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第一乃議論 無理やり開けられた穴は訪問時に使用するべきか否か

 某お嬢様学校。季節が巡り、春らしく色めいた遅咲きの八重桜や、嬉しそうに日光を浴びる牡丹が、賑やかに通学路を彩っている。まだ初々しい顔つきの生徒たちは、はしゃぎながらも、淑やかな品位を保持したまま、期待を胸に、やや勾配したレンガ舗装の道を、のぼっていく。学校に近づくにつれて、徐々に、車通りも、近所の散歩者もいなくなる。学校関係者以外でこの通りを利用するものはなく、せいぜい迷子の犬猫か、引っ越してきたばかりでこの地域に疎い方向音痴、もしくは麗しの令嬢たちを目の保養にせんともくろむ不届きな連中くらいなものである。ただ、四方八方に黒いレンズの包囲網が張り巡らされており、不穏な動きをするものは、すぐに常駐している警備員に連行されて、その後、どんなに短くても半年は、姿を見せなくなる。

 校門を抜けると、内部はいくつかの棟に分かれていて、一番大きな校舎に、大半の生徒が吸い込まれていく。その奥、本校舎を越えた場所に、寂しく佇む部室棟が控えている。

 放課後。その部室棟二階、美術部と写真部の部室に挟まれた、暗澹とした雰囲気をまとう部室に、申し訳程度に窓から木漏れ日が差し込んでいる。ドアの内側には、ザラ紙が一枚張り付けられ、装飾のつもりか、万国旗がプリントされたマスキングテープが無秩序に、がんじがらめに巻きついている。粘着力を失って解放の時を待っていたであろう、劣化したテープは、上から加えられた新たなるテープによって、惨めに垂れ下がっていた。その新しいテープは、アナログ時計を一時間ごとに進めた十二パターンの壁掛け時計が、横にずらりと並んでいるだけというシンプルなもので、午前か午後かの区別さえない。時計の縁こそ光沢のある金色で存在感を醸し出しているが、短針と長針と数字が黒で、それ以外はくすんだ白という地味なものだ。万国旗のカラフルさと見事に対照的だ。さらに、テープだけでは物足りなかったのか、必死にしがみついているテープを愚弄するように、『一攫千金』と書かれた汚らしい石ころのピンが刺さる。その横では、クジラが大きく背中を反らし、しゃちほこポーズで、隣のピンと同じ石ころを、頭に乗せて曲芸をしている、奇妙なピンも仲良く並んでいる。ピン留めは他にタコやイカなどをデフォルメしたものもあった。その全てが、海中生物。ピン同士はレースのリボンでデコレーションされた麻糸でつながれ、色も季節感もバラバラな造花が、縁を彩るように、プスプスとあちこちに挿されていた。造花は華々しく開花したものもあれば、斜めに切り取られた茎を寄せ集め、小さな竹やぶをかたどって、最後の意地と言わんばかりの演出をしているものある。ただ、全ての装飾品が見事にミスマッチを果たし、お互いがお互いを潰し合い、反発しあい、どんな連携をも生まず、初めて見る者の脳のシナプスに小休止を叩き込むには、十分な装飾だ。しかし、何よりも人々を困らせたのは、その雑紙の中央に乱雑に書かれた、無味乾燥な単語だった。廊下側にも張り紙がしてあったが、そちらは何の装飾も施されていない、ただのコピー用紙である。せめて入り口だけでも常識的に、という部長の提案で、張り付けられたその紙には、こう書き殴られている。

 

 『哲学部』

 

「今日の議題は、どうしたら小説の登場人物のキャラを鮮烈に、派手に、盛り上げられるか、よ」

 部長、相沢みつめ。世間の荒波なんてまだまだ未経験、まぁるいロリロリお目々。ぬいぐるみでも持たせたらどんな荒くれ者でもたちまち心を和ませる、ちんちくりんである。幼少時から、カルシウムとマグネシウムとアルギニンの摂取量をコントロールされていた、悲しい過去を持っていた。なんて斬新なエピソードを持っている訳もない、一般中流家庭育ちの彼女だが、内面はあどけない人畜無害さとは無縁で、暴虎も尻尾を巻いてとんずらを図る、口の悪さを標準装備している。

