017.駄賃代わり
ヤヒマが親衛隊見習いになってから一か月。
ずっと馬に乗る練習をしながら、魔窟が出現する度バルドと共に森へと入る事を繰り返していたヤヒマは、一人で馬を走らせる事が出来るまでになっていた。
全速力で走る馬はまだ操れないけれど、それでも大進歩だと思っている。
そして、バルドとヤヒマの強襲に耐えられなくなったダグラスは、ヤヒマの部屋に浴室を付けてくれた。ぽこっと飛び出した形のその浴室は、どうやら親衛隊員たちの注目の的ではあったけれども、浴室の窓がバルドの部屋から良く見える為、無謀な事をする者は出なかった。
「と言うか、バルドさんが覗き放題じゃないですか」
「眺めて喜ぶ趣味は無いから安心しろ」
そう言い切られれば何も言い返す事が出来ず、とりあえず窓には分厚い布を掛けて入っている。
ずっとバルドの馬を借りて練習をして来たけれど、そろそろ自分の馬を決めろと言われて戸惑っている所だ。元々あの馬もどきは、主の命令に忠実な魔物の一種なので、ヤヒマを乗せているのはバルドの命令によるものだからだった。
まずは慣れろと、バルドの馬で練習してきたが、姿勢が安定した事からヤヒマの馬を決める事になったのだった。
「ふう……」
お湯に身を浸し、思わず溜息を吐いてしまうのは不安を吹き飛ばす為だ。
あの馬もどきを見て怖いと思う事は無くなったけれど、知らない馬もどきを見たらやっぱり怖いのではないかと思ってしまう。
少し気鬱になりながらも浴室を出たヤヒマは、ほかほかの身体のままベッドに潜り込んだ。
翌日、バルドと共に厩舎を訪れたヤヒマは、久し振りに感じる目付きの悪さにやっぱり可愛くないなあと思いながらも、一頭一頭と目を合わせて対峙する。
あからさまに威嚇してくる馬は駄目だと言われているので、そうして相性を確認するらしい。ゆっくりと歩き、ヤヒマは馬と目を合わせながら威嚇されまくり、最後の一頭と対峙した。
じいいいっと互いに見つめ合う事三分。
「これだな」
と言ったバルドがその馬を馬房から出すようヤヒマに言う。
その馬は、他の馬とはちょっと違った毛色で、黒毛に赤毛の鬣のはずの魔種なのに、黒毛に灰銀の鬣を持っていた。角も白っぽいし、良く見てみれば足元にも灰銀の毛が生えていて『お洒落さんか!』と思わず心の中で突っ込んだ。
「ああ、良かった。良かったなあ、乗ってくれる人が見つかって」
馬の世話をしている人がそう言って鼻面を撫でていた。
手綱を引いて馬房から出てきたその馬に名前を付けろと言われたヤヒマは、馬をじっと見つめ、「ティコ」と名付けた。
頭を下げ、ヤヒマに角をそっと押し付けてきた馬を撫で、それが名づけの儀式だと後から教えられた為、もっと早く言えとバルドに文句を言う。
「言わなかったか?」
「聞いてません」
「そうか。悪かったな」
と何ともあっさり返され脱力したが、まあいいと気を取り直し、ティコを連れて厩舎を出た。嬉しそうな顔で見送ってくれた世話人に礼を言い、渡された鞍を取り付ける。
「いいか、ちゃんと取り付けなければ暴れるからな?」
「はい」
バルドの指導の元、鞍の取り付けも習って来たのだ。
ヤヒマが鞍を取り付けるのをじっと見ていたバルドは、「いいだろう」と言ってヤヒマとティコをパドックへと連れて行った。
「今日は慣らしだ」
そう言ったバルドは、自分の馬に跨り着いて来いとヤヒマに言う。
ヤヒマもティコに跨り、速歩でパドックを五周した後、馬から降りて一度休憩を取る。
「相性は良いな」
「そう言われても、こういう物なのかなとしか」
「次は追走やるか」
「ん?」
「前を走る馬に合わせて走らせる。大丈夫、速度は出さない」
「……絶対ですよ?」
そして、バルドの馬に合わせて走るようティコに伝え、合図は出さずに待機する。
最初はゆっくりと歩き出したバルドの馬に合わせてティコも歩き出し、徐々に速度を上げて行くのにピタリと合わせて見せた。
