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*07*

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 「……悪いけど」

 低い声で伴喜が呟いた。

 今まで聴いたこともないくらい低くて深い声だった。

 「こっちにも譲れないものがあるんだ」

 次の瞬間私は彼の肩に担ぎ上げられていた。

 はい?

 私は一瞬わけがわからなくなって彼を見下ろした。

 ひょろりんとした体に見えて、なんだかんだとタフな彼は軽々と私のことを抱き上げたまま部屋を出て行く。

 「ちょ、伴喜?」

 私は焦って彼に問いかけた。

 彼は私の問いかけを無視してエレベータに乗って行く。私のことを肩に担いだまま、1階のボタンを押した。

 なに?

 「いや、やばいよ、おろして」

 私は心臓がどくどく変な音を上げるのを感じた。

 「お願い、おろして」

 私は彼に懇願した。

 彼の背中を叩いて抗議をすると、どうにかおろしてもらえた。すぐさま私は途中の階で降りるべくボタンを押そうとしたけれど、すぐに伴喜の手につかまってしまう。そのまま両手をとられて、エレベータの壁に押し付けられ彼に口付けされた。息継ぎもままならないほど激しく、私の弱いところを攻め立て、あっという間に私の力を剥ぎ取ってしまう。

 長い口付けは扉が開くまで続けられ、開いた瞬間、外でエレベータが来るのを待っていたらしい上階に住む奥様の驚いた声を聞いた。

 真っ赤な顔で慌てて身体を隠す。

 しかし伴喜はギャラリーなんて気にも留めない様子で私のことを再び担ぎ上げると

 「どうも」

 柱の影でばつが悪そうな表情をしていた奥様に笑顔で挨拶をした。

 ……この男は何を考えてるのか……。

 「伴喜、これ以上は不味いよ」

 マンションの出口に向かう彼に私は必死で呼びかけていた。

 頼むから引き返してくれ、と。

 外はいつだって伴喜のファンの女の子がストーカーのように待ち伏せしている。

 この現場を見られたら不味いのは彼が一番知っているはずだ。

 なのに、伴喜は私を抱えたままおろそうとしなかった。

 「もう、後ろに下がらないって決めたんだ」

 もくもくと歩きながら伴喜が小さく低い声で呟く。

 私は意味がわからなかった。

 「芽を失わずにすむのだったら、俺は写真に撮られても、騒ぎになるのも歓迎だ」

 伴喜はとんでもないことを言って、ばんと、マンションの最後の玄関扉を開いた。

 そこにはいつものように伴喜のファンの女の子たちが座っていて、伴喜が出てきたことに嬉しそうに声を上げた。しかし、すぐに私を肩に担いでいることに訝しげにざわつきだした。

 「やだ、誰、その女?」

 「TOMOKI、その子誰~? 病気なの?」

 女の子たちは口々に不満の声を出す。

 私は怖くて顔を上げられなかった。

 鋭い殺気が私に集中する。

 すると伴喜が私の背中をぎゅっと抱きしめた。

 「ごめん。この人、俺のすごく大事な人なんだ。通してくれるかい?」

 伴喜はTOMOKIとして優しい声音でファンの女の子たちに声をかけた。

 「やだ、TOMOKI。特別な人は作らないでっ」

 女の子たちの悲痛な叫びが聞こえる。

 『TOMOKIは万人を愛し、万人に愛されるアイドルです』

 私の耳に、あの日彼の所属する大手事務所の社長から言われた言葉を思い出した。

 アイドルは特定の人のものになってはいけない。

 皆のものだから、アイドルなのだ。

 伴喜は謝罪しながら彼女たちをかきわけて、タクシーを拾う。

 すぐさま、ファンの子達も別のタクシーに乗り込んで伴喜の乗ったタクシーを追いかけてきた。

 このあたり、伴喜も心得ているようでタクシーの運転手に無茶はさせない。

 そのかわり、信号待ちを利用してタクシーを降り、急いで反対車線に渡ってタクシーを新たに捕まえる。

 これを2,3回したら、たいていのファンはまけることができるといっていた。

 本当に困ってしまうほど手間が掛かる。

 「……大変ね」

 私は冷ややかに彼を見ていた。

 今まで私は平和な世界にいたけれど、これであの部屋も私にとって安全な場所じゃなくなるだろう。

 本当になんてことをしてくれるのか。

 これからのことを思うと頭が痛くなってきた。大学の卒業式まで後わずか。

 ……私の体は持つだろうか?

