171話
それは、ディンバーが歴代の竜族の中でも史上最年少で竜族を纏める長に選ばれてから幾ばくも過ぎていない時だった。ディンバーは竜族が成人する100歳よりも若い80歳という年齢で長に選ばれた。それがどれ程の規格外な事なのか。
勿論ディンバーのあまりの若さを危ぶみ異論を唱えた者も大勢居た。だがディンバーはその全てと決闘を行い叩き伏せ黙らせた。
誇りこそが竜族の全て。そして誇りとは強さである。己の実力で反対派を黙らせたディンバーは名実共に竜族の長となった。元々が弱者であり勤勉で真面目な性格なディンバーは面立って増長するような様子は全く見せなかった。
ーーしかし少しずつ確実に犯されていたのだ。
驕りという名の毒にーー
だが、上には上が居た。竜族の永遠の宿敵、銀狼族。その歴代の長の中でも最強と謳われる怪物。この怪物の力はディンバーなど足元にも及ばないと影で囁かれていた。
ディンバーもこの噂は耳にしていたが、所詮噂は噂。竜族に負けた者達の負け犬の遠吠えだと気にしていなかった。
ところが、出会ってしまったのだ。その怪物に。銀狼族がたった一匹で竜族の領域に乗り込んできて、あまつさえ十数匹もの竜達が叩きのめされたのだという。報告を受けたディンバーはその強さに興味を覚え、早速会いに行ってみる事にした。
この時の判断が間違っていたのか正しかったのか、ディンバーには未だに分からない。ともあれ、現場に駆けつけると確かに居た。銀狼族の平均的な大きさを遥かに超える体躯をした、見るからに強そうな一匹の雌の銀狼族が。
一目見てこいつは強いとディンバーは思った。しかしそれでも自分が負けるとは全く思わなかった。自分は竜族の頂点に立つ存在であり最強である。しかも強そうとは言っても雌だ。そう考え決闘を挑んだ。
その微かに芽生え始めていた傲慢さは怪物の一撃によって霧散した。
結論から言うとディンバーは負けた。何とか敵の片目を奪う事に成功し一矢報いる形になったがそれは運が良かっただけだ。ディンバーは生きているのが不思議な程の重傷を受けた。しかし死ななかった。どうも話を聞く限りでは気絶したディンバーにとどめを差さずに突如怪物はその場を立ち去ったという。
屈辱以外の何物でも無かった。しかし同時に己の驕りにも気付く事が出来た。上には上が居る。世の中にはあの怪物すら上回る魔王皇と呼ばれる化物が居るという。
全て、追い越してやる。そしてその時に改めてあの怪物と決闘し、この屈辱を何倍にもして返してやる。
それがディンバーの新たな目標となり、長い年月が過ぎ気が付くと自分自身が魔王皇と呼ばれる立場になっていた。しかしあの敗北以降心が晴れる事は無かった。いかに強くなろうとも……。
巷の噂ではあの時の決闘はディンバーが勝利し片目が善戦したという事実とは全く逆の話になっていた。無論それはディンバーにとって屈辱でしかない。
しかし結局そう感じるのは負けたからだ。あの時勝っていればこんな屈辱を感じる事も無かった。全ては弱かった自分が悪いのだ。
たが、今は違う。あの頃とは比べ物にならない程強くなった。魔王皇の中でも最強と呼ばれる程に強くなった。そうして準備万端で迎えた再戦。力の差は歴然だった。見事に力関係が逆転していた。あの時の己のように片目は全身を血だらけに染めて今にも崩れ落ちそうだ。
長年待ち望んでいた勝利の時は目前だった。………………その時になってディンバーは己が勝利する事をどこかで拒んでいる事に気が付いた。
簡単過ぎる。あまりにもーー
片目が弱い訳ではない。むしろ、前に戦った時よりも遥かに戦闘力は増している。……だが、何故かディンバーにはこれが片目の本当の力だとは到底思えなかった。自分が宿敵と認め、倒す為に長年努力し続けてきた相手。
ディンバーは思った。もしかしたら己を倒した片目を神格化し過ぎているのではないのだろうかと。実際は、片目はやはり魔王にも届かぬ魔皇族レベルの、突然変異体に過ぎぬのでは、と。
だが、心の奥底でまた別の声が囁くのだ。お前をあそこまで痛め付け殺す寸前まで追い詰めた相手の真価が、本当にあの程度なのか? と。
ディンバーは迷った。迷った結果、少し試してみる事にする。倒そうと思えばいつでも倒せる。だがあえてそうしなかった。あの片目が認め契約したらしい少年の計略とも呼べぬ粗末な策にも乗ってやる事にした。
最初はこの少年を侮っていたが、今は違う。少なくともこの少年はまだ諦めてはいない。勝利を捨てていない。そういう心の強さが勝利を呼ぶ事を、自ら肌身に染みて理解している。
もしかしたら、とディンバーは思った。もしかしたら、この少年が鍵なのではないかと。己がここまで強くなれたのはあの人間の力だ。ならば、片目の真の力を引き出せるのもまた、契約者であるこの少年なのではないか。
そう考えたディンバーは、この少年に賭けてみる事にした。




