プロローグ
寝ている間に死んでいた。
「トラックがアパートに衝突した衝撃で……」
その女はオレの死因を説明する。
「……二階の、あなたが部屋一杯に積み上げていた書籍や雑誌が崩れ、身動きが取れなくなり、その上になぜかフタが外れた状態で置かれていた炭酸の抜けたコーラのペットボトルが倒れ、鼻と口にどぼどぼと注ぎ込まれ、溺死しました」
「まさに数奇……」
オレは言う。
さほど苦しまずに死ねたのが奇跡だ。
「いいえ、単なる不注意です」
女は強めに首を振る。
「わかりますか? 2リットルのコーラを一口だけ飲んでフタすらしない。あなたのそういう生活がこの死に様を生んだのです。数奇というより珍奇です。一階の女性は恋人の家にいて難を逃れ、虚血性心疾患で救急搬送されたトラック運手手も無事、あなたが死にさえしなければ大した事故ではなかったんですよ?」
「恋人の家に!?」
オレはショックを受けていた。
下の階の可愛い女子大生に恋人だなんて。
「どこに食いついてるんですか!」
「えーっ!? 岩手から出てきたとか、清楚な感じの巨乳の娘だったのに、一ヶ月でカレシの家にお泊まりなんてふしだら極まるじゃないっすか! もーやだ。なにも信じられない!」
「あなた彼女となんの関係もないでしょう!」
女はつかつかとオレの目の前に来て、スウェットの胸ぐらを掴んだ。コーラで濡れたせいかベトベトしているのも構わず、座っていた椅子から床に引きずり降ろされる。
「死んだんですよ! 辛くないんですか!?」
「神様」
オレは女に呼びかけた。
真っ黒な床に手をつく、冷たくも熱くもない。真っ黒な部屋、真っ黒な椅子、その中で、女は白く輝いていた。表情もなにも見えない神々しい光は、説明などされなくても神様だとわかる。
女神だ。
「辛いので一発ヤらせてください」
「哀れな!」
女神はオレの顔面を蹴り上げた。
「ぎゃぶっ」
死んでるのに痛い。
「本当に、だれも同情すらしない人間だったのですね。成人雑誌と成人コミックに溺れて死んだあなたを見つけた大家は絶叫、息をしていないことを確認しながら救急隊員は笑いをかみ殺し、死亡届を書きながら医者は鼻くそをほじり、駆けつけた家族は焼いた骨を高速道路のSAに捨て、夕方から翌日の朝、昼とテレビは神妙な顔をしながら面白可笑しく取り上げ、インターネットのまとめサイトではロリコンマンガの多さをネタに笑いものに、あなたの世界の人間はだれひとりとして、あなたを悼むことはしなかった」
女神は光り輝く手で顔を押さえて嘆いた。
「ロリから熟女まで満遍なくアリですが」
実写も二次元も半々ぐらいだ。
「だれが! あなたの! 性的嗜好を! 尋ねましたか!?」
顔は見えないが、女神の目が鋭く輝いた。
「死んでまで説教ですか」
オレは言う。
「確かに、だれにも同情されない人間ですよ、オレは。小学四年の時に水泳の授業を休んで、クラスの女子のパンツを盗んだのがバレてからずっと。でも、別に後悔してないんですよ。あのとき性犯罪に手を染めて、こっぴどく叱られて、好きだった女の子に目が合っただけでゲロを吐かれたりしたからこそ、その後の人生ではエロ本やらAVやらで我慢できる人間になれた。死ぬまで警察のご厄介にはならなかった。だれにも悼まれなくても、前科がないことはオレの人生の誇りです」
「死ね」
女神は言った。
「失礼、もう死んでいましたね」
「……」
神様ジョークだ。
「わかりました」
女神は輝きながら浮き上がる。
「あなたは異世界に転生する資格があります」
「異世界に転生?」
おいおい、どんなラノベだよ。
「世界に生まれた命は、世界となんらかの結びつきを得て、その世界を回すために様々な役割を演じます。それが転生です」
女神は説明した。
「しかし、あなたは生まれ落ちた世界となんの結びつきも得ることができなかった。これは、我々があなたという命を配置する世界を間違えたということです。申し訳ありませんでした」
「なるほど」
神様は失敗を認めて反省するらしい。
立派だ。
