198話
科学の力による世界平和、その夢の為にあらゆる障害に立ち向かってきた彼だったけれど今回ばかりはどうしようもなかった。研究をしようにも住んでる世界そのものが滅びてしまったのではどうしようもないからね。
だから、彼は、故郷を捨てる決断を下した。
本格的な核戦争が始まる前から着々と地球を脱出する準備を整えていたんだ。けれど、それだけには留まらなかった。
彼は、諦めきれなかったんだ。彼の人生の全てを駆けた夢、宿願とも言うべき研究を捨てられなかった。故郷を捨てる事は出来ても夢を捨てる事は出来なかったんだ。だから、彼は地球を脱出する為の宇宙船を大幅に改装しその中に機材と研究データを持ち込めるだけ持ち込んだ。宇宙船の中で研究を続ける為にね。
とはいってもそもそも宇宙空間には彼の研究してきた『人を悪に導く物質』が存在していない。だから彼は地球と良く似た環境にある星を片っ端から探し回る事にした。それは、気の遠くなるような作業だった。宇宙は広い。地球と似た環境の星も決して見つからない訳ではない。だけども、その一つ一つに降り立ち成分を調べ検証していく作業は膨大な労力と時間を費やした。時を数えるのを忘れてしまう程に。
それでも男はくじけなかった。彼を動かしていたのは執念だった。何としても、自らの行ってきた研究が正しかったという事を証明したい、その一心だけで動き続けた。だけれども。流れる無量の時はその執念さえも洗い流してしまった。
もはや彼にかつての執念はなかった。あったのは孤独だった。彼は何百年もの間宇宙にたった一人で孤独な戦いを続けていた。いや、宇宙に飛び出す前から、大切な人達を全て失ったその時からずっと一人だった。
帰りたい。それが、たった一つ彼に残った思いだった。研究の成果などもはやどうでも良かった。故郷に帰りたい。悠久の孤独から解放されたい。だけれども帰る場所はもうない。
追い詰められた彼が取った選択、それは……失われた故郷を再生させるというものだった。数ある星の中から最も地球に似た環境にある星を選び彼は降り立った。
それが、この星さ。そして彼は早速この星に人為的な改変を加え第二の地球とする為に活動を開始した。一人の孤独な科学者が傲慢な神へと変わった瞬間だった。
降り立ったその星にはそもそも生命が存在していなかった。来るのが早すぎたんだね。だから、一先ず生命の種生命物質を生成した。アミノ酸、核酸塩基、糖や炭水化物などの有機物の事だね。それらを原始の海に放り込み原始のスープを生み出した。そのスープの中で様々な物質が反応しあい生命は誕生した。ここら辺は地球の歴史と全く一緒さ。
ただまあ故郷と同じように悠長に46億年も待っていられなかったから、進化のスピードは人為的に加速させられていったんだけどね。
こうして彼の生命誕生プロジェクトは順調に推移し遂に人類の誕生という所まで漕ぎ着けたんだ。ところが、ここで思いもしなかった事実が判明する。
彼がこの星に降り立った時には存在していなかった筈の、例の『人を悪に導く物質』が大気中を埋めつくしていたんだ。皮肉な事に、あれだけ探し回って見つけられなかったものが今になって出てきたんだ。そう、その物質は知的生命体の活動があってこそ生まれる物質だったんだ。だから、人類の存在しない星をいくら探し回っても見つけられなかったという訳さ。
しかし今となっては彼にとってこの物質ーー『魔』は彼の計画を邪魔する障害でしかなかった。だから彼は新たに地上から魔を排除する計画を企てた。
それが、創世の御子計画。全ての、過ちの始まりだった。




