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入部

『悪いな、古義』



砂が滲み掠れた白線。塗装の剥がれたモスグリーンのバックネット。

呼び止めた一人の男が、紺色の帽子の奥で眉を寄せる。



『お前は動きも素早いし、打撃も悪くない。……けれど、今ひとつ足りない』



何て都合のいいコトバ。

"足りないモノ"と称されたソレをはっきりと口にしなかったのは、この人なりの、優しさだったのかもしれない。

古義はただ、黙って汚れたスパイクへと視線を落とした。入学時から二代目になる"相棒"は、酷く摩耗している。

この後に続く宣告を、古義はもう、知っていた。

ひとつ大きく駆け抜けた風が、流れ落ちる汗を吸い込んでいく。



『お前を、レギュラーには出来ない』



「っ!!!」



開いた視界には馴染みのある白。霞がかった思考が自室の天井だと理解するまで、数秒を要した。

荒く乱れた呼吸を無意識に繰り返しながら、古義は首だけを少し横へ。

カーテンの隙間から射し込む光に、悪い夢をみたのだと悟る。

再び首を動かして確認した時計では目覚ましまであと七分もある。勿体ない、と薄く息を吐き出して、片腕で目元を覆う。



「……さいあく」



この夢をみるのは久しぶりだ。きっと、昨日の出来事が影響しているのだろう。

脳裏に焼き付いた白球が、閉ざした黒の中で再生される。

手前で沈むように変わった軌道、大きく宙を切ったバット。沸騰するように熱を生む、自身の胸中。

微かに生まれ出た"迷い"は、就寝の直前まで古義の頭を悩ましていた。

先程の夢は、『もう間違えるな』という警告だったのかもしれない。


あの時指し示された"足りないモノ"。古義自身も薄々気づいてはいた。ただ、耐え難い喪失感に、目を背けていただけで。

それまで"努力"で繋いできた古義の、"全て"を崩壊させた変えようのない事実。


(わかってる。自分が一番。オレには、)



「……"才能"なんてものはない」



プロを夢見ていたのかと問われれば、答えはNoだったと思う。身体の小さな両親と保守的な古義の性格では、たいそれた未来を想像するには難しかったのだ。

けれども中学・高校とチームメイト達と切磋琢磨し合い叶えばいつか甲子園に、という野球少年が抱きがちな細やかな願いくらいは確かにあった。

それがまさか、中学の段階でふるい落とされる事になるとは、夢にも思わなかったのだ。



「……準備するか」



まだ鳴らないままの目覚ましを止めて、のそのそと布団から這い出る。

下では既に、母さんが朝食と弁当の準備をしているだろう。

床に放られた学生鞄を跨ごうとして、目に入った一枚の用紙。「仮入部」の文字に、数秒立ち止まる。



「……」



古義は脳が言葉を認識する前に、まっさらな思考のまま、部屋を後にした。



◇◇◇◇◇


朝からどうも古義の様子がおかしい。

弁当箱に収められた卵焼きを口に運びながら、大道寺は目の前で唐揚げを咀嚼する古義をチラリと伺う。

朝の挨拶を交わす声にも覇気がなかったし、いつもなら昼食のチャイムが鳴るととたんに機敏になるというのに、今日は微動だにせずボンヤリと窓の外を眺めていた。

今もその視線はどこか一点を意味なく見つめ続けている。


(……俺が、余計な事を言ったから)


中学時代、親しい間柄ではなかった大道寺は、古義が野球を辞めた理由を知らない。

いつか聞けたら、とは思っているが、まだそこまで踏み込める程"許されている"訳ではない。

そうと知っていながら疑問を口にしてしまったのは、感情が勝ってしまった自身のミスだ。

プリントを受け取るまでは"いつも通り"に見えていたが、あの後何か、思う所があったのかもしれない。


(謝るべきだな)


