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勧誘

『努力は必ず報われる』


この言葉はこの世の真理でも、ましてや自然の摂理などでもない。

栄光を手に出来るのは結局"才能"のあるヤツらだけで、"恵まれなかった人間"はいくら努力した所で彼らの踏み台にしかなれないのだ。

つまりは何かしら手にした成功者による、イメージダウンを避ける為の都合のいい"言い訳"。

だからオレはもう、無駄な努力はしない。

元来の敗者は敗者らしく、ただ無難な生活をのらりくらりと享受していればいい。

そう、思っていたのに。


(なんでだよ……っ!?)


モフリとしたゴムに覆われた両耳。普段の三分の一に削られた視界のど真ん中には一人の男。

不機嫌そうに鋭い目をさらに釣り上げているのは、今の状況に納得していないからだ。


(いやオレのせいじゃないけどね!?)


古義こぎは心の中で涙を浮かべて繰り返し、言われるがまま持たされたバットを構え続ける。



「古義、準備はいいか?」

「っ、あの、オレ、やっぱ」

「大丈夫ダイジョーブ。アイツ、コントロールは抜群だから怖がんなくていいよ」



古義の後ろ。リラックスリラックス、とキャッチャーマスクの奥で吹き出したもう一人の男が、古義の"予定外"の全ての原因。

「よし、」と軽くミットを叩いて、気さくで穏やかな瞳を真っ直ぐに先の男へ向ける。

変わって現れた、強い光。



「……バット、振ってもいいからな」

「へ?」

「"振れたら"、だけど」



その男が声を落とし、構えた矢先。

14.02メートル先でボールを握りしめた男が、腕を振り上げた。



暦は四月。新しい通学路に新しい学校。新しい制服に身を包みながら、古義和舞こぎかずまは心高らかに決意していた。

待ちに待った高校生活では帰宅部として時間を貪り、思う存分遊んで遊んで、遊び尽くすのだと。

暖かな日差しに微睡みながら思案していたのはこれからの学生生活。

アルバイトはちょっとお洒落なカフェにでもしてみようか。

そこで出会った他校の女子とイイ感じになり、夏には花火をバックに笑い合ってみたりして。


(いや、でも同じ学校ってのも中々……。授業の合間に廊下で話し込んだり、お昼はお弁当とか作ってもらっちゃたりして)



「んー、どっちも捨てがたい」

「なんの話しだ」

「イッ……!」



ペシリとした衝撃で古義の真剣な吟味を遮断したのは大道寺彰だいどうじあきら

古義とは同じ中学出身で、二・三学年を共にしたクラスメイトである。

叩かれた脳天を擦りながら見上げた古義を呆れ顔で見下ろして、すっと片手を差し出す。



「出せ」

「……そんなお前まさか、とうとうカツアゲをするような子に!?」

「とうとうとはどういう意味だ。……もしかしたらと思っていたが、本当に聞いていなかったとは」

「はい?」

「現文の課題。提出しろと言われたろう」

「……あ」



大道寺の言葉に、ピシリと古義が凍りつく。

そういえば、先程の空想中にプリントがどうとか聞こえたような。



「……あきらく~ん」

「断る」

「即答しなくても」

「見当など簡単につく。どうせ、白紙なんだろう?」

「驚け、半分は終わってる」

「……何故そこまで手をつけて、残り半分を諦めた」

「……テヘッ」



取り出したプリントを両手で持ち、可愛らしく肩を竦めてみせた古義に冷ややかな視線が突き刺さる。

けれどもここでめげる訳にはいかない。引き下がればペナルティが待っている。

古義はパンッと勢い良く両手を合わせ、額を机に擦りつけて。



「神様仏様大道寺さまっ! 哀れな愚民に救いの手をっ!!!!!」

「~~わかったから妙なコトを叫ぶな!」

「マジ!? さっすがぁ!!!」

「ったく、人を頼ってばかりで後々後悔するのはお前だぞ」

「肝に銘じておきマス」



ったく、と眼鏡を押し上げながら渡されたプリントを古義は拝んで受け取り、急いでペンを握りしめる。

大道寺が他の回収へと向かう間に終わらせてやるのが、せめてもの誠意だろう。


(何だかんだで優しい……ってか、世話好き? だよな)


