030.一難去ってまた一難
結局、皇子は十日ブナンに滞在しただけで皇都へと帰って行った。
最初の目的をすっかり忘れ、ヤヒマに体よく追い払われる形になった皇子は、旅立つ前にヤヒマに会いに来た。
「ヤヒマ、その……」
「殿下。道中お気を付けくださいね。皇都までの旅のご無事をお祈りします」
笑顔でそう言い切られれば、うむと頷いて馬に跨る事しか出来なかった。未練がましく何度も何度も振り返りながら、あっと言う間にいなくなったヤヒマの姿を探していたそうだ。
「上手く手懐ければ第二皇子の妃。行く行くは公爵夫人だったな」
「そうですね」
「全く興味が無さそうだな?」
「はい、興味ないですから」
バルドの言葉にはっきりとそう答えたヤヒマに、バルドはクツリと笑う。
そうしてブナンの日常が帰って来て、ヤヒマが親衛隊見習いになってから一年が経った。今ではすっかり親衛隊の一員であるし、魔放士として親衛隊員となったヤヒマは、魔窟が開くと、その後必ず魔窟を閉じに行く作業を行っている。
夜だろうが朝方だろうが、ヤヒマが一人で行う為に他の親衛隊員達とは違う契約を交わしている。
短く切った髪は既に伸びていて、邪魔だからまた切ってくれないかなと都合の良い事を思っていた。
この頃、ダグラスが積極的にヤヒマに声を掛けるようになっていて、訓練や討伐に参加するようになり始めていた。確かに辺境伯もそうしていたようだし、ブナンはそう言う所なのだろうと思ってはいるが、何故急に積極的になったのだろうとヤヒマは首を傾げていた。
そう考えていて、積極的になった時期を思い出して、あれかと思い至る。
それは、ダグラスの十八歳の誕生を祝う席の事だった。
外に出られないヤヒマはプレゼントを色々考えたのだが思い付かず、小さくなって着られなくなった服を切り、糸を解いてミサンガを編んだ。紺色のワンピースが役に立ったと喜びながら、それは必死に編み上げた。
そうして作ったミサンガを上げたのだが、物凄い嬉しそうな顔で受け取ってくれたダグラスは、そのまま左の手首に付けて今も付けられている。
気に入ってくれたようで良かったと思ったけれど、もしかしてあれは、何か意味がある物だったのだろうかと、ダグラスの態度を見て焦っている。
「バルドさん、相談したい事があるのですが」
「なんだ?」
「ええと……、部屋に行っても?」
「駄目だ」
「じゃあ私の部屋で」
「わかった」
「掃除しろよ」
失敗したかもしれないと気が付いた時は食事時だった為、食堂で話す事ではないと判断しての事だったが、即座にバルドの部屋が汚い事が解ってついそう言ってしまう。
「そうだな」
そうして流されるのもいつもの事で、もう慣れた。
食べ終えたバルドと二人、ヤヒマの部屋に入って話をする。
「私、ダグラスさんの誕生祝いで、手作りの腕輪を上げたじゃないですか?」
「ああ、そうだな」
「それって、何か意味があるんですか?」
「ん?」
「あの、恋人に上げる物だとか、好きな人に上げる物だとか」
「ああ、その通りだが」
バルドの答えに、やっちまったと頭を抱える。
「知らなかったのか?」
「全く知りませんでした。あー、やっちゃったよ、どうしよう」
頭を抱え込んでいるヤヒマに、バルドは盛大に溜息を吐き出した。
「身に着ける物を贈る相手は、そう言う相手だけだ」
「知らなかったんですよ。それで、あれだったのかー、そっかー」
「俺はお前がダグラスの気持ちに応えたんだとばかり思っていたんだが」
「無いですわ。あああ、どうしよう、どうしたらいいんですか?」
「…………まあ、ヤヒマの態度が変わらなかったから、ダグラスも恐らく気付いているとは思うが」
「ですよね?よし、とぼけよう」
人、それを無駄な足掻きと言う、とバルドは再び盛大な溜息を吐き出した。
「ヤヒマ。本気でダグラスの事を考えての事か?」
「そうです。ちょっと無理です」
「ちょっとと言う事は、ダグラスが努力をすれば望みはあると言う事か?」
「いいえ、無理です。たぶん、後二十年は無理です」
「何故二十年?」
「え、ええと、諸事情です」
そう言って視線を彷徨わせたヤヒマに、バルドは目を眇めた。
いつもこうしてはぐらかす所があるヤヒマに、今日はバルドが詰め寄った。
「な、なんです?」
「なあヤヒマ。何か、事情を抱えている事は承知しているんだが。それが後二十年という事情に繋がっているんだな?」
「……そう、です」
「わかった。まあ、このまま知らない振りをしていれば大丈夫だろうがな」
「え、本当に?」
「ああ。ダグラスからも相談されたからな」
そう言って笑ったバルドに、いつもありがとうございますとお礼を言った。
ヤヒマの部屋を出て、再び訓練に戻ろうとしていた所で見張り塔の鐘の音が響く。走り出したバルドの背を追う形でヤヒマも飛び出し、ティコに跨り森を駆け抜けた。
初めてブナンに来た時と同じ、ダークウルフがその大きな口を開けて襲い掛かってくる中を駆け続け、魔窟へと到達する。
まだ開き続けている魔窟を、ヤヒマが魔力でもって捻じ伏せて閉じて行く最中、ヤヒマを守って戦う親衛隊員達。絶対に大丈夫という油断はしないけれど、それでも、危険に晒された事など一度も無かった。