心ここにあらずのまま今度はコロッケを口に運ぶ古義に、大道寺は眼鏡を押し上げ覚悟を決めて箸を置く。

その名を呼ぼうと、小さく息を吸い込んだ瞬間。



「あ、いたいた"かずちゃん"!」

「!?」



喧騒を掻き分け教室に響いた聞いたことのない呼び名に、淡いゴールドイエローの髪がビクリと逆立つ。

まさか、と大道寺が捉えた古義は開けられた扉からこちらに手を振る人物を捉え、その横顔を驚愕に強張らせる。



「やぁーっと見つけたよー! お昼終わっちゃうかと思った!」

「、どうして」



戸惑いを浮かべながらも古義は立ち上がり、教室中の好奇の目に気付くこと無く駆け寄る。

フワフワと揺れる鳥の子色の髪に、古義よりも小柄な身長。確か、小鳥遊と言ったはず。

まさかまた"勧誘"に来たんだろうか。過った不安に、古義は小さく拳を握る。


(そうなら、ちゃんと、断らないと)


そう、部活はやらない。ここでキッチリしておかないと、無駄に付き纏われるコトになる。

覚悟は変わらない筈なのに、このモヤモヤは、なんなのか。



「……小鳥遊センパイ」

「あ、覚えててくれたんだ、よかったー! 一年生ってだけでクラスまでは聞いてなかったから、探すの大変だったよー」



はぁ、と大きく溜息をついてみせて、小鳥遊は古義を見上げる。

そして安心させるかのように、にこりと笑んで。



「"勧誘"に来たわけじゃないから、安心して」

「っ、」



揺れる心を見透かされたような物言いに、古義はただ言葉を失う。

そうでないなら、どうして。



「んーとね、ちょっと手、出してくれる?」

「はぁ……」



言われた通り、パーのカタチで差し出した古義の掌に、コロンと三つほど四角い包みが乗せられる。

プリントされた英字には『Milk』や『Bitter』の文字。



「……チョコ?」



小さく零した古義に、小鳥遊は「うん、」と笑って。



「昨日のお詫び」

「え?」

「かずちゃんが来てくれたの、ホントに嬉しくってさ。つい先走っちゃって迷惑かけちゃった。ゴメンね?」

「あ、いえ、そんな、謝ってもらうようなことじゃ……」



眉を八の字にしながら、小鳥遊は言葉を続ける。



「ウチは人数も少ないし、マイナーだし、あまりオススメ出来る部活じゃないけど」

「……」

「でも、楽しいよ。皆ちゃんと、真剣だし。……かずちゃんもきっと、楽しめると思う」

「……それは、勧誘ですか」

「ボクの"感想"だよ。あ、でもすぐるんには内緒ね。怒られちゃうから」



ふふ、と人差し指を立てて秘密だと告げる小鳥遊に、古義は了承を示すように小さく頷く。

どちらにしろ、今後このまま変わらない日常を送っていれば、明崎と会うことはもうないだろう。

移動の最中にすれ違った所で、たった一度の縁では会話が弾む訳もない。

不要な心配だと沈黙を保つ古義に、小鳥遊は肩を竦めて。



「じゃ、ボクは戻るね。ご飯食べてるトコありがとう」

「いえ……あざっした」



手を振って背を向けた小鳥遊の後ろ姿を暫く見送って、古義は手の内の個体を見つめながら自席へと戻る。

教室内はいつの間にかざわめきを取り戻していて、古義に興味を向ける者はいない。

ただ、一人を除いては。



「……知り合いか?」



古義が席に着くなり、同じく昼食を中断していた大道寺が怪訝そうに尋ねる。

見たところ、古義とは既に顔見知りのようだったが、胸元に付けられた名札は二年のカラーであった。今まで古義から、二学年に知り合いがいるとは聞いていない。

探るように見つめる深いグレーの瞳に、古義は曖昧な笑みを浮かべて。



「あー……まぁ、知り合いってか、知り合っちゃったっていうか」

「わかるように説明しろ」

「……昨日、連れてかれた部活んトコのセンパイ」

