022.若いっていいですよね
翌朝、早くから起き出したヤヒマはティコの手入れをする為に厩舎へと急いだ。
厩舎の中には親衛隊の見習いの人達がいたり、世話人がいたりして、既にそれぞれが馬の手入れを始めていた。挨拶をしながら入って行き、ヤヒマはティコにも挨拶をしてから世話人に教えてもらいながら動きまくった。
結構な力仕事である事に驚きながらも、寝床を整え、新しい水を入れ、餌も新しい物を与える。
バルドから聞いた魔物の肉は、二日後にやる予定だと教えられたので、グロい想像をしながらも頑張ろうと拳を握る。
何もかもが初めての経験で、こう言う事があるとやり直し人生ラッキーと思えてしまうけれど。中々そう思い切る事が出来ずにいる。
帰れないと理解しているけれど、もしかしたら、と言う可能性を捨てきれず、うだうだし続け十年経った。ザラシュ国では召喚術はあるけれど、帰す方法はないと言い切られたし、他の国では召喚術の存在すら知らないようだった。
ヘレナと共にザラシュを出る時、召喚陣が描かれている部屋で魔力を放出し、破壊して来た。二度と、私みたいな人を出さない為にと思った事だったけど、あれを解読すれば戻れたのかもしれないとは思っている。
と言っても、ザラシュに戻る気など無いけれども。
せっかく若い体に戻ったのだから、世界中の国を回って戻る術を探そうかなと言う事も考えてはいるのだけれど、ザラシュから出てエルギーダに来るまでに十年掛かってしまっている。
休憩の多い徒歩の旅とは言え、ちょっとこれでは世界中を回る前に寿命が来るんじゃないだろうかと思っていた所だった。
バデラワン神国でヘレナが亡くなってから、一人で歩き続ける事に疲れていた。
何度も、ここで野垂れ死のうかと考えながらも、立ち上がって歩いて来た。
ヘレナと、気に入った所が出来たら一緒に住もうと約束していたし、出来たら薬師として生きて行ける所が良いと思っていたけれども。
旅をしている内この世界の事が解って来たヤヒマは、自分の特異な所をはっきりと認識していた。召喚された際に作られた身体は、普通の人よりずっと多い魔力量や、素養が無ければ使えないはずの神聖魔放術まで扱える異端さで、ヤヒマ自身、自分が何なのか判らなくなっている。
それでも、いつか、きっとと思いながら歩いて来てブナンに住みたいと思ったけれど。
ちょっと、早計だったかなと思わなくもない。
「どうしたヤヒマ、ぼんやりして」
「体調悪いのか?」
いつの間にやら食堂に辿り着いていたらしく、ヤヒマに気が付いた親衛隊員たちが声を掛けて来る。
「あー、早起きしたのでちょっとぼうっとしてました」
「そうか。まあ自分の馬を持つと最初は大変だよな」
「慣れるまでが勝負だぞ、ヤヒマ」
「はい、頑張りますっ」
「よし、その意気だ」
「頑張れよ」
そう言って励ましてくれる事を嬉しく思いつつ、やっぱり良い所なんだよなと、そう思う。色々面倒事に巻き込まれる事は多いけれど、ブナンは本当に良い所だと解ってはいるのだ。
後は、時間が経てば何とかなるのかもしれないと、ヤヒマは昨夜からのグダグダを吹っ切り、いつものように朝食を食べた。
休日をティコの散歩と、ダグラスに借りた本を読んで潰したヤヒマは、休日最終日の昼過ぎ、ダグラスに面会予約を取っていた。
「ダグラス、ヤヒマを連れて来た」
「入って」
ダグラスの仕事部屋は雑然としていて、あちこちに書類が置かれ、棚からはみ出し、すごい状況だった。
「ごめんね、ちょっと休憩ぐらいの時間しか取れないんだ」
「いえ、忙しいのにありがとうございます。借りた本を返しに来ただけなんです」
「ああ、そうか。どうだった?」
「魔物の本と魔放術の本を夢中で読んでしまいました。知らなかった事がいっぱいあって、とても勉強になりましたよ」