 部室の一角、コの字に組まれたテーブルの一番端っこに、パイプ椅子に腰かけ、狭い筒に閉じ込められているように身を捩り続けている、気の弱そうな少女がいる。哲学部の部員その一、毛利夜代(よよ)である。夜代から弱々しく発せられた純粋とも言える問いに、みつめは電光石火で切り返す。

「キャラを盛り上げる?」

「そうよ。何、その不満そうな顔は。夜代の分際で、私に意見しようっての? あぁ!?」

「そ、そんなんじゃないの。ちょっと聞いただけだよ」

 華奢なロリ個体から発せられた暴言に、夜代は、小型のマンホールならそのままスポッと綺麗に収まるであろう体躯を、椅子に座ったまま、さらに縮めた。

「そんなんさぁ、私らに必要なわけ? もっとやることあるっしょ。ハイデガーとフッサールをバトらせるとかさ。うちら小説家じゃないし。それよかさ、ハイデガー。あ、ウィトゲンシュタインでもいいんじゃね? ね? うちマジ天才」

 夜代の対面に位置しているテーブルに、メイク道具をびっしりと敷きつめて、ピカピカに磨き上げられた鏡の位置を、神経質に調整している少女がいる。カリスマギャルモデル、頭領花歴(とうりょうかれき)。本来、必要以上に化粧道具を持ち込むのは校則で禁止されているが、彼女は勝手に部室へとメイクセットを持ち込み、空き教室に放置されていたという、金庫くらいのサイズのロッカーを拝借、部室へ設置して、そこへメイク道具を隠していた。先生の目を欺く目的なのか、ロッカーには、『危険物保管中。マジ開けんなよ』と手書きされたシールが貼ってある。しかし、そもそも、哲学部に用事のある教員などいない。万が一、用事がある際には、先生同士で熾烈な譲り合いが勃発し、結局、出撃を命じられた先生は、頭痛と腹痛を訴えて、ドアの隙間から伝言をしたためた用紙を投入して早々に帰還する、というのがお決まりの流れになっていた。かつて、この部室のドアを直接開けた勇気のある教師がいたのだが、部室を支配する混沌の前に、泣きながら遁走していったという逸話もある。

「ちっ、鏡の位置合わねぇし。おい、お前がちょこちょこ動くから屈折率マジ変わって迷惑なんすけど。うちマジ理系だからそういうの気になるんだよね。あ、お前がライト持ってそこに突っ立ってくれたらマジ屈折率完璧かも。うちマジ天才。やばい。ハイデッガーじゃん」

 みつめはミリ単位で鏡の角度を調整する、自称理系ギャルから目を離し、部室を見渡した。

「そういえば、らいかはどうしたの? 休み?」

 誰に聞いたつもりでもなかったが、誰も返事をしない。みつめは特段気にする風もなく、話を続ける。

「まぁいいわ。それじゃ、今日の議題について、まず、昨今の市場におけるキャラ性の動向について……」

 小さな指先でチョークをつまみ上げ、本日の議題を黒板にしたためようと、味気ない濃緑の板と対峙するみつめは、かすかに遠くから聞こえてきた、「タッタッ」という聞き覚えのある軽快なリズムに、その動きを止めた。足音は、確実にこの部室に近づいてきている。神経を研ぎ澄ませて、その音源からの距離を、脳内で演算する。あと二秒、いや一秒だろうかと、無防備な同級生に目をやる。

「みつめちゃん、どうしたの?」

「夜代、伏せなさい」

「え?」

「タッタッ」というリズミカルな音から、掘削機ばりの「ゴゴゴゴッ」という轟音へと変貌を遂げた足音は、部室のドア前で静寂へと変わった。

 突如として、ドアではなく、その横の壁が吹っ飛んだ。爆音と粉塵で前も後ろも見えない。みつめはカーテンを引っ張り、その後ろに隠れて、すでに粉塵から身を守る体勢に入っていた。土煙と瓦礫をお供にして、快活そうな短髪少女が、元気よく入室してくる。

「おっはよー! 遅れてごめんね。熊ちゃんにごはんあげてたら、遅くなっちゃった。あれ? 夜代ちゃん、どうしたの? そんなところで寝転んだりして」

 回避も間に合わず、瓦礫の下敷きになってしまった夜代を、授業中、床に落とした十円のボールペンでも拾い上げるように、らいかは軽々と持ち上げると、ブンブンと体を揺する。

