放浪騎士リードマイヤーの滑落 1
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リードマイヤーは崖から転げ落ちた。
当人にも言い分はあった。丸二日間ほど、一睡もしていなかったのだ。意識は薄れ、集中力は途切れていた。どこかで休息を取りたかったが、追っ手がそれを許さなかった。ほんの十日前に、一国の王をその手に掛けたばかりである。謀反人として追われていることは疑いようがなかった。ずっと逃げ通しだった。いまでは民兵だけではなく、賞金目当ての傭兵やならず者までが、リードマイヤーを追っている。
山に逃げ込むしかなかった。
シルサンの峠道は、国境にもなっている。ここを超えれば、一息つけるのではないかという期待があった。さらに念のため、旧道を使って峠を越えようとした。それが失敗だった。
山に深く切れ込んだ渓谷を望む、崖にへばりついた細い道だった。遥か下に、泡立つ急流が流れているのが見える。その道を、リードマイヤーは老馬アルセを駆って、のたのたと進んでいた。
身体が重い。鎖鎧と、剣帯の重量が肩に食い込んでいた。盾はどこかに落としてしまったが、鎧と剣だけはまだ残していた。いよいよのっぴきならなくなれば、売り飛ばして路銀に換えてもいい。
老馬アルセは実に不機嫌そうだった。小石だらけの路面が気に入らないらしい。そうでなくても、丸一日以上も走り続けたからには、相当に消耗していてもおかしくない。この老馬が、見かけより遥かに良く走ることをリードマイヤーは知っていたが、気分屋で不平を鳴らしてばかりのこの馬を扱うのは、非常に難儀なことでもあった。
だから、これは仕方のないことなのだ──リードマイヤーはそう思った。馬の背から投げ出されて、切り裂くような冷たい風を全身に感じながら。決して自分の不手際ではない。老馬が不意に、驚いたように後足で立ち上がったときだって、その気になれば手綱をさばいて、うまく立ち直らせることだってできたのだ。そうしなかった……間違ってもできなかったのではなく……のは、単に、そう、途方もなく眠くて、丸二日寝ていなかった疲労と眠気が、一瞬の判断を鈍らせた、というだけのことにすぎない。
だからこれは、しかたのないことなのだ……
意識を取り戻したとき、リードマイヤーは水底に沈んでいた。
道理で息ができないはずだ。身体を締め付ける鎖鎧が、彼を浮かばせることなく水底に押しつけていた。明かりはほとんどなかった。しかし何も見えないわけではない。頭上……おそらく水面の向こう側に、ぼんやりと明かりが見えた。
リードマイヤーは体を起こした。すぐ近くに岩の壁があった。リードマイヤーはそれに手をかけ、ゆっくりとよじ登り始めた。重たい鎧を着た、しかも泳げない彼にとって、水面に向かう術はそれしかなかった。岩壁はある程度の傾斜を持っていたから、よじ登るのはさほど難しくなかった。
かなり長い時間が立ったように思われたが、実際のところは分からない。どうにか水面から顔を出したとき、リードマイヤーの頭は爆発しそうだった。血管がびくびくと頭の骨を内側から叩き、全身は新鮮な空気を求めて引き裂けるようにしびれていた。大きく息を吸って彼は、思わず笑い出しそうになった。
不振そうな顔が、数多く彼を見下ろしていたのだ。
彼はどうやら、流れのたまりのような場所に沈んでいたのだろう。そしてそこは、さほど深くなかったに違いない。そうでなければ、さすがに王殺しのリードマイヤーと言えど、息が続かず窒息していたに違いないのだ。
明かりの正体はたいまつだった。それを持っている男──リードマイヤーの判断する限り──が、そこにいる一味のリーダーのようだった。他にも三つか四つの顔が、リードマイヤーを見下ろしている。彼らの肌は緑色で、鱗のようなもので覆われ、つやつやと光っていた。それでも顔立ちは、不思議なくらい人間のものと酷似していた。
「マーマンが」
リードマイヤーは呟いた。
「どうしてこんなところにいるんだ?」