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部員

「やっぱり来てくれるって信じてたよ、かずちゃんーっ!」

「ちょっ、苦しいっす小鳥遊センパイ……っ」



黄色いグローブを嵌めた手を背中に回しギュウギュウと頭を押し付けてくる小鳥遊に、古義は顔を真っ青にしながら抗議の声を上げる。

身体は小さいが、やはり高二の男子。それも腕の筋力を必要とする部活に携わっているせいか、見た目以上に腕力が強い。

遠のく意識に抵抗出来ないまま力の抜けていく古義にやっとの事で気づいた小鳥遊が「わっ、ごめん」と慌てて腕を解く。

助かった。本気で危なかった。

ゼーハーと荒く息を繰り返しながら酸素を取り込み、古義は目尻に浮かんだ涙を拭いながらのそのそと顔を上げる。


(っと、)


目に入ったのは揃いの青いジャージを着た部員達。古義を取り囲むように半円形で並び、古義と小鳥遊を見据えている。

圧に思わず「ひっ」と縮こまると、「そんなビビんなって」と右隣に立つ明崎が吹き出す。



「正式に入部ってコトで、まずは簡単な自己紹介な」

「あ、っす」



わざわざ練習を中断して集まってくれたのだ。しっかりせねばとピシリと両手を腿に添わせ、背筋を真っ直ぐに正す。

古義が所属していた野球部では、これが集合時の基本の姿勢だった。ところがどうもこの部活では違うのか、クスクスと届く笑い声にぐるりと見渡せば、腕を組んだり腰に手を当てたりとそれぞれ実にリラックスした姿勢だ。



「そんな気張らなくていいよ、かずちゃん」

「っ、ハイ」



(もしかして、早速やらかした?)


左隣に立つ小鳥遊に腕をつつかれ、古義は羞恥に染まる顔を隠すように俯きながら肩の力を抜く。

これが高校と、中学の差か。「ほい、がんばれ」と明崎に背中を叩かれ、気を取り直して深く息を吸い込みながら顔を上げ、しっかりと前を向く。



「一年の古義和舞こぎかずまです。中学までは野球部でした。ソフトはまだ良く分かってないっすけど急いで覚えます。よろしくお願いしあっす!」



ペコリと頭を下げると疎らな拍手が返ってくる。こんな感じで良かったのだろうか。

「よし、じゃあこっちからでいいよな。岩動から」と進行する明崎の声に、過った不安を拭いながら下げていた頭を上げる。

こっちから、という事は、岩動というのは明崎の右手側の青年だろう。視線を遣ると黒い短髪のガタイの良い部員が、「おう!」と笑んで胸を張る。



岩動誠いするぎまことだ! センター! お前、打撃は上手いのか!?」

「へっ? あ、いえ、普通……だと思います」

「そうか! なら今年も四番よばんの座は安泰だなっ!!」



デカイ。声もデカイが、身長も横幅もこの部一の大きさだろう。

ガハハと両手を腰に当て大口を開けて笑う岩動を横目に、明崎が「あの時、古義んトコまでボールふっ飛ばしたのコイツな」と苦笑を向ける。

なる程。わかりやすい、パワーバッターか。



「んもうっ、いい加減次行っていいかしら」



「相変わらずウルサイんだからっ!」と耳を塞いでジトリと睨むのはその隣の青年だ。癖のない長い桃色の髪を左耳下で結い纏め、斜めに流された前髪には濃いピンクのメッシュが入っている。

派手だが妙にしっくりとハマって見えるのは、長い睫毛と端正な顔立ちのせいだろう。「スマンな!」と朗らかに片手を上げた岩動に息をついて、片肘を抱える。



風雅ふうがなつきよ。ポディションはファースト。わからないコトがあったら何でも聞いてちょうだい。か・ず・ちゃんっ」



チュバッと飛ばされた投げキッスに、思わず古義の頬が引きつる。

独特な口調に反射で浮かんだ予感。もしかして、この人。


(イヤイヤ、決め付けは良くない! 人を見かけで判断してはダメだ……っ!)


過った可能性を必死で否定つつ古義はなんとか愛想笑いを浮かべて「あざっす」と頭を軽く下げる。

その反応がお気に召したらしい。風雅は指先を荒れひとつない唇に寄せてウフフと笑んで、「カーワイイーわねー」と獲物を見つけた蛇のようにその目を剣呑に細める。


(え!? なにやっぱりソッチの人ぉ!!?)


