恋ゆえに貪る⑥
【不知火の影】で目減りしたSANを回復させ、再び攻撃を仕掛けようとした時。
ルー・ガルーが、刀を持つ腕をだらりと脇に下げた。
「……ん?」
突然の所作を前に、思わず二の足を踏む。
斬りかかってくださいと言わんばかりだが、あからさますぎて飛びこむ気にはなれない。いや、正確に言うなら飛びこむことができなかった。
ここで斬りかかるのはまずい。そんな思いが、体を動かそうという思考を押し留めていた。
「……名前」
刻一刻とスキルのリミットが迫る中、ルー・ガルーが口を開く。
今までスキル以外を口にしなかったメゾソプラノが、初めてそれ以外の言葉を紡いだ。
「貴方の、名前は?」
「……え?」
聞き返しても返事はない。まるで選択肢の入力を待つように、ジッと俺を見つめ続ける。
「……良」
少し悩んだ後、ハンドルネームじゃなく本名を口にした。
感傷だとわかっていても、好きな女の子には本当の名前を知ってほしいというのが半分。もう半分の下心は、すぐに叶えられた。
「リョウ」
メゾソプラノが、どこか舌足らずに俺の本名を紡ぐ。
可愛い顔に浮かんでいるのは、さっきまでと変わらない獰猛な笑み。ただ一つ違うのは、目尻に浮かぶ薄紅色が、彼女が喜んでいることを教えてくれていた。
正直言って、めちゃくちゃ可愛かった。
状況も忘れて、顔がにやけそうになる。だが、彼女がだらりと下げていた腕を持ち上げ、刀を構え直したのを見て、慌てて俺も死が二人を離別つまでを構えた。
「貴方の強さは、流れた血潮が証明したわ。だからどうか、試させてほしい。貴方が協力者たりうるかを。この背を、貴方に任せていいのかを」
「……?」
そんなことを口にしながら、刀を中段に構え、体の軸をひねった。
間合いをとった状態からの中段は、【臥待月】の構え。
それを見て、言葉の内容を吟味する余裕は消える。インベントリからSAN回復アイテムを取り出し、中身を飲み干してから【攻勢】の構えをとる。
「私という歪な月を、貴方は、どう呑みこむのかな?」
そんな俺に、ルー・ガルーは小さく微笑み。
「【満ちず欠けて】」
太刀風三つ、斬撃二つ、刺突が一つ。
あわせて六つの剣筋が、俺の体を切り裂いた。
数秒後。
はらりと、無惨な姿になった人型の紙がルー・ガルーの前に落ちる。
「――――ぁっ、ぶねぇ!!」
全身から冷や汗を流しながら、俺は思わず声を荒げた。
今、俺とルー・ガルーとの間には一車両分の距離が空いている。線路を挟んだ向こう側、荒くなった息を整えている少女の姿を見ながら、必死に頭を回転させようと試みた。
(ここにきて初見殺しかよ……!)
想定外の事態に、歯噛みせずにはいられない。
さっきの紙は【流し雛の形代・改】。
一度だけ死亡を肩代わりしてくれるアイテムで、本来ならNPC専用だ。それを朔のルー・ガルー戦のため、大金を支払ってプレイアブルにチューニングしてもらった――ちなみにこれが準備で一番金がかかった――のだが、予想してない形で役立ってしまった。
【不知火の影】のリキャストがまだだったので使わざるを得なかったという面もあるが、例え使用可能だったとしてもさっきの攻撃に合わせられた自信はない。
それほどまでに、今の攻撃は対処が難しかった。
(どうする、どうするどうするどうする!)
形代でも死亡判定は発生したらしく、【走馬灯】が発動している。おかげでどういう攻撃かはわかったが、それは俺の焦りを後押しこそすれ、冷静になる助けにはならなかった。
焦燥に苛まれながら、目の端に浮かぶ【走馬灯】の分析結果を一瞥する。
【満ちず欠けて】
斬撃属性。瞬くように、六つの月が間断なく顕現する。
【繊月】【三日月】【十日夜の月】【立待月】【居待月】【臥待月】で構成。
《《即死攻撃が六回、ほぼ同時に飛んでくる》》。
こんなものを相手に、どうすればいいのか。
形代はもうない。【不知火の影】もまだリキャストできていない。六連撃の即死判定を全て潜り抜けるのに賭けるのは、あまりにもやけくそすぎる。
まずはリキャスト? いや、スキルを使用したらSANの残りがおぼつかなくなる。
先に回復? いや、さっきのを【不知火の影】なしで避けられるのか?
【加速・極】と【八艘跳び】を合わせればギリいける? でも、その後は?
