーマンたちが、膝をつき頭を下げた。どうやら彼が、一族のまとめ役というか、長老のようなものであるらしかった。
その長老が口を開いた。
「人間が、こんなところに何のようだ?」
「それはこっちのセリフだ」
反射的に、そう答えていた。マーマンたちが、微かにどよめいた。こちらがマーマンの言葉を話せることに驚いているらしい。リードマイヤーは続けた。
「むしろお前たちに聞きたい。ここはどこで、お前たちは何をしているのか。俺がさっきまでいた場所はシルサンの峠で、人界の領域だ。本来であれば、お前たちがここにいるはずがない」
「人間の勝手な言い分だ。わしらはここに百年以上住まっておる」
長老がそう答えた。
「そもそも、かつては人界などというものはなかったのだ。お前たちが勝手に、世界を自分たちの勝手なように切り取り、区切り始めた。そこに住んでいたわし等を殺すか、追い出すかして」
「フェン=メイルが聖杯に血を受ける前は、そういうこともあったかもしれんが」
リードマイヤーは集まった一同の顔を見渡した。やはり表情は読めないが、少なくとも敵意は感じられなかった。
「それは俺の曽祖父の、そのまた曽祖父の生まれるより遙か前のことだ。俺にはどうにもできん。もう一度聞くが、ここはどこなのだ?」
「地の下にある水の領域だ。我々は長いことここに住まっている。お前が落ちた川は、ここにつながる数少ない道のひとつだ。そこからお前は、ここにやってきたのだ」
「川底を通り抜けたか」
リードマイヤーは呻いた。
「こんな簡単に〈境〉を越えてしまえるとは思わなかった。では聞くが、俺はどうすればここから出ていける?」
「人間には無理だ」
長老は嘲った。
「川の中をさかのぼらねばならん。我らならともかく、水呼吸のできないお前にやれることではない」
「そうか。困ったな」
リードマイヤーは困って言った。
「ほかに出口はないのか?」
「他に……」
言葉が途切れた。長老と、後ろに控えるマーマンたちが、素早く視線を巡らせた。言葉にならない、あるいはする必要のない会話が、そこで交わされた。
長老の目が、再びこちらを向いた。
「出口はある。しかし、やはり、そこから出ていくことはできまい」