予感は事実だったのか。ロックオンされた気配にダラダラと流れ落ちる大量の冷や汗を背に感じながら、ピシリと硬直する古義。するとすかさず感じ取ったのか、風雅の隣に立っていた金髪の--まぁこの人も中々の強面なのだが、その人が「ビビってんだろこのカマ野郎が!」と黄色いグローブで風雅の腕を叩く。



「いったいわね! ナニすんのよっ!?」

「しょっぱなから新入りドン引かせんじゃねぇーよ!! やっぱ辞めるっつったらテメェのせいだかんな!?」

「アンタが下品だからじゃないのっ!」

「あんだとコラ!?」

「ハイハイ、そこまで!」



パンパンと両手を叩いた明崎の合図で、睨み合っていた風雅と金髪の男が「フンッ」と互いにそっぽを向く。


(こっえぇ~……。仲、悪いのかな)


勿論こんな理由で入部を取りやめる気はない。でも一応覚えておこうと心のメモ帳にしっかりと書き留めていると、金髪の男が古義をチラリと一瞥する。前髪は邪魔でも切らない主義なのか、額の上で乱雑にピンで留めているため表情が分かりやすい。

腕を組んだまま眉根を寄せると、顎先を上げて少し斜めに構える。



「……宮坂千秋みやさかちあき。ライト」

「愛想悪いわね」

「あぁ!?」

「コラコラ、止めなさい」



いい加減にしろという風に強めに咎めた明崎に、再び二人が口を噤む。

どうやら力関係は明崎の方が上らしい。という事は二人も明崎と同じく二年生なのだろうと予想付けて、「あれが二人の普通だから」とそっと耳打ちしてきた小鳥遊に小さく頷く。



「ったく、高丘も見てないでちょっとは止めろよ」



見れば次は高丘の番だ。グッタリと肩を落とす明崎に「ああ、すまない。楽しそうだったからつい、ね」とクスリと笑んで、古義へと視線を合わせると手にしたボールを軽く掲げながら小首を傾げて微笑む。



「以前来てくれた時に、自己紹介は済んでるんだけどね」



「もう一度名乗っておこうか」と提案した高丘に、古義は「あ、」と声を発する。



「高丘センパイ、ですよね。覚えられたの、苗字だけっすけど」

「おや、十分だよ。記憶力は悪くないみたいだね」

「……即座に肯定できなくてスミマセン」



正直、学力に関して言えば中の下といった所だ。微妙な顔で返した古義に高丘は「それは悪かった」とクスクスと笑んで、ボールを握りしめた左手を自身の胸元へ寄せる。



高丘真也たかおかしんや。守備位置はショートだ。よろしく、古義」



所作に滲む育ちの良さと、上品な京紫の髪。オマケに甘いマスクといい声で、少なくとも古義が今まで出会った中で一番の"イケメン"だ。


(きっと、すっげぇモテるんだろうな)


入部を決めたとはいえ、可愛い彼女とのウキウキ放課後デートを諦めた訳ではない。心の中でこっそりと高丘を"師匠"の位置に着座させ、古義は「しあっす」と頭を下げる。

顔を上げて、その隣。ジッと睨むように古義を見据える鋭い眼に、思わず息を詰める。

彼だ。今でも鮮明に思い出せる、あの落ちる球。そしてあの日と同じく眉間に深い皺を刻んで、ただ淡々と。



「お前の過去がどうだろうと構わないが、遊び半分の軽い気持ちなら迷惑だ」

「っ、」

「恭っ!」

「本当の事だろ。ここの部員は全員、真剣に全国を狙っている。部内の士気を下げるようなら、直ぐに辞めてもらうからな」



話は終わりだというように踵を返したその背に明崎が制止をかけるが、「時間の無駄だ」と切り捨てて投球場へと歩を進めていく。日差しを受けて深い青色に反射する黒髪が、風に乗って小さく踊る。

残されたのは微妙な空気。だと古義は感じたのだが、見渡した部員達は慣れているようで、肩をすくめたり息をついたり呆れたように首を振ったりと反応は実に穏やかだ。

「悪いな」と。古義への謝罪を口にして、明崎が息をつく。


(やっぱ、こーなったか)