大道寺という男は確かに古義と"元クラスメイト"ではあるが、話した記憶は殆どなかった。

偶々席が近くて、グループワークで一緒になった。そんな程度。

それでも入学初日、緊張に強張りながら着席していた古義に話しかけてきたのは、大道寺の方だった。



『まさかまた古義と同じクラスになるとはな』

『だ、いどうじ?』

『なんだ、掲示を見てなかったのか?』

『いや、そーゆーワケじゃねーけど……』



まさか話しかけてくれるとは思わなかった、などと口にしたらへそを曲げてしまいそうだと、古義は喉の奥で飲み込み「よろしく」と笑った。

そしてこれをキッカケに、古義は大道寺と行動を共にするようになった。

口は悪いが、決して見捨てない。情に厚い、自慢の友人。


(本人にはぜってぇ言わねーけど)


サカサカとペンを走らせる古義のプリントの上に、薄い黒い影が落ちる。

おや、と顔を上げると、前の座席を引き腰掛ける大道寺。



「回収終わったん?」

「ああ、残りはお前だけだ。余所見をするな」

「急ぎますっ!」



サーセン!と再びプリントに向かい合い、ゴリゴリと文字を刻む。

現文の課題のというものは、見せてもらった所でただ写せばイイものではない。大道寺の回答をヒントに、自分なりの答えを作らないといけないのだ。

古義は時折手を止めては頭を掻き、ひねり出した文を羅列していく。



「……そういえば」

「え?」



思考の波を掻き分けたのは、大道寺の呟き。



「お前、部活はどうするんだ?」

「、」



落とされた質問に、古義のペンがピタリと止まる。



「……明日が仮入部申請書の提出終了日だろう」

「あー……そうだな」

「何処にも見に行ってないようだからな。……やらないのか、野球」

「っ」



知っていたのか。いや、知っていて当然か。

中学の三年間、古義は野球部に在籍していた。小学三年からリトルリーグで野球を始めた古義にとって野球部に入る事は至極当然のことであり、新しい仲間と切磋琢磨していく未来を思い描いては期待に胸を膨らませていた。

試合の緊張感、勝利の喜び。更なる興奮が待っているのだと、信じて疑わなかったのだ。

けれども、現実は違った。



「……やらない」



分かりやすい、シンプルな実力社会。いくら努力を重ねても、結果はついてはこなかった。

三年間、万年ベンチ。それが古義の、泥と汗にまみれた涙の集大成である。



「野球は、もう、やらない」

「……そうか」



拾った大道寺の声にハッとする。

空気を重くしてしまった。慌てて声の調子を上げて、古義は笑顔で取り繕う。



「いやーだってさ、バイトだってしてみたいし、彼女だって欲しいじゃん? 部活なんかしてる時間ないって」

「……」



(大嘘を……)


その言葉が古義の本心ではないと、大道寺は気づいていた。

記憶にある中学の彼は授業が終わると一目散にグラウンドへ駆け出すような"部活男子"であったし、体育の授業でバットを握る彼は明らかに生き生きとしていた。


(それがこうも変わるとは)


変化に気がついたのは、三年の始め。

テーピングの数が増えた。部活前の溜息が増えた。ボールを握りしめる顔に、影が落ちるようになった。



「大道寺は? 部活やんねーの?」

「俺は習い事がある」

「ふぁー、ごくろーなことで」



大げさに肩を竦めてみせた古義が再びプリントへ向かい合うのを話題の終了と受け取り、大道寺はただ黙って見守る。

古義自身が決めたのなら、他人がどうこう言える問題ではない。

ただ、少しだけ、"勿体無い"とも思ってしまうのだ。

あんなにも楽しそうに笑えるのに、と。



「大将! 終わりました!!」



じゃじゃーんと得意気にプリントを掲げながら胸を張る古義に溜息をついて立ち上がり、大道寺は二枚のプリントを受け取る。



「次はないぞ」

「はいはーい」



(と言いつつ、助けてくれんだよなぁ)


何度も繰り返したやり取りだと古義が手を振り大道寺を見送ると、見渡した教室に残っている生徒は片手で足りる程度だけ。

オレも帰ろ。帰りがけにコンビニでも寄って、お礼のウエハースでも買って行こう。

古義は乱雑に筆箱を詰めた鞄を掴み、主のいない大道寺の座席へ一礼してから廊下へ踏み出す。

小さく捉えた声に窓の外へと視線を流せは、グラウンドには準備に勤しむ各部活専用のジャージを纏った生徒達。


(……今なら、ゆっくり帰れそうだ)