「あぁああぁぁぁああぁ~」

 夜代の体がどこかを中心軸にして、ポッキリと折れてしまう前に、とみつめは静止をかける。ただでさえ部員が少ないのに、これ以上減らされてはたまったものではない。

「らいか、やめなさい。このドMはあんたみたいに頑丈じゃないのよ。それより、熊にごはんあげてたって?」

「うん。北海道の」

「北海道!? 授業終わりに!? 飛行機……とかいう速さじゃないよね?」

「走ってきたよ」

「何百キロあると思ってるのよ! 海も挟んでるし。津軽海峡! ついに水面も走れるようになったの!?」

「ううん。新幹線の線路走ってきた。新幹線って速いんだねー。歩いてたら追いつかれそうだった」

「運転手びっくりだよ! 新幹線と歩きでタイマンはる女子高生なんて!」

 

 

「では仕切り直して」

 脳幹を揺さぶられすぎて、完全な放心状態に陥ってしまった夜代と、舞い上がった砂埃から、メイク道具を死守することに間一髪、成功した花歴。忠犬のようにみつめの指示に従い、メキメキとパイプ椅子を握りしめて発情期の犬みたいに席についたらいか。部員は全員揃った。議題を進めようかとも思ったが、誰も話など聞いていない、あるいは聞ける状況でないことは、みつめも分かっていた。しかし、それもいつものこと、と構わず続ける。

「小説におけるキャラクターの重要性については、年々高まってきているわ。今はどれだけ緻密で人間性を追求しているか、ではなく、どれだけ魅力的なキャラクターが登場するかということを……」

 らいかが突貫し、大口を開けた壁から、体格的には象といい勝負、人間とは思えない巨体が、しわがれた声とともに、紋切り型の挨拶をしながら入室してきた。

「邪魔するぜぇ!」

「ちょ、そこ入り口じゃないわよ! ってか誰よあんた!」

 巨大な訪問者は、半分ほど入りかけていた体を、ゆっくりと巻き戻し動画の動きで戻すと、壁の反対側へと姿を消した。たっぷり二秒程の沈黙の後、ドアをコンコンコン、とノックする音が、薄暗い一時的廃墟に響き渡る。

「どうぞー」

 花歴の、何も思案していなさそうな軽薄極まりない許可の二秒後、先刻の巨人がドアを開け、悠々と瓦礫を踏みしめながら、入ってきた。反転してドアに体を向け、両手で丁寧に閉めた。

「邪魔するぜぇ!!」

「やけに丁寧ね! わざわざ入り直してくれたの!?」

 巨人はドカドカと部室のテーブルの前にやってくると、小型の扇風機くらいなら丸呑みして、気合さえ入れれば消化までいけそうな、巨大な深淵を開いた。

「すまねぇ、今日はオメェさんたちに、おりいって相談があってきたんだ。オメェさんたち、なんでもわしらの悩みをなんでも解決してくれるって言うんで、藁にもすがる思いで、こうやって頭を下げにきたんだぁ」

 哲学部は悩み相談など行っていない。ここは密かに集まって寂然と哲学論議を深める場所なのである。何より部長が人と接するのが苦手なのである。みつめはすぐに察しがつく。この巨人は、恐らく別の部活動と勘違いして、この哲学部の扉を叩いてしまったのであろう。そもそも、この哲学部にやってこようなどという人間が、ろくな人間でないことは、みつめは、十分すぎるほど、理解していた。クラスで常に一人ぼっちのみつめではあるのだが、哲学部が周囲からどう噂されているか、全く知らない訳でもない。むしろ、その悪名? はクラスの大半の生徒に知れ渡っている。別に悪事なんて働いたことは皆無であるが、みつめのあまり人と馴染めない性格も相まって、哲学部自体が、マイナスの評価を下されることが多いのである。問題はみつめだけではなく、部員にも起因していると言えなくもないが、どっちにしても、曲者だらけの集団の長であるという迷惑極まりない評判が、哲学部により一層の、陸の孤島化に拍車をかけているのは疑いようのない事実であった。そんな部活に、単身悩み相談にやってくるなんて、訪問販売で、どこかで汲んできた霊験あらたかな水といって水道水を売りつけてくる、セールスマンと同等の怪しさなのである。

