世界は不条理で出来ている
ねっとりと絡み付くように厭らしい。
嗄れた老婆の声を覚えている。
疣だらけの顔。枯れた木のような指。
黒くボロい外套を羽織って雰囲気たっぷりにニンマリと歪んだ唇はカサカサで罅割れていた。
焦点が合わないながらにこちらを見据える、ぎょろりと濁った目は憎悪に近い嫉妬で濡れており思わず立ち竦んでしまう程に恐ろしかった。
忘れたくても忘れられない。
忘れられるとしても忘れてなどやらない。
――平々凡々。
ある一点を除けば、そんな四文字が似つかわしい女だった私を地獄に突き落とした相手。
「良いねぇ……羨ましいねぇ……」
直接鼓膜に吹き込まれたかのように響いたその声に、私は反射的に振り返った。
月明かりに照らされたアスファルトの道路。
コンクリートの無機質な壁。
辺りを見回しても誰もいない……。
粟立った背筋に、首を傾げながら正面に向直ればその老婆は立っていた。
ヒッと短い悲鳴を上げた私を気に留める素振り一つなく。
「羨ましいねぇ……《ワタリ》の力……神か悪魔の気紛れでしか、手に入れられない力だよ」
羨ましいねぇ……。
そう譫言のように繰り返す老女はゆっくり、ゆっくりと歩み寄ってきた。
夜が訪れたばかりの時間帯と言っても、いきなり現れた初対面の、正気を保っているとは思えない老婆に恐れ戦かないでいられる人間がどれだけいるだろう。
当時の私は縫い付けられたかのように動けなかった。
振り返ればもっと大きく長く悲鳴を上げ続けていれば良かったのかもしれないとは思う。
いざという時に声が出なかった役立たずな喉。
停止した使えない脳味噌。
呼吸さえ真面に出来ていたか怪しい。
その場に留まり続けた無能な足。
……今更言ったところで詮無いことだが。
動けないでいるのに、逃がさないと言わんばかりに伸ばされた、その枯れ木のような指が私の手首に触れた瞬間。
バリッと空気を裂くような放電が起こった。
あまりの光の強さに目が眩む。
白に染め上がった視界。
固く閉ざした瞼の先に老婆の姿が消える——。
「だから、その力で不幸になっておいで」
遠退く意識の中。
ねっとりとした嗄れ声は、確かに、最後にそう告げた。