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032.暗雲

 本格的にブナンの雲行きが怪しくなって来たのは、皇太子が来てから五日が過ぎた頃の事だった。皇太子が連れて来た人達が冒険者の振りをして大量に流入して来たのは聞いた通りではあるが、その頃から街人の行方不明事件が頻発し始めたのだ。

 ギルド長と衛兵が共に手を組んで捜査してはいるが、発見に至っていない。

 門での出入りのチェックを厳しくしてはいるが、解決への手がかりも無くただ時間が過ぎて行った。


 街人の行方不明に皇太子が関わっている証拠もなく、ただ徒に時間だけが経過して十日目。辺境伯がブナン要塞都市の閉鎖を決めた。


 冒険者には通達を出してあり、ブナンから出る者は早々に出て行くように、入ろうとする者には、これから要塞都市を封鎖する事を通達した上で門を閉じた。

 皇太子にも同様の通達を出したそうだが、鼻で嗤われ、それならここでのんびりさせてもらうと言われたそうだ。


 そんな騒ぎとは別に、ドラゴンフォレストの魔窟は収まる事を知らずに開き続ける。見張り塔の鐘が鳴り響けば、親衛隊は即座に森に入らざるをえない。そうして魔物と戦っている最中、ブナンに異変が起きていた。

 いつものように戦いを終えた親衛隊が戻ったその時、全員がブナンの街人に囲まれた。


「お前ら、俺の子供を返せっ!」


 何の事か判らずぽかんと口を開けるも、石を投げられれば痛い。

 そのヤヒマを守るようにバルドを始めとする何人かが間に入ってくれたが、甲冑に石が当たる音が聞こえ、それが痛くて顔を顰めていた。

 そんな中、皇太子の声が聞こえてくる。


「皆、ここは堪えて欲しい!」


 そうして悲痛な顔で家族が行方不明になっているのだろう人達を慰め、必ず力になると約束をして街人達を送り出した。どう言う事なのか全く判らず、互いに顔を見合わせている中、皇太子が勝ち誇った顔を向ける。


「そろそろ、最初に行方不明になった者が衰弱する頃ではないか?」


 門を封鎖したにもかかわらず、街人の行方不明者は増えて行く。

 疑心暗鬼がそれぞれの心を支配し始め、街の中は今一触即発寸前だと聞いていたが。

 どうやら、皇太子が煽っていたらしいと、ヤヒマは確信した。


「どうだ?私の元に着くか?」


 勝ち誇った顔でそう聞かれたバルドとヤヒマは、無言のまま怒りの炎を瞳に宿して皇太子を睨み付ける。二人の黒い瞳に睨まれ、ほんの少し後退った皇太子はそれでも、ふんと鼻息を荒くして立ち去って行った。


「辺境伯の無事を確認して来い」

「はっ」


 ヤヒマはずっと皇太子の後ろ姿を睨み付けていたけれど、バルドの命令の声に我に返りつつも、変な方向に金と権力の使い方を良く理解しているなと少し感心しているヤヒマは、ティコを労った後、やるべき事を済ませて行った。夕食を食べ終える頃、バルドが城に呼ばれて行くのを見送り、ヤヒマはどう動くべきか考えまくった。


 翌日、バルドが姿を現さない事に首を傾げながらも、いつものように訓練を始める。

 休日だと聞いてはいなかったけれど、そうだったのかもしれないと思いながら一日を過ごしたヤヒマは、食堂で親衛隊員からバルドが何処にいるか聞かれて再び首を傾げた。


「休日では無かったのですか?」

「いや、違うな。なら特務に出たのかもしれないな」

「とくむ、ああ、特務。偶にあるんですか?」

「まあそうだな。だが、一人だけってのがなあ」


 その言葉を聞きながら、もしかしたら行方不明事件の方に回ったのかもしれないと、そう思った。ダグラスがずっと街中を走り回っているし、休日の親衛隊も街に出て行方不明者の捜索に携わっている。

 それでも見付からないのが、とても不気味で恐ろしい。

 

