206話
天空の塔を目指し飛行船で移動していた片目達は突如起こった異変に目を剥いた。
「何だ……? あれは一体」
天空の塔全体が激しく揺れ動いていたかと思うと塔の外壁を突き破り中から全長百メートルを超えた何かがが起き出てきたのだ。何か、という曖昧な言い方になったのは実際何なのか見ただけでは分からなかったからだ。陽炎のようにゆらゆらとその輪郭を揺らめきさせながら屹立する真っ黒な巨体。その身体中に充満する魔力は底無しの深さと暗さを持ち、吸い込まれたら戻って来れないような不気味な鳴動を放っていた。
「魔神……!」
ディンバーが戦慄と共に呟く。黒い巨人の正体を知っていて言ったのではなくただ感じた事を口にしただけ。要するに勘である。だが、その場に居た誰もがディンバーの言葉に納得し共感していた。
あれは魔神。世界を滅ぼす者だ。
誰も口にはしなかったが誰もがそう感じていた。黒い巨人は塔を壊し尽くして這い出ると、そのまま虚空へと足を踏み出した。宙に留まる事もなく重力に従いゆっくりと地上へ落下していった。大きな土埃をあげて地上に落下したその巨大物体を空中から幾多もの『虫』達が撮影し中継していた。異変をいち早く察知したサーベルグが、調査と、そして警告の為に映像に映し全世界へと発信していた。
そして。
虫はその瞬間を捉えた。
巨人の口元に膨大な魔力が集中し核をも超える恐るべき威力の光線となって地上を薙ぎ払うのを。その直前上にあったものは全て蒸発し消滅した。その恐るべき光景に誰もが口をつぐみ一言も発する事が出来なかった。
「ゴアアアアアアアアアアーーーーーー!!!!」
雷鳴のような轟きをもって黒い巨人の雄叫びが大陸じゅうに響き渡った。そしてゆっくりと歩みを始め、目についたものを片っ端から光線で薙ぎ払っていった。
それは、死の行進だった。誰も抵抗するどころか立ちはだかる事すら出来なかった。そんな絶望の塊に向かっていく集団があった。
「魔神に向かっていく! あれは……」
「竜族だ」
ディンバーが暗い顔で言った。分かっているのだ。いかに竜族と言えども、あの魔神には到底及ぶ事はなく全滅は免れないだろうという事を。
「止めなくていいのか!?」
「止める? 何を止めると言うんだ? 順番が多少変わるだけの話だ」
焦ってディンバーに問いかける片目だったが、返ってきたディンバーの言葉に絶句した。
「情けないと思うか? 勝利の可能性を最初から捨てていると」
「………………」
「竜族の誇りとは無知故の蛮勇ではない。結果が見えているからこそ、貫き通さねばならない誇りがあるのだ。どんな生き物も最後は死ぬ。どのみち滅びは避けられぬのだ。その滅びの時を、最後の時を、悔いなく迎える為に誇りを貫くのだ」
しばらく黙って聞いていた片目だったが、やがてディンバーにこう訪ねた。
「お前は行かないのか」
「我は先程の決闘で全てを出し尽くしてしまった。どうにも動く気になれなくてな……。このまま死を迎えるのなら、それはそれでいい」
「そうか」
それ以上は何も言わず片目は再びジュレスと合身し地上へと降りていった。ディンバーを責める気にはならなかった。それどころか安堵さえしていた。万が一、何かしらの奇跡が起きてあの魔神を倒せればディンバーは生き残れる。だが今立ち向かえば間違いなく死ぬ。
どのみち滅びは避けられないかもな、と思いながらも片目は望みを捨てきれなかった。せっかく生き残ったのだからディンバーには生きていて欲しかったのだ。どこまでいっても片目から優しさは切り離せないのだ。
地上は、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。空を無数の竜が埋めつくし、多種多様の様々なブレスや魔法弾が雨あられと降り注ぎ地上には大小様々な陥没が生じている。その中を悠々と魔神が練り歩く。そして、時たまに思い出したかのように光線を発し竜達を溶かしていく。幾万もの数を誇る竜族はみるみるうちにその数を減らしていった。
「よし、行くぞ!」
片目も、その黄金の体毛をなびかせ魔神へと突進する。だが、衝突した瞬間発せられたのはバチチッという魔力が弾ける音と片目の全身から吹き出た血だった。魔王皇最強と吟われたディンバーの一撃を悠々と防ぎ耐えた片目の身体はたった一度の接触により戦闘不能寸前にまで追いこまれる程の深いダメージを受けた。
「へっ。やっべえな、これ……正に桁違いって奴だ」
思わず弱音を吐いてしまうジュレス(=片目)の前に、例の魔神の光線が放たれ迫っていた。
だが、魔神の光線が片目を蒸発させる事は無かった。寸前で、朱雀の翼を使い飛んできたユータが超スピードで片目を助けたのだ。
「よう。生きてるか」
「ユータ!」
再開した仲間の顔に片目の顔が綻ぶ。
「あれは一体何なんだ? ディンバーは魔神と呼んだが……」
「そのものドンピシャリだよ。あれは正真正銘の魔神だ」
ユータの言葉に片目は冷や汗を浮かべ更なる疑問をぶつける。
「待て。あれが魔神だと言うなら……まさかあれは、クロ、なのか……?」
最悪の想像を浮かべ青ざめる片目だったが、ユータから返ってきた言葉は、それより更に酷いものだった。
「いや、あれはクロじゃない。クロは………………………………死んだ」
非常なる宣告は、絶望の戦いを意味していた。