入学初日を皮切りに、放課後の下駄箱前には新入部員を確保しようと躍起になった上学年の生徒達が溢れんばかりにひしめき合っていた。

チラシを配る人、パフォーマンスを繰り出す人。お祭り騒ぎの中を捕まらないように隙間を掻い潜って脱出するのは、何だかんだで骨が折れる。

さっさと帰ってしまおう。

無駄な労力を使わずに済むと喜ぶべき場面だというのに、どこか気分の上がらない自身に古義は奥歯を噛みしめる。


(もう、やらない。そう決めたんだ。野球も、部活も、何もしない)


暗示のように繰り返すフレーズ。それでも先程の大道寺の言葉が、脳裏にガンガンと響き渡る。


『……やらないのか、野球』


(大道寺はどうして、わざわざ確認してきたんだろ)


かつてのチームメイトだったなら理解は出来る。もしくは、彼自身が野球部に入ろうとしているのなら。

けれどそのどちらでもない大道寺からしたら、古義が野球をやろうが辞めようが、関係はないはずだ。

わけわかんね、と頭を掻いて、辿り着いた下駄箱でスニーカーへと履き替える。

予想通り人の居ない外へと踏み出して、数歩進んで、立ち止まる。



「~~~~くっそ!!!!!」



鞄を強く握りしめ、足を向けたのはグラウンド。


(ちょっと見るだけ! ほんのちょっと! 見るだけ!!)


確かナイターの設備があるとか言ってたし、でっかい照明を確認するだけ!とそれらしい理由をつけて、古義は鼻息荒く大股で歩を進める。

遠くからチラリと眺めるだけなら、勧誘に捕まることもないだろう。

開けた視界の先。奥の方に見えたネットと、明らかに大きな照明器具。


(あれ、か)


他の部活動の邪魔にならないよう校舎沿いをコソコソと進み、高くそびえ立つ外野フェンスの手前に位置する小山を登る。

古義の眼に飛び込んできたのは、整備された茶色い土と、綺麗に引かれた真っ白なライン。

野球部の専用グラウンドであることを示すように、左右に位置した横穴のベンチには沢山のヘルメットとバットが並んでいる。



「……すげぇ」



中学とは比較にならない施設。

芝生の上でストレッチをしている部員達の体格も、数も、桁違いだ。


(……見に来て良かったかも)


あの中で自分の活躍する姿は想像出来ない。

これで未練なく終えられると薄く息を吐き出した古義の足元。

コツリ、と響いた振動に首を捻ると、目に入ったのは白いボール。



「っ!」



反射にドクリと心臓が大きく跳ねるが、良く良く見ると知っているソレよりも随分と大きい。

野球ボールじゃない。確か、これは。



「……ソフトボール?」

「スミマセン!」

「っ」



飛んできた声に顔を跳ね上げると、コチラへ向かって駆けてくるジャージ姿の男子生徒。

片手にはグローブ。という事は、この人のものだろう。

投げ渡そうと拾いあげると、その人が慌てて手を振る。



「待った!!! 投げるなよ!!?」

「へ?」



大声での制止に、古義は振り上げた腕をピタリと止める。

届かないと思われたのだろうか。コレぐらい何てことないのにと眉が寄るのを感じながら、仕方なしにボールを握りしめたまま小山を降りる。



「っ、ありがとな」

「いえ」



恐らく、先輩だろう。不満は胸中に抑えこんで、辿り着いたその人のグローブへポスリと白球を入れてやる。

荒い息を整えながら受け取ったその人は、古義の歪んだ表情に気づき「悪い悪い」と苦笑して。



「ソフトボールを野球ボールと同じように投げるとさ、肩、痛めるんだよ」

「え?」

「お前、野球部だろ? だから止めたんだよ」



大暴投が怖かったワケじゃないからな、と屈託ない笑顔を向けてくるその人に、古義は思わず視線を落とす。

見抜かれていた。それどころか、無駄な気を使わせてしまった。



「……オレ、野球部じゃないんで、大丈夫です」

「ん? じゃあ、野球部志望? さっき向こう見てただろ?」

「……いえ」



(ダメだ、何も浮かばない!)


