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ブルーベイブ

作者: 思考回路

少し前に書いた代物です。

供養がてらに。

よかったら読んでいってください。


 時は電話が普及したばかりの時代。とはいえ、我々のような正史に刻まれたものではなく、少し違った世界。

 蒸気機関車が町のそばを駆け、レンガとコンクリートで固められた建物に囲まれた町は人々が行き交い喧騒が絶えない。

 そんな街の一角、建物の一室に変わった青年が居座っていた。

 ソファに深く腰掛け、モノクルを気障ったらしくつけている。片手にはティーカップ。首筋まである黒髪は艶っぽく、乱れていない。どこに外出するわけでもないのに正装であるスーツを身に着けている。

部屋の隅で音を鳴らしている蓄音機は少し削れたクラシック音楽を延々と鳴らしている。

 青年は優雅にティータイムを満喫しているが、部屋に舞い散る埃はその優雅さをことごとくぶち壊している。散らかってしばらく放置されているのだろう。本や上着は本来ある本棚やコート掛けにはなく、床や椅子に積み重なっている。それでも紅茶の香りを楽しんでいるのは、この男にとって部屋の様子など、きれいだろうが汚かろうが眼中にないということなのだろう。

 部屋の外からドタドタと乱暴な足音が聞こえてくる。

 ドアがぶち破るように開け放たれる。そこには作業服のようなズボンを身に着け、キャスケットを頭にかぶったいかにも労働者風の青年が怒り心頭といった様子で紙束を手にしていた。

「リーンベル兄さん!」

「なんだいフレイブルよ。私は今、紅茶を楽しんでいる。外の喧騒にうんざりしている中での憩いのひと時を邪魔するのか。なってないな」

 リーンベル兄さんと呼ばれた人物はわきに置かれたミニテーブルの上のソーサーにティーカップを置く。

 フレイブルと呼ばれた方は騒がしい足音を立ててリーンベルに歩み寄り、「そんなことより!これ!!」と書類を兄の眼前に見せつける。

「なんだ?」

「なんだ?じゃないよ!あれだけ俺に電話かけてくるなって言ったでしょ!?」

 リーンベルはまくし立ててくるフレイブルに対して目を細め、やれやれとため息をついた。

「いいか、フレイブル。今や電話が国内に普及したとはいえ、頻繁に使う機会などないに等しい。そう。私のようなものにはね」

 リーンベルは気障ったらしくフレイブルから書類を受け取り、

「あーはいはい始まったよ兄さんの能力自慢」

フレイブルはかぶっていたキャスケットを外し、コート掛けに向かって投げる。見事にキャスケットは枝の一つに引っかかる。

「そう肩を落とすな」

「怒ってるんだよ・・・通話代がバカにならないんだ。それなのに“茶葉が切れた”だの“電話とやらは快適か?”だの“今度また私に貸した本の感想を”だの“暇だ本を買ってこい”だの・・・自分で行けよ!!なんで俺に全部お使いをさせる!?」

ガミガミとつばを吐き散らしながら兄に詰め寄る。

「はぁ・・・何でと言われてもな。私は仕事がいつ舞い込んで来るのか分からない状況なのだ。それなのに家を留守にしてみろ。今家主はいないのかと落胆され、仕事が逃げてしまう。そうだろう?君の立場で表すならば、そう、」

「“記事のネタが逃げてしまうのと同じ”だろ?その文句はもう何千回と聞いたよ。耳にタコができるぐらいにはね」

「理解してくれる弟がいるのはこれ以上になく光栄だよ」

「で、今日の仕事は?」

 メモ帳を開く。フレイブルは兄の仕事をメモに残すのが日課となっている。今日はどんな珍事を捌いたのか、そこにはどんなドラマが描かれていたのか。兄のリーンベルは確かに世間稀に見る異能力者というものなのだろうが、それはこの上なく珍しいものゆえに記事にした時の反響は、この街だけでも二日あれば雑誌がすべて売り切れてしまうほどだ。

 期待を心の隅に置いて兄の小さな武勇伝を聞き、記録に残そうとペンを握る。

 椅子にふんぞり返って座っているリーンベルは、何食わぬ顔でフレイブルに依頼の内容を語る。

しかし、そのどれもがフレイブルのおめがねに叶うほどの内容ではなかった。

 恋人への別れの電話代行、病院に入院している夫への最期の別れの電話。人々の関係を取り持つ代行係しかやっていない。これほどしかない内容に、フレイブルの相槌をする声も少なく小さくなっていく。途中からあきらめたようにメモ帳の字が途切れている。

 リーンベルは語り終わった後、紅茶を飲み干しソーサーにカップを静かに置く。

「以上だ」

「・・・電話会社で働けよ」

「断る」

「に・い・さ・ん?いい加減その働きたくないってのやめろよ!!ただでさえ今家計やばいってのにさあ!」

「そうか?」

「この間だって、極東の国の緑色のお茶を大量に仕入れたんだろ!?」

「いい苦みと香りだった」

「そういうことじゃないよ。兄さんの後ろの棚に入ってる茶葉、これの大体が高級品!お金かかる!わかる!?」

「これでもちゃんと節約はしている」

「・・・・・・はぁ、もっと節約してくれ」

 ドアがノックされる。リーンベルがフレイブルに目配せをする。ため息をつきながらフレイブルはドアを開けに行き、接待をしに行く。

 ドアの向こうには、シャツの上にベストを着た茶髪の男が戸惑った様子でフレイブルを見下ろしていた。

「あの・・・ブルーベイブさん、いらっしゃいますか?」

「えぇ、オレはブルーベイブですけど」

「ニコラくぅん!ちょうどいいところに来た。口やかましい弟が私を罵声の牢獄に閉じ込めようとしていたところでねぇ。君は私の静寂と平穏の救世主だ。ありがとうとしか言えない」

 後ろからフレイブルを押しのけてリーンベルが男、ニコラを歓迎する。

 話に置いてけぼりになったフレイブルは誠に遺憾といった風にドアを閉め、来客用ソファの周りを片付ける。

 リーンベルは意気揚々と紅茶の茶葉が保管されている棚をあさっている。

「褒美に紅茶を出そう。今日はヌワラエリアのハイグロウンティーなんてどうかな?」

「じゃあ、それでお願いします」

 片付けが終わったフレイブルは来客用ソファに二コラを座らせる。ニコラはソファに腰を落ち着かせる。

 分かった。少々待っていたまえ、といってリーンベルはそそくさと部屋の奥に引っ込む。

 部屋にはフレイブルとニコラの二人きりになった。

 しばらくの沈黙ののち、ニコラの方から口を開く。

「えっと、もしかして、あなたはブルーベイブさんの弟さんですか?」

「えぇ。雑誌記者をしています。名前は、フレイブル・ブルーベイブ。兄のリーンベルがお世話になっています」

「いえいえ、とんでもない。オレは、ニコラ・サッチ。警視庁の新米刑事です。ニコラで結構ですよ。あなたの事はなんと呼べば良いですか?」

「フレイブルで良いです。よろしくお願いします。ニコラさん」

「はい。よろしくお願いします」

 ニコラはフレイブルに手を差し出し、フレイブルは握手に応じる。

 「・・・あの、差し支えない範囲でいいのですが、どうして兄を頼ってるんです?」

 フレイブルはおもむろにメモ帳を取り出し、二コラに問う。今までも何度か兄のことをオカルトの塊のような兄を記事にしているが、頼って来る警察関係者という新しいネタを今度の記事にしようとしているのだ。

 ニコラが答えようとしたところにリーンベルがティーセットをトレイに乗せて部屋に入ってくる。

「人の事情を根掘り葉掘り聞くあたり、さすが仕事熱心な我が弟であり記者の鑑だ。あぁ、ニコラくん。茶を用意した」

 ニコラの前にある机に紅茶をいれたカップ、ポット、ついでに弟と自分の分のカップを置く。ありがとうございます、とニコラは目の前に出された紅茶を飲む。

 フレイブルは取材のチャンスをつぶされたのか、不満げに眉をひそめる。

「嫌味言ってないで仕事見つけて定職つきなよ無職」

「私は自由がいいのだ。あんな閉鎖環境かつ団体行動していて耳につく怒号を聞き続けなければならないというのは私の寿命を縮める」

 フレイブルは大きくため息をつく。兄に邪魔されたためいったん取材を中断し、パン、とメモ帳を閉じる。ペンと共にメモ帳をカバンにしまう。

「オレは、それでもいいと思うんですが・・・」

 ニコラはティーカップの中身を飲み干す。誉められて鼻の下を伸ばし、上機嫌になるリーンベル。ただでさえ書類や本で散らかっている部屋の中を軽快な足取りでうろつく。

「さすがニコラ君。一市民の意見をちゃんと聞いてくれる。将来は大物になるぞ」

 椅子に座るニコラの後ろに回り込み、彼の肩をもむ。

 照れくさく頬をかくニコラ。忌々しげにリーンベルを睨むフレイブル。いや、忌々しげに、というよりはただ単に拗ねているだけなのかもしれないが。

 リーンベルはフレイブルの視線に気づくと咳ばらいをし、ニコラの目の前の椅子に座る。

「それで、今日はどういった用で?ただ私をおだてに来たわけではあるまい?」

「えぇ。“いつもの”ですよ」

 ニコラはそういって懐から小さく折りたたまれた地図を取り出し、机の上に広げる。

 ふむ、場所は?とリーンベルは広げられた地図を食い入るようにして覗き込む。続いてそっぽを向いていたフレイブルも、兄につられて後ろから地図を覗き込む。

 地図の上、ニコラは最初に現在地である街を指さす。そして、そこから一直線に山岳地帯、川一本を横断し平原を超えた先にある山のふもとまでなぞり、指はとまる。そこには、一つの村の名前が書いてあった。

「ここから五百マイル先の山に囲まれた村です。だいぶ遠いですが」

「そこなら君たちの管轄じゃないだろう。地方の連中に任せておけばいいのでは?」

「いえ、その地方の警察署から応援要請がかかったんです。なんでも、人が毎日のように代わる代わるわけのわからないことを言って暴徒になっているんだとか」

 しばらく地図を見て考えたのち、リーンベルはもう少し詳しく頼むと説明を促す。

「はい。その人たちは、日に日にただひたすらに何かをつぶやいているんだそうです。まるで悪夢を見ているかのように、夜中に暴れだす人が多いので、今はかたっぱしに捕まえて牢に入れてあるそうですが。・・・このままだと、村が一つダメになってしまいます」

