012.ブナン辺境伯
「上手く行きそうか?」
「どうだろう?」
ぽこぽこと歩く馬上で揺られながら、のんびりとそんな会話をする。
「なあ」
「んー」
「お前、いくつだ?」
「ええと、五十八歳」
「…………真面目に頼む」
「真面目にですよ。バルドさんは?」
「二十二だ」
「あれ、思ってたより若かった」
ヤヒマの言葉にバルドがはあ、と溜息を吐いた。
「で?本当はいくつなんだ?」
「五十八ですよ。ふふ、バルドさんより三十六も年上だ、敬え!」
「なんだそれは」
城門に辿り着き、門兵に見送られながら通りへ出る。
昼に近い時間だからか、通りを歩く人が多く、馬車も行き交っている。
「誰か、惚れた相手が出来たか?」
「…………は?」
「違うのか?」
「どうしてそんな考えに至ったのか教えてくれますか?」
「ああ、そうだな。ブナンに永住する事を決めたのは、誰か共に過ごしたい相手が出来たのかと思っただけだ」
「色恋で自分の人生賭けて堪るかってんだ」
「そうなのか?」
「そうです。大体、まだそこまで仲良くなった人なんていないし」
「へえ?」
「なんです?何か言いたい事が?」
「いや、ダグラスと仲良くなったようだし、ルベニの誰かとも仲良くなったようだったからな」
「その名前の中に自分を入れなかった事だけは褒めてあげましょう」
「ん?そうか、俺と仲良くなりたかったのか」
「違うでしょ、そうじゃないでしょ」
「そうなのか?俺は構わんが」
「ちっ、私と仲良くなりたいなら高く付くわよっ!」
「そうか。まあこれでも一応は高給取りなようだから、ある程度までなら大丈夫だと思うぞ」
「そんな詳しい説明いらないしっ!」
とうとう声を上げた笑ったバルドと、苦虫をかみつぶした顔のヤヒマが宿屋に到着し、いつものようにバルドが先に降りてヤヒマを降ろしてくれる。
「送ってくれてありがとうございました」
「照れてるのか?」
「その前向きな意見が何処から出て来たのか不思議です」
「うん、良くダグラスに能天気だと言われていたな」
何を言ってものらくらと返してくるバルドに、ヤヒマは苦い顔をする。
「変な顔だぞ」
「ほっとけ!」
そして、笑いながらヒラリと華麗に馬もどきに跨ったバルドを見て、ヤヒマもついつい笑ってしまう。
「ではな」
「はいはい。お世話になりました」
ブナンに来て八日目、ヤヒマは自分にとって大切な決断をした日だった。
その日の午後はのんびりと宿屋で過ごしたヤヒマは、遅い夕食を摂りながら食堂で繰り広げられる愛の語らいを、見るともなしに見ながら一人で食べていた。
この宿屋の食堂は割と他のお客さんが来る所で、デートした最後にここで食事をするみたいだと、眺めながら思う。
見た目十五歳のヤヒマは、若いっていいなあと思いながら眺めていたのだけれど、周囲からは恋に憧れる女の子のように見られていた。
翌日、朝食を摂っていたヤヒマはやって来たバルドから、昼時に城に来て欲しいと言う副官からの伝言を聞き、真面目に服を買うべきか悩んだ。相談相手にバルドを選んだのは失敗だったと、そう思いながらバルドが帰ってから第三区画へ走った。
ルベニの店に着き、縁あって辺境伯とお会いする事になった事を伝え、服装の事で相談した途端、おかみさんに連れて行かれ、カレンとイルマが出て来ておかみさんの許可の元、三人で服を買いに行く。
中古ではあるけれど、富裕層が着ているような綺麗なワンピースを購入する事になり、何度も試着して三人の意見が一致した物を買った。
丸く大きめに開いた襟、アンダーウエスト部分には黒いベルトが巻かれ、袖の部分はレース素材で出来ていた。大きめのボタンが右前に並んで付いていて、それがアクセントになってすごく可愛かった。
膝が完全に出る丈なので、黒いブーツをついでに購入する。
報酬、貰っておいて良かったと思いながら支払いを済ませ、再び店に戻っておかみさんに見せ、今度は髪形を整えてもらう。
そして、薄く化粧をしてもらい髪型を整えた私は、可愛いと褒めてもらって照れながらお礼を言ってお店を後にする。
宿に戻り、時間まで食堂で待っている間お茶を飲み、やって来たバルドに気が付いて手を振ったヤヒマを、バルドは二度見した。そのあまりの見事さに、ヤヒマが声を上げて笑いつつ、また馬もどきに乗って城へ向かう。
「…………その、格好は」
「辺境伯にお会いする事になったとルベニのおかみさんに相談したんです。それで、今の私が買える精一杯のお洒落をしました」
二度と着ないんだろうなと思いつつも買ったのだ。
それでも、久し振りにお洒落をするのはとても楽しかった。
「そ、そうか。その、似合ってるぞ」
「それはどうもありがとうございます」