自身にも他人にも厳しい蒼海が、そう簡単に古義の事を"仲間"として受け入れるとは思っていない。この程度なら、想定内だ。



「アイツは蒼海恭輔あおみきょうすけ。知っての通り、ウチの唯一のピッチャーだ」

「唯一、ですか」

「ソフトって下投げだろ? そう簡単に誰でも真っ直ぐ投げれるもんじゃないんだよ。ま、一応高丘にも練習では投げてもらってるけど、試合ってなるとちょっとな」



「その辺りの話しはまた後日にな」と肩を竦めて。



「悪いヤツじゃないんだ。ただ、ちょっと言い方がキツくなっちゃうだけで」



「だから許してやってな」と片手を上げて懇願する明崎に、古義はつい視線を落とす。

蒼海の言い分はもっともだ。きっとあの球を投げれるようになるまで、多大なる時間と努力を積み重ねてきたのだろう。

個人ではなくチームとしての結束が問われる競技で、望んだ勝利を掴みとるには全体のモチベーションも重要になってくる。

そしてその一員として数えられなかったのが、中学での古義だ。


(でも、あの人はオレも、"全体"の中にいれてくれんだ)


人数が少ないから目につく、という意味だったのかもしれない。それでも"ナイモノ"として扱われるより、百倍マシだ。

グッと。両の掌で拳を握って、真っ直ぐに明崎を映す。



「大丈夫です」

「え?」

「オレ、ちゃんと真剣ですから」



強く光る焦げ茶色の瞳に、明崎は古義の覚悟の強さを知る。こういう目をするから、コイツは面白い。そして同じ目をする人間を、明崎はもう一人知っている。

「そっか」と口角を上げ古義の頭を軽く叩いて、再び視線を部員の方へ。

ここの部員は個性も強いが仲間意識も高い。古義のような真っ直ぐな性格は、どちらかと言えば好ましいモノだろう。

案の定、並ぶ顔にはそれぞれ古義の今後を期待するような好奇の色が見て取れる。それはきっと、自分にも。



「じゃあ最後、小鳥遊!」

「はいはーい! って、ボクもう既にかずちゃんとは仲良しだけどね」

「そうそう、気になってたのよー。 アキちゃんだって会うの二回目でしょ? それにしては随分とナカヨシじゃない?」

「それはねー、ヒミツ!」

「まさかオマエ、ソイツんとこ行ってたんじゃねーだろーな?」

「えっ!? やだなーそんなまさか!! ね、ねー? かずちゃん?」



(この人ウソ下手だなーっ!!?)


詰め寄る風雅と宮坂に慌てた様子で同意を求めてきた小鳥遊に古義も一応「っす」と頷くが、明らかな動揺は自ら肯定しているようなモノだ。

案の定、明崎に「小鳥遊、後で話しがある」とニコリと笑みを向けられて、半べそをかきながら「ごめんなさい」と古義の影に隠れる。



「まーでもそのかいあって古義が来たんだろ!? なら今回はファインプレーだな!」

「全然ファインプレーじゃないって。直接勧誘に行くのは禁止されてるんだから……」



ガハハと大口で笑いながら親指を立てた岩動に、明崎は額を抑えながら「どうかバレませんように」と呟く。

成る程。つまりこれはワリと本気の秘密事だったのだと理解した古義も、この事は黙っていようと固く心に誓う。

止まってしまった流れを再び戻したのは高崎。「ほら、小鳥遊。自己紹介」と呆れたように促され、小鳥遊が「そうだった」と鳥の子色の髪を揺らす。



「下の名前はアキだよ。ポディションはセカンド! 一緒に頑張ろうね! かずちゃん!」

「あの、その呼び方は決定すか」

「うん! けってー! あ、ボクの事もアッキーって呼んでいいよ!」

「いや、それはいいっす」



明るい笑顔で差し出された掌に古義もつられて手を出せば、がっちりと握りしめられ勢い良く上下にブンブンと振られる。

腕力も強かったが握力もかなり強い。華奢に見える身体のドコにこんな力があるのか。



「ったいっす、小鳥遊センパイ!」

「わーごめんっ! またやっちゃった!!」



また、という事は常習犯なのだろう。開放された赤くなった右手を涙目で擦りながら「いえ……」と零した古義に、「甘やかすんじゃねーぞ古義」と宮坂が即座に返す。



「何回言ったってこのザマなんだ。後輩からもイヤがられりゃ多少はマシになんじゃねーの?」

「ヒドい! 冷たいよちーちゃん!」

「テメェがいつまで経っても加減を覚えねぇからだろ!? こっちは毎度毎度イテェ思いしてんだよっ!」

「アタシは別に平気よ?」

「だよねー?」

「バケモンと一緒にすんじゃねぇ!」

「まっ、失礼ね! 根性足んないんじゃないの?」

「あぁ!? ケンカ売ってんのかテメェ!?」



(なんかまた始まってしまった……)