「なるほど。君が・・・・もとい、警視庁が私を頼るということは、それなりの規模でなおかつそれなりに手を尽くしているが、黒幕が見えないためにこの電話霊媒師の私を頼ってきた・・・と。ふふふ。なるほど、ついに私の能力を理解したか野蛮人どもめ」

 顎に手を添えて不適の笑みを浮かべながら椅子から立ち上がる。

 ニコラは地図をたたむ。上機嫌のリーンベルに向かって一言。

「いえ、オレ個人の判断です」

 リーンベル兄弟はジャパニーズ漫才のごとくこける。

「それいいの!?怒られません!?」ときょとんとしている二コラにすかさず突っ込みをかますのはフレイブル。

 こけたときに床に膝をぶつけた痛みに耐えながら起き上がるリーンベル。

「相変わらず、私の能力をかたくなに認めたがらない。頭の固い連中め・・・だから私は働きたくないのだ」

「でも、報酬はちゃんと払いますよ。ちゃんと事件解決に導いているのは認められていますからね」

「できれば、私の能力が本物であることも評価してもらいたいものだ」

 立ち上がり、コート掛けに向かう。

「それで、どうするの?兄さん」

 弟の声を背で受ける。コートに手をかけ、羽織る。

「無論。受けるに決まっている。私はそこまで愚かではない」

「では、後で前払い金として口座に振り込んでおきますね」

 リーンベルに続いてニコラも椅子から立ち上がる。

「頼んだ。フレイブル、出発するぞ」

「わかったよ。リーンベル兄さん」

 外に出ていく兄たちに続いてフレイブルも、コート掛けから帽子を取り頭に被る。

「さあ、分からず屋どもに私の能力を見せつけるとしよう!」

 扉を開け放ち、三人は外へ出る。

 街の中でそれなりに旅の用意をし、支度を整えたのちに駅に向かう。

 長旅専用の列車の切符を購入し、急ぎ足で列車に乗り込む。まもなく列車はガタゴトと動き出す。汽笛の音が鳴り、車両は徐々に加速していく。

 時刻は、昼より少し前。


****


 列車が町から出発した同時刻。

 リーンベルたちが向かっている村の方では、一つの暴動が起きていた。いや、これは暴動というよりは、一つの怪奇現象に近い。

 村人たちは目をつむり各々に手を伸ばし田舎道を闊歩している。まるでゾンビのようだ。引きずる足は自然とある場所に向かって歩を進める。その場所はどこか。

 普通に起きている村人は少数ながらも存在しており、自分の家族、知人に話しかけて正気を取り戻そうとする。しかし、歩く村人はそれらの声が聞こえていない。声かけを一切無視してひたすら歩いていく。

 中には警察官も混ざっており、警官としての職業機能が働いていない。他の村人たちと同じくどこかへと足を運んでいる。

 奇怪な現象を前に残された村人たちはどうすることもできない。立ち尽くすか自分たちに害が及ばぬように身をひそめることしかできないのだ。

 「とまれ、止まれ!!」と数人の警官が行く手を遮るが、それは意味を為さずに崩されてしまう。

 仕方なく、残った村人たちに外に出ぬよう警告を言い回ることしかできなかった。

 そこに、一つの声が響く。


「どうして誰も理解してくれないの?」


 それから一時間もたたぬうちに村から人が消えた。残されているのは、引きずるような無数の足跡のみ。

 この村で何が起こったのか。

 ただ、村の中で聞こえるは風が吹く音と、時折舞い散る木の葉の音のみ。

 ただ一つ、山のふもとにある屋敷の屋根から、その光景を見下ろす人影が存在していた。それは、遠くに見える列車の線路を見る。


****


 数時間列車の中で揺られていたリーンベル一行。少し遅めの昼食を終え、軽い雑談に花を咲かせていた。

 リーンベルに宛てられた警察からこっそり持ち出された霊的事件のこと。その事件の解決に関する武勇伝、ニコラのこと。

 フレイブルは記者として、ネタを逃さぬよう熱心に話を聞き、メモに様々な話を書き込んでいる。記事が面白くなるように少しの誇張を添えながら。

「なるほど。案外、兄さんは仕事してるんですね」

「案外とはなんだ、案外とは。私はお前がいない間も切磋琢磨して事件解決に導いている。いつもは安楽椅子探偵よろしくなことしかしてないが、ちゃんと請け負った仕事はこなしそれに見合った報酬もいただいている」

 この上なく失礼な弟に遺憾な感想をもらったリーンベルは少し不貞腐れている。その横で、へぇ~、とフレイブルは兄の様子をにやりとしながら見やる。

「オレも、三年前、ブルーベイブさんに助けてもらったことがあるんです」

 それにフレイブルが反応する。メモ帳とペンを持ち直し、ニコラに向き直る。 

「助けてもらった?」

「えぇ。・・・・ね?ブルーベイブさん」

 そういってニコラは当事者であるリーンベルに話題を視線を送るが、当の本人は頬杖をついて窓の外で流れていく景色を眺めている。

「捌いた霊は多くてな。そんなこともあったかすら忘れてしまった」

 薄情なやつだな、とフレイブルは眉をゆがませるが、ニコラはニコニコして遠くを見つめて語る。

「オレは、ちゃんと覚えていますよ」


****

 

 三年前・・・あの時はたしか、士官学校での学生寮の自室で、夜中まで勉強していた時のことだった。

 ニコラは、卓上ライトのみをつけ、机の上には様々な教科書や参考書をばらまき、ノートには法律や規則を覚えようと殴り書きにも等しい汚い字を書き連ねられている。

 時計の針が進んでいくことには気にもとどめていない。カリカリカリカリと覚えるためにペンを走らせている音のみが部屋に響いている。

 ふと、どこかからか何者かの声が聞こえてくる。ふと顔を上げて周りを見てみるが、見えたのは自室の壁とベッド、クローゼットなどの家具のみだ。

 机に向かいなおす。

 ペンを握る。

 また、誰かの声が聞こえる。今度は先ほどよりもはっきりと聞こえる。

「こっちに来い」

 ニコラは、声のする方へ目を向ける。そこには、換気のために開け放たれた窓。カーテンが揺らめき、手招きをしているようだ。

 窓の外を除くと、真夜中の外は霧に包まれている。近くの建物、道路がかすんでおり、人がいるかどうかも怪しい。それでも声は聞こえてくる。

「こっちに来い」

 ニコラは声に導かれて、外に出る。

 声をたどっていくと、鉄格子の門の前にたどり着く。門を開け、中に入っていく。少々広めの墓場。墓石が立ち並び、舗装されていない道は、少し湿り気を帯びている。肌寒い空気の中、声は二、三歩先でニコラを導いている。

 時刻が夜中だからか、勉強疲れで頭が働いていないからか何も疑いもしないニコラは、声に導かれるままに墓場を歩いていく。

 どんどん街灯の明かりが入り込まない、月明かりもない暗い場所へと入り込んでいく。

 声は、そこで途切れた。夢中で声をたどっていたニコラは、道しるべを失ってしまったことになる。

 濃霧が立ち込める暗闇の中、ニコラはあたりを見回す。墓石の輪郭も分からないほどに霧が立ち込めている。どこから何が襲い掛かって来るのか分からない中、ニコラの恐怖心は膨れ上がっていく。

 恐れおののき動けなくなったニコラの背後から突如物音がする。反射的に首を動かし、音の発生源をたどる。

 草陰らしき場所からガサガサと音がする。次は背後から。次は斜め左後ろ、次は・・・。

 四方八方から足音やら茂みの音やらが聞こえてくる。

 聴覚が得体のしれない物音で塗りつぶされ、ニコラが目を瞑り両手で耳をふさいだ瞬間。

 ジリリリリと電話の呼び鈴の音が雑音を切り裂くようにこだまする。

「その青年が気に入ったのか?」

 次に男の声が聞こえる。あたりから聞こえていた物音は一斉に静まり返る。

 ニコラは、耳を抑えていた手を外し目を開く。そこには、いつの間にか一人の男が立っていた。

 夜中だというのに、きまり良く正装を着て右手は拳の形から親指と小指を出した形しており、耳に当てている。

「な・・・だ、誰だ?」

 男は、ニコラの方に向きなおる。その端整な顔つきは鋭く、ニコラを戒めるように睨んでいたが、正面に向き直る。

 いつの間にか、あたりに立ち込めていた霧は薄くなり、視界がよくなっている。しかし、暗闇からの見づらさは完全に視界良好になったわけではないことを物語っている。

 男は右手の仕草はそのままに、正面に居るであろう存在に向き直る。

「さて、この青年の魂がよほどほしかったと見える。生前、こういった者にあこがれていたのかな?」

「うるさい!!うるさいうるさいうるさい!!」

 男の前には半透明の人影が見える。それは、ニコラに少し顔が似ていた。

 それは、男に叫びながらまっすぐ突っ込んでくる。それを男は身をひるがえし、横に回避する。

 勢いあまって人影はニコラにぶつかる・・・と思ったが、まるで溶け込むようにニコラの中に入っていった。

 悲鳴を上げる暇もなく、拙い足取りで数歩下がる。

 手の自由が利かなくなり、まるで自分自身ではなくなったかのようにニコラはぎくしゃくと四肢を動かす。

 男はため息をつく。

「やれやれ、世話の焼ける」

 男は、今もなおぎこちない足取りで襲い掛かろうとしているニコラに向き直る。

「さて、私としてはその男のことはどうでもいいんだがな。あとから面倒になるし何より一人でも多くの人に私の能力を証明せねばならないからな」

 急にはじけるように突進してくるニコラをまたもや避け、中に住み着いているモノに語りかける。

「お前としては、誰かの魂を殺し自分の住処にしようとしているのだろう」

 振り返りざまに殴られかけるが、これも避ける。

「しかし、それは人としてはとても無様だとは思わないかね?」

 フッと見下したような微笑みを向ける。何かを取り出そうと空いている左手を上着の中に突っ込んでいる。

 ニコラを乗っ取ったそれは、彼の口を借りて喋る。呻くに近い。しかし、それの言葉を吹き飛ばすように銃声が響く。

 男の左手には拳銃。銃身が長めのリボルバー。45口径の口は、ニコラの左肩の少々上の方を狙っている。

 音と高速で打ち出された弾がかすった衝撃でニコラにとりついていたものは背中から剥がれ落ちる。ニコラは地面に倒れこみ、気絶する。

「こちらの邪魔はしてほしくないのだよ。その若者もそう言っていた」

 死んだ者だからだろうか、それとも生前から頭がよくなかったのだろうか。男に向かって霊はもう一度倒れたニコラを乗っ取るためにニコラに突っ込んでいく。しかし、それよりも早く、男は引き金を引いた。