ここで負けた場合、すぐに再戦することはできない。
今回の戦いで、俺は全財産のほとんどを費やしている。切り札であるアイテムは既になく、変若水も用意していた分は半分使い果たしている。死が二人を離別つまでだって、耐久力はそろそろ限界だ。少なくとも、今夜の再戦は難しいだろう。
討伐チームはアーサーが相手をしているが、それだって永遠じゃない。
避けられないと死ぬ。ここで死んだら今夜の、最悪、今までの全てが水泡と化す。
そんな焦りがさらなる焦りを招き、一向に考えがまとまらない。
そうしている間にも、息を整え終わったルー・ガルーが、ゆっくりと刀を中段に構える。あれがただの【臥待月】だという楽観視は、彼女が浮かべる獰猛な笑みによって否定される。
数秒後、致命の斬撃がもう一度俺を切り裂くだろう。
(あ、ダメだ、これ)
弱気な考えが、脳裏をよぎったその時。
「――――ゆえに想う。時よ止まれ、世界よ永久に美しくあれ。【|我は一瞬の永遠を望むもの《ファウスト》】」
キィンというハウリングの後、聞き覚えのある声が響いた。
「っ!?」
「……っ、ぅ」
瞠目する俺の前で、ルー・ガルーの動きが吊られた人形のようにぴたりと止まった。
コモンは無効、アンコモンすら容易く弾く耐性の権化が、体を束縛させられている。それはつまり、彼女の耐性を貫通できる状態異常が付与されているということに他ならない。
それができるプレイヤーに、俺は一人だけ心当たりがある。
なぜなら俺は、そいつにルー・ガルーの検証を手伝ってもらっていたからだ。
そしてそいつは今、俺たちの戦いをどこかで見ている。
都電列車の近づく音が聞こえてくる。それを掻き消さんばかりに、両手で頬を張った。
「――――っし!」
パシンッ、と小気味よい音が響いたのを合図に、俺を縛っていた焦燥が消えた。
断片的に聞こえた詠唱から察するに、四月一日は手持ちの中でも最強クラスの状態異常をかけたのだろう。レアスキルの状態異常でも継続して十秒がいいところのルー・ガルーが、完全に足止めを食らっている。
それでも、永遠には持たない。もって二分弱だろう。
「ハハッ、お釣りがくるな!」
彼女相手に十分すぎる猶予をくれた友人に感謝しながら、インベントリに手を突っこんだ。
最優先は【不知火の影】のリキャスト。リキャストを即時完了させる時計型のアイテムを使用し、使い捨てのそれを放り捨てる。
次いで変若水の小瓶を取り出すが、まだ口はつけない。
(【満ちず欠けて】は、六つの必殺技をノーリキャストかつほぼ同時に繰り出す攻撃)
残り三十秒。目の前を路面電車が通過する。
(使った後、ルー・ガルーは息を整えてた。小さく息をつくくらいなら今まで見たことはあったけど、あんな露骨に呼吸を整えるモーションは初めてだ。つまり、ルー・ガルーも多分ノーリスクで使えるわけじゃない)
【走馬灯】で解析した初撃の情報を咀嚼し、分析していく。いったんクリアになった頭は、さっきまでが嘘のように滑らかに回転してくれた。
耐久? いや、ルー・ガルーは《《試させてくれと》》、《《どう飲みこむのかと》》言った。あの子が自滅するまで避け続けるのは正解じゃないはずだ。
何より、自滅待ちで勝てる超高難易度なんて、《《ゲームとしてつまらない》》。
六つの必殺技をノーリキャストかつほぼ同時。
クソゲーと叫びたくなるが、それでもあくまでほぼ同時。完全に同時なのと、ほぼ同時のように見えるのとでは、例え結果が同じでも天と地ほど違うものになる。
つまりあれは、攻略の余地を残した理不尽であるはずなのだ。
そこに、俺の勝機がある。
問題は《《順番》》だ。
「……いいぜ」
残り十秒。透明な液体を呷り、死が二人を離別つまでを構える。
放った小瓶が割れる。都電が通り過ぎ、俺の視界にルー・ガルーが映る。
「丸呑みしてやるよ。お前の、命!」
「――――【満ちず欠けて】!」
俺の啖呵と同時に、ルー・ガルーが刀を振るった。
放たれる六連撃。それに合わせて、【不知火の影】を使用。
召喚されたデコイが、俺の代わりに六つの斬撃を浴びる。切り裂かれる幻影をルー・ガルーの肩越しに見ながら、一つの確信を得ることに成功した。
(さっきと同じ……! 月齢の逆か!)