そうして今もいつものように魔窟を閉じている時、銀色の甲冑軍団が戦闘に混じり始め、ヤヒマは戸惑いながらも魔窟を閉じた。
完全に閉じたのを見てから親衛隊員達へ補助術を放っていたのだが、銀色甲冑軍団が何やらとても強く、大きな体のダークウルフたちが次々と屠られて行くのを眺めているだけとなっていた。
そうして戦いが終わり、ブナンの資金源でもある魔物の部位を集めていると、バルドに話し掛けた銀色甲冑の一人が、バルドと共にヤヒマの所へやって来た。
「お前がヤヒマか?」
「はい、ヤヒマと申します」
「ふうん。確かに稀にみる魔力の多さだな」
そう言ってベンテールを上げて現れた顔は、厳しい中にも甘さがある、造作の良い顔だけれど見た事が無い。
「ヤヒマ、エルギータ皇国皇太子殿下だ」
「し、失礼いたしました。魔放士のヤヒマです」
「構わない。お前も良くやった」
「ありがとうございます」
聞いてないぞとヤヒマは思いながらも、ダークウルフの死体を次々に燃やして行き、それから城へと戻る。帰城する際、途中で遭う魔物と戦うのだけれど、やっぱり銀色甲冑軍団は確かに強いと、その戦いぶりを見ながら思った。
その背中は、なんちゃって皇子の第二皇子より、確かにずっと皇族らしかった。
「無事のご帰還おめでとうございます、皇太子殿下」
「ああ。やはりブナンの親衛隊は強いな」
「これは光栄の至り。殿下のリオンには全く届きませんが、エルギーダの一角を担えるよう全力を尽くす所存です」
「ああ。お前、バルドと言ったか」
「はい。バルド・レオーニと申します」
「うん。それと、魔放士ヤヒマ」
「はいっ」
「お前達、リオンに入るが良い」
皇太子のいきなりなその言葉に、頭を下げているヤヒマは目を丸くしながら、どう答えたら良いのか全く判らず、隣で頭を下げているバルドを窺った。
「殿下、ひとまず城の中でお寛ぎください」
「ああ、そうだな。お前達も来るが良い」
隣のバルドを窺えば、苦い顔でヤヒマを見ていたのが解って少しほっとした。
「殿下、あの者達は自分の馬を片付ける必要があります」
「そうか。おいお前、あの者達の馬を片付けておけ」
「はい」
名指しされた親衛隊員がそう答えれば、満足げに頷いて城へ歩き始める。
その後ろを銀色甲冑達が追い、ダグラスが一度バルドとヤヒマへ視線を向けてから皇太子の元へと走って行った。
バルドとヤヒマは一度顔を見合わせ、互いに苦い顔をしながらも後を着いて行くしかなく、ラウとティコの世話を頼んでから城へと向かう。
「いきなりなんですか、あれ」
「さあな」
「本気なんでしょうか?」
「本気だろうな」
「……逃げようかな」
「それが得策だろうな」
「バルドさんはどうするんです?」
「そうだな、森に入って行方不明にでもなればいいか」
「ああ、それが一番平和でしょうね」
皇太子殿下に褒められた、取り立てられた、やったー!と喜ぶような二人ではない。即座に逃げる算段を付けた二人は、互いにそう言い合って頷いたのであった。
そのまま食事の席にまで連れて行かれた二人は、辺境伯と奥方、ダグラスと皇太子殿下が食事をしているのを、立って眺めていた。
「辺境伯、その二人をリオンに入れる事にした」
「はっ、相変わらず冗談が下手だな」
「冗談ではない。バルドの強さ、ヤヒマの魔力の高さはいい。飼ってみたい」
「お前如きに飼い慣らせる二人では無いわ」
「何を言うか。ブナンにいてこその強さだと判らないお前に、二人をくれてやる気など無いわ」
皇太子相手だと言うのに牙を剥く辺境伯と奥方に、ヤヒマは度肝を抜かれた。
いいのか?と疑問に思うけれども、辺境伯の応援をする。
「大体、貴様のリオンではこの二人があっと言う間に殺されるわ」
「何を言う。仲間内で切磋琢磨している内に死んでしまうのが多いだけではないか」
「あれは虐めだっつってんだろうが。まったく性根の腐った奴ばかり集めやがって」
「そうではない、それに打ち勝つだけの強さが無かっただけの事。この二人ならば大丈夫だろう」
「確かにお前の言う通り、バルドは強いがな。ヤヒマは女子だ。テメエんとこの薄汚ねえ奴らにゃ、見せたくねえんだよ」
「所詮女など共寝をすれば言う事を聞く。ヤヒマ、お前私の部屋に来るが良い」
「彼女は私の大事な人だっ!例え皇太子であろうが侮辱は許さないっ!」
「はっ、腰抜けが。貴様なぞっ!?」
「あら、失礼致しました皇太子殿下。活きが良くて飛んでしまったのですわ」
べちゃっと薄切りの肉が顔に飛んできた皇太子は、そう言った奥方をじろりと睨みつけた。
「ブナンの物は全て新鮮だからな。仕方あるまい」
「そうですわね。申し訳ありませんでした、皇太子殿下」
ほほほと軽やかに笑った奥方の目が、怒りに燃え上がっている。同様、辺境伯もダグラスも皇太子を睨み付けている中、皇太子は顔に飛んで来た肉を取り、ポケットからハンカチを出して顔を拭いていた。
これはまた、凄い人がやって来たもんだと思いながら、眺めているしかないヤヒマは隣に立っているバルドをちらりと見上げ、相変わらずぎゅっと閉まった口元がエロイなと、現実逃避を始めた。