「凄いな。正直驚いた」
「わ、凄いってティコ。褒められたよ!」
もう一度だと言ったバルドに応え、ヤヒマがティコに乗った時だった。
見張り台の鐘の音が鳴り響き、バルドは即座に兜を被って森へと駆け出した。まさか、ティコが追走してくるとは思わずに。
ヤヒマは森を疾駆するティコに、心の中で叫びながらも必死で手綱を握り、頭を下げて殆どしがみ付くような姿勢で乗り続けた。
木を避ける為に右に左に駆けて行くのに合わせ、ティコは必死にバルドの馬を追い続ける。はっきり言って無茶で無謀なこの疾駆に、ヤヒマが落馬せずに辿り着けたのはただの幸運だった。
「ヤヒマ!?」
魔窟の手前で止まったバルドがやっと気付いた時には、ヤヒマは既にボロボロの状態で、ははと乾いた笑い声を上げていた。が、構っている余裕はバルドには無かった。
「ティコは待機だ」
「は、はい、ティコ、待機」
慌ててティコに命令を出したヤヒマは、戦闘の為に魔物の群れに向かっていく親衛隊員たちとその馬を見ながら、荒い呼吸を整えていた。気分が落ち着いてくると徐々に怒りが沸いてくる。
いきなり森の中を疾駆する羽目になったのは、自分の未熟さ故である。
だけど、そんな事は百も承知で腹が立ったのだ。
『降り注げ、天の雷っ!』
そして、無数の雷が落ち続けたそこは、一瞬にして焼け焦げた魔物の死骸が倒れる惨状であった。
「ヤ、ヤヒマ?」
「……ふ、ふふっ」
思わず声を掛けた親衛隊員は、不気味に笑うヤヒマに五歩は引いた。
「バカバルドッ!すっごく怖かったあああっ!バルド調伏、覚悟せよっ」
な、止めろと声が聞こえた気がするが、次々に落ちて来る無数の雷が地面を焦がす。バルドの近くにいなかった親衛隊員達は、ホッとしながらも良く避けられるものだとか、さすが副隊長などと、のんびりと見物していた。
しかし、全部避けられてさらにヤヒマの機嫌は悪くなっていた。
『滅せよ、天の怒りっ!』
特大の雷が落ち、皆が目と耳をやられて身動きが取れなくなった。
そんな中、ヤヒマの荒い呼吸だけが聞こえていたが、やがてそれが落ち着くと今度は笑い出した。
シゴキに耐えられずとうとう触れてしまったのではと、皆が心配した所。
「あー。すっきりした」
そう言ったヤヒマの声が聞こえた後、「一人でスッキリしてんじゃねえよ」とバルドの声も聞こえた。嘘だろ、あれでやられなかったのかよと、自分の目と耳の回復をさせると、バルドの腕に抱かれたヤヒマが目に入り、全員が二度見する。
「この莫迦が。魔力全部使って憂さ晴らししてんじゃねえよ」
そう悪態を吐いたバルドの顔の優しい事と言ったら。
ち、なんだよ痴話喧嘩かよとそれぞれがささくれ立ちつつ、ヤヒマの特大雷のせいで全ての魔物の遺体が灰になった事を確認し、ついでに魔窟が既に閉じている事も確認してから城に戻る事になった。
ヤヒマはバルドの腕の中でぐったりしていたが、ヤヒマの馬が動こうとしなかった為、バルドはヤヒマを無理矢理起こし、追走するよう命じろと言う。目も開けられない状態ではあったが、「ういれひれ(着いて来て)」とヤヒマが言うと、やっと動いてバルドの馬に付いて走って来てくれた。
それにほっとしながら、バルドは城に戻って馬を預けた後、ヤヒマを抱えて部屋へと行く。ベッドに降ろすと魔力を急激に失った事による、所謂酩酊状態と同じような事になっている事に、バルドは舌打ちをした。
魔力を回復させる為の魔薬は高価で、戦闘で魔力を失なった訳でもないヤヒマに飲ませる訳にはいかない。
「……ったく。こんなになる前にちゃんと言えよ」
「らって、おにもるらのにー、言えないらないれすかー」
「誰もお荷物だなんて思ってないぞ」
「うろれんよー、らんとわかっれるんれすー」
そして、両手で顔を覆って泣き出した。
完全に酔っ払いのそれに、バルドは溜息を吐き出す。
「ほらー、あいれれるらないれすかー」
