真骨頂
魔法に耐えられる人間など存在しない。
それは魔族にとって、そしてルーヴァの父である魔王にとっても常識で、同時に人間に対する戦争の勝利を約束する絶対的条件でもあった。
だから抜かりはなかった。
大気中に含まれる魔素が極めて薄いこちらの世界への侵攻に当たって、魔素結晶を精製する大規模な工場を整備、界門から全軍に十分に供給する体勢を構築して、最初の大陸では圧倒的勝利を収めたのだ。
しかし勇者の登場でそれが覆る。
魔法の通用しない人間だった。
たった一人で抵抗するその存在を知った魔王はすぐに界門にとって返す。狙いは明らかだった。界門を閉じて、魔力の源である魔素結晶の供給を断つこと。
(お父様は油断などしていなかった)
だが、結果的には敗れることになった。
勇者が界門を閉じるのが早く、そして界門を開く力を持っていた魔王と刺し違えたことで、一気に志気と魔素の供給を失った軍全体が乱れ、内部分裂も起こり、数で勝る人間との戦いは拮抗してしまう。
「だぁっ!」
ランナが剣を振り下ろす。
「……」
ルーヴァは瞬時に反応してその側面に回り込み、拳を叩き込む。雷の魔力は触りさえすれば、人間の身体に伝わってダメージを与えるのはテオで確認していることだ。
「おっと」
だが、見た目の無骨さと裏腹にランナは軽やかに跳躍してそれを避ける。重たいはずの鎧から青く煌めく風を受けて浮かんで見えた。
周囲の兵士たちがどよめく。
「何年も閉じこめられていたにしては動くじゃないか。シドラーに捕まったときは子供だったと聞いているが、戦いの訓練でもしていたのか?」
ランナは嬉しそうに言う。
「訓練?」
ルーヴァは鼻で笑った。
「わたしたち魔王の娘は、別に物見遊山で戦争に連れてこられた訳じゃないわ。ひとりひとりが魔王が大軍を率いるための目であり、ひとりひとりが魔王に匹敵する力を持ってた。子供ではあったけど、何年かで人間に遅れをとったりしないわ」
「よく喋るな」
ランナが剣に手を翳す。
「恐れているんだろう? 精霊力を」
「どうかしら?」
剣が青く煌めくのを見つめながらルーヴァは背後でマリが兵士たちを突破したのを確認する。子供を安全な場所まで運んで戻ってくるのに、どのくらいの時間が必要か。
「あなたは勇者じゃないでしょう?」
精霊は大きく分けて五種類。
火、水、地、風、光。
(あの勇者が使っていた力が精霊力だというのなら、五種類すべてを使っていたと考えるべき)
精霊が世界を造ったのだとは信じていなくとも、この世界のある種の性質が魔力と魔法に対して抵抗力を持っていることは理解している。そのすべてを使えるのなら、魔王の魔法が通用しなかったという勇者同様、攻撃を回避する必要はない。
避けるということは、効果があるということ。
「確かめてるのよ。それがどんな強さか」
ルーヴァは自ら踏み込んだ。
「ふん」
だがランナは煌めく剣をその場で横に振る。
(風!)
思い切り跳躍して、ルーヴァはその力を観察した。勇者が戦うと風が起こり、それは周囲のすべてを斬り裂いたと聞いている。
剣をふるった前方。
ルーヴァが立っていた数歩の距離を超えて、数十歩の範囲で木々が一気に倒れていった。
「空中に逃げ場はないぞ!?」
ランナが再び剣に手を翳している。
(ああしないと精霊力を行使できない)
身に纏った力を、剣に伝えているのだ。
(使い方が魔力に近い)
なんとなく感じていたことを確認しながら、ルーヴァは手元に魔力を集中する。精霊騎士がもう一人以上いることを考えるとシドラーに放ったようにはできないが。
「落ちろ! 魔界の雷!」
指先から針のように細い魔力を撃ち、そこに雷を通すことで、矢のように使った。ピンポイントに魔力を使うことで消費を抑える。
(狙いは、剣)
「!」
黄金に輝く閃光が、ルーヴァに向かって剣を振り上げたランナの身体に向かって伸びる。電撃が蛇のように駆け抜ける。
(当たった!)
「ぬぐっ!」
バチッ。
だが、広がったのは地面への亀裂だった。
「!?」
雷の落ちた中心で、剣を大地に突き立てるランナの姿がある。そこを中心に地面が裂けていた。一瞬で攻撃を切り替えている。
(地面に雷を逃がして)
常人にそんな反応はできない。
「魔力にかまける魔族とは違う!」
そう叫ぶと、ランナは空中を蹴ってルーヴァと同じ高さまで駆け上がってくる。青く煌めいた鎧が夜の闇にステップを描いた。
「!」
自由落下中に避ける術はない。
「ここは人間の世界だ!」
「っ」
振り下ろされた剣を、ルーヴァは両手で挟んで受け止める。だが、それすらも予想していたのか、重たい蹴りが腹に入って、吹き飛ばされる。木々の枝をへし折りながら、地面へたたきつけられ、転がった。
(強い!)
跳ね起き、木を蹴って立ち向かう。
(動きで肉薄してくるなんて)
予想外だった。
魔力と魔法に対抗する力かと思えば、人間ながらにそれを生かして戦えるところまで鍛えられている。魔界で戦いに明け暮れ、その頂点へとのぼりつめた魔王の血を受け継ぐ自分と対抗するほどまでに。
(魔力を温存して戦える相手じゃない)
ルーヴァは力のセーブをやめる。
「本気になったか!」
「少しはね!」
ルーヴァの全身から雷がほとばしる。
周囲を囲んでいた兵士が逃げていく中、ランナは満面の笑みで突進してきた。煌めく風と、輝く雷が衝突する。
「……」
バチバチバチバチ。
剣をへし折り、腕を掴んだルーヴァの手から雷がランナの身体に走っていく。だが、同時に来ていたドレスが風によって引き裂かれ、肉を斬ってもいた。
「我慢比べか!」
「いいえ、もう終わりだわ」
ルーヴァがそう言うと、ランナの膝が落ちて、地面に手を突く。そしてついに張り付くように倒れ込んだ。握りしめた拳は広げられ、全身を震わせながら、顔まで地面にうつ伏せる。
「なんだ、これは!? 雷に耐える訓練は」
「生半可に耐えられたのが失敗ね」
魔力を流し込みながら、ルーヴァは言う。
「勇者は魔力を打ち消したというけど、あなたはそうじゃなかった。あくまで鍛えて、耐えて、対応した。雷を落とされたとき、剣を手放さなかったので気付いたのよ。精霊力で対抗している訳じゃないとね」
「身体を、操っているのか」
「荒技だけどね」
雷の魔力の真骨頂は雷そのものの攻撃力よりも、身体を操作する部分である。自らに使って身体能力と反射神経を高めるように、相手に使うことでその自由を奪うこともできる。
(避けない相手で助かったわ)
「ひとつ、質問なんだけど」
「?」
「この辺りで世界一美しい男を見なかったかしら? もしその居場所を知っているなら、殺さないでおいてあげてもいいんだけど」
「世界一美しい……」
ランナのつぶやきは疑問系ではなかった。
(知ってるわ。この女)
ルーヴァは確信する。
だとすれば身柄を抑えられたと考えるべきだろう。風呂場から連れ出されたテオは裸に違いなく、腹に刻み込まれた奴隷の焼き印を隠すことができない。人間の法では、奴隷は物であり、脱走した奴隷は拾得物だ。




