林間テリトリー
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
やっぱりなじみのお店って安心するよね、こーちゃん。こう、なんというか仕様や手の内が全部分かっている安心感って奴? 先へ先へと、新しい境地を開拓することに熱意を燃やす人もいるけど、僕は勝手知ったるねぐらで、ぬくぬくしていたい性質かなあ。
そういうと、たいていの年上の人がこう返すんだ。「もっと広い世界を知った方がいい」「肌で味わわないと分からないことがある」ってさ。
そんな紋切り型のセリフ、飽き飽きだっての。そちらこそ、もっと心にズシンと来る、ユニークなたとえとか言い回しとかができる、広い知識や巧みな話術を身につけた方がいいんじゃない? とも思う。
慣れたつもりの環境の中でだって、いつ何があるか分からない。それを警戒しながらも、大部分では約束された安らぎの中で生きるというのは、果たして、蔑まれることなんだろうかね?
その安穏に、ふと混じってくる突然の変化について、僕がおじさんから聞いたことがある。ちょっと、耳に入れておかないかい?
おじさんが小学校6年生だった夏。授業後の、本来予定されていない時間帯に、緊急集会が開かれた。
年に一回、開かれるかどうかという、珍しい集会。けれど、遊びたい盛りのおじさんたちは、集会で発表されるであろう重大事よりも、帰ってからの遊び時間が、どれだけ減らされるかの方に、関心があったみたいだけどね。けれど、その重大事というのは、命に関わるものだった。
全校生徒の前で校長先生が出した名前は、この辺りに広く土地を持っている、地主さん。学校行事で田植えや稲刈りといった体験学習をする時には、いつも協力してもらっている方だった。
その人が、急に亡くなられたと校長先生が告げたんだ。しかも死因は病気ではなく、ケガ。
いつも体験学習で使わせてもらっている田畑から、少し離れた林の中で、倒れているところを発見された。その時点で、すでに意識不明の状態だったらしく、病院に運ばれてほどなく……とのこと。
見つけた人の証言では、うつぶせに倒れた状態で、右の上腕と左のふくらはぎ、そして頭部が血だまりに沈んでいたらしい。
いずれの患部も、およそ直径20ミリの丸い穴が空いており、肌の向こう側まで貫通している。頭部も然りで、それによる脳へのダメージが死因と思われているらしい。
校長先生は事故現場の林に近づかないように、という呼びかけで締めくくったけど、そう聞くと、怖いもの見たさで向かいたくなるというのも、また人間。
おじさんたちは、当初の遊ぶ予定を変更。こっそり、例の林を探ってみようという運びになったのだとか。
学校から徒歩十分くらいの場所に、事故現場の林はある。学校の4階くらいの高さからなら、うっすらとその姿を確認することができた。
けれども近場ということは、その分、学校や警察が目を光らせるということで、おじさんたちは林に近づくどころか、そこにつながる通学路も軒並み見張られて、放課後そのまま直行するというのは無理だった。
一斉にみんなで押し掛けるのは無理。ならば、個々人のタイミングで行く。方法も任せる。帰り際にそう取り決めを交わして、おじさんは友達と別れたんだ。
おじさんは、その晩、親が寝静まった頃を見計らって、こっそり家から抜け出し、例の現場へと向かった。
国道から外れている家近くの道路は、すでに昼間のような喧騒は消え失せていた。けれどもその分、余計に際立つようになった、彼方からのエンジン音と一対のライトが迫って来るたび、おじさんは建物の影に隠れて息をひそめていたという。おかげで、林が視界に入って来るまでに、予定していたものの何倍も時間がかかってしまう。
おじさんの装備は、ポケットの中にも入れておけるペンライトと、護身用の木製バット。
もし、何かが現れたとしても、ヒーローみたいに戦うつもりはない。その出会いを収穫に、さっさと引き上げて、話のネタにするという魂胆だったとか。
ところが、林まであと50メートルほどと迫った場所で。おじさんは道路の向こうから迫って来る一つの影に、身を縮こませることになった。
背格好は自分と同じくらい。でもおかしいのが、影は歩いてくるのではなく、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、少しずつ大きくなってくるんだ。
更によく見ると、影には足が一本しかない。一本足でけんけんしながら近づいてくる。
まじもんのお化けか、と判断した時には、もう背中を向けていた。
手に持っているバットで戦おうなんて気は、全然起こらない。関わり合いになりたくない一心だったって。
でも、何歩も進まないうちに、おじさんはよく聞いた声に呼び止められる。放課後に、林へ行ってみようと話を持ち掛けた、友達の一人だ。
