キャッチボールの基礎③
「ボール貰えるか?」
「あ、ハイ」
「サンキュ。その動きをしながら投げてみるぞ。三回くらいにしとくか……。イチ、二、サンッ、で投げて、投げる時に左手は胸元に引き寄せて、身体は正面に捻る。足は左足の膝裏に右足の膝小僧がくっつく感じ。やってみるな」
グルグルと回して明崎が放った球が正面のネットにシュパッと沈み、地面に落ちる。相手がいたのなら丁度胸元の位置だろう。
滑らかな動きを真似するように古義はシャドウで一度身体を捻り、ネットへ近づいて球を拾い上げた明崎からボールを受け取る。
「ほい、お前の番」
「っす」
古義はしっかりとボールを握り、横を向いて構える。
グローブをはめた左腕を伸ばして、右腕は"つ"の字。肘から回して、イチ、二。左手を引き寄せて、投げる。
「あ、」
放った球はホワッと曲線を描いて、ポフリとネットに皺をつくる。相手が人だったのなら、左腕をいっぱい伸ばしてなんとかキャッチ出来るという位置だ。
(うえぇぇぇぇ!!?)
想像以上に微力な投球に顔面蒼白になる古義に、明崎はクツクツと可笑しそうに笑いながら転がった球を拾い上げる。
「な、全然違うだろ? まぁでもフォームも崩れてないし、悪くないって」
「そ……すか」
(さよなら、オレの逆転劇……)
項垂れながら返球を受けとった古義の脳内で、先程思い描いていた友好的な蒼海と日下部のイメージがガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
しょーがない。古義は気を取り直して再び構えの姿勢をとる。
落ち込んでいても実力は変わらない。今出来るのは目の前の一つ一つを吸収していく事だ。
(……腕と身体の捻りがバラけてた感じがする。あと、足も。明崎センパイみたいに、ピシっと安定してなかった)
頭の中で明崎のイメージと重ね合わせ、再び腕をグルグルと回す。
一回、二回、三回目。左手を引き、右足を軸となる左足に引き寄せ、腕を落とす。
「っ、」
スポッと。先程よりも威力の上がった球がネットに沈み込む。
位置は丁度頭付近といった所だろうか。胸元ではないが、真っ直ぐ飛んだ。
「おお!?」と古義が興奮しながら明崎を見ると、少し驚いたような顔を向ける。
「古義、飲み込み早いな!?」
「そうっすか!?」
「おう、真っ直ぐ飛ぶまでもっとかかると思ってた。あ、いやマグレかもしんないけど」
「ちょっセンパイ、せっかくの感動を! オレ、褒められて伸びるタイプっすから!」
「そーなんだ? ワリワリ」
「とりあえず証明がてらもっかいな!」と返された球をパシリと受け取り、古義は構えながら浮つく気持ちを落ち着かせる。
(あー、なんかこのドキドキ感、初めてキャッチボールやった時と似てるわ)
初めて投げた野球ボールが飛んでいった時のワクワク感、指先に残った微かな痺れ。
すっかり忘れていた記憶が呼び覚まされる感覚。
(でも、)
調子に乗ると"ダメ"になる。あれから歩んだ日々の中で、知り得た古義自身の性質だ。
再び頭の中でイメージをして古義は構えの体制をとる。一球目よりはマシになったとはいえ、明崎の投球には及ばない。
まだ固いか。明崎は軽く放おったように見えたが、球には威力があった。
(ってことは体重移動と……手首のスナップか?)
意識的に手首の力を抜き、柔軟性を意識して腕を回す。引き寄せて、体重を左足へ乗せると同時に、手首を弾く。
シュパッと。離れた球は直線を描いて、今度は相手の腰付近でネットを揺らす。
(っ! 今度は下過ぎたっ!)
ぐぬぬ、と悔しげに眉を寄せた古義に「ドンマイ」と笑いながら、明崎は足元に転がり落ちた球を拾い上げる。
驚いた。これまでの投げ方を忘れろとは言ったが、それはあくまで論理上の理想だ。例え古義が頭で理解して忘れようとした所で、長年の経験が染み付いた身体はどうしても今までの"記憶"が残る。なのに。
(……綺麗なもんだ)
明崎の教えた通りのフォームを素直に体現してみせたどころが、ものの数球で"モノ"にしている。
"勧誘"の時に見せたスウィングの対応といい、"勘"がいいのかもしれない。
「古義」
おかしい箇所を探るように頭を捻りながら投球フォームを繰り返す古義に球を放り返し、明崎はネットから離れる。
「マグレじゃないみたいだし、キャッチボールしてみっか。あ、お前はさっきのグルグルやれよ。まわすの二回でもいいから」
「! ハイ!」
「あ、あと暴投怖いからオレがネット側なー」
「わかってますよ……。徐々に距離出してけばいいすか?」
キャッチボールは近い位置から始め、一投毎に下がり距離をとっていくのが一般的だ。尋ねた古義に明崎は「おう。あ、でも古義はまだ遠投は禁止な」と釘を差し、ミットを数度叩いて構える。
塁間よりも距離をとって行う遠投は、ステップを踏み力いっぱい投げるのでフォームを崩しやすい。
暫く遠投はオアズケなんだろうな、と悲しみながらも頷いて、古義は明崎に向かって構える。
いち、に、さん。
「っと」
飛んだ球は明崎の顔の右側。「スミマセン!」と慌てて謝る古義に、「いちいち気にしなくていーぞ」と明崎が吹き出す。
「投球がブレんのは当たり前。お前はそれよりフォームを意識な」
「っす」
頷いた古義に、明崎が軽くステップを踏み投げ返す。
パシリ。高音を響かせてキャッチした古義の左手。グローブの中の人差し指と中指がジンと痺れる。
(っ、おもっ)
軽く投げているのに届く球はズシリと重い。ボール本来の重さではなく、それだけ"威力がある"という事だ。
盗塁を警戒する捕手は、ダイヤモンドの対角線にある二塁へ投げる機会が多い。さすがキャッチャーだな、と感心しながら古義は一歩下がり構えて腕を回す。