89話
「おのれ……忌々しい小娘め……!」
ギリ……! と歯噛みする妙齢の女性。仄かな月明かりが射し込む上等な調度品で整えられた部屋。腰が飲み込まれてしまいそうな程に柔らかいソファーに腰掛け紅茶を啜る。だがとても優雅などと呼べるような所作ではなく心の乱れるままに乱暴に、下品に音を立てて啜る。
宮廷占星術師長マーガレット=ビガレスクは強い嫉妬と焦燥に駆られていた。ふと思い立ち鏡の前に足を進め立ち止まる。鏡に映るのは身体を覆う面積よりも晒す面積の方が多い扇情的な衣装だ。布地の少ないほとんど下着と変わらない下地の上から紫のローブを羽織り様々な装飾品で飾り立てている。
はちきれんばかりの豊かな双丘に引き締まったくびれ、そして大きくその存在を主張する臀部に妖しげな魅力を放つ二つの脚。腰まで伸びる金色の髪を編んでいくつかの束に纏め流す。青色の瞳は見る者の心を掴んで離さない。
ほう、と溜息をつく。今日も私は美しい。
そう、そのはずだ。それなのに……
再び歯をギリギリと鳴らす。思い出すだけでも屈辱で臓が煮えくり返りそうだ。
事の発端は1週間程前だ。新しい小間使い達が何人か雇われて入城した。それ自体は珍しい事ではない。城勤めは一般的に思われるイメージとは違いハードな仕事でありなかなか長続きしない。その為定期的に新しく雇われてくるのだ。
その中の1人に今や城の全ての男が魅了されている。決して誇大表現ではなく、本当にほぼ全員が腰砕けにされてしまっているのだ。そして厄介な事に同性からの人気も高い。普通こういった状況になればいかに本人の性格が良くても嫉妬心を抱く者は必ず出てくる。そう言った者を唆して追い出させるのが常套手段なのだがそれも叶わない。
コンコン、とドアがノックされる音が響いた。
「誰?」
「私だ」
そう言って中に入ってきたのは、魔法庁のトップ、魔術師長ゴードン=ウルバルクであった。小柄な体格で頭は禿げ上がり節くれだった手足に長い鼻はまるでゴブリンのようだ。だが魔術の腕だけは確かで、唯一この城の中で極大魔法を使える大魔術師である。
「何の用かしら?」
「分かりきっている事を聞くな。あの小間使いの娘の事だ」
チッとマーガレットは舌打ちした。話題にしたくないからわざわざ聞いたのだ。
「今や城の殆どの物が奴に掌握されてしまっている。それはまだいい。問題なのは王だ」
そう、問題なのは王なのだ。今まではマーガレットが毎晩妃のいない王を慰める為に毎晩夜伽を仰せつかっていた。その際に隙を見て薬を飲ませてきた。判断力を低下させ言いなりにさせる薬を。
だが今はあの小娘が王の夜伽を仰せつかっており、マーガレットが王に近付くチャンスが失われてしまっていた。
「このままでは薬の効果が切れてしまう。そうなったら……」
今まで自分達は王を意のままに操り好き放題に振舞ってきた。その為彼等を恨んでいる者も多い。それに王が正気に戻ったら今までの所業を糾弾されてしまうだろう。最悪宮廷を追い出されてしまう。
「心配はいらん」
そう言ってゴードンは小さな薬瓶をコト、とテーブルの上に置く。
「これは……?」
「毒だ」
ゴードンの言葉に唇が震えるのを隠す事が出来なかった。
「こ、殺すの……? それは流石にやり過ぎじゃ」
「たわけ」
ゴードンの叱責にビクッと体が震える。駄目だ。この男には逆らえない……マーガレットは改めて自分の置かれている状況を再確認させられる。
マーガレットは元々田舎町に住む垢抜けない田舎娘でしかなかった。それがある日唐突に町にゴードンが現れ宮廷占星術師の卵として城にスカウトされたのだ。だがマーガレットに占星術師の才能など全くない。ただゴードンの指示通りにやってきたらいつの間にか今の占星術師長という座に着いていたのだ。
初めて城に召し抱えられた晩にマーガレットはゴードンに純潔を奪われた。今更それを何とも思う事は無い。ゴードンの指示で城の男達の相手をした事も1度や2度の話ではないからだ。何より自分がそれよりもっと酷い事を多くの者達にしてきた。
……だが、殺しだけはした事が無い。それだけは出来なかった。恐ろしかったのだ。それをやってしまったら自分はもう2度と戻れない所まで行ってしまうと。
「象ですら一滴垂らすだけで殺せる劇薬だ。これを奴に飲ませろ」
「………………」
「心配するな。お前はいつも通り私の指示通りに動いていればいいんだ。今までもそうやってきただろう?何も心配する事はないのだ……」
そう言って服の下に手を入れてきた。マーガレットは抵抗する事もなく黙ってされるがままになっていた。
月明かりだけが2人の情事を盗み見ていた。




