026.バッサリ行きましょう
あのシストの事件から半年、つまりヤヒマが親衛隊見習いになって七か月経ったある日。
随分馬に乗る事にも慣れ、親衛隊員達と訓練を重ねたヤヒマは、戦闘時にもたつかなくなった事を嬉しく思っていた。
各自が持つ魔剣はそれぞれに特性が違っている為、補助術を使うのにどうしてもワンテンポ遅れていたのだ。だがそれも、訓練を重ねる事によって徐々に解消されて行った。
今では、森の中を疾駆するのも自分の意思でティコを操れるようになったし、ヤヒマの黒い制服も随分と草臥れて来ていた。
そんな頃、ずっと放っておいてくれた皇都から、第二皇子がやって来ると知らせを受けた辺境伯と副官が、げんなりしながら顔を見合わせていた。
「このまま忘れ去って下さればよいのに」
「まったくだ」
「どうしますか?」
「どうと言われてもな。ブナンを奪い取ると言うのならば返り討ちにするだけだ」
「宜しいので?」
「構わん」
辺境伯の言葉に、副官ラスタは笑顔で頷いた。
「ところで、ヤヒマの存在をどうしますか?」
そう聞かれて辺境伯は言葉に詰まる。
今まで、ブナンに探りを入れる為の者達はたくさんやって来たが、皇族が直々にブナンまで来た事は無かった。だから、ヤヒマを隠せておけると思っていたのだが、どうやら自分は甘かったようだと頭を抱え込んだ。
「……冒険者の魔放士を雇い入れたと言い張るしかあるまい」
「盗られますよ?」
「ダグラスの嫁予定だと言えば大丈夫だろう」
「恐らく、問題無しとされるでしょうね」
副官の容赦のない指摘に、辺境伯は副官を睨み上げた。
「そう言うならお前が案を出せ」
「仕方がありませんね」
そうして副官から出された案は、確かに良い案のように思えるが。
「ヤヒマ次第だな」
「確かにその通りです」
「……シアに怒られるな」
「奥様、ヤヒマの事をとても気に入っておりますからね」
ヤヒマが休日の度に城へやって来ては、辺境伯の奥方であるルシアと長いお喋りを楽しむ仲になっていた。ヤヒマがくれた薬は確かにとても良い物で、ルシアの体に合っていたからか、とても良くなった事に感謝している。
「他には無いのかっ!?」
「恐らく、第二皇子自らが来るのですから、今回は隅々まで全て暴かれると思った方が良いかと」
副官の答えに辺境伯が吠えた。
だが結局それ以外の方法が思いつかず、訓練後にヤヒマを連れて来いとバルドに命令を出した。
「奥様には先にお話ししておいた方が宜しいでしょう」
「…………わかった」
苦い顔で頷いた辺境伯を送り出し、第二皇子を迎える為の準備を始めたラスタは、驚きながらも受け入れるだろうヤヒマの事を考え、守ってやりたいと思うのであった。
「え、辺境伯が、ですか?」
「そうだ」
奥方に呼ばれる事はあっても、辺境伯に呼ばれる事など無かったヤヒマは首を傾げつつも、バルドに連れられ辺境伯の元へと急いだ。
まず副官の部屋へと連れて行かれたヤヒマは、案内役がバルドから副官へと交代になり、城の奥へと連れて行かれた。この頃は奥方の呼び出しに応じて遊びに来ているので、不安になる事は無いがそれでも、辺境伯の呼び出しとは何だろうと不思議には思っていた。
そうしてやって来た部屋には既に辺境伯、奥方、ダグラスが揃っていて何事かとヤヒマは目を丸くする。
「座ってくれ」
そう言ってくれた辺境伯に返事をして、示されたソファに腰を下ろした。
「ヤヒマ。後五日ほどで皇都から第二皇子がやって来る事になった」
「はい」
第二皇子が来ると言われても、ヤヒマ個人的には「はあそうですか」ぐらいの感想しか抱けない。何が言いたいのだろうと首を捻りつつも、表面上は平静を装っていた。
「ヤヒマには申し訳ないが、今この時から第二皇子が帰るまで、男になってもらいたい」
「…………え?」
思わず声が漏れてしまったが、咎められる事無く話が進められて行く。
「恐らく、親衛隊に入った魔放士と言う事で注目される事だろう。そして、恐らく君に監視が付けられるはずだ」
「はい」
「女性だと知られた途端、皇都に連れ去られると思って欲しい」
「ええと、あの、質問宜しいでしょうか?」
「許可する」
「皇都では魔放士が不足しているのでしょうか?」
「いや、魔放士と言うより君が使う神聖魔放術の方だ。あれが知られれば、あっと言う間に皇都に連れて行かれて監禁されるだろう」
辺境伯の分かりやすい返事に、ヤヒマがげんなりする。
「ヤヒマ殿。あなたは魔放術で魔窟を閉じる事が出来るのはご存知ですか?」
「え、いえ、知りませんでした」
「大量の魔力と引き換えに魔窟を閉じる事が出来るのですが」
「それが出来たら、皇都に連れて行かれずに済みますか?」
「可能性の一つは消えます」
副官ラスタのこれまたわかりやすい返事にヤヒマはまたげんなりしつつも、教えて欲しいとお願いする。
「一番の可能性は、ヤヒマが皇子に気に入られる事なのだが」
「……それは無いのでは?」
「いいや、ヤヒマは可愛いからね。アイツ、可愛い子には直ぐに手を出すんだよ!絶対に近付いたら駄目だよ、ヤヒマ」
「ええ、と、ご心配頂けて嬉しいです、ダグラス様」
自分が可愛いと思った事は無いが、愛想は良い方だと思っている。