 「これはこれで慣れると楽しいし、快感になるけどな」

 私が既にぐったりしているというのに、彼は何てことないというように笑っていた。

 ……こういった行き過ぎたファン行為も人気のバロメータの一つとして受け止めているのだろう。

 でも、それは彼だけであって、私には無理だ。

 「……」

 私は彼を見つめて、その後運転手さんに

 「すみません。その先でおろしてください」

 そうお願いした。

 「あぁ? 何勝手なこと言ってんだ? 気にしないで最初言った場所まで行ってください」

 けどすぐに伴喜に取り消される。

 私がぐっとひざの上で手を握っていると、その上からやんわりと硬い手のひらを載せた。

 ……優しいんだか、何を考えているのか、本当にわからない男。

 私は小さく息を吐いた。

 やがてタクシーはセンター街の中にある一軒の大きなビルの前に止まった。

 「降りるよ」

 再び私は伴喜に担がれてしまう。

 「やっ、歩けるよ!」

 私がじたばたするけれど

 「裸足で? 怪我するから却下」

 伴喜は取り合おうともせず中に入っていった。

 それは渋い感じの店だった。けど、彼は店には入らず、入り口横のSTAFFONLYと書かれた扉を開いて、その奥にあるエレベーターのボタンを押した。

 シックでおしゃれな内装のエレベータに入り込み、伴喜は最上階のボタンを押す。

 「どこに行くの?」

 私は少し不安になって彼に問うた。

 伴喜は答えてくれず、エレベーターは静かに扉を開いた。

 そこは雑然としたオフィスになっていた。

 「ちぃーっす」

 伴喜は私を担いだまま中に入って行く。すると、奥から

 「あれ? バンキチ?」

 私が子供の頃アイドルとして活躍していて、今はデザイナーとしてさらに飛躍している高戸朗が驚いた目で迎えてくれた。

 「どうも、タカさん、ご無沙汰してます」

 私を肩に担いだまま伴喜が礼儀正しく挨拶をする。

 「うん、久々だな。……で、その肩に担いでる女性は? 君の噂のハニーちゃんかい?」

 高戸さんは伴喜に挨拶を返し、相変わらず肩に担がれている私に首をかしげた。

 噂って何ですか!?

 私は一人どきまきしながら背後を振り返った。

 「ははは。噂って」

 伴喜も困ったように笑う。その伴喜は私を少し下ろすようにして、さっきまでの荷物扱いからお子様抱っこに切り替えた。

 ……あんた本当に見かけによらず力があるよね?

 けど、そんな私たちの様子も往年の大スターにまじまじ見られて、少し恥ずかしくて私は顔を赤らめた。

 「こんにちは、初めまして。高戸です」

 「は、初めまして。菰田芽と申します」

 挨拶をしようと思っていたら先に言われてしまって私は少し肩をすくめた。

 「そっかそっか。君がずっとバンキチがひたかくしにしてた芽ちゃんなんだ。で、なんでバンキチに担がれてるんだい?」

 高戸さんがくすくす笑いながら私の顔を覗き込む。

 「……私もわけがわかってないんですけど……」

 言いながら私は恥ずかしさのあまりさらに顔を俯かせた。

 すると伴喜が私の頭の上でくすくすと笑い、

 「ちょっとお仕置きをしようと思いまして」

 そう高戸さんに人の悪い笑みを向けた。

 「すみませんが、彼女にタカさんとユキさんのお見立てをお願いしたいんです」

 はい?

 お仕置きって?

 お見立てって?

 私はさっぱりわからない伴喜の言動に目を白黒させた。


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