「、部活、行ったのか」

「"行った"んじゃなくて、"連れてかれた"だから! 相手センパイだったから逆らえなかっただけだから!」



誤解すんなよ! と喚く古義は必死だが、正直その部分はどちらでも構わない。

『古義が、部活を見に行った』。

その事実は大道寺にとってとてつもない衝撃であり、そして何よりも気になるのは。



「やるのか?」



単刀直入。単語だけで真意を問うてきた大道寺に、古義はプチトマトを口に放り込みながら首を振る。



「……部活はやんないって、昨日も言ったろ」

「じゃあ、あの人は何しに来たんだ」

「……謝罪、かな?」

「……俺に聞くな」



ふむ、と探偵よろしく指をVの字の顎先に当てて眉を寄せてみせる古義に、大道寺は深く溜息をつく。

少し真面目な話しをしようとすると、古義はこうして直ぐにはぐらかす。

それを合図に引き下がるのが、二人の暗黙のルール。大道寺は仕方ないとそれ以上を飲み込み、艶やかな白米を箸ですくう。


(謝罪、か)


そういえば、結局言えずじまいだった。



「……悪かった」



弁当を食べ進めながら、至って自然と発された謝罪の言葉に、古義が大道寺を凝視する。



「……変なモンでも食った?」

「まさか。そんな訳ないだろう」

「なんだよ急に、コワイんですけど」



恐ろしや、と戦慄く古義を一瞥して、大道寺は再び視線を外す。

自分が思っている程、古義は気にしていなかったのかもしれない。

そんな憶測が過ったが、言い出してしまったからには、引っ込みもつかない。



「……昨日、余計な事を言ってしまった」

「昨日? えー…なんか言われたっけ」

「……野球の事だ」

「、ああ、それな」



途端に困ったように寄せられた眉。

余計に蒸し返してしまった、と後悔をする大道寺に、古義は呆れたように小さく笑む。

なんて事ない、些細な疑問だった筈だ。大道寺が気に病む必要など、一切ないのに。


(ま、真面目ってコトなのかもだけど)



「お前ってさ、頭イイけど損するタイプだよな」

「さぁな。今までそういった経験はない」

「そーですか」



ここまで心配をしてくれるんだ。いっそのこと、全力で頼ってみようか。

よし、と覚悟を決めて、古義は唐揚げをひとつ摘むと向かいの大道寺の弁当箱へコロンと転がす。

眉間に皺を寄せた大道寺の奇妙なモノを見るような視線に耐えつつ、古義は口端をつり上げる。



「……なんだコレは」

「賄賂」

「は?」

「放課後、時間ある?」

「……大丈夫だ」

「うし、じゃあその唐揚げ食ってよし」

「それじゃ賄賂じゃなくて褒美だろうが」



やるならちゃんと最後まで設定を通せ、と唐揚げを齧る大道寺に適当な返事を返して、古義も残りの弁当かきこむ。

どうせもう、悩んでしまった時点で無かった事には出来ないのだ。

それならせめて、脳の容量が大きい大道寺なら、少なくとも自分よりは"正しい答え"に導いてくれるだろう。


(……しょーもな)


自分の決意の弱さにも、他人に救いを求めるズルさにも、ウンザリする。

胸の内の蟠りと共に最後の一口を飲み込んで、古義は空になった弁当箱に蓋をする。

少し遅れて綺麗に完食した大道寺も同じく片付けながら、「唐揚げ、美味しかった」と添えてくるのは育ちの良さからだろう。



「そ、母さん喜ぶわ」

「午後、寝るなよ」

「うーっす」



途中ハプニングが起きたお陰で、午後の従業開始まであと十数分。小包を抱えて自席へと戻っていく大道寺に、古義はヒラリと手を上げる。

いつもなら、程よくこなれた満腹感と暖かな春の陽気に誘われて、うつらうつらと空想の世界へ旅立つのが習慣だ。

けれど今は。ザワザワと喚き立つ灰色の思考が邪魔をして、そんな気分にもなれない。


(オレって実は繊細なのかも)


