021.未熟
何故か辺境伯の奥方と仲良くなった休日初日、そのまま夕食までご馳走になったヤヒマは、申し訳なさそうな顔をしているダグラスに送ってもらう事となった。
「あの、ヤヒマ。本当にごめんね」
「いいえ、とても楽しかったですよ」
子供の同級生の母と話をしていたのを思い出し、何だか懐かしいなと思っていたのだ。育てていく上での不安も心配も、家の子もあるあるーなんて言われるとほっとした物だ。だから、奥方の心配は良く解る気がして、ついつい話し込んでしまった。
「それなら、いいんだけれど」
「ずっとダグラスさんのお話をしていたんですよ」
「え、僕?」
「はい。子供の頃は直ぐに熱を出していたとか」
「あー、うん、そうだったんだよね。いつも母が傍に着いていてくれたよ」
照れた顔でそう言って笑ったダグラスに、ヤヒマも笑う。
「とても良いお母上だと思いましたよ」
「うん……、そう言われると何か嬉しいね」
そう言いながらもやっぱり恥ずかしいのか、ヤヒマから顔を逸らしたダグラスに、ヤヒマも遠慮なく笑った。
ヤヒマ曰く『複雑怪奇な城』の廊下を二人で歩いて行き、ヤヒマにも見覚えのあるあたりに出た時の事であった。目の前に立ち塞がる、女性の幽霊が出た。
白い裾の長いワンピース、袖から見える手は青白く、長い焦げ茶色の髪がだらんと垂れている。おへその辺りまであるその髪を顔の前に垂らしたその人は、片目だけ見えているその目をダグラスとヤヒマに向けていた。
心の中では叫んでいたヤヒマは、目の前の幽霊を凝視する。
「お前、何故」
「ダグラス様……、ど、して……」
すっかり幽霊だと思い込んでいたけれど、生きている人かとヤヒマはホッとしてダグラスの様子を窺いながら、目の前の女性から視線を外さないようにしていた。
青白い顔、落ち窪んだ目。その目は白く濁っているようにしか見えなかった。
「どうして、裏切るの?」
突然はっきりとそう言ったその女性は、ヤヒマを睨み付けたと思ったら青白い炎を放って来た。ヤヒマを庇うようにダグラスが前に出たが、邪魔だとヤヒマが横から飛び出した。
『氷は炎を閉じ込める!』
即座にヤヒマが放った魔力がその炎を氷で包み込み、廊下に落ちて砕け散った。
「お前、魔放士かっ!」
「薬師よ」
「戯言をっ!」
「止めろっ!ヤヒマに手を出すなっ!」
そんな騒ぎに城で働いている人達だろう、わらわらと出て来てあっと言う間に女性が捕縛される。
「ど、して、私が、どうしてっ!」
「ヤヒマ、行こう」
ダグラスに背を押され、ヤヒマは押されるままに足を動かした。
「私がっ、あんなにあなたの為にっ」
「黙れっ!皇都の回し者が」
「違う、私はあなたを庇って」
「嘘を言うな、僕が何も知らないとでも思っていたのか」
ダグラスが吐き捨てたその言葉に乗っていた苦さに気付いてしまったヤヒマは、何も言う事なくダグラスに押されるまま歩き続けた。
後ろから、悲痛な声がダグラスを呼び続けていたけれど、ダグラスは一度も振り返らなかった。
「……ごめん、ヤヒマ」
「いいえ」
ただそれだけ答え、城から出た所でダグラスが持っていてくれた本を受け取り、挨拶をして宿舎へと向かう。
「ヤヒマ」
ダグラスの声に足を止め振り返れば、捨てられた犬のような目でヤヒマを見ていた。
「……今日は本当にお世話になりました。食事、とても美味しかったです」
そう言って頭を下げ、踵を返して歩き出す。
たぶん、本当に若かったらダグラスの手を取ってしまったかもしれないと思いながら。
宿舎に戻ったヤヒマは、真っ直ぐ自分の部屋へと入った。
「…………何か御用が?」
「いや」
ヤヒマの部屋の窓から外を眺めていたバルドに問えば、短い返事が返って来る。
はあ、と溜息を一つ吐き出したヤヒマは、借りた本をベッドの上に置いた。
「ここから、城の出入り口が見えてな」
「監視ですか?」
「まあな。それもある」
そう答えたバルドに、ベッドから枕を取って投げ付けた。
少し振り返っただけでそれを片手で受け取ったバルドは、やっとヤヒマへと視線を向けた。
心がささくれ立っている時に、どうしてこの男は傍にいるんだろう。
「何があった?」
ぽすりと枕をヤヒマに押し付けながらそう聞いて来たバルドに、ヤヒマは枕を抱き締めて顔をうずめる。
「何も」
ただそれだけを告げたヤヒマの頭に、ぽんと大きな手が乗った。
「明日は早起きをしてティコの身体を綺麗にするんだぞ」
「……はい」
「城の敷地内であれば、ティコに乗っても良い」
「はい」
「……おやすみ」
同時に大きな手が頭から離れて行き、やがてドアが閉まった音が聞こえた。
それでもヤヒマが動けなかったのは、あの悲痛な声が耳に残っていたからだった。
