表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/10

*09*

*09*



 「え? あれ、TOMOKI?」

 彼と歩くたびにたくさんの女の子が振り返る。

 そして私を見るたびに

 「あの女、誰? どこかの新人?」

 「何かドラマの撮影?」

 口々に非難の声が上がった。

 けれど、伴喜が私の耳を塞いだ。

 「芽は俺が守るから。聴いたらダメだ。芽の耳は俺の言葉だけを聴いて」

 そう耳元にキスをする。瞬間ギャラリーから悲鳴のような声が上がった。

 なんてキザな男だろう? さすが万人の王子様だ。少し感心してしまう。

 けれども彼は幸せそうだった。

 伴喜がとても嬉しそうだった。

 私と硬く手を繋いで、弾むように街を歩きながら彼はこの上なく幸せそうだった。

 だから私も嬉しかった。

 後のことは、後で考えればいい。

 私たちは手を繋いで彼ご自慢のお店に向かった。

 彼のお勧めの料理店は、イタリアンの家庭的なお店だった。でも、中は厳格な雰囲気が漂う。

 私は外のファンが入ってくるんじゃないのかなって心配したけれど、

 「大丈夫。ファンだってマスコミだって、そう簡単には入れないから」

 伴喜は笑って私と一緒に席に着いた。

 確かにこの店内はさっきまでの喧騒から切り離されたように静かだった。

 落ち着いた声のギャルソンに迎えられ、すでに用意されていた個室に案内される。

 席に着くとすぐにソムリエがワインを運んできた。

 綺麗な赤。

 落ち着いたシャンデリアの光がグラスに反射してとても綺麗だった。

 「卒業、おめでとう」

 伴喜がグラスを掲げる。

 「大忙しのお仕事、ご苦労様でした」

 私も負けじと彼を労う言葉をかけた。

 伴喜が笑って

 「もう一個。就職もおめでとう」

 少し苦々しくもう一つ別のお祝いを言ってくれる。

 「……ありがとう」

 私は頷いてグラスを鳴らした。

 伴喜の言葉に、私は自分が帰らなきゃいけないことを思い出した。

 さっきまでたくさんユキさんに励ましてもらっていたから、忘れていた。

 そうだ、私は春から地元に帰るんだ。

 どんなに頑張ったところで、それは変えられない。

 私は苦笑いをして赤い液体を口に含んだ。

 美味しいワインは麻酔のようにゆっくりと私の中のにがくて苦しい感覚を麻痺させてくれた。

 とりあえず、今を楽しもう。

 私は美味しくて温かな料理を平らげて行くことに専念した。

 それはすごく心にしみる懐かしいような優しい味だった。

 「美味しい」

 私は彼に微笑んだ。伴喜も嬉しそうにスパゲッティをフォークに巻きつける。

 付き合いだして4年弱。

 これが初めて二人でとる外での食事だった。

 こんな日は来ない、そう思ってただけに私の目元が熱くなった。

 「芽」

 カチャ、と伴喜がフォークを置いて私の目元を拭ってくれた。

 私は笑ってごめんと謝罪した。

 本当に、こんな日が来るなんて思ってなかっただけに驚きだ。

 今日は彼と手を繋いでお日様の下を歩いた。

 彼と一緒に彼のお気に入りの店に来ることもできた。

 伴喜とはできない、しない、そう思っていたことを今日はほとんどしてしまった。

 今はとても静かだけれど、今頃店の外はどうなっていることやら。

 でも、もう私は彼の前からいなくなる。私はいなくなる。

 消えてしまった人間を追いかけてまで、周りはうるさくしないだろう。

 私のずるい心はすでに逃げる算段を始めていた。

 私はしたかったことをできた。その分痛い目を見るだろうけど、逃げ切れるだろう、そんなずるいことを考えていた。

 デザートを食べ終わった頃、私はこの夢が覚めてしまうことを感じていた。

 伴喜にかけてもらった魔法は、きっと、もう……。

 「芽。もう一個プレゼントがあるんだ」

 最後のカプチーノのカップを横に置いて、伴喜はポケットをまさぐった。

 私は苦笑いをして首を横に振った。

 これまで私は誕生日やクリスマス、伴喜にたくさんのものをいただいた。中には私には不相応な品まであった。

 今までいただいたものも、どうやって彼に返そうって思っているのに、これ以上物はいただけない。

 「伴喜、私はこの料理だけで十分。それは出さないで頂戴」

 私は彼の手を押さえた。

 「芽」

 彼が寂しそうに私を呼ぶ。

 「ダメだよ。あなたのこと捨てようとしてる女にそれ以上貢いだら」

 私は笑ってもう一度首を横に振った。

 「……」

 伴喜は黙って私を見つめる。

 「あなたなら、もっともっと素敵な人がすぐ見つかる。こんなバカで自分のことだけしか大切にしないずるい女じゃなく、強くて綺麗な人が現れる。あなたが頑張って働いた証のお金なんだから、消えてしまう女じゃなくその人に取っておいた方が建設的よ」

 私は彼が黙っているのをいいことに、微笑みながら彼に告げた。

 余裕があるところを見せたかった。

 ただただ自分の保身のことしか考えていない、こんなにも酷い女なんだと教えてあげたかった。

 だって、私は大丈夫だもの。彼がいなくても大丈夫。

 私には大切な思い出があるから。

 できないって諦めていたことができたから、もう十分。

 彼のファンが彼に与えた富を、私につぎ込むのは良くない。

 「もう、気が済んだでしょう? もう、これで終わりにしよう」

 私は一言一言告げては奥歯をかみ締めた。そうじゃないと、強がっている自分をすべて無にしてしまいそうだったから。

 こらえきれなくなる前に私は席を立とうとした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