目の前で飛び交う怒号にどうしよう、と戸惑いながら明崎を見遣ると、「後はよろしくな」と高崎に片手を上げ「じゃあ行くか」と古義に笑みを向け校舎を指差す。

あ、無視なんだ。歩き出した明崎を追いかけて、古義もその場からそっと離れる。



「うっさいだろ? いっつもあんな感じでさー」



「あ、でも仲は良いんだ仲は」と苦笑する明崎に、古義はソロリと元いた後方を見遣る。

小さな輪になり言い合いを続ける三人に高丘が割り行って制止しているようだ。岩動は腰に手を当て相変わらずニコニコと楽しそうに見守っている。

その、奥。移動式のネットで遮られた先で、黙々と投球を続けている蒼海。フォームの確認なのだろうか、セットポディションからぐるりと腕を回すのではなく、横を向いた状態で腕を回し、一球一球丁寧にネットへと放っている。

ふ、と。気がついた古義は視線を動かし、部員を数える。


(……やっぱり)


自分を除いて七人。最低でも九人いなければ、チームとして成り立たない。



「これで全員ですか?」



蒼海の口ぶりからするに、試合には出ていたのだろう。という事は足りない分は、他チームから借りていたのだろうか。

見上げた明崎は「いや、」と短く答え、ニカリと歯を見せる。



「あと二人、だな。三年生と、古義と同じ一年生」

「一年!?」



拾った単語に古義が目を輝かせ、歓喜の声を上げる。まさか、同じ学年のヤツがいたとは。

先輩達は皆いい人のようだが、やはり同学年の存在は格別に心強い。



「その人達は!?」

「顧問のトコに入部届出しに行ってるから、もしかしたら入れ違うかもな」



期待にそわつく古義に「自己紹介はその時にだな」と笑んで、明崎はゆるりと言葉を続ける。



「去年までは一人足んなくてさ。試合ん時は野球部にお願いして借りてたんだよ。……これでやっと、本当に"チーム"として戦える」



いくら協力者が全力を尽くしてくれていても、やはり本来の"仲間"ではないという決定的な壁は拭えない。技術の面は仕方ないにしろ、気も使うしそのぶん集中力も流れも途切れる。

早いところもう一人を、と必死に勧誘を続けたのだが、三ヶ月が過ぎた所で蒼海に「もういいだろ」と制止されたのだ。八人でも戦えるくらい、"俺達"が強くなればいいと。それが蒼海なりの気遣いだったのだと、皆ちゃんと理解している。

だから、"やっと"なのだ。夢にまで見た"チーム"として、グラウンドに立てるのは。


嬉しそうに目元を緩める明崎に、古義は「早く使えるようになろう」と強く決意を固める。

ただ人数が欲しかっただけなのかもしれない。それでもあの時、明崎が引っ張ってくれたから、こうしてもう一度チャンスを手にすることが出来たのだ。


人気の減った校舎内を進みながら、明崎が「そういえば」と思い出したように言う。



「その一年、経験者だよ」

「え!? そうなんすか!?」

「ああ。中学からって言ってたっけな……」

「う、うまいですか?」

「そうだな。結構いいセンスしてると思うぞ」



頷いて肯定した明崎に思わず「ングッ」と変な声が出る。

上手い、という事は、一つだけ残されているレギュラーの座は、争うこと無くソイツのものだろう。人数も少ないし、早速試合に出れるんじゃないかとちょっぴり邪な思いを抱いていた古義だが、そう簡単に何でもかんでも上手くいくものではない。

どこか悔しそうな古義に気がついたのか、明崎が「そうだなぁ」と吹き出して。



「オレと恭、風雅と小鳥遊は元々ソフト経験者だけど、他は高校からだよ」

「へ? そうなんすか? って高丘センパイも!?」

「高丘は野球を少し齧ってたみたいだな」



「古義と同じだな」と笑って。



「で、岩動は元柔道部? だっけな。宮坂は全然。だからその辺が狙い目かな」

「狙い目って……センパイですし」

「関係ない関係ない。ウチは実力主義だから! あと、深間さんも高二からだけど、あの人は……」



途切れた会話に明崎を伺うと、前方へ軽く手を振りながら「噂をすればだな」と口角を上げる。

追った先には二人の男子生徒。癖のある黒髪の一人は明崎と同じ青色のジャージを、背の低い薄緑色の髪の一人は古義と同じく一年用のジャージを着ている。


(アイツが同志か!!!!!!)