「待って、私たち、そんな悩み相談なんて、募集した覚えは……」

 巨人はみつめを無視して、拉げたパイプ椅子をガタガタと揺らすらいかに気が付くと、部屋を漂っていた粉塵を集塵機のように吸い上げると、そのままの勢いで、豪快に粉塵を撒き散らした。

「らいかぁ! オメェ、こんないい部活に入ってたんだなぁ! 人助けしようなんて、実にらいからしくって、わしゃ、感激じゃあぁ!」

「もぐもん! 昨日廊下ですれ違って以来だね。どうしたの? 私にできることだったら、なんでも言ってよね。小学校からの鮭取り仲間だもんね」

 みつめはこのもぐもんと呼ばれた巨人と、らいかが一緒に鮭取りに興じている光景を想像しかけて、はっと我に返る。

「ちょ、ちょっと、うちは哲学部よ。あなたが探しているであろうボランティア精神溢れる健全な部活は、一階の書道部の隣よ。ほらほら、今私たち大事な話の最中だから、夜代、案内してあげて。夜代?」

 返事がない。幻覚でも見ているのだろうか。

「ねぇねぇ、もぐもんのお願い、聞いてあげてよ、みつめちゃん。こんなに困ってるのにさ」

 らいかは行動こそ破天荒の鑑そのものだが、決して根の悪い子ではない。みつめはその点には敬意を払いつつも、正直なところを言うと、この巨人にはさっさと帰ってほしかった。早く今日の議題を話し合い、明確な解答とは言わないまでも、有益な思想の一つでも探り出したかった。みつめは諭すように、らいかに語りかける。

「わかったわ。でも、私たちは誰かに奉仕できるような集まりじゃないの。困った時は警察官か弁護士に、火事の時は消防士に。この人の悩みを解決できる専門の人たちのところに、この人を案内してあげましょう? それが、私たちにできる最大の奉仕なのよ。わかった? らいか。私たちでは力不足なの。残念だけども」

 らいかは強く握りすぎたせいで、指の形に変形してしまったパイプ椅子から、その手を離した。

「そう、だね。わかったよ。じゃあ、もぐもん、その相談、私たちが聞いてあげるよ! 話してみて」

「一体何を分かってもらえたの!?」

 みつめの心からの絶叫は、粉塵を反射して、むなしく部室内を右往左往する。

 巨人は、キャビネットとロッカーの間にあったパイプ椅子を引っ掴むと、にんにくの薄皮でもめくるように、椅子を開いて、その上にドスンと腰をおろす。みつめの期待もむなしく、依頼者は訥々と話し出してしまった。

「わし、ある女の子に一目惚れしてしもうたんや」

 筋骨隆々の体躯から発せられた乙女チックな悩みに、部室が異様な空気に包まれる。友達すらできないのに、恋愛相談なんて、三段飛ばしどころか、五、六段は手順を飛ばしている。みつめは唖然としつつも、もぐもんの言葉に散漫と耳を傾けていた。

「その子は、隣のクラスの矢原清子(やわらせいこ)っちゅう、そう、お前さんよりもずっとちいさぁてなぁ」と言って、一升瓶くらいの太さの人差し指を向けてきた。「見てるだけで、なんちゅうか、庇護欲をそそってくるんや。わしはその愛くるしい姿に、一瞬で心を奪われた。世の中にこんな素敵な子がおるんか、と雷に打たれたようやった。こんな感覚、初めてなんや……なぁ、オメェさんたち、わしの願い、叶えてくれんかねぇ、この通り」

 たった二十秒しか経っていないのに、巨人はまるで小一時間の演説でも言い終えたかのように、ふうと大仰に額の汗を拭い、椅子から立ち上がると、腰を深々と折って、仰々しく頭を下げた。サイズが半分になっても、この部屋にいる誰も、巨人の高さを越える者はいない。みつめはさらりとチビ扱いしてきたことにやや不満を感じていたが、そんな矮小なプライド以前に、そもそも、ここは哲学部。アリストテレスやハイデガー、ニーチェなどの哲学を分析、議論する部活なのである。恋愛相談なんて埒外、全くのお門違いだ。そもそも、花歴以外にそんな話についていける部員などいないと、みつめは妙な自信さえ抱いていた。