不思議そうに首を傾げるその人に返す言葉が見当たらず、古義は数度口を開閉させて鞄の持ち手を握りしめる。

とりあえず、逃げちまおう。

一言「失礼します」くらいは告げようと古義が顔を上げた瞬間。



「オレ、二年の明崎優あかさきすぐる。お前は?」

「っ、一年の、古義和舞です」

「そうか古義。折り入って相談なんだが……」



グローブとは反対側の空いた片手で肩をガシリと捕まれ、笑顔を向けてくる明崎に古義は本能で悟った。

あ、なんか、嫌な予感がする。



「ちょーっと時間あるかな??」

「……っす」

「よし、ちょっと付いてきてなー」



元体育系。上下関係には逆らえません。

ボールを短く宙に放ったり受け止めたりと上機嫌に歩き出した明崎の隣で、古義はただ冷や汗を流しながら鉛のような足を前後する。

やってしまった。もしかしてもしかしなくとも、勧誘されてしまったんじゃないか?

何やってんだと自身を罵倒する一方で、渦を巻くのは一つの疑問。

明崎が持っていたのはソフトボール。女子の部活に男子生徒を勧誘する必要はないはずだ。

この人は何のために、自分を連れて行こうとしているんだろう。


(マネージャーか……? いや、力仕事の手伝いかも)



「あの……明崎せんぱ」

「すぐるんおかーえりー!!!」

「明崎、ご苦労様」

「っ!?」



真意を訪ねようと口を開いた古義を遮り、当然のように出迎えたのは明崎と同じジャージを纏った二人の男子生徒。

片手にはグローブ。と、いうことは。



「おう。岩動いするぎの番、終わった?」

「さっきね。ほら、あっちで素振りしてる」

「それならひとまず安心だな。気持よく飛ばしてくれんのはイイけど、さすがに疲れた」

「だろうね」



盛大に溜息を零した明崎にクスクスと笑みを零して、投げ渡されたボールを受け止めた長身の青年が腕を組んで首を傾げる。

その奥のもう一人。小柄な青年も先程からジッとコチラを伺っている事に気がついて、古義の身体が縮こまる。



「勧誘、成功したのかい?」

「いや。まだこれから」

「わー! すぐるんが一年生連れてきた!!!」

「あっコラ小鳥遊たかなし! 大声出すな!」

「なんですって!?」

「いちねん!? マジかよ!!?」

「あ~も~うっさいうっさい」



波のように伝わっていく伝達に、前方で背を向けていた生徒が順々に振り返る。

隣で明崎が「散れ散れ」と腕を振るが、好奇の目は増えるばかりだ。


(ああ、もう、何が何だか……)


真っ青な顔で立ち竦む古義の異変に気がついたのは長身の青年。

明崎の性格と状況から推測し、まったく、と息をつく。



「明崎。その様子だと、彼に何も説明してないな?」

「だから、これからだって言ったろ」

「キミも人が悪いね。可哀想に、すっかり尻尾が垂れている」



驚かせてすまない、と古義へ苦笑を零して。



「二年の高丘真也たかおかしんやだ。ようこそ、男子ソフトボール部へ」

「だ、んし……そふとぶ?」



(マジデスカ)


拾った単語を繰り返す古義に高丘はニコリと笑んで、軽いステップを踏むと手にしていたボールを放り投げる。

飛ばされたボールは綺麗な曲線を描いて、数十メートル先の方で佇む人のグローブへ。



「っ、すっげ」



(相手、一歩も動かなかったぞ!?)



これだけ離れた相手の胸元ピッタリに収めるなんて、狙っても簡単に出来ることではない。

信じられない、と息を呑む古義の様子に高丘は口元に笑みを携えたまま、呆れ顔の明崎へと小さくウインクを飛ばしてみせる。

掴みはバッチリだろ。そう伝えるように。

古義は後方で交わされる密かなやり取りにも気づかず、未だ衝撃に口を開けたまま呆然と佇む。

まるで空中に道があったかのような、自然で迷いのない軌道。野球の経験者だからこそ痛感する、高丘の技量の高さ。



「すっごい綺麗でしょ?」

「うっ、わ!?」



いつの間に隣にいたのか。突如かけられた声に、古義の肩がビクリと跳ねる。

けれども彼は気にもとめず、古義よりも少し下でコロコロと笑って。



「ボクもそれなりに長いけど、あーは投げれないや」



(さっきの、ちっさい人……!)



覗き込んで来た彼は、先程明崎を迎え入れた一人だ。

色素の薄い癖っ毛をフワフワと揺らしながら、自身の肩の刺繍を指差す。



小鳥遊たかなしアキだよ。二年生。よろしくね! えーっと」

「あ、古義……和舞です」

「じゃあ、かずちゃんだね」

「か!?」



(下の名前かよ!? しかも"ちゃん"かよ!!?)


