150話
朝になり、遂にザンツバルケルへと乗り込む時が来た。クロは特に気負う事もなく、いつも通り起床し準備を整える。
カーバンクルが肩に飛び乗り甘えた声を出す。扉の向こうからもう一人クロが姿を現す。ぐにゃぐにゃと形を変えたそれは半透明のゼリー状の物体だった。コピースライムのコピーである。
コピーは自らの意気込みを現すかのようにうねうねと波打っている。常にクロの側に控えいざという時には主人の身代わりとなる事を自らの使命としているコピーだったが、神魔戦争の折、クロが拐われた時は一瞬の油断により主人と離れ離れになってしまった。
もう2度とあのような醜態を晒すつもりはなかった。
クロが準備を整えて外へ出ると今度は額に一本の角を携えた純白の馬が寄り添ってきた。ユニコーンである。
ユニコーンは清らかな乙女にしかなつかないと言われているが、この個体はクロにべったりくっついて離れようとしない。男ではあってもクロの美しさ清らかさに叶う存在など世界中どこを探しても存在しないからだ。
ユニコーンに股がったクロはゆっくりと集合地点へと進んでいく。
「クロ殿」
声に反応し振り向くと同時にクロの首に美しい意匠が施されたネックレスがかけられた。
そこに立っていたのはサーベルグだった。逆立てた青髪を靡かせながらニコリと微笑む。世の女性達がこの笑顔を見たら卒倒してしまうであろう魅力的な微笑みだったが、クロは平然とそれを受け流しつつ訪ねた。
「これは……?」
「女神の首飾り……ザカリクに保管されていた国宝の一つです。女神の加護があらゆる呪いから身につけた者を守ると言われています。これをつけていれば大抵の魔術からは身を守れるでしょう」
それはクロの唯一の弱点とも言える『呪い』ーー魔術への対抗策としてサーベルグが用意した物だった。
「敵が何を企んでいるのか分かりません。お気をつけて」
「うん、ありがとう」
クロが微笑んで礼を言う。それは、先程のサーベルグの微笑みよりも遥かに多くの者を虜にするであろう魅力を称えていた。
やがてクロは仲間達と合流し、連合国軍と共に転送魔法陣へと飛び込んだ。転移した先は、厳しい寒さが襲う北の枯れた大地だった。雪がはらはらと舞い落ち、クロの美しさと相まって幻想的な光景を醸し出していた。
美しい、と誰もが思ったがそれを口に出す事は無かった。今は作戦行動中であり、これから戦が始まるのだ。感傷に浸っている場合ではない。
一同は、遠くに見えるザンツバルケルの町並みへと向かい進軍を開始した。
ザンツバルケルの最奥、険しい山々に周囲を囲まれた場所にその城は存在していた。ザンツバル城。かつてザンツバルケルの王族が住んでいた城。今は魔王の住まう城である。
四方を分厚い塀で囲まれたそれは城と言うより要塞と言った方が相応しい武骨な外見をしていた。だがそれは見た目より機能に拘る職人気質的なザンツバルケルの国民の性質にはよく合っていた。
最も、今はそこに住まう民がいるのかどうかは不明だったが。
ザンツバル城の中でも最も奥にあり最も堅固な防壁に守られた一室、その中心には玉座に腰掛け佇む人影があった。頭を覆うフードのせいでその表情は伺えないが、男が何かを憂いている事はその声を聞けば分かっただろう。
「マードリック……」
男は、かつて女神信仰者の頂点として君臨し魔族と魔族信仰者に長年激しい迫害を加えてきた男の名を読んだ。それ自体は別におかしな事ではない。
ベオルーフは魔族優先主義者であり魔族を迫害する女神信仰者のトップであるマードリックは不倶戴天の敵であり、憎んでも憎みきれない程の恨みがある筈だからだ。だが、その声音に怒りや憎しみの感情はなく、あるのはただ一つーー憐憫の情だった。
「結局お前はーー最初から最後まで利用され捨てられただけの、憐れな道化だったな」
憐れな道化。その言葉が何を意味しているのか、それを知るのはただ一人玉座に腰掛け物思いにふけるこの男のみだった。ベオルーフの瞳は何とも言えない光を称えており、例えこの場に誰かがいて見ていたとしても男が何を考えているのか見通す事は難しそうだった。
「私も、道化を演じる事にしよう。ただし」
そこで一旦言葉を切ると、不敵な笑みを浮かべて言った。
「貴様の思い通りに踊ってやるつもりはないぞーーシュドフケル」
それは、宣戦布告であった。真の意味でベオルーフが戦わなければならない敵への、開戦を意味していた。
それを知っているのはベオルーフともう一人、何処かから世界を観察する天上の男のみだった。