なーんてな、と一人心の中で突っ込みを入れ、教壇に立つ先生の低音を右から左へと流していく。

暇だから、という理由でしっかりノートも書き写していれば、覗き込んだ先生は目を丸くして二度見していた。


たかが、部活。


高校三年間といっても、夏には引退だ。

プロを目指すわけでもない生徒にとっては、実質二年とちょっとの、"青春"という名の"暇つぶし"でしかない。

捻くれた考え方。自覚はあるが、一度折れた人間は卑屈な思考回路になるものだ。


『きっとかずちゃんも、楽しめると思う』


諭すように微笑んだ、小鳥遊の"感想"。

何を根拠にそう判断したのかはわからないが、少なくともこの鬱々としている古義本来の姿は知らない筈だ。


(楽しめる、ねぇ)


人数の少ないマイナーな競技。確かに昨日接した部員達は仲が良さそうな印象だった。

仲良しこよしの"なんちゃって部活"。そう、思うのが普通だが、小鳥遊の示した"楽しめる"は、そういう意味ではないだろう。

緻密な高丘の送球、そして"恭"と呼ばれていた彼のドロップ。どちらも技量の高さが伺える点から推察するに、きっと彼らは、"本気"だ。


(……オレが行っても、迷惑だろ)


明崎は「ほんの少しでも"ワクワク"したなら」と言ってくれたが、軽い、遊び半分の気持ちでは、彼らに失礼だと思う。

そう、思ってしまうのは、実らないながらも"本気"を歩んでいた経験が起因しているのだろう。


終了のチャイムが鳴り、休憩を挟んでもうひと授業。

同じく堂々巡りの葛藤を続け、あっと言う間に終わりを迎える。


ホームルームが終了し残る生徒が疎らになってきた所で、前方に座っていた姿勢の良い背がカタリと立ち上がる。

近づいて、見下ろす眼鏡の奥には微かな戸惑い。「ま、座れよ」と上体を伸ばして前方の椅子を引いた古義の顔を観察して、ゆっくりと腰掛ける。



「……何があった」



眉を潜める大道寺に、古義は黙って机にプリントを乗せる。

『仮入部届け』と印字された太字の下の枠内は、勿論、空白のままだ。



「昨日、男子ソフト部に行ったんだ」

「、」

「最初はさ、最後にひと目だけって思って、ケジメのつもりで野球部を眺めに行ったんだよ。そこでたまたま、ソフトボール拾って。相手、センパイだったから断れなくてさ。適当に付き合って、さっさと帰ろうと思って」



手元へと視線を落としたまま、ポツリポツリと落とされる言葉に大道寺はただ黙って耳を傾ける。



「そんでさっきの、小鳥遊センパイに"野球経験者なんでしょ"って言われて、ドキッとして。あと、高丘センパイって人が投げたボールが相手のグローブにドンピシャで、すっげぇって思って。……明崎センパイに、ちょっとバッターボックス立ってみろって言われて、メット被ってバット持って、立ったんだよ」

「……」

「そしたらさ、すっげぇはえーの。野球よりも近いトコから、シャーって伸びてきてさ。オレ、思わず固まっちゃって、一球だけでいいって言われてたのに、動けなくさ。……そしたらもう一球、投げてきたんだ」



グッと古義の両手が握りしめられ、微かに目蓋が開かれる。

焦茶色の瞳の奥にチリリと熱が灯り、大道寺は薄く息を飲み込む。



「考えてたワケじゃないんだ。多分、今までの"癖"で……バット、振ってやろうと思って。そしたらさ、ベースの手前でその球落ちて。……ドロップって、いうだって。初めて見たからもう、ビックリで」



ああ、成る程。古義の紡ぐたどたどしい"説明"に、大道寺はその真意のアタリをつける。

迷って、しまったのだろう。"部活はしない"と何度も言い聞かせていたのに、感情は常に、正直だ。



「……打てたのか?」



古義は、どちらを望んでいるのだろうか。

背中を押してほしいのか、お前には無理だと切り捨ててほしいのか。

慎重に観察をしながら投げた問いに、古義は「いや」と緩く首を振って。



「当たらないよ、全然。かすりもしなかった」

「……悔しかったか」

「どうだろ。当たるとは思ってなかったから、そこは"ああやっぱり"って感じ。……それよりも、その軌道の方に夢中だったからな」


苦笑を浮かべながら頬杖をつく古義に、大道寺は軽く息をつく。

この様子から察するに、おそらく、古義は自分に話す事で、決断を委ねたつもりなのだろう。


(……人選ミスだな)


