*06*
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「……なんか、差し押さえが来た後! みたいな光景だよな」
久々に顔を覗かせた伴喜は、すっかり殺風景になってしまった私の部屋の中に苦笑いをした。
「最低限のものしか置いてないからね」
私も笑って彼を見上げた。
私の大学の卒業式が週末に迫っていた。
教科書や参考書、ノート、辞書に趣味の本は全部もう実家に送り返した。
それを入れていた三段ボックスも処分した。
夏服だってすべて送り返したし、冬服も卒業式に着るものと、旅行用の鞄一つに入るだけを残して後は送り返した。
ほとんどの食器も鍋も、伴喜の出ていた番組を録画していたビデオやDVDと一緒に全部実家に送りつけた。
おかげで、私の部屋は最低限の生活用品しかなく、生活感もなくて、寂しいものになっている。
「しかし、本当に見事に何もないなぁ。ひっろー。俺の部屋も同じつくりなんだから、本当はこれくらい広いはずなんだろうなぁ」
伴喜は改めて部屋の中をぐるりと見渡して感嘆した。
そうだね、同じ広さのはずだからきっとそうでしょう。
ただ、伴喜は部屋の壁一面に立派なAV機器を設置しているから、ものすごく圧迫感があるし、狭く感じる。
あれはあれで、私にしたらレンタルビデオ屋さんいらずで便利な代物だったけれど……。
伴喜はすこし居心地悪そうに腰を下ろし、私を見上げた。
「夏服いっぱいプレゼントするから、今から南国行こうか?」
ふざけたことを言う彼を、私は遠慮なしに「バーカ」と一言で笑い飛ばした。
一緒に旅行なんていけるはずがない。
一緒にこのマンションの外に出かけられるはずもない。
そんなことをしたら、ハイエナのようなマスコミ各社が一瞬で集ってくるだろう。
私たちはこのマンションの住人たちに守っていただいているけれど、それはここの住人たちが自分たちが被害をこうむらないためにやっている自己防衛の一環であって、私のためじゃない。
私たちが一緒に外に行くというのはこのマンションの住人にも被害を向けるということなのだ。
そんなバカな真似はしたくない。
顔を背けた私の腕を伴喜が引っ張った。彼の腕の中に引き込まれて、抱きしめられる。
「芽、お祝いしようって言ってただろう? 俺の行きつけの店を予約したんだ。一緒に行こう」
耳元で言われて、私はびっくりして伴喜を見上げた。
「ずっと、芽に食べさせたいって思っていた店なんだ。一緒に行こう」
もう一度彼がはっきりと私を誘う。
私はのどが詰まった。
何をバカなことを言うのだろう。
自分の立場や回りのことを考えてないのだろうか?
私は胸を押さえて俯いたまま頭を横に振った。
苦しくて、胸が熱くて、言葉が出ない。
かわりに、何度も何度も頭を横に振った。
そんなの、行きたくてもいけるわけがない。
「別々の日に別々に行くなら行ってもいい」
私は俯いたまま彼に言った。
一緒になんて、絶対に無理。
「別々って。一緒に行かなきゃ意味がないだろ? 俺は芽が食べてその後の反応を見たいんだ。本当に美味い店なんだって」
彼は笑って残酷なことを言う。
……私だって、行きたい。
伴喜の好きな店に、伴喜と一緒に行きたい。
彼が好きな味を一緒に楽しみたい。
けれど、それは無理。どうしても無理だ。
「なら、行かない」
私の声は涙声だった。
苦しくて、切なくて、でも彼が私と一緒に出かけようと誘ってくれることがとても嬉しい。けれど、彼と出かける、それはどうしても譲ってはいけないライン。
彼と出かける外はきっと甘美な世界だろう。
彼の見ている世界を私も見て見たい。彼を育んだ世界はきっと素敵な世界に違いないから。
私も彼の世界を見て見たい。
彼と手を繋いで、並んで外を歩きたい。
それができたなら、きっと、幸せな一日になるだろう。
最後の思い出として大切なものになるだろう。
けれど、その後のことを考えると怖い。やっぱりそれ以上先は決して踏み込んではいけない境界線だった。
「芽、そう簡単にばれないって。そんな警戒しなくても大丈夫だよ」
伴喜は笑いながら私の頭を撫でた。
そうだね、一度くらいもしかしたら大丈夫かもしれない。
けれど、「かもしれない」っていう言葉は、「絶対に大丈夫」という意味じゃない。
それに、きっとこういうときに限って、一緒に出かけたりしたらばれる。そういうものだ。
だいたい、伴喜。あなた自分の知名度の高さを知らないなんていわせないわ。
幅広い年齢層に愛されているアイドルの癖に。
「絶対に嫌」
私の首は決して縦にふれることはなかった。
私の返事にじれたように伴喜が眉をしかめた。
「じゃぁ、芽はどこに行きたい? 俺と一緒に出かけても良いって思う場所、どこ? 芽の一番好きな景色はどこ? 俺も芽の景色を見たい、見せて欲しい。芽と一緒に見たい」
優しい声音だったけれど、焦っている口調だった。少し苦しそうな悲しい声音。
私の両方の手を握る彼の力が強くて、私は俯いた。
彼の視線が痛かった。
彼の強い力が痛かった。
私が彼のことをすべて受け入れるくらい強かったらよかったのに……。
そうすれば、もっとずうずうしく生きれただろうか?
そうしたら、彼と太陽の下を手を繋いで歩けただろうか?
けど、私はどうしても譲れない。
こんなに苦しい思いをするくらいなら、自分の脆さを気付かされてしまうくらいなら、もう……。
「……らない」
私は俯いたまま呟いていた。
「お祝いなんていらない。そんなの、いらないからもう私を解放して」
その瞬間、私を捉えていた強い力と強烈な存在は静かに私の腕を離した。
あっけないほど簡単に。
私が今まで嵐のようにいろんなことを考えていたのが嘘のようになくなってしまった。
寂しいと思う暇もないほど一瞬で……。
静かで重い空気が辺りを覆った。