「つまり、オレがオレらしく生きられる世界があると、そう言うことなんですね! 女子小学生のパンツの匂いを嗅ぐことが許される世界が! 女子中学生が性に目覚めてオレに惚れる世界が! 女子高生が若さ故の過ちでオレと致してしまう世界が! 女子大生が大学デビューでうっかりオレに引っかかる世界が! 幸せな人妻がうっかりオレと火遊びしてしまう世界が! 近所の未亡人が火照った身体を持て余してオレと出会う世界が!」
「あるといいですね」
女神は棒読みで言った。
「贅沢でしたか? それなら女神がニコニコと踏みつけてくれる世界でもいいんですけど」
顔見えないけど神だし美人のはず。
「異世界への順応のために、あなたの記憶は引き継がれます。前世の経験を来世に生かして下さい。そして、我々の失敗に対する謝罪の気持ちとして願いをひとつ叶えてさしあげましょう」
「願いをひとつ」
いきなりでも、オレは別に困らない。
これさえ手に入れば人生がイージーモードになるという絶対的能力はあるのだ。それを持っていれば、仮にパンツを盗んでもむしろ人生が開けてしまうかもしれないと何度も夢想した。
「イケメンにしてくださいっ!」
力強く願った。
「浅はかな人間性が丸出しですね」
女神は吐き捨てるように言った。
「ですが、いいでしょう。あなたにはそれくらいのアドバンテージがないとどの世界に行っても同じような死に方をして、ここに戻ってくるかもしれない。二度と会いたくありませんから」
輝きが黒い部屋を飲み込んでいく。
そうしてオレは異世界に転生することになる。
新たな両親はわからない。
雷鳴が轟く不気味な雲の下、泣きながら手を伸ばすところで意識が目覚める。拾ってくれたのは見知らぬ老人だったが、すぐに売り渡された。銀色のコイン一枚と交換でオレを引き取ったのはナマズみたいな顔をしたふつうの人間じゃない女で、オレは慰み者にされた。
イケメンだったから?
意識が目覚めても赤ん坊がいきなり立ち上がったり言葉をしゃべれたりする訳でもなく、五、六年はそのナマズ女の家から出られなかった。その中で、オレはこの世界の言葉と事情を徐々に知っていく。人身売買を生業にしているらしいこと、大きな戦争で難民が大量に出て儲かっているらしいこと、オレもその一人であること。
「もう七歳か。売り頃だね」
ある日、ナマズ女に売り払われた。
いつもは隠れているように言われていたが、仲介業者の前に裸にしたオレを連れ出してこう言ったのだ。それは予期せぬ言葉だった。
「この子供の奴隷を高く売りたいんだよ」
難民だと思っていたら、奴隷になってた。
「傷一つない上に見た目がいい」
髭面のトロルみたいな大男が言う。
「だろう? 赤ん坊の頃に手に入れて、育てたのさ。一目見てこれは金の卵だと思ったよ。愛玩奴隷としての一通りはあたしが仕込んである」
「すぐに買い手はつく。名前は?」
「拾われたときのおくるみにはこう刺繍されてたね。ほら、自分で言ってみな」
「テオ」
オレは言う。
発言の許可が貰えるまで黙っているように厳しく躾られていたので、それ以上のことはなにも言えなかったが、不安が広がっていく。奴隷として売られる。逃げなければと思う。
だが、子供の力では動かせない鉄球と足かせが鎖で繋がれていて、どうしようもないことはもう身体に染み着いている。鎖を不用意に鳴らしただけで鞭で打たれるのだ。
「あれだな、もう一押しが欲しい。テオ・ルブルクにしよう。あの大陸の滅びた王家の名だ」
「悪くないね」
ナマズ女はオレの頭をぐしぐしと撫でた。
「そういうハッタリを背負える顔だ。買い手も本当に王家の血筋を引いてるとは思わないだろうが、まさかと思わせる気品がある」
「お気に入りみたいじゃないか」
「言っただろう。赤ん坊から育てたんだ。親の気持ちにもなるさ。なかなか賢くて覚えも良かったからね。金払いの良い人に買われてくれるように心の底から願っているよ」
「どうしようもない心の底もあったもんだ」
「……」
こんな環境にいるより、売られた方がマシかもしれない。そんな形でオレの奴隷生活はスタートした。七歳になったばかりの子供に抵抗する術などない。ともかくいい人に買われたい。
「ふひゃひゃひゃっ! ルブルクの生き残りが! 追放した男に消えない印を付けられる気持ちはどうだ!? 泣け! 喚け!」