「違う。自分に嫌気がさしただけだ」
ヤヒマが親衛隊見習いとして入ってから一か月、全くの休日なしで、尚且つ宿舎とパドックの往復しかしていない。偶に森に入る事はあったがそれは仕事だから、気晴らしにはなっていない事ぐらい承知していた。
だが、ヤヒマが何も言わなかったのでそのまま訓練を続けていたのだ。
バルドから休日を言うべきだったと反省しながら、目の前のヤヒマをどうしようかと頭を悩ませる。
「わらひ、むりなんれすかれえ」
「…………ん?」
「らんらんりるれろ、あるられりー」
「すまん、さっぱりわからん」
これはさすがに魔力回復薬を飲ませないとまずいかとバルドがそう思った時だった。
「鬼バルドお」
「……良く解った」
何故かはっきりと発音されたそれに思わず笑い、寝ているヤヒマを見下ろした。
ヤヒマは、ぼうっとした顔で焦点の合わない目を向けながらも、必死でバルドを見つめて来る。
「一か月働き尽くめだったからな、三日休日にする」
「ららりらしゅるらー」
「……何で鬼バルドだけはちゃんと言えたんだ?」
そう言ってバルドがまた笑う。
「エロー」
ヤヒマの言葉にバルドは首を傾げながらも、まあいいかと放置する事にした。
「そう言えばお前の馬、休日だからって放っておくなよ?毎日ちゃんと餌をやって手入れをしなきゃ、餓死するからな」
「へえるおんらりんりれろ」
「名づけの儀式を終えた馬は、名を与えた者からしか餌を食べないんだ。だから、お前が面倒見なきゃティコは死ぬからな」
「へろ、りらららりんらあ」
「はいはい。あ、そういやお前薬師だったよな?魔力回復薬を持ってるか?」
「ろれん」
「出せ。飲ませてやるから」
鬼バルト以外の言葉はどうも何を言っているのか全く分からないが、もうどうでもいいとバルドはヤヒマを急かす。そして、億劫そうに動かした手が、腕輪から錠剤を取り出した。
魔薬は全て液体であるはずなのに、錠剤?とバルドは訝しみながらも、薬師だと言っていたのだから間違いは無いだろうと納得させ、ヤヒマを見下ろす。
「これが魔力回復薬か?」
「ふぁえ」
確認の為に問い掛ければ、頷きながらそう答える。
たぶん大丈夫だろうと判断し、ヤヒマの身体を持ち上げた。
「ほら、背中支えてやるから飲め」
上半身を起こしてやったバルドは、そう言いながら薬をヤヒマの口元へと持って行った。
「……ろらいろれんらあん、らうりれんをうらるんれりい」
全く何を言っているのかは理解が出来ないが、何となく文句を言われているのは理解したバルドは、少し考え、そう言えば錠剤をそのまま飲む事が出来ない奴がいたなと思い出し、抱えていたヤヒマを寝かせ浴室に入ってそこにあったグラスに水を入れて戻って来た。
「ほら、水だ」
「らいりんるれん」
再び抱え上げたヤヒマの頭は、飲もうとした瞬間にグラスが歯に当たってしまい、少し水が零れてしまった。それにガクリと肩を落としたバルドは、じっとヤヒマを見下ろした。理解できているのか、申し訳なさそうな顔でバルドを見上げていた。
バルドは片手でヤヒマを寝かせてから、水と錠剤を自分の口に含み、ヤヒマの口に直接流し込んだ。
ちょっと唇を味わったのは、駄賃代わりだ。
「……飲んだか?」
顔を赤くして両手で口を押えるヤヒマは、こくこくと頷いて答える。
随分回復が早いが、ヤヒマが作った薬はそう言う物なのだろうとバルドは納得し、赤い顔でじっと見上げて来るヤヒマを見下ろした。
「ちゃんと回復させろよ?それと、ティコの面倒、ちゃんと見るんだからな?」
再びこくこくと頷いて返事をしたヤヒマに、「よし」と満足して頷いたバルドは、クツリと笑ってヤヒマの頭を撫でてから立ち上がる。
「ちゃんと休めよ」
そう言って部屋を出て行ったバルドを見送ったヤヒマは、足音が遠ざかるのを聞いてから枕を抱えてゴロゴロとベッドの上を転がったのであった。