 ドン!と銃声がした後、霊に大きな風穴があき、螺旋状に穿ち霧散させる。

 霊が消え、墓場には静寂が訪れる。

 男は、面倒くさそうにため息をし、ニコラの肩を担いで引きずっていく。



 次にニコラが目を覚ましたのは、それからしばらくたった後だった。

 気が付けば、学生寮のフロントのソファで横になっていた。明るい室内、外とは違い温かみを感じる。常に緊張感にさらされていたニコラの緊張の糸は切れる。

 全身脱力してソファに座り込んでいるところにすぐ隣から話かけてきたのは、先ほど助けてくれた男だ。

 あきれたように流し目で見てくる男は、少し埃っぽいにおいがする。

「起きたかね。君の気高い魂は称賛に値する。しかし、月も出ていない真夜中に墓場に行くとは、見上げた根性・・・いや、この場合は蛮勇、馬鹿、あるいは阿呆か」

 男は戒めるように、顔を動かさずに言う。

「す・・・すいません」

「この私がいなければ、君はあの殺人犯の霊に身体を乗っ取られ人生破綻、あるいは魂を食い尽くされ破滅していただろう」

「ごめんなさい。勉強をしていたら聞こえたものですから」

 男はソファから立ち上がり、ニコラに背を向ける。

「誰もいないその場の声に耳を貸すのは愚か者のすることだ。肝に銘じておきたまえ」

 はい、とニコラは少ししょぼくれる。そんなことは放っておいて男は立ち去ろうとする。

 ニコラは慌ててソファから立ち上がり、男に声をかけて引き留める。

「あの!オレはニコラ・サッチ!あなたは!?」

 男はゆっくりとニコラの方に振り返り、凛として立ち止まったまま名乗る。

「リーンベル・ブルーベイブだ。助けられた記念に覚えておきたまえ」

 男、リーンベルはそのまま玄関から去っていく。

 それが、ニコラとリーンベルの最初の出会いだった。

 

****


 そういえばそんなことあったなぁと威張った顔で列車内の椅子で足を組み堂々と座っている。

 フレイブルは熱心にメモを取っていた。メモのページ数は四、五ページに上っていた。

 語っていた当の本人は、微笑みながら遠い目をしている。

「懐かしいなぁ・・・あれから三年経ったのか」

「いや~あの幽霊は比較的知性が低くてやりやすかったよ」

 フレイブルは威張っているリーンベルの頭をとじたメモ帳でパシッとはたく。

 頭を押さえて不愉快そうにフレイブルを見る。ニコラはその光景を微笑んで見ている。

 突然、キキーっとけたたましい音が鳴り響き、列車が急停車する。リーンベルは盛大に椅子から転げ落ちる。フレイブルはとっさに背もたれにしがみつく。ニコラは転げ落ちたリーンベルを助けようとするが、失敗してリーンベルの上に落ちる。

 完全停車した車内は、他の客がざわついている。話を小耳に聞くあたり、先頭車両で何かあったようだ。

「先頭車両・・・何かあったのか?ねえ、兄さ――――――」

 振り返った先には、リーンベルの姿はなく、ニコラが転げ落ちたところしか見えない。どうやら、ニコラの下敷きになっているようだ。

「ニコラ君。落ちる私をかばってくれるのは一向にかまわないがね、私はそっちの“気”は無いのだよ」

 ニコラの体越しに見える何人かの視線。それに気づかない目の前のデカブツ。視線の中には、どうにもそっち関係でとらえている男色好きがいるようだ。

 そっちの“気”?何のことだと考えていたニコラも、少ししてその視線に気づいたらしく、そそくさとリーンベルの上から退く。

「列車の故障かな。兄さん、俺見てくるよ」

 リーンベルはニコラの助けを借りつつ起き上がる。

「待った。私も行こう」

 先頭車両に向かい、何があったか聞くリーンベルたち。とはいっても、人間に聞くのはニコラの役割だ。警官の証明書であるバッジを見せ、何があったのか聞く。その間フレイブルはほかの客が混乱しないように説得、リーンベルはニコラの後ろについて、小声でやり取りをしていた。

「ニコラ君、何か見つけたかね」

「ええ。・・・あれ、人ではないですよね?」

 ニコラが指示した先には、列車を急停車させた車掌。彼は背中を向けてはいるが、ピクリとも動かない。

 車掌の真後ろに何か靄がかった人影が見える。しかし、それは詳細まではわからない。輪郭しかわからないのだ。

 身長は、せいぜい10代後半あたり。肩幅が広くないことから女性、あるいは細身の男性と見て取れる。しかし、髪の部分らしきものは、人影の腰あたりまであり、ふわふわと揺れている。

 このことから、おそらく女性であるだろうと分かる。

 ニコラは、ほかの乗務員が憑りつかれた車掌に近づかないように注意喚起し、一旦先頭車両から離れてもらう。

 取りつかれている車掌、ニコラ、リーンベル、そして、乗客への説得が終わったフレイブルだけが先頭車両に残った。

「さて、攻撃的ではないということは、少なくともここで争う必要な無いわけだ」

「でも、何が起こるかわかりませんからね。いざとなったらオレが時間を稼ぎます」

「頼む」

 二人が相棒さながらの会話をしている中、フレイブルだけが蚊帳の外に出されている。それもそのはず、フレイブルは目の前の人影が見えていないのだ。

 そんな弟を放っておいてリーンベルは右手で電話の仕草をする。

 ジリリリと呼び出し音がする。

 呼び出し音が途切れ、目の前の人影がゆらりと揺れる。どうやら呼び出しに応じたようだ。

 ニコラはリーンベルの前に出ていつでも応戦できるようにする。

「さあ、こんな馬鹿なことはやめて列車を動かしたまえ。この列車には多くの人が乗車している。有意義であるとは思えまい?」

 目の前の人影が跳ねる。それはまるで喜んでいるかのように。

「リーンベル?まあ、リーンベル!」

 それは、リーンベルにとってはどこか聞き覚えのある声だった。  

 トーンの高い声、朗らかに語り掛けるその声は、まるで恋人に挨拶するかのようだ。

 リーンベルは手から耳を離し、目の前の人影に目をやる。

 兄の能力越しに声を聴いたフレイブルが思わず口を開く。

「・・・兄さんの知り合い?」

 弟の問いには答えず、また耳を当てる。

「誰だ」

 耳につく雑音が続き、絹を裂くような声が何重にも何重にも響く。それは、リーンベルの能力を通じて車両の部屋中に響き渡る。脳の奥まで貫く音は、とても聞いていられたものじゃない。

