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ヨニ

 屋敷の中はさらに子供だらけだった。


 広々とした吹き抜けの玄関ホール、一階と二階を埋め尽くしながら、息を潜め、好奇心と緊張に満ちた瞳でこちらを見ている。さっき外に飛び出してきたのは見るからに魔族な感じだったが、こっちには人間と区別がつかない子もいた。


「……」


 なんとなく人間と魔族のグループがあるな。


「マリはどこに行ったのかしら?」


 ルーヴァはあまり子供に関心がないみたいだが、オレは突き刺さるような視線と、漏れ出る溜息を感じていた。女の子たちが完全にイケメンに目を奪われている。


 久しぶりだな、この感覚。


「だれか詳しい子に案内して貰えば?」


 オレはルーヴァに提案する。


「詳しい子って言ったって」


「はい! くわしいのはヨニだよ!」


 思った通り、勝手に出てきた。


 ピンク色の肌をした子供たちの中では背の高い方の女の子だ。たぶん十歳ギリギリぐらいだろう。黒髪と黒い瞳に気の強そうなところが見て取れる。もっと子供たちが群がって大変なことになるかと思ったけど、他の子供たちが騒がない辺りは、たぶんこの子が統制を取っているのだ。


「ヨニ。あんまり見たことない種族ね」


 ルーヴァは言った。


「マゾクとニンゲンの子供だよ。おねしょ姫」


「おねしょ姫はやめなさい」


「あんないするよ。ニンゲン。名前は?」


 子供の方は王女に興味がないようだった。


「テオ。よろしくね。ヨニ」


 熱い視線を感じる。


 ルーヴァみたいな美人と隣に立っていれば、イケメン能力は相対的に薄れるかと思ったが、あんまり変わらないようだ。さすがに神の産み落とした顔ということなんだろうけど。


「ヨニ。およめに行く」


 ほわっと、こちらを見つめて言う。


 完全に落ちていた。


 子供たちがざわめいた。


「ごめんね。オレはもうルーヴァと一緒になる約束しちゃったから気持ちは受け取れないんだ。君にはもっといい人が現れるよ」


 軽く愛想良くするだけでこの有様だ。


「テオ、慣れてるわね」


 隣の視線がちょっと険しい。


「そこそこ」


 オレは少し視線を逸らす。


 愛玩奴隷と知っていても求婚してくる女は数知れなかった。むしろ慣れない訳にはいかなかったと言うべきだ。少なくとも、奴隷としてはそれで得をしてきたってことはない。殺されないのはそうだが、むしろトラブルの種となる。


「ま、正室のわたしが認めない限り、魔王の側室になることもないわ。わかったらおねしょ姫という蔑称をやめて、ちゃんと……」


「王女さま」


 ヨニはくるりと表情を変えた。


「このヨニをおそばにおいてくださいませ」


「はい?」


「いちめいをとしておつかえいたします」


「……」


 凄いなこの子。


 決して流暢に言えてはいないが、この一瞬で将を射んと欲すれば先ず馬を射よの精神へと切り替えた、恋愛感情を制御できている証拠だ。


 末恐ろしい。


「いや、どう考えてもテオ狙いでしょう。そんな危ない子を側に置くわけないわ。ダメよ。だれか別の子に案内して貰うから、もう下がって」


 ルーヴァも危険性を感じているようだ。


「いいえ、マリさまはあの目のしゅぞくの子を連れてお風呂だと思います。あたらしく来た子をお風呂にいれるのが楽しみなかたですから」


「だから下がってって言ったの」


「王女さま、テオさま、お風呂はこちらです」


「話を聞いて!」


 手強い。


 十歳になると追い出されるこの屋敷のシステムを理解しているだろう子供たちは、どこかで次の行き先を探しているのかもしれない。すぐに嫁に来るとか言い出したのも、切り替えの早さも。


 いつでも出て行く覚悟あってこそ。


 奴隷もそうだが、過酷な環境下では子供も強かになる。ましてや魔族と人間のハーフ。この子にはこの子のハードな人生があったはずだ。イケメンでも人生はイージーにならないのだから。


 嫌いじゃないな。


「ま、すぐ出て行くんだからそんなに気にしないでいいと思うよ、ルーヴァ。オレたちかなり汚れてるからここは風呂に案内して貰おうよ」


 オレは助け船を出す。


「……」


 なにか言いたそうだったがルーヴァは頷く。


 子供たちを引き連れて屋敷の奥にある風呂の入り口に案内される。子供が多いからだろう。男湯と女湯にきちんと分けられていた。久々の風呂、なんかもうそれだけで気持ちが高揚する。