 湯船に浸かりながらじっくり考えてみたけれど、例えば自分なら、これからどうするかと考えた。行方不明を利用し、街人の心を急速に掴んだ後やる事と言えば、街人を利用して蜂起させ、ブナンを掌握する。

 たぶん、皇太子は既にブナンの武器や備蓄の確認が済んだのだと思う。


 じゃあ、辺境伯や奥方、ダグラスは。


 そこまで考えた時、自分が思いつく事をあの副官が考えない訳がないと気が付いた。恐らく既にその為の対策は何重にも立ててあるのだろうし、ヤヒマが考えるよりもっと複雑に事を進めているだろう。

 やっぱりこう言う、人を守る立場って良く解らないなと思いながら一度溜息を吐き出してから浴室を出た。


 事態が動いたのはそれから二日後の事で、どうやら手柄は皇太子に盗られたようだけれども、街人が無事だったのならそれで良いと辺境伯は何も言わなかった。


「で、バルドさんは何処に行ったんですかね?」


 そう聞いたヤヒマに誰も答えを返す事が出来なかった。

 皇太子が皇都に戻ると言うので、それを見送る為に集められたヤヒマ達が見たのは、皇太子の軍であるリオンの甲冑を身に着けたバルドの姿であった。

 どう言う事だと皆が顔を見合わせ、辺境伯へと顔を向けるも、厳つい顔をさらに厳つくして皇太子を睨むだけで何も教えてくれない。では皇太子に喋らせるかと思ったけれど、街人達からの皇太子を称える声が響いて来て、何も出来なくなった。


 城門から大門へと続く通りを、街人が皇太子を称える声を聞きながら、皇太子とリオンの人達が笑顔で手を振りながら通って行く。その最後方、見慣れたバルドの大きな背中は、一度も振り返る事無くそのまま行ってしまった。


「ヤヒマ、お前、何か聞いてたか?」

「……なにも」


 そりゃあ、いつか手を放される事ぐらいは解っていた。

 でも、こんな風に突き放される事は想定していなかったから、ヤヒマは突然の事過ぎて頭の中が真っ白になっている。こちらを見もせず、背中を向けたまま去って行くなんて、思ってもみなかったのだ。

 休日を街中で過ごした親衛隊員が言うには、ダグラスはまだ街中を奔走していて、行方不明事件の後処理と事件の全容を掴む為に頑張っているそうだ。


「ヤヒマ」

「はい」

「少し、話しをしたいのですが」

「……はい」


 フードを深く被ったまま、皇太子一行が出て行った大門をじっと見ていたヤヒマに副官が声を掛けて来た。そして、副官の後を着いて行くヤヒマに、今回何故バルドが皇太子と共にブナンを出たのか教えてもらう。


「ルシア様の姪御さんが、事件に巻き込まれましてね」

「……姪御さん?」

「はい。ルシア様の妹君の娘さんです」

「その方は、ご無事だったのですか?」

「残念ながら、姪御さんだけがまだ行方知れずです」


 ゆっくりと歩く副官と共に、ヤヒマもゆっくり歩いて行く。


「バルド副隊長は、その姪御さんを救う為にあちらへ行きました」

「なら、どうして私も送ってくれなかったのですか」

「あなたが皇都へ行けば、あっと言う間にザラシュとバデラワンに知れますよ」


 そう言われてぎゅっと拳を握りしめた。

 

「辺境伯と私は、あなたを守ると誓約致しました。ですから、あなたを皇都へやる訳にはいかなかった」

「だから、バルドさん、ですか」

「ええ。彼ならば単独でも任務を行えますからね」

「……どんな任務なのか伺っても?」

「それは言えません」


 そうでしょうねと、口の中で返事をしてその後は無言で歩き続けた。

 バルドが抜けた親衛隊は、副隊長候補として三人の名前が上げられ、その内の一人、エリク・リバースが後任に着いた。エリクは確かに剣の腕も良いし面倒見も良い人で、ヤヒマも良く世話になっていたからこの人事には賛成だ。