胴体狙いの太刀風【臥待月】から始まって、【居待月】に【立待月】が後に続く。そして切り裂かれた体に【十日夜の月】と【三日月】によるオーバーキル、最後に【繊月】がダメ押しとばかりに頭部を斬る。
それが【満ちず欠けて】というスキルの構成だ。
ランダムだったら詰んでいたが、順番に法則性があるなら付け入る隙はある。
(でも、単発の時と微妙に違うんだよなあ……!)
六つのうち、【十日夜の月】と【繊月】の軌道が普段と異なる。特に【繊月】に至っては、いつもは首狙いのはずなのに頭を斬っているように見えた。いざ対処に臨む時、こういう細かい違いは致命傷になりかねないので非常に困る。つーかなんで狙う場所が違うんだよ。
……いや、待てよ?
(そもそも、《《なんで六回攻撃なんだ》》?)
三種の太刀風で、攻撃としては十分すぎるほど強力だ。そこに斬撃二つと刺突を重ねても、オーバーキルなのは明らかだろう。
(六回攻撃じゃないとダメな理由はなんだ?)
RTNがゲームである以上、出力される結果には意味がある。六つの必殺技をあえて同時に出すということは、この技をデザインした奴はそうすべきと思ったということだ。
視線の先で、ルー・ガルーは呼吸を整えている。さっきよりも時間が長い。
そのわずかな時間を利用して、考える。
その方がかっこいいから? ある意味一番ありえそうだがNG。
即死判定が三連続弾かれる可能性に備えた? どんな低確率だよ。NG。
(……《《簡単に攻略されないようにするため》》?)
そんな考えがよぎるのと、ルー・ガルーの呼吸が整うのはほぼ同時だった。
シンキングタイムが終わる。
ここからは、命がけの検証タイムだ。
(攻略の糸口は掴んだ。問題は……)
考えられるパターンが二つあるということ。
片一方なら勝ち確だが、もう片方だった場合はどうしても運が絡む。そしてその運は、どれだけ試行錯誤を重ねてもゼロにすることはできない。
「最後の最後に博打ゲーか。ハハッ」
笑いながら、ルー・ガルーの着地に合わせて死が二人を離別つまでを構える。
大事な局面に、運が絡む可能性がある。
そんな事実にしかし、俺は萎えも絶望も感じない。
レベルに物を言わせた無双ゲーも楽しいし、ステータスの暴力で押し勝つのも好きだ。作業にならない程度の安定さはストレスフリーだと思うし、無理ゲークソゲーに直面したら没入を止めてヘッドセットをぶん投げることもある。
それでも、ゲームの醍醐味は苦境からの逆転劇にあると信じて疑わない。
それこそが、俺のモチベの上げ方なれば。
「ほんと、どこまで惚れ直させてくれるんだよ」
俺は今、この戦いを最高に楽しんでいる。
「ふぅ……」
呼吸を整え終えたルー・ガルーが、刀を中段に構える。
それに合わせて俺も息を吐き、意識を研ぎ澄ます。
空気が張り詰める。耳がキンとするような静けさが場を支配する。一挙手一投足を見逃すまいと、お互いに相手のことを見つめる。
永遠にも感じられる数秒の後。
「……【満ちず、欠けて】!」
「【八艘跳び】!」
三度目となる絶技。
それに合わせるように、俺は地を蹴った。
胴体狙いの【臥待月】、足狙いの【居待月】、首狙いの【立待月】。三つの太刀風が虚空を切る。その様子を、俺は俯瞰の視点から見下ろしていたが――
「やっぱそっちだよなあ!」
時間にしてわずかコンマ数秒。
地上にいたはずの少女は、俺のすぐ目の前に迫っていた。
回避に成功したら勝ち確、なんて都合のいい展開はなかった。
六回攻撃は、より正確に言うなら三回攻撃×2。三連撃はオーバーキルなどではなく、太刀風を回避された時の追撃として組みこまれている。
逃げ場のない空中で、四つ目の死が迫った。
「っらぁ!!」
【死に覚え】、【Know-how】、【走馬灯】。
ルー・ガルーとの戦いを積み重ねてきたスキル群のブーストを背に、胴体狙いの斬撃を死が二人を離別つまでの片翼で受け止める。
太刀風を回避した後の【十日夜の月】が、単発の時と同じ軌道をしているのはさっき見た。なら、彼女の技を体で覚えた俺が、それに合わせられない道理はない!