喉元まで出かかった突っ込みを飲み込んだ自分を褒めてやりたい。

古義はどこか遠くで自身に拍手を送りながら、必死に脳をフル回転させる。次々と起こる不測の事態に、理解が追いつかないのだ。

ただ、これだけはわかった。どうやら自分は"勧誘"されてしまったらしい。"男子ソフトボール部"に。



(つーか、ソフトボールって女子のスポーツじゃないのかよ!?)



「あ、今、ソフトって女子がやるもんだろーって思ったでしょ」

「っ、」

「まぁやっぱり"男子は野球で女子はソフト"ってイメージが強いし、普及率もその通りかなー。でもルールブックに"女性であるコト"って記載はないから、男子がやってもいいんだよ」



人差し指を立てて「ね」と得意気に笑みを浮かべた小鳥遊に、言われてみばそれもそうか、と古義はコクリと頷く。

確かに、女子で野球をやっている人もいる。つまりこれは、その逆バージョンだ。

納得の表情を浮かべた古義に、小鳥遊は満足そうにウンウンと頷いて。



「で、かずちゃんはドコ志望?」

「え?」

「ポディションだよーポディション! 野球経験者なんでしょ?」

「え? なんで」

「はい、ストップ」



会話を遮るように差し込まれたのは明崎の掌。

二人分の視線を受け止め、困ったように肩を竦める。



「古義はオレに引っ張られて来ただけで、ウチ志望ってワケじゃないから。グイグイいくの禁止な」

「えぇ~いーじゃん別にー」

「ダメダメ! ほら、小鳥遊はちゃんと守る! で、古義はコッチな」

「あ、ハイ」

「すぐるんのケチーっ!」



ぶぅ、と不満気に頬を膨らませた小鳥遊にも慣れているのか、無視して歩き出した明崎の背中を古義は慌てて追いかける。

笑顔のままヒラリと片手を上げた高丘には会釈を返して、「またね」と口元を動かした小鳥遊には曖昧に笑みを返してみた。

愛想の良い先輩達だ。まぁ、少しヒヤリとはしたけども。



「悪かったな、ビックリさせて」

「いえ、大丈夫っす」

「男子ソフトボール部なんてマイナー過ぎて、見学に来てくれるヤツ全然いなくってさ。皆テンション上がっちゃって」

「あー……今も斜め横から、ものすっごい視線を感じます……」

「本当ゴメン、無視して」



小鳥遊のさらに奥からコチラを観察していた数人の視線が、歩を進める度に強く突き刺さる。

言われた通り、「お前ら集中しろ!」と叫ぶ明崎の叱咤を耳だけで捉えながら、古義は背中を丸めて鞄を抱え込む。


明崎は一体、自分に何をさせたいのだろう。

勧誘という事は、アピールがてら説明やら体験やらだろうか。どちらにせよ、暫くは拘束されそうだ。

困った、と沈む気分に鞄に顔を押し付けて、古義はこっそりと息を吐く。

時間が無いワケではない。むしろ有り余っている。けれども無駄な期待を抱かせる前に、サクッとオサラバした方が互いにとってベストだろう。


(つっても、どーやって切り出すか……)


明崎を始め、高丘も小鳥遊も感じの良い先輩だった。そして明らかに"期待"をしている。

ここで自分が"逃走"したら、きっと気落ちするのだろう。


(少しだけ付き合って、"やっぱり無理です"って返すのが一番無難か……)


うん、それがいいと古義は頭の中で算段を立て、微かな罪悪感を背負いながら明崎の横顔を盗み見る。



「ほい、到着。ちょっと待っててな」

「、うす」

「おーい、きょうー」



移動式の防護ネットで遮られた向こう側。一人の青年が明崎の声に振り返る。

一度バチリと合った視線は「部外者がいる」とでも言いたげに嫌そうに眉を寄せ外され、小走りで駆け寄った明崎が二言三言告げると弾くように再び古義を捉える。

深くなる眉間の皺に古義は本能で理解した。

あ、たぶんコレ、本気で嫌がられてるやつだ。



「よし! じゃあワルいんだけど、ちょっとその辺りに荷物置いといてくれるか?」

「……ハイ」



(あれーなんかすっげぇコワいんですけど!?)