生憎、人の今後を請け負えるほど、出来た人格は持ち合わせていない。



「早く帰りたいと、思ったのか」

「、」

「面倒くさい、馬鹿らしいとは思わなかったのか」



淡々と投げかける大道寺に、古義は片手を自身の胸元に当てる。

目を閉じて、浮かんだあの時の感情は、大道寺の示すような拗れたモノではなかった。

激しく速く騒ぎ立てる鼓動、手の内に滲んだ汗。

あの時はただ、純粋に。



「……思わなかった」



初めて野球を知った時と、同じ感覚。



「すげぇって、思った。何だコレって。身体が、アツくなって、めちゃくちゃ興奮した」

「……なら、何が不満なんだ」

「不満ってワケじゃねーけど。……オレは、諦めたじゃん? そんなのにまた、今度は違うのやろうだなんて、調子良すぎだろ」

「……」

「しかも野球がダメだったから、ソフトって、すっげぇ逃げてる感満載じゃね?」



(ストッパーはそこか……)


古義の言い分は一理ある。だが、優先すべきは、"無駄な"プライドではない筈だ。

もし、本当に古義が"望む"のなら、それ相応の"覚悟"をしなければいけない。


(ま、コイツも本当は、わかってるんだろうが)



「……俺は部活動に携わった事はないが、長年続けているものはある。自分が真面目に取り組んでいる所に中途半端な気持ちで入ってこられるのは、良い気がしない」

「だ、よな……」

「だが、意思があるのなら。キッカケがどうだったかなんて、取るに足らない話しだな」

「っ、」



弾くように顔を上げた古義の眼前、大道寺はただ静かに、口角を上げ眼鏡を押し上げる。



「決めるのはお前だ。だがもし、"飛び込む"のなら、全部割りきってからにしろ」

「……そうだな」



(やっぱ、そこまで甘やかしてはくんないか)


いや、ここまで付き合ってくれただけでも、充分面倒を見てもらった方だ。

話は終わりだと立ち上がる大道寺が離れる前に、古義はその腕を軽く小突く。



「ありがとな」

「……俺には、もう答えが出ているように見えたがな」

「……エスパーかな?」

「そんな訳あるか」



じゃあな、と背を向けた大道寺はそのまま自席へと戻ると、鞄を肩に掛け扉へと歩いて行く。

一度だけ、チラリと向けられた視線に古義が笑顔で手を振ってみれば、嫌そうに眉間に皺を寄せ眼鏡を押し上げ去って行く。


(あれは、励ましてくれてたんかな)


大道寺の残した言葉は、どれも否定的ではなかった。ましてや笑んでみせるなど、激レア中のレアだ。



「……こっわ」



両肩を抱いてフルリと震えた古義の目に、残されたプリントの文字が飛び込んでくる。

『仮入部届け』。

期限が示す日付は今日。つまりコレは、今日が過ぎればただの不要な紙になる。



「答えはもう出てる……か」



机上のそれをグシャリと握り、もう片手で鞄を掴んで教室から駆け出す。

大道寺は"割り切る"という言葉を使ったが、感情のコントロールすらままならない古義にとっては、"諦める"という感覚のほうが近いのかもしれない。

仕方ない。ないものねだりを続けた所で、結局、なにも変わらないのだ。

だったら全て、"諦めて"しまえばいい。



翌日。

いつものように準備運動から始まった男子ソフトボール部の中で、明崎はふと校舎へと視線を流す。

気づいたのは小鳥遊。仮入部の終了期限である昨日、古義はとうとう現れなかった。

明崎は始終チラチラとその姿を探していたし、高丘も、口には出さなかったが気落ちしているように見えた。


(まっ、ボクもだけどね)


