19話
運が無かった。
今の状況を一言で表すとそういう事になる。彼は商人の息子で、砂漠を渡り手に入れたとある荷物を街へ運ぶ途中であった。決して油断はできない。砂漠には危険で恐ろしいものが沢山ある。
砂漠で恐ろしいもの。
灼熱の太陽。盗賊。サソリ。それから砂漠に限った事ではないが水と食料の不足。魔物。こういったものに対応するために、何が起きても対処できるように、用心に用心を重ねて計画を練ってきた。
盗賊や魔物対策用の護衛は金を惜しまず上級の冒険者を雇ったし、各種の毒物に効く解毒剤や薬草もできる限り用意した。水と食料も積めるだけ積んだし、無駄使いしないように極力節約した。街を出る前に念入りに旅の無事を女神様にお祈りもした。
だというのに。
目の前には荷台を呑み込みそうな程大きく深い穴と、そこから這い出た巨大なワームが暴れ狂っていた。その下には散らばった護衛役の冒険者達の死体が転がっていた。
サンドワームと呼ばれるそれは地中に住み、砂の微細な振動を察知して獲物に襲いかかってくる砂漠の悪魔である。表面に生えている細かいヒダはあらゆる振動を探知し同時に魔力も遮断する。表皮は柔軟さと硬質さを併せ持ち衝撃を分散させ斬撃を弾く。つまり銀狼族の毛皮と似たような防御力を誇る魔物なのだ。
旅慣れた熟練の冒険者ですら全滅させられる事も珍しくないA級ランクの魔物である。
「ああ、ここで終わりか……僕の人生も」
言葉の割には淡々とした口調で呟くのはまだ成人していないあどけない顔の若い青年だった。17~18歳といったところか。黒い髪に浅黒い肌。熱避けのフードに腕輪や指輪などの装飾品。腰を太い布で巻き脇には短剣。砂漠の民の服装である。
戦闘ができるようにはあまり見えない。
愛嬌のある顔立ちは童顔であることもあり行く所へ行けばそれなりに需要がありそうな容姿であった。
それはさておき、本来砂塵の吹き荒れる暴風期にのみ現れるサンドワームが乾燥期であるこの時期に現れたのは青年にとって不運としか言い様がなかった。
思えば最初から運がなかった。没落貴族である父が一念発起して過去の栄光を取り戻そうと商売を始めたのは良かったが、アテもツテもなく残っていた僅かな財産を資金に商人になった父は都会の悪どい貴族や海千山千の商人達に揉まれ、気付けば借金だらけになっていた。
過労と心労がたたり父は倒れ、母はそんな父の面倒を見るので手一杯。沢山の弟と妹を世話するのは長男である彼の仕事だった。それが何故砂漠で怪物に襲われたのかと言うとーー
結論から言うと騙されたのである。父の病気もあり借金は膨らむばかり。渡せる金がないなら体で払えという事で妹が娼婦にされそうになったのだ。
それだけはと頭を下げるとこの仕事を紹介されたのだ。多少の危険があるが準備や対策をきちんとすれば問題ない。
何よりも成功した時の報酬が魅力的だった。
砂漠に生える一輪の花ーー月華美人と呼ばれるそれはあらゆる難病に効き、高い美容効果を持つ、病人や女性層に高く売れる物だった。
これが手に入れば父も健康を取り戻せるし、借金も返せる。
意気揚々と出発した彼を待ち受けていたのは世知辛い現実であった。
勿論彼にこの仕事を紹介した連中は全て分かっていてやったのである。サンドワームは通常暴風期にしか姿を現さないが、月華美人はサンドワームの好物であり近くに月華美人があると乾燥期であろうとその匂いを探知して襲いかかってくる。
月華美人を取る事自体はさほど難しくはないが、月華美人を持って砂漠を渡ろうとすると危険度は跳ね上がる。うまく持って帰れればそれでいいし、駄目ならまた下の兄弟を焚き付けてやればいい。そういう悪どい計算から彼は騙されここに来た。
しかし彼の命はここで尽きる事はなかった。何故なら彼は運が無かったからである。
運が無かったために出会ってしまった。
忌み子を連れた白銀の獣に。