暫くの間枕を抱いたままそこに顔をうずめていたヤヒマは、やがて立ち上がってドアに鍵を掛けた後、浴室に入った。ゆっくりと温かい湯に身体を預け、全身がふやけたんじゃないかと思うぐらいずっと浸り続けていた。
一方バルドは、ダグラスとヤヒマが城の出入り口から出て来たのを眺めていて、城で何かがあったのだろう事だけは理解していた。歩いてきたヤヒマが一度振り返り、ダグラスに頭を下げた後、背を向けたヤヒマをダグラスはじっと見つめ続けていたのだから。
何があったんだと首を傾げるも、全く予想は付かない。
それで、ヤヒマより先に部屋に入って戻って来るのを待っていたのだが、何やら自分が考えていたよりもずっと悪い事が起こったようだと言う事だけが解った。
城の出入り口に立ち竦んだままのダグラスを見ながらヤヒマに聞いてみたが、ヤヒマは何も言わなかった。
仕方なくヤヒマの部屋から出た後、ダグラスの元へと歩いて行くと、真っ白な顔をしたダグラスが立っていた。慌てて抱え込んで中へと入れば、城内が何故か慌ただしい。
だがそれよりもダグラスだと、バルドはダグラスの部屋まで歩いて行った。
ダグラスの部屋に入り、ソファに座らせ熱を測るもとても冷たい事に驚いて、ベッドから毛布を剥ぎ取りダグラスに巻き付ける。小さな頃、良く熱を出していたダグラスを思い出し、医師を呼ぶべきかと思案していると弱々しい声でバルドを呼んでいた。
「どうした?気分が悪いのか?」
「……ああ……最悪だよ」
「何であんな所で立ち尽くしていたんだ。すっかり冷えているぞ」
「…………だって、ヤヒマが」
「アイツが何か言ったのか?」
バルドの言葉に、ダグラスは悲痛な顔で黙り込む。
事態を把握するには他の者から聞くしかないかと諦め、とにかく体を暖めろと浴室に放り込もうかどうしようか悩んだ。
「……ヤヒマ、何か言ってた?」
「いや、アイツは何も言っていなかった。なあダグラス、とりあえず身体を暖めた方が良い。湯を張ってやるからゆっくり浸かって来い」
「うん……、そうだね……」
そして、浴室へとダグラスを連れて行ったバルドは、良く温まれよと声を掛けてから部屋に戻り、そのまま部屋を出て副官の元へと走った。城内での出来事ならば、副官が全てを把握しているはずだと、そう思いながら。
「親衛隊副隊長バルドです。夜間に失礼します」
「ああ、どうぞ」
「失礼します」
まるでバルドが来るのが解っていたとでも言いたげな入室許可に、遠慮せずドアを開けて中へと入る。
「ダグラス様は?」
「浴室に放り込んできました」
「そうですか。ヤヒマとは会いましたか?」
「はい」
「彼女は何て?」
「何も」
「そうですか」
バルドの答えに少しだけ考えこんだ副官は、城の中で起こった事を話して聞かせてくれた。皇都から来ている魔放士がヤヒマに炎の術を放った事、それをヤヒマが防いだ事を教えられ、何があったのか把握したバルドは即座に退室の挨拶をして部屋を出る。
くそ、そう言う事かと思いながら走ってダグラスの部屋に戻ったバルドは、そのままの勢いで浴室に飛び込んだ。
「ダグラスッ!」
驚いたなんて物では無かったダグラスは、浴槽の中で膝を抱えたままびよーんと二十センチは飛び上がったのではないだろうか。互いにとんでもないぐらい間抜けな顔を合わせたバルドとダグラスは、その顔が可笑しくて笑い出す。
「すまなかった」
「いや、いいよ」
「うん。ゆっくり浸かってくれ」
自分の勘違いが可笑しいのと、浴槽で飛び上がったダグラスが可笑しかったのと、どうしても笑いが堪えられなくなったバルドは、一人腹をひくひくさせながら笑い続けた。
やがて、スッキリした顔のダグラスが浴室から出て来て、その顔を見てまた笑ってしまうと、ダグラスも一緒に笑った。
「あー、腹いてえ」
「まったくバルドは酷いよね」
「仕方がねえだろ。俺は焦ってたんだからな」
「うん、あの顔見て解ったよ」
そしてまた、二人で笑い出した。
バルドが勝手に取り出してきた酒を二人で飲み、やっと笑いが収まってから話をする。
「魔放士がらみの騒ぎがあったと聞いた」
「……うん。ヤヒマに知られちゃった」
「なあダグラス」
「うん?」
「俺は、解ってるからな」
たぶん、一番見られたくなかったものを見せてしまったのだろうと解った。ダグラスはブナンの為に、色んな事を我慢し続けるしかないのだ。だからこそ、ヤヒマを気に入ったらしいダグラスを、応援したいと思っていたのだがと、バルドは俯いてしまったダグラスの頭を見ながら思う。
これを、チャンスに変える事が出来れば良いんだがと思いながらグラスを開けたバルドは、「おやすみ」と声を掛けてからダグラスの部屋を出た。