あの日、部内一のパワーヒッターである岩動の飛ばした打球がいつものごとく守備陣の頭上を越えていった時、球を追いかけようとした小鳥遊を止めたのは隣で守っていた明崎だった。


『いいよいいよ、オレが行ってくるから、小鳥遊は次よろしく』

『ごめんねーすぐるん、おねがい!』


何気ないやり取り。特に気にしてはいなかったが、暫くして様子を伺うと駆けていった明崎の先には一人の男子生徒がいた。

淡いゴールドイエローの、多分、一年生。野球部のネット裏にいたという条件から、また野球部志願者かとこっそり肩を落とした。

だからこそ、明崎が古義を連れてきた時は、とにかく感激したのだ。たとえ古義がその顔に、ありありと"不本意だ"と浮かべていても。


(でも、さぁ)


そのまま迷惑だと醸し続けてくれていれば、小鳥遊もあれほど構うつもりはなかった。

高崎の送球を目にした古義の、驚愕と興奮を写した表情。蒼海の投球を体感した時の、熱意と集中の眼差し。

"あ、楽しそう"と、遠くから眺めながら思わず吹き出しそうになった。

だからこそ、秘密裏に"謝罪"をしに行ったのだ。


『きっと、楽しめると思う』


小鳥遊はその一言に、直接伝えられない一番を込めた。

だってあの時キミは確実に、楽しんでいたじゃないか。



「……残念だね」



ポソリと落とした小鳥遊に、明崎が振り向き苦笑を浮かべる。



「そうだな。ま、仕方ない! 次を当たるよ」



元気出せ、と眉尻を下げる小鳥遊の肩をグローブで軽く叩き、明崎はキャッチボールの為ボールをひとつ拾い上げる。

一緒にやれたら、楽しかっただろうな。そんな未練を振り切るように、左手のグローブのポケットへポスリとボールを投げ入れる。

その、瞬間だった。



「明崎センパイ!!!」

「!?」



響いた声に、後方を振り返る。

そこには制服ではなく、一年のジャージを着た。



「、古義!?」



明崎が気づくと、古義は固く口を結んだまま大股で明崎に近づいてくる。

呆然と立ち竦むその眼前でピタリと止まると、眉間に深く皺を寄せて。



「オレ、ソフトボールなんてこれっぽっちも知りません」

「へ? あ、うん」

「野球は結構やってましたけど、中学ではベンチでした」

「、うん」

「ホントはもう、部活なんてする気なかったんすけど、」

「……うん」

「っ、この間、すっげぇ、ワクワクしちゃって……っ!」



ああ、そっか。

必死に紡ぐ古義の姿に、明崎は彼の葛藤を悟る。

あの時、どこか遠い眼差しで、懐かしむように野球部を見ていたのは。



「っ、こんなオレでも良ければ、入部させてくださいッ!」



ガバリと勢い良く頭を下げて、両手で差し出された用紙。

印字された太字には『入部届け』と書かれている。


多分、全部じゃない。

本人にしか分かり得ない"大きな壁"が、ずっと古義の先を阻んでいたんだろうけど。

それを今、必死に、蹴破ろうとしているのなら。


(手を差し伸べるくらいなら、オレにだってしてやれる)



「……ウチさ、これでも実は結構強い方のチームなんだよ」

「っ、っす」

「練習も多いし、休日は少ない」

「っす」

「入るからにはキッチリと、戦力になって貰うからな」

「! うっす!!」



明崎が用紙を受け取った瞬間に、古義が歓喜に破顔する。

キラキラと目を輝かせるその頭をワシワシとかき混ぜ、今度は驚きに疑問符を浮かべる古義に明崎はニッと笑む。


(こりゃ、手がかかりそうだな)



「ビシビシ鍛えてやっから、覚悟しとけよ!」

「……っす」



怯えるように首をすくめた古義に小さく吹き出して、前方から勢い良く駆けてきた小鳥遊に古義を受け渡す。

感動のまま飛びつく姿を横で見守りながら、明崎は次を思案する。

なによりまず初めは、部員紹介からか。

強く刺さる視線を一身に受けながら、明崎はグローブを高々と掲げ部員を収集した。



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