心なしか、ずっと睨まれている気がする。

背後から感じる嫌悪のオーラに冷や汗を流しながら、明崎に言われた通り邪魔にならない辺りに鞄を降ろす。

上体を戻した途端、笑顔の明崎にポンと渡されたモノ。



「ほい、ヘルメット」

「へ?」

「バットはまぁカタチだけだから何でもいいよなー。あ、あの辺の適当に持ってきて」

「ちょっ、明崎センパイ!」



流れでうっかり受け取ってしまったヘルメットを手に困惑する古義に、明崎は「んー」と間延びした声を返すだけで、そのまま転がっていたボストンバッグを手にとりクルリとひっくり返す。

ドサドサと落ちてきたのは青色の防具一式。慣れた手つきでレガースを両足に装着すると、今度はプロテクターへ腕を通し腰の辺りでパチリと止める。

仕上げとばかりにヘルメットを頭に乗せマスクを手にすると、先程まではめていたグローブではなく、キャッチャーミットを拾い上げる。


(キャッチャー、だったんだ)


意外だ、と掠めてしまったのは、明崎の身体つきが古義の思うキャッチャー像よりも華奢なものだったからだ。


(キャッチャーって言うともっとこう、ガッシリって感じじゃあ……)



「一球だけ」

「ぅえ?」

「一球だけ、立ってみてくれ。それがオレの"相談"で"勧誘"」



ボンヤリと立ち竦む古義にニッと笑う明崎は「簡単だろ?」と重ねて、カチャカチャと音を立てながらネットの向こうへと歩を進める。

チロリ、と確認した背後では、やはり"恭"と呼ばれた吊り目の青年がずっと古義を睨みつけている。

話の流れから察するに、きっとあの人がピッチャーなのだろう。そして彼は、乗り気ではない。



「ほら、バット持ってこいって」

「あ、あの……」

「ん?」



視線が痛い。

背を向けているグラウンドから放たれる多数のどれよりも、圧倒的な威圧感。



「……本当にやるんすか?」



流石に「あの人納得してませんよね? ってかすっげぇコワイんすけど!?」とは口には出来ず、精一杯のボカシを含んだ"再確認"にも明崎は「当然だろ!」とニカッと笑うだけで。

準備は万端だとポスリとミットを鳴らしながら「早くしろ」と催促されては、古義にはもう為す術はない。

項垂れながらトボトボと、散乱しているバットの山へ。近づいてみて気がついたのは、慣れ親しんだ野球のバットよりも細い。


(……へぇ、球がデカイから、バットも太いのかと思ってた)


意外、と数本覗き込んでみると、それぞれ微妙に長さや太さが異なっている。思っていたよりも種類が豊富。

古義にはどれが良いかなんてサッパリだが、カタチだけだと言われたので何でもいいだろうと中央に転がっていた長めの一本を手に取り、見守っている明崎の元へ。

選んだ理由はただ一つ。なんとなく、カッコ良かったから。



「へぇー、なるほどな」

「あ、なんかマズかったすか?」

「いや? 何も問題ないよ。じゃ、始めようか」

「うす」



含みを持った頷きの理由を、教える気はないのだろう。

明崎の問題ない、という言葉に肩の力抜き、古義は小脇に抱えていたヘルメットをポスリと被る。

ズシリとした重みと、耳当てによって遮断される外部の音。微かに鼻につく染みこんだ汗と、土の匂い。


(……久しぶりだ)


部活を引退した去年の夏以来だろうか。いや、最期の方は試合が立て込んでいて、ヘルメットなんて被らせて貰えなかった気がする。

自重気味に上がった口角は無意識で、マスクを装着していた明崎がしっかりと捉えていた事に、古義は全く気がつかなかった。

バットのグリップを両手で絞るように握りしめ、置かれている薄汚れたホームベースの横にゆっくりと右足を踏み入れる。

遅れて付いてきた左足。肩幅よりも広めに開いて、左のつま先で土を抉るように踏み締めると、真新しいスニーカーに茶色が移る。


(あ、ヤバイ)


早くなる心臓の音。胸の奥からせり上がって来る熱い血液。


(ど、して……!)


高校生活は時間を有意義に使って、ダラダラしたりバイトしたり彼女とお出かけしたりするんだ。

無駄な努力は、もう、しない。そう、誓ったのに。



「バット、構えろよ」

「っ、」



ボンヤリと捉えた明崎の声に導かれるように腕を上げ、重心を右足へ。

耳元で大きく主張する鼓動の音に、口の中が乾いてくる。


(なんでだよ……っ!?)


捉えた先のその人は、厳しい表情のまま未だ古義を睨みつけている。


(いやオレのせいじゃないけどね!?)


