理想の魔王
「うるっさい!」
ルーヴァがジャンプして翅小人を捕まえようとする。しかし相手は鋭く突き出した手の風圧に乗るようにひらひらとそれをかわしていく。
「シドラー様! ノアが! ノアが! ルーヴァ・パティに乱暴されています! シドラー様! はやく! はやく! シドラー様!」
それにしても翅小人は確かにうるさい。
「このっ! ちょこまかと!」
ルーヴァはそう言いながら、しかし右手と左手で上手く部屋の片隅まで追い込んでいた。勢いで動いているようで計算もできてる。
「!」
逃げ場を失って翅小人の動きが止まった。
「そこっ!」
すかさずルーヴァがその身体を掴む。
「べ」
小さな舌を出して、翅小人が冷静に小指を動かしたのは一瞬だった。片隅に伸ばした指先が、白い壁に触れたと思うと、ルーヴァが体勢を崩してずるりと床にへたり込む。
「んゅっ~」
立ち上がろうとしても、力が入らない。
「ノアを捕まえようなんて甘いのですよ! この牢獄の中ではその強大な魔力は逆に……」
「……」
オレは勝ち誇る翅小人をさっき破られたシャツの布でくるんで捕まえる。なんとなく完全に無視されているのがわかったので楽勝だ。
「くらい! くらいです! くらいくらい!」
じたばたと暴れるので壁と同じく白い床に押しつけて見る。するとすぐに大人しくなった。さっきポロッと言ってたが、この白い塗料には魔族の力を奪う効果があるようだ。
そしてここは牢獄だとも言っていた。
「あり、がと」
顔色を悪くしながらルーヴァは立ち上がる。
「よっと」
ふらふら歩きながら、ベッドの上のシーツやらなんやらを掴むと、翅小人を捕まえて押さえている上にどさどさと乗せた。
「この種族は力がないから、これで大丈夫」
ルーヴァは気分悪そうに言う。
「でも、すぐ逃げないと、シドラーは面倒だわ。テオ、壁の裏の道、案内して」
「体調は?」
オレは言いながら考える。
どうするべきか。
たぶん今ならルーヴァをこの部屋に閉じこめてオレだけ逃げられる。突き飛ばして床に触れさせて、力が抜けてる間に開いた石壁を元に戻せばいい。そうすべきだ。
脱獄の手助けなんて奴隷の脱走とは訳が違う。
いくら逃げたって奴隷は物だから、積極的な捜索がされる訳じゃない。身分がバレれば物だから拾得物になってしまって、所有者に謝礼を請求するために捕まるけれど、追われる訳じゃない。
けれど脱獄はそれ自体が罪だ。
指名手配されるし、追っ手がかかる。本当に魔王の娘なら、それは本気の追跡になるのは想像に難くない。まして娘に認められることが魔王の条件という遺言が知られているとするならば、捕まっていた理由も説明できる。
一緒に行ったらオレが危険だ。
「ちょっと気分が悪いだけ、この部屋を出れば落ち着くから、心配しないで。心配されるのはうれしいけど。そんなこと言ってる場合じゃない……し?」
ルーヴァはそう言いながらよろけた。
ここを押せば、簡単に倒せる。
「!」
反射的に思ってオレは素早く動いた。
「あっ」
とさ。
「……」
「テオ。ありがとう」
「いや」
なにやってんだオレは!
ルーヴァを受け止めてどうすんだ。
「意外と、軽いんだな」
で、なにを口走ってんだ!
「魔族も人間とそれほどの違いはないわ」
はにかんだ表情で、ルーヴァは照れ隠しするみたいに言う。美人で、さらに可愛い。たぶん目を瞑られたらキスしてたと思う。我慢できないから押し倒してしまいたいぐらいだ。
それやったらもう後戻りできないけど。
「核があるかないか、核があっても、魔素がなくなれば魔力が作れなくて、ほとんど動けなくなってしまうわ。情けないものなの」
「……」
やっべぇ、この美人顔を舐め回したい。
言葉がまったく頭に入ってこなかった。こんなに性欲を感じるのは前世以来だ。運命感じたって言われたけど、運命って性欲のことなんだろうか。もうまともな思考が働かない。
「ともかく、この部屋を出よう」
オレは言っていた。
「たぶん、城の外まで出られる隠し通路があると思う。そこまで一緒に逃げよう」
「そうね」
ルーヴァは頷いて脚を踏ん張る。
よろよろとしながらも、開いた壁に向かって歩き出す。ああ、調子の良いことを言ってしまった。イケメンになってから、時々、自分の意志で言葉を制御できないときがある。考えてもいないことを喋る訳ではないのだけど、本来のオレの性格で口にできる範囲を軽々と超える瞬間がある。
たぶん、イケメン能力の一部だ。
良いカッコするという要素は、イケメンとして存在することの必要条件のひとつなんだろうと思う。結局のところ、顔だけ良くてもイケメンとはならないというか、行動しないとイケメンになれない部分がある。
「なにか持ち出さなきゃいけない荷物は?」
すぐ女に気を遣うところとか。
「特にないわ」
ルーヴァは首を振る。
「大事な物は、捕まる前に預けてあったから」
「そっか」
だれに預けたんだろう。
通り抜けたところで、オレは隠し通路の壁を叩いて耳を当てる。風の流れる方向を聞けば、出口はそっちにあるはずだ。
「なにしてるの?」
「コツがあるんだ。ちょっとした」