 三人は耳を塞ぐ。それでも音は脳内を、室内を満たす。ほかの環境音に意識がいかず、雑音ばかりに気を取られてしまう。

 もうやめてくれ。うんざりだ。この音を止めろ。そう願ってしまうほどに音は激しく脳を揺らされる。景色が揺らぎ、目を強く瞑る。立つのがやっとな状態だ。

 何もかもが塗りつぶされそうになった瞬間。

 バツン!と。

 音がやんだ。

「音が、止んだ?」

「どうやら、そのようだな。だが、まんまと逃げられた」

 ゆっくりと手を耳から離し降ろす。一行が見た先には、もうあの人影は見当たらなかった。

 車掌は、拘束から解放されたようだ。ビクリと身体が跳ね、あたりを見る。

 ニコラが幽霊のことを省いた状況を伝える。そんなことがあったのかとすぐに詫びを入れ、列車の点検を済ませ、数十分後に列車は走行を再開した。

 自分たちが座っていた席に戻ったリーンベル一行。

 フレイブルが先ほどの状況整理と言わんばかりにメモに大量の情報を書き込んでいる。

 リーンベルは窓枠に頬杖をつき、物思いにふけっている。

「さっきの人、見た目と声からして女性の方、でしたね」

 メモを取る手が止まる。

「兄さんのことを知っているみたいだったけど、知り合いに女の人なんていたの?」

「・・・・・・」

 ずっと頬杖をついたまま黙っているリーンベル。外に顔を向けているため、ほとんど表情が見えない。

 しばらく二人とも黙っているとリーンベルの方からまさかな、とつぶやく声が聞こえた。

 思わず振り向き、兄さん?と尋ねるが、リーンベルはずっと窓の外を見ている。

「まぁ、例の村についてから改めて考えましょう」

 ニコラが沈黙した気まずい雰囲気を打破するように微笑んだ。それにフレイブルは二つ返事をするのみだった。



 目的の村の駅に着いた一行。駅の周りは特に栄えているわけではなく、目的地までは途中で荷車を捕まえるなり徒歩で歩くなりして向かわなくてはいけなかった。

 結局村に着いたのは、夕方近くだった。

 日はすでに傾いており、赤い日がさびれた村を照らしていた。

 村に人の気配はなく、何件もの無音・無灯の住宅が残されていた。家自体には目立った傷はない。ところどころ花壇が踏み荒らされているのみで、それ以外は何事もない。

 暴動が起きていた、となればそれなりに家屋の損傷や倒れている人が見つかるものだと覚悟していただけに、ほぼ無傷の状態で無人、というのはある意味不安をあおられる。

 試しにフレイブルが声を張り上げてみるが、一切の応答がない。

「これは・・・どうなってるんだ」

「分かりません。しかし、・・・あ、ブルーベイブさんっ」

 リーンベルは村の中に歩を進めながら手を電話の形にし、どこかへとかける。それにフレイブルとニコラが慌てて後についていく。

 チリリリリリと先ほどとは違った音がこだまする。

 何回か呼び出し音を鳴らしたのち、誰かが応じる。

「だ、誰だ?」

 その声は男性の声だった。ひどくおびえているようで、自分に話しかけてくるリーンベルに対しても懐疑的だ。

「なに、ちょっとした能力者というやつでね。あやしいものではない」

 相手はしばらく黙り込んだ後、話し出す。

「村の警察署に来てくれ。俺はそこの一番奥の牢にいる」

 そこで電話は切れる。ゆっくりと、耳にあてていた手を降ろす。

 リーンベルは背を向けたままどこかへと向かおうとする。

「ちょっと待ってよ兄さん。これから何をするのかまだ分かってないのに」

「問題ない。それより、フレイブル。私の呼び出しに応じた人物がいる場所に行っていろ。私は少しこちらに用がある」

「オレは、まだ署にいる人に聞き込みをしてきます」

「頼んだ」

「兄さんは?兄さんはどこに行くんだよ」

「私は、少し行くところがある」

 リーンベルはそのまま近くの山に向かっていく。足先の更に先には、一つのボロい屋敷。

 フレイブルは一人で足を速めていく兄に物申したげにしていたが、どうせ今すぐ聞いたところで無意味なのはわかっているのだろう。ニコラと共に村の警察所に行く。

 ニコラとフレイブルが去った後、屋敷に向かって歩を進めるリーンベル。

 山のふもとに建つ屋敷の前に来る。屋敷の周りにはかつては美ししく咲いていたであろう花達の残滓。雑草が生い茂り庭だけでも退廃的な雰囲気を醸している。

 建物はしばらく手入れされていないのだろう。廃墟と化したそれは、壁にツタが這っている。

 そこそこ大きな木製扉はぴったりと閉じている。リーンベルがドアをノックしても誰も応じない。そのままドアノブに手をかけ、扉を開く。

 屋敷の中はもぬけの空だ。調度品はところどころさびたり木製の部分はところどころ腐っている。それでも必要以上に整頓された屋敷の中は生活感を醸し出しており、不気味だ。そんな中、玄関ホール、キッチン、各々の部屋をそれぞれ探索していく。

 二階のある部屋にたどり着いたとき、妙な気配を察知する。

 部屋のつくり自体はかわいらしい家具に囲まれたただの女の子の部屋。それだというのに有象無象の何かが体中に這い寄って来るような。ウジ虫がありとあらゆる皮膚を舐め回しているような。そんな気配がする。

 リーンベルは手を電話の形にし、耳に当てがう。

 ジリリリと呼び鈴が響く。今度はワンコールで相手が出る。ザワリと気配が揺れる。

「さて、先ほど列車を止めたのは女は君かね?列車の中で見た姿とはまるで違うな」

「だって、私はそこにはいないもの。でも、今はそんなことはどうでもいいわ」

 頬に手を当てられる。気配が濃密になり、リーンベルを包んでいく。今もなお全身を這いずるものは、次第に身体への締め付けを強くしていく。

「リーンベル、会いたかったわ。私を捨てておいて、よくもここまで来てくれたわね」

 女の声が響く。どこか扇情的に、悲し気に、恨めし気にリーンベルの鼓膜を打つ。

 ほとんど見えない何かに締め付けられているというのに、リーンベルは抵抗をしない。

「私のことをそこまで思っていたのか。嬉しいよ・・・とでもいうと思ったか。おめでたいやつだ。私は、君のことをガールフレンドとみとめたつもりはないのだよ」

「やっぱりあなた、最低ね」

 ギチギチと肉が、骨が、内臓が絞まる。息が苦しくなる。黙らせる。せっかく温厚に接していたというのに、やはりあの時のように突き放す。

 絞められて、苦しめられてもなお、リーンベルは減らず口を叩く。

「私は、能力を認めてもらえるのは光栄だが・・・そこから勝手に君のボーイフレンド扱いされてもらっちゃ困るのだよ。わかるかね?」

「久しぶりに会えたっていうのに、その言い草は何!?」

「これが私だ。べったりくっついていたから、てっきり理解していたうえでついてきているものかと思ったよ」

 リーンベルは声の主を嘲笑う。心底馬鹿にしてやる。

 身体に対する締め付けはさらに強くなる。脳が頭が朦朧とし、視界が狭くなっていく。


「どうして分かってくれないの?」


 真っ暗闇の中、周りの壁や床が崩落する音と共に聞こえた悲しげな声。

 理解などするものか。

 一言呟いた刹那、意識が途切れた。


****


 警察署についたフレイブルとニコラ。

 街にある警察署に比べれば規模は小さく、周りの景色に溶け込んで違和感がない。はたから見れば、少し大きめの屋敷のように見える。

 中に入った二人は誰もいないことに唖然とする。

「おかしい。ニコラさん、ここはいつもこんな感じなんですか?」

「いや、そんなはずはないです。ここには、いつでも村人に対応できるように受付の人がいます」

 中を見ていくが、人がいないということ自体特に変わっていない。あたかも先ほどまでそこに人がいて捌いていたかのように散乱した書類、私物だと思われる本やたばこなども各々の机の上に放置されている。中には家族写真らしきものもあった。

「なんか、不気味ですね」

「・・・フレイブルさん、あなたは地下牢の方ではなく、別の場所を探索してください。もしかしたら、罠かもしれません」

 ニコラはそのまま牢があるであろう場所に続く階段に向かう。罠って?と問いかけるも、彼は先に先に行ってしまう。

 リーンベルもニコラも、霊が見えるというのに、自分だけ見えないし兄の能力を介さないと声が聞こえない。普段なら、これが普通の人なのだから、しょうがないと割り切って自分が一般人であることに喜べる。だが、この異常事態の中で明らかに優位に立てているのは、電話霊媒師であるリーンベルと霊が見えるニコラ、この二人なのだ。

 疎外感を感じながらも、フレイブルはニコラの言う通りにほかの場所を探索する。

 建物の中を散策するために最初に署内の見取り図を手に入れる。

 ニコラが向かった地下牢を含め全部で四階建て。一階は受付とオフィス、二階は取調室、簡単な検察室、三階は所長室や客間となっている。とはいえ小さな警察署だ。めぼしいものを見つけるのに、そう時間はかからなかった。

 記者の敏腕を生かし、今回の事件に関係ありそうな資料をあさる。

 やはり、村の中で大きな問題となっているのか、多くの資料が見て取れた。村人の戸籍、行方不明者のリスト、事件が起こった場所をまとめた地図。どの資料も参考にはなるが、いまいち手に収まらない感じがする。

 さすが電話霊媒師である兄に依頼が来ただけはある。すべて現実主義の捜索で状況が打破できるわけがなく、超常現象は確実に存在する。それを体現した存在である兄・リーンベル・ブルーベイブが、今現在この地の土に足をつけているだけで証明できる。

 昔はフレイブル自身も兄の言うことやることは不気味で、理解しがたい、理解してはいけないものだった。しかし成長するにしたがってこれも真実だと受け入れることができた。そして、同時に兄の能力に興味を持った。だから記者になったと言える。

 ならば、その事実に基づいて言うならば、この資料はほぼ無意味と言える。

 列車内でのリーンベルの様子。あれを見る限り、彼はこの村に来たことがあるということなのだろう。しかし、兄にはこんな数時間もかけていかなければならない辺境の地に知り合いなどいただろうか。

 村人の戸籍をあさる。するとどうだろうか。一つ、気になる名前を発見した。

「シュバルツ・メッヒェン」

 すでにこの村で死亡している人物。死亡した年は今から十年前、山に入って散策していたところを猟師に撃たれてしまっている。

 シュバルツは、かつてリーンベルと同じく町に住んでいた。そして、リーンベルの能力を一番先に理解し、受け入れたある意味心優しい少女だった。

 当時は付き合っていたのではないかと同年代の間で噂になっていたぐらいに二人は親密だった。それもそうだ。家族からも、実の弟からも理解されなかった彼が唯一理解され、心を開いた相手だからだ。遠くから見ていたフレイブルもそこまでは実際に分かっていた。

 まさか、そんな彼女がここに居たとは。リーンベルが能力で話していた相手は、そのシュバルツ本人なのではないか。そんなことはリーンベル自身が一番よく理解していた。だから列車の一件以来、様子が少し普段と違ったのかもしれない。

 でも、だからと言って俺が兄さんにできることはあるのだろうか。ついそんな考えが脳裏をよぎる。死んでしまっている者ならなおさら俺は役に立たない。いや、こうやって手掛かりを探ることに関しては職業柄よくやっている。あとでこの資料を兄さんに見せて確認しよう。

 ほかにも使えそうな手掛かりを見つけるために三階に上がる。署長室に入ったとき、遠くから大きな瓦礫が崩れる音がする。

 窓からのぞいてみれば、そこそこ大きい屋敷が上から巨大な足に踏みつぶされているかのように倒壊している。しかもそれは、兄さんが向かった屋敷じゃないか!