「あがっ! ぎゃあああっ! あうあああっ!」
もちろん、いい人は奴隷を買わない。
奴隷の焼き印は腹に押される。
最初にオレを買ったのは初老の男で、滅びた王家に仕えていたが収賄で追放されたらしい。ある夜、泣きながら告白された。妻の母が重病で金が必要だったのだそうだ。そんな話を聞けるぐらい従順に仕えて信頼された訳である。
その隙に逃げた。
八歳、はじめての脱走。
突発的なもので、深く考えていない。
言うまでもなくすぐに捕まって売られる。
次にオレを買ったのは資産家で、その娘が飼っていたキャニニというこの世界の犬的なものに似ているとかなんとかで犬扱いを受ける。最初の焼き印は潰され、隣に二つ目の焼き印。増えていく。
「おまえは今日からカルピーよ!」
「あぉんっ」
わがまま盛りの娘はたぶん八歳のオレと同い年ぐらい。屋敷にはキャニニの絵が飾ってあったが、もちろん本当に似てなどいなかった。単純に惚れただけだとわかったので軽く遊んでやる。
九歳、二度目の脱走。
前回の反省を踏まえて、逃走経路を入念に調べ、逃走用の道具などもきっちり確保した上での計画的なものだったが、娘の母親が何気にオレを狙っていて、待ち伏せを受け組み敷かれる。
はじめての火遊び。
奥さんは美人だったのでちょっと悪くないかとも思ったが、のめり込まれて旦那にすぐバレた。旦那の方はそもそもイケメンのオレを警戒していたようで、かなり激しい折檻を受けて、全身は傷だらけに、さらに売り払われる。
十一歳、三度目の脱走。
老婆だったのでいけると思った。実際、追いつかれる要素はひとつもなく村を出て近くの町まで出ることに成功する。しかし、変装なしで街を歩いたら多くの人の記憶に残ってしまって、かなり遠くまで逃げたのに連れ戻されることになる。
十四歳、四度目の脱走。
三度の脱走で警戒されまくっていたので、屋敷の侍女を手懐けて協力者としたが、別れる段階で侍女が嫌がって大騒ぎになり、あえなく捕まる。新聞沙汰になって、脱走王子の見出しがつけられてしまう。
死にたいと何度も思った。
もう一度、転生できるかもしれない。
そんな気持ちになっていた。
イケメンになれば人生がイージーモードになるどころか、ありえないようなハードモードである。イケメンであるが故に、世界はオレを放置してはくれなくなっていた。おそらくもう転生はできないのだろう。
普通の奴隷なら殺されていたと思う。
ただ、オレはイケメンに転生したから、殺すより売った方が金になるという判断が常に働いていた。高い金を出して買ったものが、それなりの値段で売れるのだから、色々あっても生かされた。
そして自殺はできない。
これはたぶん女神がオレになにかを施したのだと思う。自分で自分を傷つけようとしたり、毒を飲もうとしたり、食事を拒否したりしても、なにかしかの偶然で失敗に終わった。
生きるしかない。
脱走王子の悪名が響いたらしく、ついにオレは愛玩奴隷としては売れなかった。ただの若い男の労働力として農園で果物の収穫作業に使われることになる。はじめての肉体労働ではじめはまったく役に立たず、同じ場所で働く男の奴隷からは虐げられて辛い思いもしたが、オレはもう意地になっていた。
自由になりたい。
オレは奴隷仕事に邁進して、肉体を鍛え、入念に脱走計画を練った。まず決めたことは女には近寄らないようにすることだ。イケメンを利用してイージーに物事を進めようとしたことが失敗の原因だといい加減に学習もする。
自分の力をつけるしかない。
仕事の傍ら、オレはいくつかの技術を習得する。この世界の奴隷の大半は生まれながらに奴隷ではない。その多くは犯罪者だった。そして学んだのは盗賊の技術、やってみてわかったが、オレにはその才能があったらしい。
技術を盗めたのだから。
欲求不満を抱える男たちに、愛玩奴隷として経験豊富な肉体を提供して、オレは知識と情報を得る。奴隷の身分から逃げるには、まず国境を越えなければならない。そして国境を越えるには、領主が発行する許可証が必要だ。
十六歳、五度目の脱走。
そうしてオレはあの女と出会う。