振り返ると、友達は数歩先で、変わらずにけんけんをしていた。「不気味だからやめてくれよなあ」という言葉は、すぐに喉の奥へと引っ込む。
友達は左足を左手で持ち上げ、足の裏がほぼ尻の延長線上に来るくらいまで曲げていた。のみならず、友達が手で押さえているところからは血が滴っていたんだ。ペンライトで照らすと、ここまで点々と、道路に赤いしみが浮かんでいる。
息を切らしながら、ポケットのハンカチを出してくれるようにお願いする友達。血を止めたいのだと、おじさんにもすぐにわかる。
傷口を照らしながら、押さえつけるように、きつくハンカチでしばった。赤く濡れていてはっきりとは見えなかったけど、小さい穴がかすかにのぞいた気がした。
友達に肩を貸しながら、帰り道で事情を聞くおじさん。
おじさんが来る、ほんの少し前。友達はあの林にたどり着いたらしい。林の一帯には立入禁止のロープは張られていたものの、なぜか見張っているであろう、警察官の姿が見えなかった。好都合、とばかりにロープをまたぐクラスメート。そのまま事故現場くらいは確かめようと思ったらしい。
ところが、何十歩か進んだ時。足元が暗かったせいもあり、地面の寝そべっていた枝の一つを、不用心に踏み追ってしまったんだ。
ベキリ、と想像以上に大きい音。とっさに、引き返さなきゃと感じるほどだったらしい。誰かに感づかれるわけにはいかない。踵を返しかけて、友達の耳が別の音を捕らえた。
ケタケタケタケタ……。そう聞こえた。
人の喉から出る音には思えない。声の主は虫か鳥か、あるいはもっと別のものだと、直感した。
最初は真正面からしか聞こえなかった声。それが、閉じていたカーテンを広げるように、どんどん、どんどん左右へ広がっていく。
囲まれる。このままでは声に囲まれる。
わずかに侵されていない、こいつらのすき間。自分の背後へ向かって、走り出す友達。
耳を打つ声の数は増し続け、もういくつか分からなくなった時、ロープにたどり着く。来た時のようにまたぐのももどかしく、飛び越えようとジャンプしかけた時、左足に痛みが走った。
跳び損ねて、足の先をロープに引っかけ、もんどりうちながら境の外へと、まろび出る友達。もっと離れなくては、と立とうとしたけど、左足に踏ん張りがきかない。
かなりやられた。でも、今は少しでも早くと、友達はケガの具合を確かめるのももどかしく、けんけんをした状態でその場を立ち去り、今に至るのだという。
友達いわく、不気味な声は、もう、しないんだそうだ。
翌日。友達は給食の時間に、松葉杖をついて、やって来た。例の林に行ったことは、親にも隠したらしい。もう二度と、あそこに近づく気はしない、と。
昼休み。おじさんは別の友達に、校舎4階のトイレに誘われた。彼は高倍率の双眼鏡を持ってきていて、その光景を見せたいとおじさんに言ってきたんだ。廊下や空き教室に比べて、先生に見つかる可能性が低いから、トイレを選んだらしい。
促されるままに、林の方向に合わせ、双眼鏡をのぞくおじさん。ロープの近辺には、パトカーが集まっている。見張りも多く、現場検証にしてはやけに動員数が多いと感じた。
すっと、視界の端から担架が姿を現した。その上に苦しそうな顔をした、警官の一人が横たわっている。
その旨を伝えると、友達は「今日だけで三人目だ」と告げる。
「あいにく、僕はビビりだから現場に近づきたくなかった。今朝からずっと、時間があるたびに、ここから林の様子をうかがったけど、担架の出動率が高い。特に二人目は、林に入ったところ、数分後には救護する人のお世話になっていた」
おじさんは、松葉杖をついていた友達から、昨日聞いたことを伝える。「なるほど」と彼はもっともらしくうなずいた。
「その不気味な声は、たぶん警告だろう。あそこはどうやら、何かの縄張りになってしまったようだね。だから近づくものには威嚇。それでいて、あまり待ってくれない、と。だいぶ、いらだっていると見えるね。ほとぼりが冷めるまで、放置がいいと思うよ。いつになるか分からないけど」
それから数カ月間。林にはロープが張られっぱなしで、見張りの警察官が絶えることはなかった。秘かに忍び込んだ人もいたのか、学校内でも、妙にケガをして登校してくる人が多かったらしい。
やがて秋が過ぎ、冬に入る。辺りの木々が葉を散らす中、その林は例年以上の長い時間、緑を保ったままだった。けれど、ある風の強い晩に、林の近くに住んでいた人たちは、「ケタケタケタケタ」という、虫とも鳥とも獣とも分からない大きな声が、響いてきたと話したんだ。
一晩にして、ほとんどの葉が吹き飛んでしまった林。警官たちが捜査したところ、ほぼ中央部分は、根こそぎ木が抜かれていただけでなく、それらの幹や枝を組み合わせた、巨大なゆりかごが置かれていたという。
それはちょうど、つばめの巣を何倍も大きくしたような形だったけれど、このような場所に、このような巣を作るような生き物は、誰も知らなかったとのことだよ。