「兄さん!」

 フレイブルはかき集めて手に持っていた資料をカバンに押し込み、急いでニコラと合流すべく、署長室を後にする。


****


 地下牢にたどり着いたニコラ。上の階と同じく、牢屋にも人はいない。例の人物がどこにいるのか、それすらも分からなかった。分からなかった、というよりは、どの牢屋にも人がいなかったからだ。

 いるのは、人のように見える何か、だった。

 歳は、十代後半ほど。豊かに、きれいに伸びた金髪は、木漏れ日のようだ。前髪をリボンで後ろに下げて額をさらしている。

 牢屋の雰囲気にふさわしくない、華やかなワンピースを身に着けている。しかし、その少女には腰から馬の尾が生えていた。ニコラが来ると、尾をパサパサと動かす。

「あら、久しぶりのお客様だわ。お兄さん、こんなところに何の用?」

「それはこっちの台詞ですよ。お嬢さん、ほかの人たちがどこに行ったのか知りませんか?」

「知らないわ」

 少女はスカートの裾と馬の尾をひるがえして回り踊る。檻の中だというのに、さも愉快そうに自由にはしゃぎまわる。

 響く少女の笑い声。ニコラはどうしてなのだろうか、目の前の少女が、一般人に見えなかった。

 今までリーンベルに何度も依頼を出し、彼が霊事件を解決するところを間近で見てきた。そのせいで怪現象に対する感覚が麻痺していたのだろう。しかし、麻痺していた感覚から新鮮な恐怖心が掘り起こされる。

 地上近くに設置された小窓からのみ降り注ぐわずかな日の光が、妖しく舞い踊る彼女を照らす。

 誰もいない牢屋群、その一つの牢の中で踊る少女、室内を薄く照らす夕陽。普通なら美しいと思えるその光景は、異常事態が起こっている村においてさらにシュールさを引き立たせる。そのシュールさが、妙な恐怖心を引き立たせる。

 ニコラは思わず二歩、三歩と少女のいる牢から下がってしまう。

 少女はこちらを向く。目には確かに、鋭い光が宿っている。

 獲物を定めたようだ。

「あなたは一体―――――」

 ニコラは危険を察知し迎え撃つ構えをとる。

 室内に風が吹き荒れたかのように、少女に生えている馬の尾が揺れる。ぴしゃりと鞭打つように尾を動かすと、檻から易々と抜け出してニコラと肌が重なるぐらいまで距離を詰める。

「邪魔、しないで。ね?」

 ニコラの頬に手を添え、目を合わせる。

 彼女の眼の色は、先ほどまで距離を置いていたせいで分からなかったが、至近距離、それも息遣いがわかるほどに近づいたおかげでどうなっているのか分かった。彼女の眼は、黒。それも、吸い込まれるような奈落の底さえも見えないような漆黒。

 つい彼女の眼を覗き込んでしまったニコラは、そのまま、黒い暗い色に意識が吸い込まれていく。

 非常に強い眠気が襲ってくる。自我の強さで抗う。

 頭が重くなる。瞼が鉛を乗せたように重い。脳の内側から心地よい意識の沈殿を感じる。

 ついに、膝から崩れ落ち、ニコラは眠ってしまった。


「おやすみなさい」


 少女が去っていったあと、地下牢にフレイブルが焦った様子で駆け込んでくる。

 見つけたのは、太陽が沈み切る中、湿り気の多いうっそうとした牢屋の檻に背を預けてぐったりとしているニコラだった。

「ニコラさん?ニコラさーん!?」

 ニコラの肩をゆすって起こそうとするが、彼は起きない。それどころか悪夢を見ているかのようにただひたすらうなっているだけだ。

 いくら起こしても起きないニコラの肩を担いで警察署の外に出る。

 日は落ちて、街灯すらない村の中は光が全くない。

 フレイブルは急いで崩壊した屋敷に向かっていく。暗がりの中、何度も石や崩れた柵などに躓きながらもたどり着く。

 崩壊した屋敷は瓦礫の山となっている。フレイブルはいったん担いでいたニコラを地面に寝かせ、落ちている木の端材をかき集めて簡易的なたいまつを作る。そこに持ってきていたライターをつけ、明かりにする。ほかにもいくつか作り、居場所が分かりやすくなるように地面にさして火をつけて目印にする。

「兄さん!どこに居るんだ!」

 瓦礫をかき分けて、ただひたすらに兄を探す。木のささくれで手の皮膚を刺そうが、崩れた手のひらサイズのレンガが身体の上に落ちてこようが、必死に探す。

 どのぐらい時間がたっただろうか。崩れて山になった瓦礫の隙間から聞いたことのある声のうめき声を耳に挟む。声がした方を掘り起こすと、リーンベルが倒れていた。

「兄さん!」

 幸い骨折などの大けがはなく、いくつかの擦り傷と打撲で済んでいる。なんとも悪運の強いことだろうか。

 フレイブルはボロボロになった兄を抱きかかえて崩れた屋敷から脱出する。

 ニコラを寝かせた場所まで連れていき、簡易的ではあるが手当てをする。

「おい、起きろってリーンベル兄さん!!おーきーろー!!」

 けが人だというのに容赦なくフレイブルはリーンベルの胸倉を掴み、ビンタをかます。パァンッと心地のいい音がした。

 脳を揺さぶられ、頬に強烈な衝撃を受けたリーンベルは何事かと跳ね起きる。

「誰だ、私の端整な顔を叩く不届き物は!」 

「兄さんは王様じゃあるまいし、罰は当たらないだろ」

 胸倉を掴んでいた手を離す。

「なるほど。フレイブル。君ならこの横暴にも納得がいく」

 すぐさま立ち上がり、お互い乱れた服装を整える。しかし、よくよくチェックしてみると、リーンベルのスーツは瓦礫に埋もれていたせいか、ところどころが破れている。

「ニコラさんは起きないし、本当にもう、何が起こっているんだ」

「それはひょっとしてギャグで言っているのか?」

「怒るよ兄さん」

 確かに、見てみればフレイブルが作ったであろうたいまつの光が届く範囲に図体のでかい男が寝かされている。

「冗談だ。少し落ち着いた場所に行こう。情報も交換しておきたい」

 寝ているままのニコラを担いで少し離れた場所、とある農家の馬小屋に避難する。

 小屋に馬は一頭もおらず、また近くの家にはやはり明かりが灯っていない。

 たいまつの火を適当に集めた薪に近づける。まもなく火は薪に燃え移る。火の暖かさと明るさに張り詰めていた緊張は一旦緩まる。

 それでも、扉などがない簡素な小屋だ。少し肌寒い風が中に入って来る。

 隅で寝ているニコラを差し置いてブルーベイブ兄弟は、薪を挟んで座り、各々の手に入れた情報を交換する。

「・・・シュバルツ・メッヒェン」

 リーンベルが弟の報告を聞きながら戸籍資料に目を通したとき、小さくつぶやく。

「やっぱり、兄さんのしている人だったんだね」

 メモ帳に情報を書き込んで整理しながら兄に確認をとる。

「あぁ、実際、本人にも会ったことだしな。相当恨まれていたが」

「でも、彼女は兄さんが付き合っていた人なんじゃないの?」

「私は付き合っていた気はさらさら無いんだが?」

 リーンベルは目を背ける。薪の明かりと、目の前にいる弟がうっとおしいとでも言うように。それをからかうようにフレイブルは軽く笑う。

「またまた、そんなこと言っちゃって」

「フレイブル」

 低い声で圧力をかけ、煩わしそうに睨みつける。いつもと違う態度に、どこか焦っている様子に確信を持ったのか、フレイブルはリーンベルに向き直る。

「兄さん。なんで、彼女のことを煙たがるのさ」

 後ろめたいことでもあるのだろう。ばつが悪そうに眉を下げる。

 今まで威張ったり、すかしているところしか見ていない分、兄のこういった表情を見るのは初めてかもしれない。

 リーンベルは渋々語りはじめる。過去に何があったのか。今回の異常が自分とどう関係しているのか。


****


 ニコラは、夢を見ている。それは、ほんの少し前の街の記憶。

 あるところに、子供たちが集う広場のような場所。その一角の薄暗い路地裏にて二人の男女がいた。

 一人は、牢屋の中で見た少女によく似ている。いや、もしかしたら、過去の彼女なのだろう。あの時会った少女と違って馬の尾は生えておらず、歳は十代前半ぐらいに見える。幼さを残しているが、子供というわけではない印象がある。

 もう一人は、リーンベルに面影が似ている。こちらは彼の過去の姿なのだろう。少女より背は小さく、手足も頼りないくらいに細い。現在のリーンベルがつけているモノクルはなく、白いシャツとサスペンダーでつるされた半ズボンは彼の年相応な少年らしさを引き立てている。

 少女の方が少年リーンベルに話しかけている。

「リーンベル、リーンベル!またあなたの能力が見たいわ!」

 リーンベルの方は少女に戸惑いの意を示すように縮こまる。

「シュバルツ、そんなにせがまないでくれ。僕の能力は人に見せられたものじゃないんだから」

 それでも、とシュバルツと呼ばれた少女はリーンベルに詰め寄る。「あなたの能力は素晴らしいものだわ。素敵なことよ!ほかの人が持ってない能力、誰かに自分の声を聴かせることができる・・・とてもいいことだわ!」

 彼女なりに気を使っている、というわけでもなく、本当にリーンベルの能力を称賛しているのだろう。目はリーンベルの両眼をしっかりととらえ、路地裏に差し込んだ陽光を反射して煌めいている。

 そんな彼女はまぶしすぎる。しかし、家族からも疎まれる能力を受け入れ、こうして自分に明るく接してくれる彼女は救済の天使のようにも思える。どうせ誰も分かってくれないとすさんでいた心を包み込んでくれる彼女はまぶしすぎる。

 頬を少し赤らめ、彼女の視線から目を外す。

「でも、この能力は誰も認めてくれない。家族も、周りのほかの連中も、君の、両親も・・・」

「そんなことはないわ!だって私のパパとママよ。絶対に分かってくれるはず!さあ、やりましょう!」

 少々、いや、かなり強引なシュバルツの態度には呆れはするが、それでも自分のことを認めてくれる彼女のためになら、能力を披露してやろう。

 ため息交じりに手を拳から親指、小指を出した形にする。

 当時はまだ電話が普及していない。下手をしたらまだ電話という便利なコミュニケーションツールは開発すらされていない。それなのに、リーンベルは物心ついた時からこの方法を知っていた。どうしてだかわからない。少なくとも、これをすると人と話すことができる。

 時には、戦場を駆けた兵士、どこかで暇を持て余した老人、どこかの国の政治家など。

 昔は能力を使用する際に話しかけられる相手は不特定だったのだが、成長してからはある程度指定した相手に話しかけることができるようになった。

 チリリリリと呼び出し音がする。数分ほどしたのち、誰かが応じる。シュバルツの母親だ。しかし、応答して第一声が辛辣だった。

「またあなたですの?毎回毎回変なところから声がして耳障りなの。気味が悪いわ」

 はぁ、やっぱりかと手を降ろそうとしたとき、シュバルツがその手を掴む。

「ママ、これが彼のすごいところなのよ!なんでわかってくれないの!?」

「シュバルツ、その人とはかかわるなって何回も言ってるでしょ。あまり私に話しかけさせないで。それに私が独り言を言っているって気味悪がられるのよ。ご近所さんからの評判が下がるわ。パパにも気味悪がられているの。だからやめて頂戴。さっさと彼と別れて頂戴」