「そっか。それなら良かった」
「エルギーダ皇国の歴史も面白かったです」
「そう?」
「はい。懲りずにブナンに攻めて来る所とか」
「そうなんだよね。ドラゴンを操る事が出来るなら、皇都に送り出してやるのに」
「今度出てきたらドラゴンを説得してみますか」
「え?」
「ドラゴンに、皇都へ行けばもっと美味しい物がいっぱいあるって」
ヤヒマの言葉を聞いていたダグラスは、ぷっと噴き出し、声を上げて笑い出した。
「いいね、今度ドラゴンが出たらそうしようか。ねえ、バルド」
「そうだな、偶に皇都に押し付けてもいいんじゃないか?」
「そうだよね、わざわざ魔物の餌になる為の兵士達を送って来るんだから」
「ああ。そういや、あの兵士達が皇都に戻ってからは何も言ってこないな?」
「そろそろ来るんじゃない?」
ダグラスとバルドの会話を聞きながら、どうやらこの二人、随分皇都に対しての鬱屈が溜まっているようだと理解した。
魔物の餌の兵士達と言うのはたぶん、ヤヒマが初めてブナンに来た時にいたあの銀色甲冑軍団の事だろう。そう言えばその後の話を聞いていなかったけれど、どうやら生き残りは皇都に逃げ帰ったようだ。
あれはまあ、ひたすら魔物に蹂躙されていただけだったから、ダグラスも出兵させるのを躊躇ったんじゃないかと思う。でもまさか、わざわざブナンにまで来るほどの兵士が、あそこまで戦えないとは思わなかったと言うのもあるんだろうなあ。
「ヤヒマはどう思う?」
一人考え事をしていたヤヒマは、急に話を振られて困惑する。
「ごめんなさい、聞いてなかったです」
「あのね、また皇都から兵士が送られてきそうなんだけど、ヤヒマならどう扱うかなって」
「え……」
知らんがなと言いそうになって口を噤んだ。
そう言うのは、偉い人が考える事で、ヤヒマのような普通の社会人で母親で主婦をしていた者が考える事ではないと思うのだが。
「んー、実力を見る為って嘘吐いて五人一組にして、冒険者として登録させます」
「うんうん」
「それで、森の中に送り出して、生き残った人だけ兵士として戦うかって聞きます」
「うん」
「たぶん半分以上が逃げ帰るだろうし、それでも残った人は確かに戦力になるでしょうからいいかなと」
「相変わらずお前、容赦ないな」
「そうですか?でも、ブナンに来る兵士なんだから、森で生き残るのは最低条件でしょう」
「採用、決定!」
「おい、考え直せ」
ダグラスの言葉にバルドが説得を試みるも、いい加減面倒になっていたダグラスは、いいじゃないかとバルドを逆に説得し始める。
「親衛隊員なら確実に生き残る方法だろう?」
「……まあ、確かにその通りだが」
「なら生き残った者は実力有りと見做せるじゃないか」
「それは、そうなんだが」
「うんうん、ブナンならではの方法だよ。ありがとね、ヤヒマ」
「いいえ、お役に立てたなら幸いです」
「待て待て、ちゃんと辺境伯に言ってだな」
「父なら『やれ』って言うよ」
ダグラスはちゃんと『やれ』の所を、辺境伯の真似をして伝えてくれたので、ヤヒマは思わず笑ってしまった。
「ま、監視もいなくなるし、やっとスッキリするよ」
そう言ったダグラスは、確かに晴れ晴れとした笑顔を見せた。
その後、ダグラスの仕事部屋を辞したバルドとヤヒマは、黙々と廊下を歩く。
「ヤヒマ」
「はい」
「少し、話がしたいんだが」
「はい、どうぞ」
「あー、いや、そうじゃなくてだな」
足を止めたバルドと共に足を止めたヤヒマは、言い淀むバルドを見上げながら首を傾げた。それで話と言う物の中身は想像できたけれど、確かにここではまずい事ぐらい理解できる。
「ええと、何処がいいでしょうかね?」
「…………お前か、俺の部屋か」
「私は別にどちらでも構いませんが」
「先に言っておくが俺の部屋は汚いぞ」
「威張る前に掃除しろよ」