「わ、悪いんだけど、私たち、そんな相談は請け負っていないの。気持ちはわからないでもないけれど、そういうのは恋愛に長けた友達とかに……」

「オメェさん、わしとおんなじで、恋愛経験っちゅうのがないんか? そっか、そりゃ、すまんかったなぁ」

「ちょちょ、ま、待って、私の恋愛経験がないなんて、勝手に決めつけないでよ。わ、私なんて、もう男を取っ替え引っ替えしまくって、今日もこれからデートの約束が三十件ほど入っているのよ。どう?」

 とっさに口から飛び出した、妄想、反実仮想だった。その空想に、意外な場所から反響が返ってきた。意識をようやく現実に復活させたらしい、夜代である。

「みつめちゃん、今日は一日暇だから、帰ってギリシャ哲学の本でも読もうかなって、ここでお昼ごはん食べてた時、言ってなかったっけ?」

「だ、黙って寝てなさいよ! バッドタイミングで起きてんじゃないわよ!」

 みつめは羞恥に顔が赤くなるのを感じる。それならば、まだこういうことに長けていそうなもう一人の部員はと目をやると、花歴は、まだしつこく鏡の角度を微調整していた。突然、花歴がピタリと動きを止めた。

「きたきた……これ、この角度、完璧マジ私天才じゃん。で、その子どこにいるの? まずは素性から調査しないとねー」

「さっすが花歴ちゃん! 私もお手伝いするよ! あ、あの子かな? 図書室で本を読んでる子」

 みつめの反撃もむなしく、流れが相談を受ける方向へと進んでいた。

「らいか、知ってるの?」

 らいかは質問の意味が分からないといったように、首を振ってきた。

「今探してきた」

「今……って、らいかずっと部室にいたじゃん」

「五秒前に学校中走って探してきた」

「走ったらロケットくらいの速さなのね!」

 そのやりとりを完全に無視して、巨人は目から、涙を滝のように流している。みつめにとって、もはや感受性の豊かさが度を超えて、理解不能なレベルに達しかけていた。

「ありがとう……みんないい人じゃあぁ!」

 部員たちはぞろぞろと、らいかを先頭に、部室から出ていく。みつめは慌てて部員たちを引き止めにかかる。

「ちょ、ちょっと待ってよ。私は、そんな相談なんて、手伝うつもりなんてないんだから」

「じゃあ部長はそこでギリシャ哲学の本でも読んでなって。うちらで解決してくるからさ」

 花歴の普段とは違う、積極的な姿勢に、みつめは、どうしても違和感を抑えきれなかった。自分も大概面倒事は避けるタイプだが、面倒くさがりという点では、花歴もいい勝負だと認識していた。

「あなた、そんなお人好しだったかしら。こういうの、あんまり好まないタイプじゃなかったかしら?」

 花歴は、くるっと踵を返すと、軽く嫉妬を抱いてしまうほどの端正な顔立ちを、奇妙な作り笑いに変えると、芝居くさく言ってのけた。

「たまには人助けも、いいかなって思ってさー」

 

 

「もぐもん、その女の子って、そんなに可愛いの?」

「あぁ、らいか。オメェさんもたいがいプリチーなおなごだと思っとるが、そうだなぁ、あの子、清子ちゃんは、なんというか、天使のような可愛さでなぁ。わしゃ、あんまり頭が良くないけん、どう表現したらええかわかんねぇんだが、そうだなぁ、天から舞い降りた天使みたいなんじゃあ」

 天使からまさかの天使へと表現が変化した。みつめは一人で取り残されるのも寂しかった、もとい誰もいない部活では、議論も何もできはしない。渋々ながら、随行を決めていた。

「で、もぐもんさんは、その清子さんと付き合いたくって、私たちになんとかしてほしいってことなのよね?」

 巨人が、みつめの問いに、急に歩みを止めた。背後を歩いていた夜代が、その体にめり込むと、反作用で後方へとバウンドを決めた。さらにその後ろにいたらいかに、体を強かに打ち付けた。いくつか骨が折れたような音もしたが、誰も聞かなかったフリをする。

「あはぅ……」

「そそそんな、滅相もねぇ……わしゃ、ただ、あの子をただ見守っていたいだけなんじゃ。付き合うなんて、このわしが……あぁ、おそろしや、おそろしやぁあ」

 じゃあ一人でそっと見守ってなよ、とみつめは心底思わざるを得なかった。わざわざ人に相談することでもない。ただ見守っていたいなら、どうぞご自由に、である。ストーカーとして補導されても、弁護なんて請け負いたくないのだ。

