177話
「まずは、どれだけ力が上がったのか見せて貰おうか」
小手調べとばかりにディンバーは左腕を霧状に分解させると片目に向かって解き放った。
襲い来る霧の衝撃波を前に、片目は何の動きも見せなかった。怪訝に思いながらもディンバーは一撃を加える。今までの片目ならこれで大きなダメージを受けていたが、果たしてどうなるか。
爆音と衝撃が撒き散らされ霧によって視界が閉ざされる。しばし経つと霧の中から全く無傷の片目が姿を現した。その光景を目の当たりにして流石にディンバーも驚きを隠せなかった。
「避けるまでもない……という事か」
「少し前に私はオリハルコンを食べた。ずっと消化されずに体内に留まっていたがどうやら今は完全に体中に行き渡って同化しているらしい」
オリハルコン、と聞いて再びディンバーは驚いた。
(なるほど。あの伝説の金属を取り込んだならこの肉体の頑強さにも頷ける)
「しかし、わざわざ我にそんな事を教えていいのか?」
ディンバーがそう言うと片目は笑って、
「それをお前に言われるとはな」
と返した。確かに片目の言う通り散々敵に塩を送りまくったディンバーが言う事ではなかった。
その表情には気負いも緊張もなく、またこちらを侮っている訳でも油断している訳でも無さそうだった。ディンバーは己の考えを改める。今の片目は先程までの片目とは全くの別物だ。その風格も放たれる威圧感も桁違いだ。ただオリハルコンを取り込んだだけのパワーアップと侮れば痛い目を見る事になりそうだった。
「人と魔族の絆の結晶、合身という奴か」
ちら、とある思いが頭をよぎる。下らない……とディンバーは頭に浮かんできたその思いを振り切ると、全力を出す事にした。先程の戦いでは散々敵に塩を送り手を抜いて戦っていたが、もうそんな事をする必要はない。
「お前の持つ力と我の力、どちらが上か! いざ勝負!!」
今度は左腕どころか左半身を全て霧に変えて解き放つ。霧を扱うコツは常に霧を小さく狭い範囲に留める事である。霧竜が弱小種族なのは全身を霧状に分解してしまう為に無駄な消費をしてしまう為だった。ディンバーは血の滲むような訓練によりその範囲を縮小させる事に成功したのだ。
従って体の半分も霧に変えれば消耗は激しくなり負担も大きくなる。しかし同時にその威力も大きく増す。
ディンバーは分解させた大量の霧を複数回に分けて放った。最初の一撃とは違い解き放つのではなく収束させるように。広範囲に放てば衝撃は大きいが切れ味は落ちる。先程の一撃で衝撃は効かないと踏んだディンバーは切れ味を上げる事に重きを置く事にしたのだ。
そして鎌鼬の如く鋭く研ぎ澄まされた霧の刃は動かない片目の体、その毛先を僅かに切り裂いていく。
(いける! これならば!)
大したダメージではないが、積み重なれば塵も山となるのだ。そしてディンバーは鍛え上げた己の体力と技量には絶対の自信があった。最初は微かな傷しか与えられなくても、数を重ねれば。その度に集中力を研ぎ澄ましていけば。そういう計算を心に浮かべながらディンバーは追撃を重ねていった。
そしてディンバーの思惑通り少しずつ与えるダメージが増えていった。と思われた矢先。
片目が動いた。
動いたようだった。曖昧な言い方になったのは、攻撃の瞬間がディンバーの目には捉えられなかったからである。片目の姿が見えなくなった瞬間、凄まじい衝撃に体が霧ごと吹っ飛ばされたのだ。霧状に分解していた部位はともかくとして、残っていた右半身に激痛が走った。
「う…………ぐあっ」
呻き声をあげながらも体をゆっくり再構成させていく。やがて元通りに体を戻すと、丁度駆け抜けていったと思われる片目がこちらを振り返った所だった。
片目の足から煙が立ち、足先が熱で赤く変色していた。それが、音速をも超えるであろう速度で突進したという事を示唆していた。
再び片目の姿が消える。またも凄まじい衝撃が全身を襲い、「跳ねられた」のだという事を嫌がおうにも思い知らされた。がくがくと震える足を必死に押さえると全身が血で染まっている事に気が付く。
あまりにも攻撃が速すぎて無効化出来ない。ならばーー
ディンバーは全身を繋ぎとめている細胞の結合を緩めた。それは云わば霧になる一歩手前の状態である。直後にまた片目の姿が消える。今度は何とか攻撃をいなす事が出来た。とは言っても全てを受け流した訳ではなくダメージはやはり多少受けていた。このまま衝突を繰り返せばどうなるかは火を見るより明らかだった。
最初の戦いとは立場が全く入れ代わっていた。片目はディンバーの想像した通りに、いや、想像していた以上の怪物だった。誰もが、固唾を呑んで成り行きを見守っていた。誰もが、片目の圧倒的な力を目にして魅せられていた。
黄金の体毛を持つ獣。この獣が放つ輝きに人も魔族も竜も同様に魅せられていた。戦いの最中であるというのにその振るまい挙動には優美さすら感じられた。それは片目の持つ優しさという宝石が眩い光を放っているようだった。
ーー認めざるを得ない。片目の持つ力を、そのカリスマ性をーー
ギリ……と歯を食い縛り、だが、と口ずさむ。
認める訳にはいかない。敗北だけは。
己が何故そこまで敗北を忌避するのか、その真の理由に気付く事もなく、ディンバーは全身の力を振り絞って片目に挑みかかっていった。