いつものバルドじゃない事を笑いながら、いつものように城門を抜けた。
いつものようにバルドの後ろを歩いているのに、何故かちらちらと振り返る事に首を傾げつつ、副官の部屋へと案内された。
「ヤヒマ殿をお連れしました」
「入れ」
副官の言葉にバルドはドアを開け、敬礼した後ヤヒマを通す。
ヤヒマの姿を見た副官は相好を崩し、とても可愛らしくて似合ってますよと褒めてくれた。
「ありがとうございます」
照れながらも礼を言うと、早速行きましょうかと手を差し伸べられた。
一瞬呆けてしまったヤヒマは、慌てて副官の手に自分の手を重ねる。流れるように腕に導かれ、そのままエスコートされながら城の奥へと歩き出す。
わずかに緊張してきたヤヒマは思わず後ろを振り返り、そこにバルドがいた事にほっとする。ただ頷いて見せたバルドに、ヤヒマも頷き返してから顔を戻した。
「ヤヒマ殿、バルドは頼りになりますか?」
その問い掛けにはっとする。
知らず知らずの内にどうやら頼りにしていたようだと、初めて気が付いた。
「無作法をお許しください、ブナン辺境伯副官殿」
「構いません。不安になってしまったのでしょう?」
「……はい、その通りです」
素直に認めれば、副官は腕に置かれたヤヒマの手をぽんぽんと優しく叩いた。
「大丈夫です、辺境伯はとてもお優しい方です。あなたの事もきちんと考えて下さいますよ」
「はい」
そうして案内された部屋には、ダグラスによく似た顔をしたおじ様がいらっしゃった。
ギルド長はマフィアのボスのような威圧感があったけれど、あんなの足元にも及ばないぐらいの威圧感があった。
素敵なおじ様だと言うのに、これは一体どう言う事だと思いながらも頑張って立ち続ける。
白髪交じりのロマンスグレー、年相応に刻まれた顔の皺がさらに渋さを醸し出してとても素敵だ。しかしながらアイスブルーの瞳が、冷たい光を放っているように見えて何だかとても恐ろしい。
「なるほど、さすがだなヤヒマ殿」
え、何がですか?と思いながら戸惑って辺境伯と副官の顔を交互に見てしまった。
「辺境伯も魔力が高いのですよ。全く、良い歳をして悪ふざけが過ぎますね」
「そう言うな。念の為だ」
「良く理解できましたでしょう?」
「ああ、そうだな」
「ならばヤヒマ殿に謝りましょうね」
副官の言葉に辺境伯はう、と詰まった後、「すまなかった」とヤヒマに頭を下げた。
ヤヒマは心の中でヒイイと悲鳴を上げる。
「あの、いえ、何もわからなかったので全く全然構いませんから!」
言葉遣いは丁寧にとおかみさんに言われていたと言うのに、そんなの全部飛んでった。辺境伯に頭を下げられた場合の対処の仕方を聞いておくんだったと思いながら、おろおろしているヤヒマに、副官が「大丈夫ですか?」と声を掛けて来る。
「はい全然大丈夫です」
「だそうですよ。ヤヒマ殿が困っていますので終わりにしましょう。ヤヒマ殿、どうぞこちらへ」
「は、はい、失礼します」
副官に導かれるまま、辺境伯が座っているソファの対面に腰を下ろしたヤヒマは、正面からじいいっと見つめられて困ってしまった。
「いくらヤヒマ殿が可愛いからと言って見過ぎですよ」
「いや、娘がいたら良かったなと思ってだな」
そうしている間に副官自らお茶を淹れてくれて、目の前に出されたけれど怖くて手を伸ばせなかった。だが、どうぞと優しく促されれば口にしない訳にも行かず、いただきますと言ってお茶を飲む。
暖かいお茶にほっと息を吐き出し、少しだけ落ち着きを取り戻した。
「では、肝心な話をするか」
「はい」
そうして、ヤヒマの過去を全部確認した辺境伯は、再びじっとヤヒマを見つめた。
「ヤヒマ。君は本当にブナンに住みたいか?」
「は、い……、とても素敵な所だと思いましたので」
「一番気に入っているのは何処か教えてくれるか?」
「ええと、食べ物が美味しい所です」
正直に答えたヤヒマに、辺境伯は一瞬呆けてから声を上げて笑った。
その笑顔にほっとしながら、続く言葉を待つ。
「いいだろう、ヤヒマをブナンに抱え込む」
「宜しいのですか?」
「ああ。だが、難しい問題が一つある」
「何でしょうか?」
「君に、結婚をしてもらいたい」
「…………結婚、ですか」
「そうだ。ブナンは皇都から色々と疎まれているのは伝えたと思うが、君を抱え込む以上それなりの理由が必要でな。このまま皇都にバレなければいいが、バレた時に誤魔化せるよう、結婚をしてもらいたいんだ」
決定事項のように告げられたそれに、既に相手も決まっているのだろう事を悟った。
こうなる前に、もう少し時間が欲しかったとは思うけれども、自分が如何に厄介な存在かは自覚している為、仕方がないかと諦めた。