「ただ、最近、あの子、なんか困っているみたいでなぁ。その原因を突き止めてほしいんじゃ」

 好きな子が困っているから、それを自分に代わり解決してほしくて、やってきた、ということか。みつめは呆れ半分、諦め半分で、巨人を見つめる。その目は、純粋にキラキラ輝いていた。こんな純粋な目で人と接することができるなら、自分も少しは周囲と馴染めるだろうかと考え、すぐにその考えを捨てる。今さら自分にそんな目で笑えなんて、笑いを通り越して、滑稽にさえ思えてしまう。

 図書室の前までやってくると、ドアの付近で、数人、生まれてから一冊も本なんて読んだことがなさそうな生徒が、目を細めて、ちらちらと中の様子をうかがっていた。見るからに怪しい。明らかに、誰かを探している、もしくは監視している様子だ。その連中は、こちらに気が付くと、ばつが悪そうに、言葉を交わすこともなく、有害なオーラを振りまきながら、廊下の角に姿を消していった。

 あからさまな不審者に、全く関心を抱かなかったのか、もぐもんは一直線に廊下を進む。指示されるがまま、小窓から中を覗き込んでみると、すぐにそれだと分かる人影が一人、椅子に座って、小さな文庫本を読んでいるのが目に入った。他にそれらしき人物も見当たらなかったので、みつめはその子を指差した。

「あれが天使の清子ちゃん?」

「おぉ、ようわかったなぁ。オメェさん、いい勘しとるのぉ」

 いい勘も何も、その少女はみつめよりも、小さかった。これまで背の順先頭の座を誰にも明け渡すことがなかったみつめより、一回りどころか、二、三回りほど、小さかった。下手をすれば、幼稚園児にも見えかねない。百人にアンケートを取れば、間違いなく九十八人は小学生との判断を下すだろう。その少女は、本をパタリと閉じると、本棚に本を戻した。カバンを肩にかけ、扉に向かってきた。

「あ、出て来る」

 急いで五人は来た道を引き返し、階段の陰に隠れる。清子は図書室のドアから顔だけを覗かせると、廊下を端から端まで一分ほどかけてじっくりと観察した後、気配を隠すように、反対側の廊下に消えていった。急いでその後を追いかけると、玄関から外に出たところで、何者かに、清子は呼び止められていた。

「あれ、あいつら、さっき図書室の前にいた奴らじゃね? マジ知り合いには見えないんだけど」

 花歴の言うとおり、その生徒たちは、制服をだらしなく着崩していたり、ガムをくちゃくちゃと行儀悪く食っている。髪も金髪に染め上げ、ピアスを開けている子もいる。お嬢様学校とはいえ、学年に数人は、やはり素行の良くない生徒も混ざっている。問題を起こすことこそ少ないが、それが単に他人の目に触れていないだけ、という裏の噂も、密かに囁かれていた。

 清子はその生徒たちに半ば強制的に、連れ去られていった。戦々恐々と後をつけていくと、清子とガラの悪い生徒たち一行は、人気のない校舎裏へと入っていく。こんなところで、まさか歓談や花札が舞い散るなんて誰も想像しない。することは大方決まっている。その、みんなが薄々ながら抱いていた、悪い予感は、あっさりと現実のものとなってしまった。

 生徒の一人が、顔をぐっと清子に近づけて、趣味の悪い笑みを、清子の弱々しい瞳に、映らせていた。

「清子ちゃ~ん、なに一人で帰ろうとしてんの? あたいらダチだよね?」

「佐藤さん……」

 清子は凄まれているからか、言葉を出せない。顔は今にも泣き出しそうだ。それを見ていたみつめたちも、一緒に脅されている気分で、最悪の気分と表現する他なかった。

「ねぇねぇ、泣いたらなんでも許されるなんて、思っちゃってるんじゃないよね!」

 不良に絡まれている。今の清子の状況を的確に表す言葉は、それ以外になかった。

「あたいらのことドブに突き落として、ごめんなさいの一言で済ませようなんて、ムシが良すぎるよね? なぁ、お前ら?」

 取り巻きの生徒たちが、ざわざわと同意の声を上げている。

 みつめたちは、物陰からなりゆきを見守っていたが、助けに入ったものかどうか、決めあぐねていた。この危機を挽回できる可能性が一番高いであろう、巨体のもぐもんは、なぜか、その体格に似合わない、覇気のないため息を連発し、心なしか出会った頃よりも、その巨体も小さく見えていた。