 薄情な母親の物言いにシュバルツは苛立つ。リーンベルの手を掴む力が強くなる。

 痛い、とリーンベルが零してもシュバルツはかまわず母親をまくし立てる。

「そこまで言うことないでしょ!?どうしてわからないの!?ママはあなたのことならなんでも分かってあげるわって言ってたじゃない!」

「これはあなたのことじゃない。彼のことよ。声を届かせる能力だか何だか知らないけど、気持ち悪いのよ。関わりたくないわ」

 ギリギリと淑女らしからぬ歯ぎしりの音が聞こえてくる。

 真横で会話を聞いているリーンベルからしたら気が気でない状況だ。目の前の親子喧嘩に対しての恐怖に顔が引きつっている。

「最低・・・!!」

「最低なのは非常識な男と付き合っているあなたの方よ。ほら、そろそろ帰ってきなさい」

 母親の終始リーンベルに対する暴言に怒鳴りそうになるのをこらえてシュバルツはリーンベルの手を降ろして優しく両手で包み込む。

「だから言ったじゃないか。こんなの、気持ち悪いだけだって」

 彼女はしばらくうつむいたのち、顔を上げてリーンベルを見据える。

「いいえ。あなたの能力は素晴らしいの。私が一番よく知ってる。それは無駄じゃないし気持ち悪くもないわ」

 絶対、周りが間違ってる。だって、彼は、本当に素晴らしいから。確固たる意志を感じるシュバルツの眼。

 たとえこの街の誰からも拒絶されたとしても、彼女は自分についてくるのだろう。今は、彼女の優しさが残酷な刃に見え、同時に夜の寒さから守ってくれる毛布のような温かさがあるとも思えた。

「ありがとう、シュバルツ」

 無意識に、彼女の前で頬が緩んでしまった。

 シュバルツも、その様子に安心したのか、フフッと微笑む。

「当り前よ。だってあなたのこと、好きだもの」

「え?」

「あなたは優しくて、親切で勤勉家で、とてもいい人だもの。違う?」

 さすがに買いかぶりすぎだ。しかし、それがくすぐったく、胸がキュウっと締め付けられる。

「ただ頭が固いだけだよ」

「もう!すぐ自分をダメにするようなこと言うんだから。それとも、人から好かれるのは、嫌だったかしら?」

「そうじゃない。むしろ・・・嬉しい」

 目のやりどころに困りながら彼女の受け答えに辛うじて答えていく。顔が徐々に熱を帯びていく。

「なら、もう少し嬉しそうにしなさいよ。いい顔してるんだし」

「か、からかうなよっ」

 大胆にも近づいてくる彼女の発言に耐えかねて、照れ隠しに路地裏の出口に向かってかけていく。

 なんともほほえましいことか。走っていったリーンベルの後ろから遅れてシュバルツも歩いてついていく。

 くすくすと笑う年上の彼女は愛らしかった。

 

 そこからさらに二人の時間が見えた。

 ニコラの知らなかった過去。成長していく彼にとって、能力のせいで理解者ができなかった彼にとって、彼女は唯一の癒しだった。

 シュバルツは少し強引でおっかないときもあるが、それはリーンベルに対しての優しさからくるものなのだと彼も理解していた。

 いつからだろうか、彼はシュバルツに対して好意を抱いていたことを理解し始めていた。

 時には雨の中ずぶぬれになった彼女にハンカチを渡してあげたり、時には花冠を作ってあげたり、時には彼女に勉強を教えてあげたり・・・時には、紅茶をふるまってあげていた。しかし、彼女はリーンベルをかたくなに認めたがらない両親や周りの人たちへの不満が募っていた。

 リーンベルと話をしている際には楽しそうなそぶりを見せるが、ふとした時に暗い顔を見せる。最初は気づかなかったが、彼女がたびたび見せまいとする表情は無意識に表面化していた。


 彼女が苦しむ姿を、リーンベルは見たくなかった。だから・・・別れを切り出した。それも、残酷に彼女を突き放すことで。

 空が灰色に曇っていたある日、リーンベルはシュバルツをいつもの広場の路地裏に呼びつける。

 話を切り出すのは容易ではなかった。のどに詰まった言葉は、本来は言いたくない。でも、彼女が苦しむくらいなら、突き放して彼女が二度と自分に関わらないようにしなくてはいけなかった。

「もう、僕にはかかわるな。シュバルツ」

 その一言は、彼女が受け続けていた絶望のどれよりも深く、精神にとどめを刺すのには十分だった。

 どうして!?と、すぐに食らいつく。違う。きっと違う。だって、ずっと彼は私のことを慕ってくれていたし、私はまだ・・・。

 シュバルツはリーンベルに問い詰める。日々の中で彼がどれだけつらい思いをしてきたのか、それをよく見ていたから、気が気ではなかった。彼が遠くに、知らない場所に行ってしまう。自らつらい道を選ぶというのか。

 せがむように、縋り付くように問うてくるシュバルツは、捨てられる直前の子犬のようだった。

 確かに、頼りになる上に今までかばってくれた。それには感謝している。感謝しているからこそ、リーンベルは自分のことで彼女にはこれ以上傷ついてほしくはなかった。

「み、認められた!!能力を、アンタ以外にも認められたんだよ!!」

 目をそらしつつリーンベルは言い放つ。

 両腕を掴んでいたシュバルツの手が離れる。混乱していた頭はその言葉を真に受け止めた。否、受け止めなければいけなかったのだ。

「そう、なんだ・・・。よかった・・・。そ・・・っか・・・」

 リーンベルも男の子だし、私がお姉さんぶったところで彼も甘えん坊な子供じゃない。何を勘違いしていたのだろう。慕っていたと勘違いしていただけなんだ。そう、そう、そう。それでいいそれで・・・。でも、釈然としない。違う。私はそうじゃなくて、そうじゃなくて、答えが見つからない。彼を引き留め続けたい理由が見つからない。

 もっと残酷に突き放さないと、彼女を守れない。もう、自分のことで傷つくのは、これきりにしてほしい。これからは関わらなくてもいいように。

 もう、突き放そう。理由とかどうでもいい。彼女が自分にかかわらなくなったらそれでいい。だから―――

「だから、君はもういらない。もういらないんだ」

 最後まで、目を合わせなかった。合わせる必要もなかった。

 リーンベルは路地裏の出口を脱兎のごとく飛び出し、家まで走っていく。

 あとに残されたのは呆然と立ち尽くすシュバルツだけだった。

 

 それから月日は流れ、シュバルツは両親と共に五百マイル先のとある村に引っ越していってしまった。その村で、シュバルツは明るくふるまってはいたが、やはり、リーンベルのことが時折脳裏をよぎる。そのたびに胸が苦しくなった。

 あの日と同じ空が曇っていた日、シュバルツは森の中に入る。しかしこの時期のその場所は、猟師以外はいってはいけない所だった。シュバルツはそのことを知らず、木の実の採取をしており、森に居た猟師に動物と間違えられ撃ち殺されてしまった。

 遺体はすぐに発見され、誤射をした猟師は警察に捕まった。

 葬儀はつつましやかに、家族のみで執り行われ、村のはずれの墓所に墓を建てた。

 町に居たリーンベルがそのことを小耳にはさんだのは、つい最近だった。

 少年時代に言ったことが本当になり、それなりに依頼も入るようになったころ。通りがかった埋葬業者が話をしていたのを聞いた。

 話を聞いた後の行動は早かった。誰にも真意は言わずその村に訪れた。表向きは仕事で遠出をすると誤魔化して。

 シュバルツのいた屋敷の前に立派な庭があり、花が美しく咲いていた。

 村人に墓所はどこかと聞き、教えてもらう。

 シュバルツの墓は、確かにあった。その日のうちに簡単な墓参りを済ませ、誰にも見つからないように何事もなかったように家に帰った。

 さすがに、シュバルツは幽霊になっていないだろう。きっとあの世で幸せに暮らしているに違いない。一生かかわることはなかったのだ。これでよかったのだ。

 彼が帰った後、その背中を見送るように、少女が見つめていた。馬の尾を生やした少女が、村を見下ろす。


****


 すべてのシーンが戻る。すべての記憶が現在へと巻き戻る。

 奔流の中、見ていたニコラと、もう一人、馬の尾を生やしたシュバルツが立っていた。

「あなたは、ブルーベイブさんを心から愛していたんですね」

「えぇ、どうして生きている間に答えが出なかったのか今は不思議でならないわ」

「彼のそばに居ることができなかった無念を、晴らすんですか?」

「えぇ。そうよ」

 シュバルツは、淡々と微笑んで答えてくれる。なら、彼女にできうる限りの質問をしよう。今回の異常事態の原因は間違いなく彼女だ。

「彼を受け入れなかった家族や周りの人に復讐をするために、今回の事件を起こしたんですか?」

「それもあるわね」

 なんの悪びれもなく、寸分の狂いもなく答える。

 でも、それはやりすぎだ。人としての善意を持ってニコラはシュバルツに話す。

 シュバルツは、浅ましい人間を嗤う。口角を吊り上げ、目を細めて笑う。

「でも、この村の人たちには悪いことをしたと思っているわ。でも後悔はしてないの。だって、私、もう人じゃないし、パパとママを含めた村の人たちが混乱しているところを見たとき、楽しかったもの。すっきりしたの」

「ダメだ」

「あとは、リーンベルを連れてくるだけ。あなた、これ以上邪魔をするのなら」

「ダメだ!!」

 ニコラはシュバルツの台詞を遮るように叫ぶ。彼女は心底つまらなさそうに顔をゆがませる。

「今、ブルーベイブさんを連れて行ったところで、あなたのためにはならない。シュバルツさん、もう手遅れかもしれないけど、あなたは元の場所に帰るべきです」

 シュバルツは何も言わず、ニコラの前から去っていく。最後まで、くだらないものを見るような目でニコラを睨みつけながら。


**** 



 薪が火ではじける音のみが馬小屋に響く。

 フレイブルのメモ帳を持っている手が震えている。リーンベルはただうなだれている。

「兄さん。・・・・それは、謝った方がいいよ。だって、それが本当なら、彼女はきっと」

「それは、かなわない」

「それでも!彼女は俺よりも先に兄さんの能力を認めて、いつも兄さんのそばに居ようとした!兄さんは、そんな彼女のことを無下に」

「無下にしようとしたわけではない!」

 あたりにリーンベルの声がこだまする。珍しく大きな声を出した彼の迫力に圧倒される。

 数秒の沈黙の後、リーンベルが口を開く。

「・・・彼女に、シュバルツに決着をつける」

 フレイブルはその場を離れる兄を引き留めようとするが、リーンベルは名前を呼ぶ弟に気を引くこともなく、どんどんと夜闇に紛れて見えなくなる。

 その場に残されたのはうなされているニコラと呆然としているフレイブル。

 ニコラが身じろぎをし、うわごとを呟く。

「ダメだ・・・それは、ブルーベイブさんのためにならない。誰も、報われないよ・・・シュバルツさん」

 ハッとニコラの方を振り返る。そうだ、兄さんをあのまま一人にしてはいけない。早くニコラさんをたたき起こさないと。

 フレイブルは未だにうなされているニコラの隣までいき、もう一度肩を揺らす。やはり起きない。ならば、実力行使だ。

 リーンベルにやったときと同じく、ニコラのシャツの胸倉をつかむ。そして、右手を後ろに構え、勢いよくその頬に平手打ちをかます!!