ってか、アンタが「絶対に嫌だ」と突っぱねてくれていれば、こんな事にはならなかったのに、なんて半ば八つ当たり気味に奥歯を強く噛みしめて、古義はキツくグリップを握りしめる。

そう。そうすればこんな想いにも、気付かずにいられたのに。

心の中で涙を浮かべながら、薄く開いた唇の間から必死に酸素を取り込む。



「古義、準備はいいか?」

「っ、あの、オレ、やっぱ」



届いた明崎の声に返した弱音は、自身の変化による恐怖から。

けれども明崎は"勧誘を拒んでいる"と捉えたのか、キャッチャーマスクの奥で吹き出して。



「大丈夫ダイジョーブ。アイツ、コントロールは抜群だから怖がんなくていいよ」



リラックスリラックス、と肩を回して見せて、視線を先に佇むピッチャーへ。

「よし」と軽くミットを叩いて構えた瞬間。穏やかだった眼の中に強い光が灯り、古義は息を呑む。



「……バット、振ってもいいからな」

「へ?」

「"振れたら"、だけど」



(っ、来る……!)


低く落とされた声に、慌てて首を捻り捉えたピッチャー。

スッと一度胸元の下でグローブを構え、振り子のように身体を前後に小さく揺すると一気に右手を振り上げる。

蹴られた右足、回された腕。捉えたのは、ほんの一瞬。

白い球体が、腰の真横を駆け抜ける。



「っ!!!???」



スパァン!!!と甲高い音が背後から響いて、明崎のキャッチャーミットへと収まったのだと理解する。

速い、なんてモンではない。反応するどころか、目で追うのが精一杯だ。



「すっ、げ」



野球よりも近い距離で放られた一球は投手の手元の位置からグンと伸び、息をする暇など与えずに通り過ぎていく。


(下投げの、ハズなのに)


本来下投げは、上投げよりも威力の上がらない投げ方の筈。それなのに。

向かってくる白球の、砲撃のような圧迫感。

ドクリドクリと巡る血液の音だけに支配された空間で、驚愕と興奮が古義を包み込む。


(……へぇ)


ニヤリと口角を上げたのは明崎。

ボールがミットに収まってからすっかり数秒が経過しているというのに、構えた姿勢を崩さずにいる古義の表情を盗み見て、自身の予感の的中を悟る。

大きく見開かれた瞳孔に、強く滲む熱中。これは、やっぱり。


(うっし、)


球を投げ返して、足の間でいくつか指を動かす。

試合用のサイン。気づいた彼--蒼海恭輔あおみきょうすけはピクリと眉を跳ね上げ、続いて思いっきり顰められた眉間に明崎は小さく吹き出す。

「一球だけだと言っただろ」とか「話が違う」ってトコかな、とアタリをつけつつも、引き下がるつもりはない。

もう一度「頼む」と思いを込めて、明崎はサインを繰り返す。

根負けしたのだろう。チラリ、と視線だけを動かして古義と明崎とを順番に確認した蒼海は諦めたように息をつき、グローブの中で球を握り直して再びセットポディションをとる。


(……なんで、こんなヤツに)


もう一球、というのも不満要素の一つだが、それよりも。

明崎の、サインは。


再び構えた蒼海が視界に入り、脳で理解するよりも早く古義の身体が反応する。

握りしめたグリップ、凝視する彼の投球フォーム。構えていたバットを寝かせるように手首を返し、重心を右足へ。

放たれた白球が、自身に向かって伸びてくる。


(--きたっ!!!)


当たると思っていた訳ではない。

けれどもバットが大きく宙を切ったのは、その速さに対応出来なかっただけではない。


「!!!!????」



(なんだ!? 今の!!?)


一球目と同様に綺麗に伸びてきた白球が、ホームベースの少し手前で突然上から押されたようにクンと軌道を変えたのだ。

見たことのない、落ちる球。



「ドロップ」

「!?」

「初めて見ただろ、落ちるの。ドロップっていうソフトボール独特の変化球で……」



立ち上がった明崎はマスクを外し、手元で球を回転させながら軽く宙に放り、受け止める。



「恭の一番の"決め球"ってやつ」



ニッと笑ってミットへボールを収めると小脇へ挟み、呆然と目を見張る古義の頭から「えいや」とヘルメットを奪い、黄色く変色した両手からバットを取り上げてやる。

されるがままの古義の頭をワシワシと撫で、潰れていた柔らかい髪に空気を含ませると、拾い上げた古義の鞄をその胸元に掲げて。



「以上で"勧誘"終わり! ありがとな」

「あ……」



古義が違和感に気づいたのは、鞄を両手で受け止めてから。重みにジンと響いた痛みに、そっと両手を開いてみる。

赤く色づいた皮膚。ジンワリと汗ばんでいて、微かに震えている。


(……手、熱い)