人が一人やっと通れる通路を、オレの先導で進む。何度か壁を叩いて確認すると、どうやら、こちらの居場所を向こう側では探しているようだ。オレたちは息を殺して移動する。
しばらく歩いて、出口らしき場所を見つける。
隠し通路の行き止まりに不自然な水場。
「ちょっと見てくる」
オレはそう言って、水の中に飛び込んだ。かなり狭かったが、一分ほど泳ぐと城の堀に合流できるようだった。当然、城は目と鼻の先だが、そこから川へは繋がっているので、泳げばかなり遠くまでいけそうだ。許可書を持っていたら選ばないルートだが、隠れて移動するなら悪くない。
「行けそうだけど、夜まで待とう」
オレは通路に戻って言う。
「泳げないってことないよね?」
見つかったときのことを考えると明るい昼間は避けるべきだろう。城の中を探し回られているのは間違いないし、隠し通路もほどなく見つかるだろうが、その全域を調べるのが容易ではないことはオレの方がわかっている。
迷路のようになっているし、動かす壁も多かった。あの牢獄以外はきちんと元通りにしてきたから、よほど注意深く探さなければ見つからないだろう。生かして捕らえたいはずの魔王の娘と共に城ごと壊してまでは探すまい。
「泳げる。問題ないわ」
暗い隠し通路の中でもわかるほどに、ルーヴァの顔色は良くなっていなかった。よろよろよ結構歩かせた。部屋を出れば大丈夫だと言っていたが、そう簡単ではないのかもしれない。
オレが責任を感じることではないのだが。
「ルーヴァは、なにを待ってたの?」
「待ってた?」
「いや、新たな魔王になりたいヤツなんでしょ? シドラー? だったら、そいつを認めれば少なくともあんな不自由な部屋に捕まってる必要もなかった。隠し通路から助けがくる可能性なんて、たぶんほとんどなかったよ?」
オレは気になっていたことを尋ねる。
「だけど、助けがくることを前提に、魔王にするって決めてたみたいだった。それってかなり不思議なんだよ。なにか根拠があったの? 予言とか? それともだれかの指示で……」
「魔族は、魔界に落とされた人間からはじまったらしいわ。精霊が世界を造ったのではない、そう主張した人たちを殺すために魔素の濃い魔界へと落とした。数千年前の話らしいけどね」
ルーヴァは静かに語り出す。
「落とされた人間の半数は死んだみたい。でも、半数は環境に適応した。そのときにできたのが核、でもそれは完全じゃなくて、人間の形をとどめられないものも多くて、種族のはじまりにもなったわ」
「それはつまり」
何千年か前に魔界に落とされた人間が、精霊界に攻め込んだのは侵略戦争でもなんでもなくて、むしろずっとつづいている宗教戦争みたいな。
「わたしの核はこれ」
そう言われて見ると、ルーヴァは胸元を開いて胸の谷間を見せていた、鎖骨の下、やわらかな膨らみへと落ち込むその入り口に透き通った金色の石のような器官が脈打っている。
「ここを潰すと魔族は死ぬわ」
そう言いながらオレの手を掴む。
「っ?」
静電気のようなものが走った。
「本来の魔力があれば保護されるけど、今はテオ、あなたが力を入れれば、簡単に砕けると思う。やってみる?」
顔色の悪いまま、ルーヴァは言った。
「いや、なんで」
触れた核はつるつるとした石の感触がありつつも、確かに血の通った暖かさだった。同時にピリピリとこちらの全身が痺れる感覚はなんなのだろう。
「信じられないのはわかる。この世界の人たちからすれば魔族のわたしたちは敵でしかないはずだし、奴隷のあなたからすれば、世界を悪くしている元凶にしか見えないはず」
「それは」
オレは前世からの意識が残っているし、奴隷の扱いを受けてきたことで、精霊界にとくに思い入れはない面があるんだが。
「でも、わたしたちも必死だった」
ルーヴァは言った。
「それが苦しめた人間たちに対してなんの言い訳にもならないことは知ってる。何千年も前の先祖の復讐が理由にならないことも、だから、わたしは、お父様の考えを受け継ぐシドラーみたいな男は魔王にしたくなかった」
「遺言には従っても?」
オレは言う。
「魔王の証は必要なのよ」
苦笑してルーヴァは言う。
「魔族を束ねるにはどうしてもね。そしてわたしにも新たな魔王の明確な理想がある訳じゃなかった。指名すべき相手もいなかった。だから、運に賭けた。わたしを最初に助けにきた相手を、わたしの理想の魔王にする」
「……」
それがオレってことなのか。
いきなり結婚とか言い出したのは、ずっと思い詰めていた相手を逃がさないための強引さだったのかもしれない。必死だった、その言葉には共感するものがある。奴隷として、まともではないにしてもオレも必死だった。やってきたことは褒められたもんじゃないにしても。
「テオ、わたし、運は強かったみたい」
ルーヴァがそう言って笑う。
「変に思うかもしれないけど、確信してるの。あなたはきっとわたしの理想の魔王になってくれる。あなたしかいないのよ」
「奴隷だよ、ただの」
オレはそう言いながら、心動かされる自分を感じていた。世界と結びついてしまった。ルーヴァは、オレが死んだら悼んでくれる。それがこんなに嬉しいことで、だからこそ、生きなきゃいけない気持ちにさせてくれるなんて。
ただの奴隷では終われないじゃないか。