「んじゃ、マリさんによろしく言っといて」


 オレはそう言って男湯の扉を開いた。


「わかったわ」


 ルーヴァも女湯に入った。


「風呂風呂風呂~♪」


 転生前よりたぶん気持ちが日本人になってる。


 ボロボロのズボンを脱ぎ、腹の荷物袋を外して、ふんどしに似た下着を外して脱衣場を抜けるとなにか神殿めいた風呂場が広がっていた。温泉がわいているのか、掛け流しである。ちょっとしたプールぐらいの広さの湯船から石造りで、ドーム型の壁や柱には様々な彫刻が施されていた。


 これは間違いなく金がかかっている。愛玩奴隷を買うような金持ちの屋敷でもこれほどのものは見たことがない。


 シドラーがこれをマリに与えた。


 そのくらいの脅威だと考えられているのだ。子供を与えれば賄賂になるというのは逆に安いとすら言えるのだろう。行政的に言ったら、勝手に孤児を引き受けてくれるボランティアみたいなもので便利ですらあるかもしれないという話はまた別にありそうだけれども。


 シャワーはない。


 桶を掴んで湯船からお湯を汲み、オレは浴室に転がっているヘチマのような植物のスポンジを拾う。男湯というか男子湯だろうからわかっていたが豪華な作りに対して小物が散らかっている。石鹸を拾って泡立てゆっくりと体を擦る。


「ああ~」


 気持ちいい。


「自由な風呂は、はじめてか?」


 愛玩奴隷だった頃はそれなりに風呂にも入っていた。それでも身体を綺麗にする目的を考えると憂鬱になることがしばしばだった。ただ垢を落とすために風呂に入るのがこんなに気持ちの晴れることだなんて、前世でも思ったことがない。


「うああ~」


 オレは身体を洗って、頭を洗って、また身体を洗った。信じられないほどに汚れた泡が出て行くのが、奴隷生活を洗い流すみたいで最高に気分が良かった。二度と戻りたくないと思う。


 ちゃぽん。


「……」


 オレは天井から滴る滴が湯船にポツポツと落ちるのを眺めながら少しぬるめの風呂に首まで浸かって放心する。お湯が白く濁っているのは浴室を造っている白い石の成分が溶けてるからなのだろうか。じんわりとあたたかくて、溶ける。


「着替え、あるのかな」


 ふと脳裏に疑問が過ぎったが、なんとかなるだろう。なんなら女物を着たっていいのだ。オレの女装はなかなか喜ばれたとか言う話はどうでもいいが、どうも脱走王子として顔が売れてしまっているようなので、奴隷の身分を隠す意味でも変装の必要はある。


 余計なことを考えるのは止そう。


「ふいぃ~」


 ただもう気持ちよさに身を任せて。


「テオさま」


「……」


「テオさま?」


「!」


 浴槽の縁に寄りかかっていたオレの頭の上にピンク色の肌が広がっていた。布で隠すでもなく、逆に白い乳首を見せる成長途中の少女、ヨニがにっこりと微笑んでいる。


「おきがえをお持ちしましたので」


「あ、そうなんだ」


 相手は子供だ。


「ありがとう。わざわざ」


 オレはそう自分に言い聞かせる。そこそこ女になりかけてるとかそんなことは思わなくてもいいのだ。見たことのない肌の色だというだけで、そこまで見慣れてない訳でもないのだ。


「ごいっしょしてもよろしいですか?」


 しかしヨニは大胆なことを言う。


「男湯だよ?」


「よく小さい子をいれております」


「オレは小さくないから」


「ヨニが小さいですから」


「……」


 よく口が回るな。


「ニンゲンなのにマオウになるんですか?」


「ルーヴァがそれを望んでるからね」


 オレは答える。


「ヨニはテオさまのくにに行きたいです。マゾクでもニンゲンでもいられるくになら……」


「国なんて、すぐにはどうにもならないよ」


 オレは正直に言う。


「まずルーヴァ以外の魔王の娘六人全員に認められなくちゃ魔王にはなれない。そして国を建てるなら領土を手に入れなくちゃならない。戦いは間違いなくある。危険な旅になる。浮気とか以前に、生き残れるかどうかわからない」


 現実問題。


「それではじめて魔族と人間が共存できる国にできるかどうかって話だ。期待するのはわかるけどね。そんなに上手くは行かないと思う」


「テオさま」


「ヨニ、君は賢そうだから、わかるだろう? オレたちと一緒に来るのは難しいよ。命がいくつあっても足りない。オレ自身、具体的に考えると頭が痛くなる。それでも奴隷でいるよりはマシだと思えば頑張れるけど、君はそうじゃない」


 ちゃぷん。


「キスしてください」


 湯船に入ってきて身体を密着させヨニは言う。


「ね? 話、聞いてた?」


 本当に凄いなこの子。

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