ばきんっ、と。
必殺技の直撃を受け、武器の耐久力がマイナスになる。ガラスが砕けるような音とともに、今この瞬間を愛せと名づけられた武器の片翼が砕けた。
黒い欠片が、まるで雪のように宙を舞う。
そんな幻想的な光景の中にいながらも、ルー・ガルーは止まらない。
神速で刀を手元に引き、切っ先を構える。
五つ目の死、【三日月】。心臓を貫かんとする刺突が、瞬きの間に放たれる。
――――数拍後。
霧の形をした血が、左胸から迸った。
ただしその色は、黒い。
「……っ、ぁ?」
俺の目の前には、呆然としたルー・ガルーの顔があった。
そんな彼女を間近で見つめながら、俺は心臓に突き立てた黒い刃の片割れを、さらに押しこむ。少女の胸に切っ先が沈み、そこからいっそう黒い霧が噴き出した。
――――【満ちず欠けて】の順番が効率よく組まれていたら、打つ手はなかっただろう。
だが、月齢の逆をなぞるだけなら話は違ってくる。
五番目の【三日月】が刺突である以上、【十日夜の月】を放った後、ルー・ガルーはいったん刀を手元まで戻し、そして突くという動作を行う。そのタイムラグこそ、【満ちず欠けて】という絶技に存在する唯一の隙だ。
さながら、相討ち狙いの勝筋。
それが相討ちで終わらなかったのは、俺の運が良かったからに他ならない。
「――――」
黒い霧で顔を汚しながら、ルー・ガルーは自分が放った刺突の行方を目で追う。
過たず俺の心臓を狙った切っ先は、左胸には届いている。だが、0と1で構成された皮膚を突き破る前に、胸ポケットに収まっていた鉄の金具によって遮られていた。
【真化・四葉の鎖】。
【死にぞこない】。
そして、【|真化・幸ち多き歩みを守るもの《リバース・フォルトゥナ》】。
積み重ねてきたものが、俺に幸運をもたらした。
「俺の――勝ちだ」
噛みしめるように言いながら、ルー・ガルーの体を抱き寄せ、地面に着地する。
それに少し遅れて、からんと刀が落ちる。絶技の連続で耐久力が底を尽いていたのか、落下の衝撃によって刀身が砕けるのが視界の端に映った。
役目を終えた【恋ゆえに貪る】を解除すれば、アイテムで無理やり持続時間を延長し続けた反動か、凄まじい脱力感に苛まれた。脳が疲れを錯覚しているだけとわかっていても、体はまるで状態異常がかかったかのように重い。
それでも、抱き寄せた腕から力は抜かない。
大事な宝物のように、俺は彼女を抱きしめた。
「……っ」
まるで、本物の人間を抱きしめているように、腕の中の体は温かい。
だが、その温かさは徐々に失われつつある。
それを悲しいと思うのは、プレイヤーとしての俺自身と、今までの戦いと、わがままを通すために押しのけた他のプレイヤー、そして何よりルー・ガルーに対する侮辱になる。熱が落ち着いていくのにあわせてこみ上げてくる未練を、ぐっと飲みこんだ。
むしろ、本来ならHPが0になったエネミーはすぐさま黒い霧になるのだ。こうして失われる体温を感じ取れること自体が、贅沢な奇跡と言ってもいい。
「……ルー・ガルー」
華奢な肩に顔を乗せたまま、口を開く。
俺の声に反応して、腕の中の体が小さく身じろぐのがわかった。それが俺を押しのけようとするものじゃなかったことに心から安堵しながら、言葉を続ける。
「ありがとう。……君に出会えて、俺は幸せだった」
告げるのは、謝罪でもなければ後悔でもなく、まして惜別の言葉でもない。
ルー・ガルーという少女に出会えたこと。そして、【朔のルー・ガルー】というエネミーと戦えたことに対する、心からの感謝だった。
「――――」
返ってきたのは長い沈黙。
矛盾した言葉だ。細かいフラグに対して流暢に反応していたRTNのAIでも、こんな言葉に対してリアクションをとれないだろう。そう思いながら、彼女を離そうとしたその時。
「……ふふ」
嬉しそうな笑い声とともに、ルー・ガルーの腕が俺の背に回された。
「――っ」
爪が傷口に触れたのか、小さな痛みを感じる。
その痛みが、涙腺を決壊させた。現実のように目尻からは涙が零れ始め、俺の視界を一気に歪ませる。喉が嗚咽で震えて、今にも声を上げて泣き出しそうなのがわかった。
「……くっそ」
小さい子供みたいにボロボロ泣いているのが情けなくて、俺はぎゅっと両の瞼を閉じる。
『夜ノ恋ノ|譚【人狼に捧ぐ小夜曲】が開始されます』
『壱の偉業【一夜からの解放】が達成されました。
達成条件:【朔のルー・ガルー】ノーデス撃破。協力プレイヤー許容人数:1人』
……………………………………………………………………………………ん?
妙なウインドウが瞼の裏に表示される。
それを怪訝に思うと同時に、意識が暗転した。