 肌を打つ音が大きく鳴る。痛さでニコラの表情は硬くなる。が、まだ夢から覚めてない。

 もう一度、もう一度、もう一回、もう一回!!

 早く目覚めさせないと。リーンベルとシュバルツの二人が大惨事を起こしかねない。何度も何度も頬をはたく。

「い、痛い痛い痛い!」

 何度も頬を打たれては呑気に寝ている場合でもない。ニコラはたまらず飛び起きる。

 フレイブルは飛び起きたニコラに警察署脱出から今までの経緯を説明する。ニコラも夢の中であったことをすべて説明する。

「じゃあ、シュバルツ・メッヒェンの目的は、村の崩壊とリーンベル兄さんを自分の元に引きずり込むってこと?」

「そうなります。ブルーベイブさんに早く伝えないと」

「さっきここを離れたなら、そう遠くには行ってないはず。それに、兄さんが向かうんだったら、さっきの話からおおよその検討はついてる」

「それでは、行きましょう」

 二人はまだ鎮火していない薪を背にしてリーンベルの後を追いかける。


 森の中。片手にライター、もう片手は電話の形にしてリーンベルは森の中を歩いていく。

「シュバルツ・・・どこだ、どこにいる」

 頭の中に直接シュバルツの声が聞こえてくる。

「こっちよ・・・。こっち・・・。リーンベル」

 夜ということもあり、森の中はうっそうとしている。月明かりが照らす中、ただひたすらに進んでいく。しばらく進むと、見覚えのある開けた場所に出る。そこは、かつて彼女の墓参りに行った墓地。

 シュバルツの墓石がある場所は何もない。墓石は砕かれ、地面は掘り返されている。

 そして、その場所に悪魔になったシュバルツがいた。

「リーンベル・・・。来てくれたのね」

 リーンベルは黙ってライターの蓋を閉じ、火を消す。

 ここまではっきり見えているのなら、能力を使うまでもない。電話の形にしていた手を降ろす。

「一緒に、来てくれる?」

「残念だが、悪魔と相乗りする気はない」

 手に持っていたライター上着の中にしまう。そしてそのままショルダーホルスターから拳銃を取り出そうとする。

「そう、残念ね。やっぱり、私を捨てるのね」

 その動作の意味を見透かしたかのように、吐き捨てる。

 リーンベルの動作が一瞬止まり、彼は上着の下から四五口径リボルバーを取り出す。

「私を撃つの?ねぇ、あなたは二度も私を捨てるの?私を、見殺しにするのね。そうでしょ?ねぇ、ねぇねぇねぇ!」

 リーンベルに近づきながら高笑いする。甲高い声は、リーンベルを責め立てるように押し寄せてくる。

「私は、そうだ。君の気持ちを無駄にした。君の厚意を仇で返したんだ」

 銃はいつでも撃てるように照準を定め、引き金に指をかけている。

 しかし、彼女を撃つ、その覚悟が決まらない。もうすでに死んでいるのに。悪しき霊と化しているというのに。

 過去の記憶が、引き金を引くことをためらわせる。

 それでもシュバルツは一歩、また一歩と歩んでくる。

「もう遅いの。あなたは間に合わなかった。あの時も、そして、今も」

 銃口はシュバルツのすぐ前に。今だ。今引き金を引けば確実に銃弾は彼女の心臓をとらえる。それなのに、引き金を引くことができない。

 シュバルツの手は銃を握っているリーンベルに近づいて銃を降ろさせる。

 リーンベルの眼は、彼女をとらえてはいるが、睨みきれていない。そもそもシュバルツに対して憎悪の念など、持つはずがない。あるのは後悔だけだった。

「こんな窮屈な世の中で、あなたは寂しくないの?こんな、誰もがあなたを認めない世の中で、あなたはまだ苦しんでいくの?」   

「私と、一緒に夢を見ましょう?それならもう、あなたは苦しまなくていいのよ?」

「私は・・・」

 吐息を感じるほどに近づいたシュバルツから素早く距離をとる。恐ろしいのではない。恐ろしいわけではないのに、足が後ろへと下がっていく。

 シュバルツは、獲物を追い詰める。もう逃がさない。

「ねぇ、私と一緒に行きましょう」

 リーンベルの首を両手でつかみ、締め上げていく。終始、口端を吊り上げたまま、もうすぐ一緒に自分の仲間にできると喜びに胸を躍らせながら。

 抵抗できないまま、シュバルツの圧力に屈していく。空気が取り込めなくなる。

 ふいに、タンと銃声が聞こえてくる。

「兄さん!!!」

 鳴り響いた方に顔を向けてみれば、そこには小銃を上に構え、威嚇射撃をしたフレイブルがいた。

「かは・・・・・っ。フレ・・・イ、ブ・・・ル」

「ブルーベイブさん!!」

 フレイブルの後ろに居たニコラがシュバルツに突進する。シュバルツはニコラの攻撃を躱すべくリーンベルから離れる。

「邪魔をしないでって言ったでしょ、ニコラ・サッチ!!」

 シュバルツはニコラにとびかかる。それをニコラは回避し、連続で来る攻撃を素手で食い止める。

 その間にフレイブルはリーンベルを担いでシュバルツから遠ざける。

「あれが、シュバルツ・メッヒェン・・・兄さんの元恋人?」

「見えるのか・・・フレイブル」

 確かに、フレイブルは今目の前で対峙しているニコラとシュバルツを見据えて言っている。

「ブルーベイブさん、逃げてください。彼女はオレが」

「・・・だめだ。僕が、決着をつける」

 リーンベルは拳銃を握りなおす。

「何言ってるんですか!」

 瞬間、シュバルツが片腕でニコラを弾き飛ばす。弾き飛ばされたニコラは近くの墓石に背中から叩きつけられる。

 シュバルツはリーンベルに突っ込んでくる。フレイブルは兄の肩を担いでシュバルツの突進を避ける。

 普段威張り散らして偉そうにしている現実主義者のリーンベルが、いつまでも真実から顔を背けていることに苛立ちを覚えていたフレイブルは喝を入れる。

「兄さん!アンタ電話霊媒師だろう!?なんでも声を届けるんだろう!?自分の声もろくに届けられないのか!?」

「私は・・・私はただ能力を認めてもらいたかっただけだ!そのためなら霊だろうが人の気持ちだろうが利用する!それが私なのだ!!」

 そんな反論も、今はただの言い訳にしか聞こえない。そんなのは無意味だ。

「そうよ!その男は私たちを見捨てた!!私は、あなたのこと、本当に愛していたのに!!一緒に居たかったのに!全部全部!認めなかった両親も!周りも!あなたも!!みんなみんなみんな悪いの!」

 リーンベルの自虐、シュバルツの追撃。どんどん収集がつかなくなってくる。でも、それは違う。

 これは二人にとってはただのすれ違いで、それがただ、悪い方向に進んでしまっただけ。二人は勘違いしたままなのだ。

 だから、決着をつける。今度は、正しく真実を知ったうえで。

「違う!あなたもブルーベイブさんも本当に互いを愛していた。でも、それは彼にとっても、あなたにとっても苦しかったんだ!」

 先にニコラが声を上げる。

「!」

「うるさい!!うるさいうるさいうるさいうるさい!!」

 ニコラに当たり散らすようにあの怖気を操る。それはニコラにまとわりつくが、ニコラはそれを払いのけてリーンベルの元に跳ぶように避ける。

「兄さんは、理解してくれない周りに苛立っているアンタに配慮して突き放したんだよ!本当は兄さんも、本当ならアンタと一緒に居たかったんだ!」

 追い打ちをかけるようにフレイブルも声を出す。小銃はまっすぐ目の前の霊に狙いを定めている。

「フレイブル・・・」

「ふふ・・・あははははははは!何も信じられない・・・信じられない!あなたたちみんな悪夢を見せてあげる!!苦しませるのよ!わからせてやる・・・・・っ!?」

 シュバルツは両手を天に向かって仰ぐが、何かにせき止められたように動きを止める。

 三人は訝し気に彼女を見る。

「ちょっと、話が違うじゃない・・・!リーンベルを殺すんでしょう?!なんで、私に反抗するの・・・シュバルツ!」

 まるで、もう一人の人間がいるかのような口ぶりで話をする。そして、“シュバルツ”と呼ばれた人物が先ほどまでの口調とは違い穏やかな、安らいでいる声で語る。

「違う。もういいの。もう、いいのよ。もう、分かったから。私が間違ってたって」

 あっけにとられる三人。しかし、そんな場合じゃないとフレイブルはリーンベルの背中を叩く。

「まだ腑抜けてんのかよクソ兄貴!謝るだけだ、今がチャンスだろ!早く彼女を成仏させろ!」

 弟に背中を押され、シュバルツの目の前に来る。彼女は油の切れた機械のようにぎこちなく目の前に来た男に向き直る。

 リーンベルは銃を持っていない方の手を差し伸べてシュバルツに向かっていく。

「リーンベル・・・ごめんなさい・・・私、もう・・・・・・ぅぅうううううああああああああああああ!!!!」

 刹那、シュバルツはすべてを振りほどくようにどこからか取り出したナイフを持ってまっすぐにリーンベルに突進する。

 今まで持っていた恨みが、怒りが、悲しみが、寂しさが、一気に坩堝と化し津波のように押し寄せる。八つ当たりのように目の前の獲物、男、愛おしい人にぶちまけようとする。

 フレイブルが彼女に射撃をするが、彼女は動物ではない。弾は当たれどただの鉛玉はシュバルツの体をすり抜けていく。

 リーンベルはナイフを正面から腹に受ける。深く金属が腹の中に入っていく。冷たく硬い異物が腹を裂いて内臓を傷つけていく。それは、痛みを徐々に伴ってリーンベルの痛覚を支配していく。