両手を広げて泣きつきたい衝動をグッと堪え、明崎に並んでその二人と対峙する。



「スミマセン深間さん、ありがとうございます」

「いや、問題ない。……もう一人来たのか?」

「はい。この間の」

「ああ、そうか。良かったな」



長い前髪の奥の眼が、少しだけ細くなる。



「三年の深間宗一郎ふかまそういちろうだ。副部長をしている」

「古義和舞です。よろしくお願いします」

「深間さんのポディションはサードな」

「ああ……守備も必要だったか。すまない」

「いえいえ」



(って、あれ……?)


交わされた会話に微かな違和感。思い返せば明崎が"さん"と敬称をつけて呼ぶのはこの深間だけだ。

それでも今、深間は確かに"副部長"だと言った。ならば、あの部員の中にもう一人三年がいたのだろうか。



「あの……」



遠慮がちに手を挙げた古義に、視線が集まる。



「深間センパイが副部長って事は、部長は誰が?」



恐る恐る尋ねた内容に深間は明崎を見て。

明崎は「あー」と間延びした声を出してぐるりと宙へ視線を泳がせると、バツが悪そうに頬を掻く。



「まった言うの忘れてた。オレがここの部長です」

「っ!? 明崎センパイって二年すよね!?」

「この部を作ったのは明崎だ」

「へっ?」

「ウチに元々男子ソフトボール部はない。明崎が入学してから立ち上げたんだ」

「そうなんですか!?」

「まぁな。本当は深間さんに部長やって貰いたかったんだけど、断られちゃって」

「お前のチームだ。お前が先導しないでどうする」



緩く首を振った深間に明崎が苦笑する。

先程明崎は経験者だと言っていた。ソフトが好きで好きで、高校でも続ける為に自分で男子ソフトボール部を立ち上げたのだろうか。


(ん? ということは……)


蒼海は、この菫青きんせい高校にソフトボール部がないことを知った上で、進学を決めた事になる。

あれだけ投げられるのなら、強豪校に進んだほうが彼の言う"全国"に近かった筈だ。それなのに、敢えて。

いちから自分の理想のチームを作る為の選択だったのだろうか。


「あの、」と。言いかけた古義を遮ったのは、同じ紺色のジャージを着ている同志。

不機嫌そうに顔を顰めて古義を一瞥すると、ジロリと明崎を睨み上げる。



「明崎さん、早く練習に合流したいんですが」



いつまでココで足止めされなければいけないんだと、多分にトゲを含んだ言い回し。


(なんだコイツ、こっわ)


瞳が大きいせいか、どことなく可愛さを滲ませる顔つきとは正反対の尊大な態度に、古義の肩がビクリと跳ねる。

明崎も気圧されたのか「お、おう、そうだよな! 悪い悪い!」と慌てた様子で謝罪を口にして。



「自己紹介だけ頼むよ。あとはお前だけなんだ」

「……」



面倒くさい。けど、仕方ない。

そう言うように真緑色の目を細めながら軽く息を吐き出して、古義よりも低い位置のくちびるが小さく動く。



日下部忍くさかべしのぶ。一年二組」



間。暫くして「もういいですか」と響いた声に、彼の"自己紹介"が終わったのだと知る。

愛想が悪い。同じ一年なのだから、気さくな"よろしく"の一言ぐらいあってもいいと思うのだが。



「あ、オレは」

「いらない。さっき聞いたし。明崎さん、行っていいですか」

「へ? あ、おう」

「行きましょう、深間さん。今ならまだティーバッティング辺りだと思います」



古義になど興味がない。隣を通り過ぎたというのに一切視線が合わされないのは、そういう事だろう。

先程まで思い描いていた、良き友であり仲間でありそして時にはライバル、という青春の空の下綴っていく爽やかな共闘の日々がガラガラと音をたてて一気に崩れ落ちていく。


(なんだよ、アイツ)