「うちらマジ体育会系じゃないし、無理無理、絶対無理。らいかとそこの依頼者さん、助けに入ってあげたら?」

 花歴の言葉には、全く心がこもっていない。しかし、そんな提案に、トーンを一段階上げて、夜代がアイデアを付け足して提示する。

「そ、そうよ、格好良く入っていってさ、バーンってみんなやっつけちゃえば、もぐもんさん、清子ちゃんに素敵って思われるかもしれないよ? ね、みつめちゃん」

 みつめとしても、その案には多少なりとも賛成の一票を投じたかったが、もぐもんは、巨体を大きな身振りで体を左右に揺らした後、即座に却下してきた。

「いや、これはあの子の問題なんじゃ。わしにはどうにもできんことだ」

 その言葉に、哲学部の誰もが、不意を打たれた。好きな人が危険な目に遭っているというのに、それは本人の問題だと、こと大事に至って保身を始めたもぐもんに、みつめは怒りがふつふつとこみ上げてくるのを感じていた。もぐもんの巨体を彼女たちの前に晒すだけでも、抜群の効果を発揮するに違いない。らいかと鮭取り合戦なるものを行っていたというし、その力は見かけ倒しなんかではないはずだ。助ける力があるのに、もぐもんは、それは彼女の問題だから、と呆気なく切り捨ててしまったのだ。

「そんな、あなた、あの子が好きなんでしょう? なのに、どうして助けてあげないの? 失望したわ。私は最初からあまり乗り気じゃなかったけれど、あなたの想いの真っすぐさに、少しだけなら手を貸してあげてもいいって思ってたのに! その図体は見せかけだけで、中身はとんでもない自己愛に満ちていたってわけね! 信じられないわ!」

 もぐもんは黙ったまま、何も言わない。ただ一人、夜代は、清子たちとみつめたちを交互に、狼狽しながら、見比べ、状況の把握と事態の解決に神経を傾けていた。

「みつめちゃん、どうしよう、清子ちゃん、お金せびられてるよ」

 みつめが慌てて視線を戻すと、清子は、不良たちに威圧的に囲まれて、壁に密着したまま、身動きすらできなくなっていた。

「佐藤さん、お金なら、この前渡したはずです……」

「はぁ? あれは服のクリーニング代。まだ慰謝料もらってないからさぁ。早く出せよ。持ってる分だけでもいいんだからさぁ」

 みつめはもはや信頼をなくし、負け犬のように肩を震わせるもぐもんに、失望を通り越して、諦めの感情すら抱きかけていた。自分だけならまだしも、哲学部の部員を引っ張り出して、こんな情けない結果に終わってしまうなんて。この惨状を、やりきれない憤りを堪えながら見守っていた。だが、今は一刻も早く清子を助けてあげないと、という冷静さも、失ってはいない。しかし、みつめたちがあれこれ策を巡らす必要もなく、事態は突然の好転を迎えてしまった。

 不良たちが清子の制服に触れた瞬間、遠くから耳障りな、だみ声が飛んできた。生徒指導の鬼教師こと、鬼尾馬男(おにおうまお)だった。不良たちは鬼の形相で迫ってくる教師の怒声に、蜘蛛の子を散らすように、逃走を図り始めた。

「待たんか! お前ら! 豚小屋に放り込んでやるわい!」

「うっせー! やれるもんならやってみろ! この腐れ馬面が!」

 不良と鬼尾は、そのままお互いに罵り合いながら、校門の方向へと走って消え去ってしまった。

 残されたみつめたちは、誰も言葉を発せず、気まずい雰囲気を、もやもやを抱いたまま、もぐもんの、「依頼はもうおしめぇにしてくれねぇか」という言葉を、ただ悄然と咀嚼することしかできなかった。その言葉を、みつめは時間をかけて、飲み込むべきか、悩んでいた。いや、もうこれ以上、自分たちに何ができるのだろう、そう悩んでいる間に、肝心の清子は、すでに、初めからそこにいなかったとでもいうように、姿を消していた。

ここまでお読み頂きまして、誠にありがとうございます。

最大の感謝を捧げます。


次回更新は一月中旬予定。

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