 

 そして、新体制となった親衛隊で、ヤヒマは自分がどうしてここにいるのかわからなくなりつつあった。勿論、ブナンに永住したいと思ったからこそ、三年という約束でこの親衛隊に入ったし、最初の約束通り街へは出ていない。

 けれど、自分が望んだのはブナンの街中で薬師として生活する事だ。

 三年後、それが出来るかどうか分からなくなっている。


 何度も森の中へ入るヤヒマは、気が付くとバルドの背中を探していた。


「ヤヒマ、どうした?」

「あ、いえ、何でもありません」

「そうか。戻るぞ」

「はい」


 魔窟を閉じ、ティコを走らせる。

 いつものように城に戻ったヤヒマは、バルドがいなくなってから三か月も経った今日、初めて隣の部屋のドアを開けた。


 脱いだ服がそのまま床に積み上げられ、剣を磨くための道具が転がり、鎧の手入れ道具が散らばっていたその部屋は、何もなくなっていた。

 がらんと空になった部屋に、ベッドが置いてあるだけの、何もない部屋だった。


「うそ……」


 戻って来ると信じてた。

 任務が終われば戻って来るのだと、そう信じていたのだ。


 気が付けばヤヒマは、何もなくなったその部屋に入りベッドに座り込んで夜を過ごしていた。窓から入る月明りが空っぽの部屋を照らし出し、否が応でもバルドがいない事をヤヒマに理解させる。

 膝を抱えて座りながら、何度も何度も考え続けた。

 

 ヤヒマは今五十九だ。しかももう少しで六十になる。

 つまり、こちらに来てからそろそろ十二年になると言う事で、十七歳と言う事になるのだ。その生きてきた年齢の積み重ねで何か、良い案は出ないだろうかと脳味噌が焼け焦げるぐらいに考えた。


 問題はルシア様の姪御さんの行方が判らない事なのだ。


 皇太子が絡んでいる事だけは解っているのに、中々その居場所が掴めない。しかし居場所を割り出そうにも、ブナンの事も不案内、近辺の事も不案内では全く力になれない。城から出ないと言う誓約が、邪魔をしていた。

 結局、その誓約がある限り、ヤヒマに出来る事は何もなかった。


 う、くっ、とヤヒマは泣き出し、そしてさらに膝を抱える。


 悔しい、情けない、そう思いながら自分の腕を握りしめる。

 自分を助けてくれたようにバルドを助けたいのに、ここから動けないのだ。

 今も、そうしてヤヒマを助けてくれている事を良く解っているからこそ、自分も何かしたいと思うのに。


 そうして、元バルドの部屋で一晩を過ごしたヤヒマは、翌日から魔放士としての腕を磨く為、ひたすら術の訓練を始めた。元々魔放士としての才覚は充分にある。

 そう言う体にしてくれたザラシュに、ヤヒマは初めて心から感謝した。

 バデラワンで習った神聖魔放術も同時に訓練を始め、治癒術、回復術と次々にものにして行った。


 ダグラスは偶に親衛隊の元へ戻って来て、父親のように厳めしい顔つきになって来たその顔を見せながら、共に森に入って討伐を行いつつ行方不明事件にかかわった冒険者を探し続けた。

 そんな毎日が続きバルドがいなくなってから半年、皇都からバルドの伝魔が飛んで来た。


 その知らせは姪御さんの不幸を知らせたらしく、気丈に振る舞っていた奥方が倒れた。

 

 ヤヒマが薬師として城に呼ばれ、憔悴した奥方に薬を処方したり、泣き続ける奥方の話を聞いたりと、森に入らない間はずっと奥方と共に過ごしている。

 副官がこっそり教えてくれたのだが、どうやら奥方の妹さん家族がブナンを出て行ったらしい。奥方への恨み言は無かったけれども、今は会いたくないと拒絶されたそうだ。

 やはりあの皇太子、生かして帰すべきでは無かったと、ヤヒマは心の奥底で怒りの炎を燻ぶらせ続けていた。





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