 腹から血があふれてくる。シャツを濡らす。上着を濡らす。

 フレイブルは思わず兄を助けようと飛び出そうとするが、ニコラがそれを制止する。

 リーンベルは苦痛で顔をゆがませながら、シュバルツを両手で抱きしめる。

「私も・・・今まで君を苦しませて、すまなかった、シュバルツ」

 ケルト十字がついているリボルバー銃を、シュバルツの胸に押し付け、引き金を引く。

パァン!という音と共に、シュバルツは銀の弾丸に貫かれる。心臓を貫く。その体からは血は出ない。だが、魂としての活動はもう間もなく終わるだろう。

 痛みもなく、ただぐったりとリーンベルに身体を預ける。

 月明かりにさらされて砂のように姿が消えゆくシュバルツを一層強く抱きしめ、


「今まで、ありがとう。私も、愛していた」


 別れの言葉を告げた。

 もう喋ることもない霊体のシュバルツは最後に微笑んで、完全に消滅した。


****


 彼女が消えてからしばらく立ち尽くす三人。フレイブルとニコラは時間遅れに、仰向けに倒れるリーンベルに駆け寄る。

 地面に接触する前にフレイブルがその間に割って入りクッション代わりになる。

「兄さん!!」

「ブルーベイブさん!!」

 ニコラがフレイブルのカバンからハンカチを取り出してリーンベルの腹から出ている血を止めるために傷口を抑える。

 応急手当をする中、フレイブルは兄の名前を呼び続ける。

「フレイ・・・ブル・・・・・・ニコラく・・・・ん・・・・・」 

 その呼びかけもむなしく、ぐったりとリーンベルは力尽きる。

フ「兄さん・・・?兄さん!リーンベル兄さん、しっかりしてよ!兄さん!!」

 ぐったりとしたままリーンベルは動かない。何度も何度も、兄弟の名前を呼び続ける。それでも目を閉じたままだ。

 淡々とニコラは治療を行っている。彼自身、このナイフの傷はシュバルツが苦し紛れに放った最後の攻撃であり、多大な痛みを伴うと理解しているが、致命的なものではないと分かっている。

 だが、フレイブルからしてみれば、今まさに兄が、実の血のつながった兄弟が死にかけているのだ。気が気ではないはずだ。フレイブルの眼には涙がたまっている。

 さすがにかわいそうになってきたので、少しフォローを入れる。

「ブルーベイブさん、ここで死んだらあなたの紅茶コレクション、フレイブルさんに全部燃やされますよ。高級紅茶のいい香りがあなたの家のご近所さんまで届いてしまいますよ。紅茶飲めなくなりますよ。いいんですか!?」

「・・・・・・・・・・・・それは困る!」

 リーンベルが突然ガバッと起き上がる。それに驚いたフレイブルはうわっとマヌケな声を上げてしまう。

 そう、紅茶を燃やすと脅しをかければたとえどんなに理不尽な状況下に置かれても、どんなにワガママを言ったとしてもリーンベルはすっ飛んでくるしおとなしくなるのだ。

「良かった。まだ天国に行ってなかったんですね」

「いってててて・・・・。花畑が見えた。それよりも、フレイブル。私の紅茶を燃やすな。とても良い品ばかりを取り寄せたんだ。絶対に燃やすな」

 本人は燃やすと一言も言っていないのに濡れ衣である。しかし、兄がこの様子なら大丈夫だろう。安心してまたいつもの毒舌を吐く。

「いいからおとなしくしてよ。兄さん」

 腹に破れて使い物にならなくなったシャツを巻いて、手当ては一旦完了する。

 目の前の兄弟喧嘩は、いつもの日常に戻った証だ。そして、事件が終息した証でもある。

「これなら病院送りはあっても、当分は死にませんね」

 ニコラは一人、天国に行ったであろうシュバルツに話しかけるようにつぶやいた。


****


 あれから、地元警察署についた本部部隊に捜査をバトンタッチして生き残った村人たちを捜索してもらったり、致命傷ではないとはいえ、腹を刺されて大けがを負ったリーンベルを近くの病院に搬送したりと目まぐるしく後処理が行われた。

 それから事件のことが落ち着いた数週間後。リーンベルは晴れて退院。

 家兼事務所に帰ってきたブルーベイブ兄弟。リーンベルはいつも通り紅茶を飲んでいるが、ずっと窓の外を見ている。

フレイブルも来客用のソファに座って紅茶を飲んでいる。しかし、相変わらず部屋の中は汚い。

「はぁ・・・大変だった」

「そうだな」

「それより兄さん、一つ心残りが晴れたようでよかったじゃないか」

 フレイブルは気さくに話題を振った。が、それに対してリーンベルは窓の外の風景を見てたそがれて黙っている。

 あの事件から数週間しかたっていない。ましてや長年悩み悔やんできたことだったのだ。もしかしたら、容易に出してはいけない話題だったのかもしれない。

 カップをソーサーに置き、ソファから立ち上がる。

「兄さん?」

「・・・そういうことに収めてしまっても、良かったものなのだろうか」

 ぽつりと、呟く。

「というと?」

「シュバルツは、こんな私を愛していた。ほかにもマシで常識的な男ならたくさん世の中に居る。霊になってまで、想いを捻じ曲げてまで私を待っていた。あんな騒動を起こしてまで、私を迎えにきた。これは、簡単な一言でまとめてもよかったのだろうか」

 歩み寄る歩を止める。

 リーンベルは一口、紅茶に唇をつける。茶が珍しくのどを通らない。

「もう、過ぎたことなんだ。それに、彼女は最後に、兄さんを許してくれた。兄さんも、彼女を許したからこそ、最後に引き金を引いた。俺は、そういう解釈をしたんだけど・・・どうかな」

 リーンベルはしばらく黙りこくった後、紅茶を一息に飲み干す。

「そうだな。・・・フレイブル、お前はなんだかんだで優しい弟だ。さすが世渡り上手なところはあるな」

 唐突にふわりとフレイブルに向き直って笑いかける。それは、今まで兄弟としてみてきた兄の表情の中で一番穏やかで、初めて素直になれたものと見える。

 フレイブルは、ただポカンとしてそんなリーンベルを見つめている。

 「どうした」と不思議そうに尋ねれば、「兄さんが、人を素直に褒めた」とうわごとをほざく。

 少し、妙なことをしてしまったと小恥ずかしい気分になり、目のやりどころに困ってしまう。

「・・・・・・・失礼。世辞がうまいからという意味だったんだが」

 まだそのあたりの感情には素直になれないようだ。少し顔を赤くしてそっぽ向く。飲み干したカップは近くに置く。

 今までぞんざいに扱ってきたが、なんだ。意外と面白い一面もあるのだなと頬を緩めて兄をまじまじと見る。

「素直じゃないなぁ。兄さん」

「なんのことだ」

「またまたぁ、照れちゃってさぁ」

「照れてなどいないっ。からかうな」

 しつこくからかってくる弟から逃げる。

 弟はこれまた面白い反応だなと、今まで偉そうにしてきた分のしっぺ返しとばかりに兄を追いかける。

 そんな兄弟水入らずのところをニコラがドアを開けて入ってくる。

「ブルーベイブさん!」

「ニコラくん!ちょうどいいところに来た!愚弟が私を茶化すのだ。どうにかしてくれ」

「え?仲睦まじくしてたんじゃないんですか?」

「こんなやつと仲良くしてたまるか!」

 そう吐き捨て、自分より数十センチも図体が大きいニコラの後ろに隠れる。

 さすがにお客さんが来たから、フレイブルは追うのをあきらめる。ただし、にやけ顔はそのままで。

「兄さんはほんとそのひねくれた性格どうにかしようよ。客がにげるよ」

「えぇい、強行突破型の弟に言われたくない!」

「強行突破は記者の基本だよ兄さん」

 またリーンベルとフレイブルがニコラの周りで追いかけっこを始める。

 ニコラは困惑こそすれどほほえましい兄弟の様子を見て表情が緩くなっている。

 そこに電話が鳴り響く。

 フレイブルから距離を置くように逃げ回っていたリーンベルが電話を指さして弟に指図する。

「ほら、電話だぞ、取れ!」

「近代テクノロジーに触れろよ!」

 あぁ、もう。とフレイブルは鳴っている電話の受話器を取る。

 しばしの間通話相手と話をし、最後に分かりました。すぐに向かいますと言って受話器をもとの場所に置く。

 そして、リーンベルに向き直るとオーダーが入った旨を伝える。

 リーンベルはにやりと、いつもの不敵な笑みを浮かべる。

「ふふふ、私の能力は知られつつあるようだな」

 ニコラは部屋の窓付近と机の上に置かれている二人分のカップを片付ける。

「無茶しないように、オレもついていきますよ。病み上がりでしょう?」

「あぁ、サポート頼む」

「じゃあ、記事にできるように俺もついていこう」

 急いで部屋の隅に置いていた鞄を持ち上げる。

「さて、この能力を、凡人どもに見せつけるとしよう!」

 リーンベルを先頭に三人は、コートを着たりカバンを持ったりと各々の準備をしてドアから去っていく。

 にぎわう街の中、依頼者の元に向かう。

 また今日も、電話霊媒師の仕事が始まる。


 私の名は、リーンベル・ブルーベイブ。

 あなたの声、届けます。

END


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