「もし、さ」

「、」

「ほんの少しでも"ワクワク"したなら、いつでも歓迎するから」



ポン、と叩かれた肩。



「またな、古義」

「……うす」



煩いままの心臓が全身へ熱を送り続けていて、まだどこか思考がハッキリとしない。

目に焼き付いた白球の軌道を脳内で繰り返して、古義は鞄を抱えたまま手に残る感触を握りしめる。

こみ上げてくる感情は、一体なんなのだろう。


(……アイツ、どっかでコケないかな)


フラフラと覚束ない足取りのまま去って行く古義の背をハラハラと見送りながら、明崎は古義から奪い取ったヘルメットとバットを地面に降ろす。

古義が野球経験者なのは間違いない。たぶん、何かワケありなんだろう。でも。



「……"嫌いになった"ってワケじゃなさそうだな」

「オイ、優」

「あ、恭。お疲れさん」



呼ばれた名に振り返れば、案の定、不機嫌オーラ駄々漏れの蒼海が仁王立ちで明崎を睨みつけている。

あははーと苦笑を返しながら近寄って、そのグローブへとボールを直接収める。



「……お疲れ、じゃない。どーゆーつもりだ」

「いやーだから"勧誘"だって……」

「一球だけだと言っただろ」

「あーうん、その予定だったんだけどねー」



(あちゃーやっぱり怒ってる……)


明崎はポリポリと頬を掻いて、ゴメンゴメンと繰り返して。



「なーんかさ、そーゆー感じだったじゃん?」

「……どんな感じだよ」



もういい、と大きく息を吐いて蒼海はそれ以上の追求を諦める。

この明崎という男は、観察して観察して、察知した直感に従い動く人間だ。言葉での説明を求めた所で、自分には理解出来ないコトが多い。

そしてこの感じだと、本気で先程の"ビビリ"を勧誘したいようだ。



「……中途半端な気持ちで来られても、お荷物なだけだぞ」

「そんなコト言うなって。だれでもキッカケは、小さな好奇心だろ? それに、今の人数じゃいざって時に困るしな」

「いざって状況にならなきゃいい」

「鬼教官かよ」



ズビシと裏手で宙を突っ込んで、明崎は「でもまぁ」と言葉を続ける。

ほんの、冗談だった。あの眼に灯った僅かな熱に、好奇心が燻っただけで。けど。



「振ったな、アイツ」

「……」

「まさかホントに、振るとは思わなかった」



つい、ではない。あれは最初から、"狙って"いる構えだった。

思い返して嬉しそうな笑みを零す明崎に、蒼海は息をついてグローブの中のボールを手に取る。

これは確信のある表情だ。どうせ、面倒なコトになる。



「……手、空いたんならうけろよ。ネット相手は飽きた」

「あ、オケオケ。メット置いてくっからちょっと待ってな」



カチャカチャと小走りで離れた明崎は外したメットとマスクを転がし、先程と同様に置かれたホームベースの後ろへと戻る。

蒼海は投球位置へ戻りながら、フォームチェックを重ねているようだ。

明崎はのんびりとしゃがみ込み、んーと片腕を伸ばしながら蒼海のタイミングを待つ。

先程のドロップはとてもキレていた。偶然、だとは思うが。


(なーんだかんだで、蒼海もまんざらじゃないのかも)


古義がバットを振った瞬間、蒼海が驚きに目を見開いたのを明崎は見逃さなかった。同時に纏ったオーラからは嫌悪が消え、微かな好奇がチリリと灯ったのも。

だといいなーと思案しつつ、セットポディションに立った蒼海にミットを構える。

絶対ではない、半分以上は期待だ。けれども"また"と、口にしたくなる程に、古義の反応は"良かった"。


(……さて、どう転ぶかな)


蒼海の振り上げた腕を視界に入れて、明崎は緩んだ思考を引き締める。一瞬でも気を抜けば、蒼海の球は綺麗に捕れない。

リリースされた球体に全神経を集中させ、明崎は青空の下でで高音を響かせた。


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