初対面だというのに、オレのなにが気に入らないんだ。

去って行く背を恨めしげに見送る古義を励ますように、日下部を追って隣を通り過ぎた深間がひとつ肩を叩いていく。

「ったく、アイツもか」と。呆れた声に明崎を見上げれば、疲れたように息をついて緩く首を振る。



「日下部な。アイツは最初っからウチ志望で仮入部ん時から来てくれててさ。練習熱心だしキチッとしてるんだけど、ちょっととっつきにくいヤツなんだよな。深間さんの話しはワリと素直に聞いてくれるんだけど……」

「はぁ……」

「ま、同学年なら打ち解けやすいかもだし、上手くやってくれな」



「まだまだ始まったばっかだかんな」と先へ歩き出した明崎に倣って古義も歩を進める。

うまく、か。勿論古義だってこれから三年間(実質は二年とちょっとだが)を共に支え合っていく仲間として、出来れば友好的な関係を築いていきたい。だがそれはあくまで古義個人の願望であって、日下部が同じ関係を望んでいるかなんて分からない。

少なくとも先程の態度では、古義の入部はあまり歓迎されていないようだ。


(……なーんか予定外のトコで"前途多難"ってヤツ?)


ただでさえ技術不足に知識不足といったハンデがあるというのに、更に"同期との関係不良"というマイナス因子が増えてしまった。

重くなっていく脳みそに、眉間の皺が寄る。とにかくまずは、日下部とキチンと話してみなけば。

一旦思考に区切りをつけた所で、二人に出会う前の明崎の話しが中途半端に打ち切られていた事に気がつく。


(たしか、深間さんのコトだったよな)


高校二年から初めたというコトは、まだ一年程度の技量である。言い渋っていたのは、いくら実力主義といえど流石に三年生ととってかわって古義をポディションニングすることは出来ないという事だろうか。


(まぁ、普通はそうだよな)


出来れば古義だって勘弁頂きたい。しっかり染み付いてしまった絶対的上下関係が、そんな状況には耐えられないと心底拒絶している。まぁ、そもそもとして、この仮定は深間の技量を古義が上回った場合にのみ機能するのだが。

明崎の続けようとした言葉を訊こうと口を開きかけて、再び噤む。目の前に"第二職員室"の文字が見えたからだ。先程明崎が"入れ違う"という表現を用いた点から察するに、きっとここが目的地だろう。

古義の推測通り、明崎は「顧問の先生が居るのはここな」と古義に軽く説明すると、扉を二度ほどノックして「失礼します」と踏み込む。同じく古義も「しつれーしあっす」と続け、明崎の後ろから初めての職員室へ。


放課後とはいえ、まだ残っている教師が多い。眉を顰めてノートパソコンに向かっている人や、紙へペンを走らせる人。主の姿がないデスクの上にもファイルが積み重ねられており、蓋の空いた缶飲料が置かれている。

その室内の奥の方。後ろ側の扉に近いブロックの窓側の端で、柔らかな灰色のスーツを着た白髪混じりの男性がのほほんとマグを傾けている。見たところ年齢は古義の父よりずっと上だ。



「田渕先生」



明崎の発した名前に、その男性が二人を捉える。

にこり、と。目尻の皺を深くしながら優しく微笑んで、ゆっくりとマグを置く。



「おや、先程深間くんと日下部くんが来たので、終わりだと思ってたんですがねぇ」

「残念ですがもう一人お願いします」

「残念だなんてとんでもない。青天の霹靂ではありますがね」



渡された入部届を温かな笑顔のまま受け取って、決して上手くはないが大きく太く"古義和舞"と書かれた名へ目を通す。



「古義くん」

「っハイ!」



落ち着いた声色で紡がれた自身の名に、古義はピシリと背筋を伸ばす。

ゆっくりと、古義を捉えた田渕は孫を見るように柔らかく目元を緩めて。



「ソフトは、楽しいですか?」

「え?」



突然の問いに、思わず戸惑いの声が漏れる。今まで経験のない古義からしたら、ソフトボールに触れたのはあの日の一回こっきりだ。楽しいか、どうか。判別するには、まだ日が浅すぎるのでは。