だぶん、それを失くせば大丈夫ではないかと思うのだが。
「あー、ヤヒマ。頼みがある」
「はい、なんでしょうか?」
「……男の振りを、してくれないだろうか」
そう言った辺境伯の元々怖い顔が更に怖くなっていた。
たぶん、本人は申し訳ないと思っているのだろうとは思うけれど、厳めしい顔が更に凄い事になっている。
「ええと、旅をしている時は一応男に見えるよう気を使って来たので、それ程変わりはないと思うのですが」
実際、今でも女性らしい装いはしていないし、男で通せば通るような恰好である。まあ、髪が長いからそれを切ってしまえば、ぱっと見は誤魔化せるとは思うのだが。
「あー……。シア、任せた」
「ええ、任されたわ」
「ダグラス、行くぞ」
辺境伯が奥方に話を代わり、ダグラスを連れ、副官もそれに着いて部屋を出て行くのを見送りながら、ヤヒマはやっぱり判らず首を傾げてしまう。
「ヤヒマ、あのね。ええと、」
「はい」
何を言われるのだろうかと、何だか不安になってドキドキして来た。
「確かに、来たばかりの頃は、見ただけでは女性なのか男性なのか判らなかったの」
「はい」
「だけどね、あなたがここで暮らすようになって、随分と健康的になったでしょう?」
「はい、確かに」
ブナンでお世話になり始めてから、きちんとした食事と運動を行っているからだろう、ヤヒマは痩せこけていた身体にちゃんと肉が付いて来たのを嬉しく思っていた所だ。
「それで、前から私もあの人に進言していたのだけど。あなた、随分と女性らしい体形になって来ているのよ」
気が付いていなかった?と奥方に聞かれたが、自分ではさっぱりわからなかった。
というのも、鏡と言う物が存在せず、湯に浸かる時に自分の身体を見下ろして肉が付いて来たなと思うぐらいだったのだ。
確かに、胸が出て来たなとは思っていたけれども、小さいのだ。
「ええと、」
「その服を通して解る訳では無いのだけれど、何と言うか、雰囲気かしらね」
そう言われて思わず自分の胸を見下ろし、確かに出ていない事を見てから奥方の胸元へ視線を向けてしまった。豊かな双丘が服を押し上げその存在を主張している。
「あ、あの、違うのよヤヒマ。だってあなた、最初の頃は痩せ細っていたから」
「いいんです、大丈夫です、気を使って頂かなくても解っていますから……」
日本にいた頃もまあ、大きな方ではなかったけれども、こっちの世界ではさらに小さい気がしてはいた。でもそれは、自分にとっては有利に働いていたのだ。
旅をしていると、女と見るや集団で襲い掛かってくる男がいるのも目にしたし、やっぱり集団で囲い込むような男も見て来た。だからこそ、一目で女に見えないよう気を付けて来たのだから。
「もし、あなたが良ければ髪を切ってみない?」
「……それは構いませんが」
「あなたと同じ髪型にするわ」
「え?」
「私も、髪を切ります」
「え、いやいや、ルシア様が切る必要はないでしょう」
「駄目よヤヒマ。ブナンは確かに冒険者も多いから、髪の短い女性も多く住んでいるわ。だけどやっぱり、女が髪を切ると言うのは」
興奮し始めた奥方を宥め、落ち着かせたヤヒマは正直に申し出た。
「あの、実はですね。自分でも髪を切ろうかとは思っていたんですよ」
「……何か、理由が?」
「女が髪を切るって、何か理由を探したがる人がいますけど。私の場合、正直邪魔になり始めていましてね。髪を洗うにも乾かすにも、短い方が楽じゃないですか」
実際、旅をしている時は肩より少し長いぐらいで切ってもらっていた。
一つに結わえて終わる事が出来るよう、その長さにしてもらっていただけの事で、長さに拘りを持った事は無いのだ。ただ、短くすると最初は良いかもしれないけれど、伸び始めが面倒そうだなと思ったから、その長さで固定していただけだった。
「親衛隊の人達ぐらいに短くしても大丈夫ですよ」
「それは駄目よ!」
「そうですか?女性冒険者は割と多いですよね?」
「で、でもあなたは冒険者ではないじゃない」
「でも、髪は伸びるじゃないですか」
そう言ったヤヒマに、奥方がポカンと口を開けた。
「丸刈りに挑戦してもいいかな」
「まるがり?」
「ええと、髪の毛全部をこれぐらい短くする髪型の事です」
親指と人差し指で、ほんの一センチほどの隙間を作って見せれば、奥方は顔色を悪くして無言で首を振っている。
「じゃあ、これぐらい?」
次に五センチほどの隙間にしたが、奥方からすればあり得ない長さのようだ。そうしてもう少し隙間を開けて行き、「もういいわ、ヤヒマ」と奥方が諦めた声を出したのが十センチほどだった。
これならばベリーショートと言える長さだろうと、ヤヒマは自分がその髪型になった所を想像する。だけど、こちらには美容師なる職業が無い為、親衛隊の誰かに切ってもらおうかなと思っていると、奥方の合図で入って来たのが奥方付きの女性達。
「ねえヤヒマ。本当はここまでしたくないのよ」
「構いません。バッサリ行きましょう!」
満面の笑みでそう言われれば、渋々頷く事しか出来ず、仕方なくヤヒマの髪を切るよう命じた。そして、自分の髪も切るよう言い付けたがそれはヤヒマが全力で止めていた。