「もっともだ。お前の部屋で良いか?」
「いいですよ」
「うん、よし、行くか」
「はい」
そんな奇妙な会話をした二人を、城で働いている者達が放っておくわけがなかった。
ダグラス様の思い人ではなかったのか?、バルド副隊長が横恋慕!?、と言った噂話が城中を駆け巡り、それが本人であるヤヒマの耳に入った時には、いつの世でも世界を違えても、どこにでも噂好きな人っているんだなあと感慨深く思ったのであった。
「皇都から来た魔放士に会ったんだってな」
「ああ、あの人は皇都の人だったんですね」
「ん?」
「ええと、青白い人、ですよね?」
「まあ、そうだな」
ヤヒマの部屋で、バルドは壁に背を預けて立っており、ヤヒマはベッドに座り込んで話をしていた。と言うのも、この部屋にはベッド以外何も置いていないからなのだが。
「あれはな、ダグラスに懸想をしていたんだ」
「懸想とは、また古い言い回しを」
「え、そうか?」
「あーいえいえ、お気になさらず続けて下さい」
そして、気を取り直したバルドが言うには、どうもあの魔放士の女性は皇都からブナンへと送られて来たその時からずっと、ダグラスに言い寄っていたらしい。だけどダグラスは全く相手にしていなかったにも拘らず、想像力が豊か過ぎるのかそれとも、幻覚を見るような病気にかかっているのか。
魔放士の女性はダグラスと愛し合っていると思い込んでいた。
確かに、魔放士としてブナンに来ている以上、仕事を頼む事はある。
だが、ただの一度もそれ以上の話をした事が無いとバルドは断言していた。
「まあ結局、あの魔放士は皇都から送られて来た監視役だったんだがな」
「監視?」
「ああ。ブナンの武器庫の確認、兵糧の確認、備蓄品の確認をやっていたんだ。逐一伝魔で皇都に伝えていたようだ」
「……なるほど」
「元々、話が通じない女でな。何を言った所で自分に都合の良い話をでっち上げてしまうんだ。はっきり言うが、凄く不気味な女だぞ」
「ああ……、最初に見た時は幽霊なのかと思いました」
ぼうっと立っていた姿を思い出し、ブルリと震える。
とうとう見ちゃった!なんて思ったけれど、生きてる人で良かったと胸を撫で下ろしたのだ。
「あの、バルドさんがどう思ってるのか判りましたけど」
そして、ヤヒマは自分の印象をバルドに伝えた。
今は確かに皇都に通じている、面倒な存在だと認識しているかもしれないけれども。
「たぶんですけど、ダグラスさんも最初は気に入っていたのでは?」
「は?」
「何となくですよ、何となく。だって、自分に好意を寄せてくれる相手がいたら、嬉しいでしょう?」
「…………まあ、そうかもな」
「ダグラスさん、いくつだったんです?」
「確か、三年前だから」
「十四?」
「そうだな」
「じゃあほら、仕方がないんじゃないかなって」
「そうか?最初から不気味な女だったんだが」
「でもほら、そう言うお年頃って言うか、ええと、男の人ってそれぐらいの時、穴があれば何でも良いって聞いた事が」
ヤヒマの言葉に目を丸くして凝視してくるバルドの視線に居た堪れなくなったヤヒマは、そっと視線を外して手で顔を仰いだ。
「お前は何処からそんな話を仕入れるんだ?」
「ははは、何処だっていいじゃないですか。まあほら、若気の至りって事で」
「お前が言うなよ」
「まあそうなんですけど。ダグラスさんは、あの人の事ちゃんと見てたんじゃないでしょうか?でも、裏切られた」
「……お前の説は突拍子もないと思うが」
「当たらずとも遠からずかもですね」
あの日、手の平までふやけて皺々になるぐらい湯船につかっていたヤヒマは、小さな断片から色々考えたのだ。
「若いっていいですよね」
「だから、お前が言うなよ」
はあ、と溜息を吐き出したバルドは、押し掛けて悪かったなと言いながら出て行った。




