003.
ブナン要塞都市は、第五区画に辺境伯が暮らす城が建っている。
当然一番高い所にあり、堅牢な造りのその城は見た目はとても無骨で飾り気など何もない城だった。
結局上手い事を言われてバルドに城まで連れて来られたヤヒマは、馬から降りた途端にお礼を言って逃げようとした。
だが、さすが黒甲冑軍団。
逃げられなかったヤヒマは結局、バルドの執務室だという部屋に連れて来られ、あれよあれよと言う間に辺境伯副官の前に立っていた。
何でこんな目にと思いながら、半分魂を飛ばしつつもヤヒマは聞かれた事に簡潔に答えて行く。
「なるほど、バデラワン神国で」
「はい。ほんの少ししか習っていないのですけれどね」
魔放術と違って、神聖魔放術は素養が無ければ使えないものだった。
たまたま素養があったので、バデラワン神国で色々と勉強させられたけれど、別に聖導士になりたかった訳ではないので途中で逃げた。国を跨いで逃げたのでそう簡単に追手は来ないだろうが、居場所が知れたら何かしらされるのではないかとは思っている。
「しかし、入門記録を見る限り、君は薬師のようですが?」
しっかりとチェック済みかと内心舌を巻く。
だが考えてみれば、辺境伯が住んでいる所に怪しい人物を入れるのだから、調べない訳が無いかと思い直した。
「記録を見たのならご存知でしょうが、私はザラシュ国出身なんです。と言っても幼少の頃に母と旅に出ましたので、そこで生まれたってだけですけれどね」
「ずっと旅を?」
「はい。母が薬師だったので、私も母の手伝いをしながら二人で旅をしていました」
「……母上は何処かに落ち着かれたのですか?」
「バデラワンで炎と共に登りました」
「そうでしたか。それからは一人で?」
「はい、一人で旅を続けて来ました。この国のあちこちへ行きましたよ」
ヤヒマの言葉に副官が頷いて答える。
「……今回の騒動、かなり働いて下さったようですね」
「偶々です。共闘しようと言われたので、生き残る為に」
「間に合わずに申し訳ありませんでした。今回、魔窟から湧いた魔物の数が尋常でなくて、対応が間に合いませんでした。危険に晒してしまった事、お詫び致します」
「いいえ、まだ入門前でしたし、自分の命は自分で守るのが鉄則ですので、お気になさらず」
ヤヒマの言葉に副官が少しだけ表情を緩める。
この世界には魔物がいるのが当たり前なのだから、自分の身は自分で守るのが生き残る条件なのだ。それが出来ないのならば、食われても仕方のない事なのだから。
「こちらの依頼を請けて下さったそうですね」
「神聖魔放術を使いました」
「聞いております」
そうして副官が提示してくれた報酬は、さすが辺境伯と言うべきか、かなり高額であったことにヤヒマは笑顔になった。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございました。神聖魔放術が使える者は少なくて、手が足りなかったのですよ」
「魔窟を閉じる為にも神聖魔放術が必要ですからね」
「ご存知でしたか」
「これでも一応は習いましたので。大規模だったようですね」
「ドラゴンが出て来るほどでは無かったのですが、実は昨日ドラゴンが出たばかりで」
「そうだったんですか。では魔力回復が間に合わなかったのでは?」
「お恥ずかしながらその通りです。神聖魔放術はかなりの魔力を消費しますからね」
副官のその言葉に含みを感じ、曖昧に笑って流してさっさと城を出る事にする。
「そう言えば、まだ宿を決めていないのでした。申し訳ありませんがそろそろ失礼致します」
「そうでしたか。ではこちらの空き部屋をご利用ください」
「い、いえいえ、まさかまさか。辺境伯のお城にご厄介になるなど、そんな烏滸がましい事は出来ません」
「大丈夫ですよ。働いている者達も城に寝泊まりしているのです。一人増えたぐらいではビクともしませんよ」
「いやいや、ブナンに永住している人ならともかく、私はただの旅人ですからね。街中の宿をお借りしますよ」
「では永住を考えてみませんか?歓迎しますよ」
グイグイ来るよこの人、笑顔で押し切るタイプって本当に怖いよとヤヒマは思いながらも、何とかここから脱出すべく言葉を紡いでいく。
「それはどうもありがとうございます。ですが、ブナンには来たばかりでまだ何も見ておりませんし、どんな所なのかも解っておりませんので」
「それを理解して頂く為には、是非ここに泊まって欲しいですね。夕食を共にしながらブナンの全てを語りますよ」
「いえ、私は実際に自分の目で見ないと駄目なタイプなんです。なので自分の足で歩きまわって判断したいと思います。それでは、失礼致します」
副官に何か言われる前にそう言い切って頭を下げ、さっさと部屋から出たヤヒマは、ドアの前に立っていた兵士に出口はどっちだと聞いて走り出した。
廊下を疾走するヤヒマに追い付いてきたのはバルドで、予想通りだと思いながらバルドを睨み上げた。
「な、んでこ、んな展開に」
「息上がってるぞ。鍛え足りないな」
「うっさいわ。城、デカすぎんのよ」
走っていた足を止め、ぜいぜいと呼吸を繰り返したヤヒマは、落ち着きを取り戻してから再びバルドに文句を言う。