古義の困惑を察知したのか、明崎が「古義は経験者じゃないですよ」と横から助け船を出してくれるが、それにも田渕は「そうですが」と頷くのみで、先ほどの問いを撤回するつもりはないようだ。古義の答えを待つように、にこにこと笑顔のまま見上げている。


少なくとも。この場には古義にとって恩人でもある部長の明崎がおり、問ういているのは監督も担っているであろう顧問だ。

空気の読めない性格ではない。"楽しい"と答えたほうが今後の為にも最善だと察知出来ているのだが。



「……わかんない、です」

「ほう?」

「オレ、野球はやってましたけど、蒼海センパイの球見てソフトは全然違うんだって思い知りました。……なんで、まだ始めてもいないんで、楽しいかどうかはわかんないすけど」



しっかりと、感じたままに。



「ワクワクしてます。今は早く覚えて、上手くなって、試合に出たいって思ってます」



飾らない古義の本心。試合が全てではないと切り捨てられてしまえばそれまでだが、中学時代の苦悩が未だ根強く意識下に巣食っているせいか、どうしても試合へと固執してしまう。だからこれは、古義にとっての絶対事項なのだ。今度こそと、脳が叫んでいる。

田渕は笑みを携えたまま深く頷くと、引き出しから判を取り出し入部届へそっと押す。そして再び古義を捉え、染みこむような声色で。



「その感覚を、言葉を、忘れないでください」

「、」



たった、一言。それだけを古義へ告げると横の引き出しから一枚の紙を取り出し「明崎くん、コレをお願いします」と明崎へと手渡す。

受け取った明崎には馴染みのある内容らしい。「ああ、そうか」と思い出したように小さく零して、「了解です」と田渕へ首肯する。


「じゃ、戻るか」

「っ、ハイ!」



「先生はまた後で」と踵を返した明崎を追い、古義も田渕へ軽く会釈して「失礼しました」と職員室を出る。

顧問といえば、練習時は常にグラウンドにいた記憶がある。高校では違うのだろうか。



「監督って常に練習を見ているモンじゃないんすか?」

「ああ、田渕先生は顧問だけど監督ってワケじゃないからな」

「え?」

「一応相談とかには乗ってもらうけど、オレが兼任してんだ。部の立ち上げには顧問が必須でさ。て言っても知らない先生には頼みに行きづらいし、ダメ元で仲良かった田渕先生にお願いしてみたら引き受けてくれてな。助かったよ、全教師に顔と名前覚えられるなんて事になんなくて……」

「ああ……それはイヤっすね」



学年中の教師に名前を知られるという事は、些細な事でも常に「ああ、アイツか」と意識下に残る事になる。

想像した窮屈な学生生活に寒気が背筋を駆け上がるのを感じながら、古義は少しだけ落胆する。

という事は、田渕は技術的な指導者ではない事になる。上手くなる為には、センパイ達の技術を見て盗むしかない。



「そんな不安がるなって!」

「イッ!?」



バシリと勢い良く背中を叩かれ、わけがわからないと見上げた明崎。

ニッと古義に笑みを向けると、「大丈夫だいじょーぶ」と繋げる。



「ウチのヤツら結構面倒見いいし、つきっきりは難しいだろうけどオレもちゃんと教えてやるから。だから安心して励めよ!」



ポンポンと今度は軽く背を叩かれ、古義は「あざす」と視線を落とす。

明崎の観察眼が鋭いのか、顔に出やすいのか。どうもこうしてフォローされることが多い。


(……こーゆーカタチも、あるんだな)


センパイは絶対な存在。そう叩きこまれた中学時代では、レギュラーではない古義が上級生と会話をする事自体少なかった。

ましてや部長なんて。一対一で話したのは片手で足りる程度だったと記憶している。

人数が少ない、という要因もあるのだろうが、こうして気にかけて尚且つ引っ張ってくれるような上下関係は、少なからずも古義にとっては衝撃である。

明崎には申し訳ないが、まるで。


(……兄ちゃんみてー)



「……明崎センパイ」

「ん?」

「オレ、頑張ります」



「声、かけてくれて……ありがとうございました」と。照れくさそうに視線を逸らしたまま小さく頭を下げた古義に、明崎は一瞬瞠目して。

こそばゆさを隠すように頭を掻いて、「期待してるぞ、新人」と肩下の柔らかな髪を潰した。




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