「報酬くれるっていうから来たのに、なんで辺境伯副官まで出て来るんです?」
「ヤヒマの顔を見たかったんじゃないか?」
「何の為に?」
「今後の為に」
あっさりと今後も利用したいと言われたヤヒマは、長い溜息を吐きだした。
「……確かに正解だわ。権力者ってのはそう言うもんですよね」
そう言ってあきらめたように溜息をもう一つ吐き出してから、「出口まで案内して下さい」とバルドを急かして歩き出した。
バルドは兜を脱いで小脇に抱えており、現れた短く切りそろえた黒髪が何だか懐かしい。鋭い黒い瞳も薄くきゅっと締まった口も、正直色っぽいと思っている。
甲冑に覆われている体躯は、鍛えているのだろうけれど残念ながら全く見えない。
甲冑の背中を見ながら歩いていたヤヒマは思う。
脱いだら臭いんだろうな、と。
剣道部の友人が言っていた。防具って、臭いんだよと。
きっとあの甲冑も臭いに違いないと、ヤヒマは黒い甲冑の背中を見つめていた。
「宿屋は、第四区画で借りた方が良いと思う」
「え?」
「第三区画だと、先程の男が来そうだからな」
「……第四区画って言うのはどんな所です?」
「富裕層が住んでいる。宿代が高価だが、その代わり第三区画と第四区画の出入り口は、兵士がいるから簡単に出入りできないようになっている」
「へえ……」
教えてくれた事を考えながらヤヒマはどうしようかと悩んだ。
はっきり言って、高いだけで食事がまずいのは論外である。どうせ泊まるのならば美味しい食事が良いし、寝心地も良い所が良い。
「お勧めの宿屋はありますか?」
「そう、だな。第四区画で良いなら案内するが」
「へえ。利用した事があるんだ」
「まあな。食事が上手い所が良いか?」
揶揄おうとして発した言葉をあっさりと認められれば、それ以上何も言う事が出来ない。ヤヒマは心の中で舌打ちをしてから答えを返した。
「そうですね。ついでに清潔感があって、浴室が付いていると尚良いのですが」
「なら、ベルンダの宿屋が良いだろう」
「宿代はいかほどで?」
「滞在予定は?」
「十日ぐらいを考えてます」
「十日で食事込みとなると、二万ギッタだな」
「あー、ええと、この金のお金でしたっけ?」
「お前、知らないのか?」
「あまりお金が必要な旅では無かったんですよ。どこかのお家にお世話になるばかりだったので」
ここに来るまでは薬師として活動していたので、薬を渡した相手の家に世話になって来たのだ。それで事足りていた為、ヤヒマは金銭の価値が今一つ理解出来ていなかった。
「……この金は一ギッタ。これが千ギッタで、こっちの大きいのが一万ギッタ。銀色の金がジータだ」
「んん?ああ、これか」
「千ジータが一ギッタになる」
「千ジータが一ギッタ……、ええと、要するにこの一番大きいお金を二枚渡せばいいんですよね?」
「ああ。食事と浴室付きの部屋で十日泊まるとそれになる。それ以上の金額を言われたら、俺の名を出せば良い」
「黒いバルドさんの紹介ですって?」
「なんだ黒いって。バルド・レオーニだ」
「黒いバルド・レオーニ」
「……親衛隊副隊長」
「の黒いバルド・レオーニ」
ヤヒマの言葉にバルドはわざとらしい溜息をつきつつも、笑いながら歩いた。
やっとの事で城から出たヤヒマは、宿屋まで案内してくれるというバルドの言葉に、ありがたく頷いた。
「なんだ、素直だな?」
「だって歩いて行くの、凄く大変ですし」
「そんな理由か」
「それ以外の何があると?」
軽口を言い合いながら、再びバルドの馬に乗せてもらったヤヒマは、今度こそ馬上からの景色を楽しみながらゆっくりと揺られていた。馬と呼ばれているけれど、地球の馬とは随分と違う。
形状は確かに馬なのだけれども、鬣はモヒカンのように立ちあがっているし、水牛のような角が生えている。尻尾は硬く、トゲトゲした感じで絶対触りたくない。
何より大きいわ目付き悪いわ、可愛げと言う物は全く無い生き物なのだ。
こいつが馬だなんて認めない、絶対認めないと心の中で思っている。
「ほら、そこの看板の所だ」
「ああ、ベッドの絵が描いてある。解りやすいですね」
「そうだな。この国では宿屋の看板と言ったらあの絵が描いてあるから、探す時は目印にすると良い」
そう言いながら先に馬から降りたバルドは、ヤヒマを降ろしてくれた。
その後、結局宿を借りるまで待っていてくれたバルドのお蔭で、教えてもらった通り、二万ギッタで部屋を借りる事が出来た。
「何から何までお世話になりました」
「いや。また付き纏われたら頼ってくれていい」
「あー、思い出したくなかったのに」
「それは悪かった。用心しろよ」
「当然です」
そうして宿屋の前でバルドを見送り、借りた部屋へと案内してもらう。
「お客様は、バルド副隊長とお知り合いで?」
「ええ、少し縁がありましてね。とても親切にして頂いております」
「そうでしたか。今後ともご贔屓に」
「伝えておきます」
宿屋の主人の言葉に苦笑しながらも、部屋に入って浴室の使い方の説明を受け、夕食の時間を告げられた。宿泊客は決まったメニューらしいけれども、バルドが美味しいというのだから美味しいのだろう。
ヤヒマは夕食までの時間に身綺麗にしておこうと、浴室へと入った。