143話
クロは独り立ち尽くしている。無人の瓦礫の山に。周囲に見えるのは朽ちたゴミと瓦礫。最早見慣れた光景だ。
「また会ったな。救世の御子よ」
声のした方を振り返るとやはり黒いスーツにマントを羽織った青い髪の男、魔神ネクロフィルツその魂の欠片がテーブルに座り紅茶を啜っていた。
その優雅な所作はとてもこんな瓦礫の山には似つかわしくない。もっと言えば魔神と呼ばれ恐れられた者の姿には見えない。物静かな高貴な魔族にしかクロには見えなかった。
思えばこの魔神と顔を合わせる時はいつも事態が差し迫っていたり追い詰められている時ばかりでこうして魔神の動向そのものに気を向けた事など無かった。
「貴方は……」
「ネクロフィルツ」
話しかけたクロの言葉を魔神が遮った。
「私の名はネクロフィルツだ。名前で呼んでくれ、御子よ」
「分かった。じゃあぼくの事もクロって呼んでよ」
「承知した。クロ。……これでいいか?」
仏頂面で自分の名を呼ぶ魔神にクロはにっこりと微笑んだ。
「うん。それで、ネクロフィルツはさ……」
自分が使っている名前を口に出すというのは何ともむず痒いようにクロには感じられた。
「なんだ」
「こんな所でずっと独りで寂しくないの?」
「……長い間私はその『寂しい』という感情すら忘れていた」
ハッと表情を曇らせるクロ。
「ごめん……」
「何を謝る事がある。お前のお陰で今の私は充たされている。感謝している」
「寂しくないって事? それなら良かった」
そう言ってクロはテーブルに腰掛ける。魔神と目が合う。魔神が何が語りかける事はなく、またクロも語りかけようとはしない。しばし、無言で二人は見つめ合った。不思議とそれがクロには心地が良かった。
無意識のうちにクロは感じていた。クロが生まれてからずっと感じ続けてきた孤独。仲間達と出会って大分緩和されたものの、胸の中心に空いた穴は完全に塞がる事は無かった。
なぜならクロは救世の天子だったからだ。救世主としての立場が、その自覚が、どうしても特別な存在として周りとクロとを遮絶していたのだ。でもこの男の前ではそれを感じる事もない。なぜなら相手は「魔神」。クロと同じように周りとは一線を画した特別な存在だからだ。そして何よりも魔神がその魂に匂わせる圧倒的な孤独感が、クロにとうしようもなく感じさせるのだ。
この男は自分と同類だ、とーー
「クロ」
「なに?」
「今まで通りに力を使っていけばいずれお前は死ぬ」
「………………」
「先の戦争でお前は無理をしすぎた。多用した回復魔法はお前の魂を削り、引き出し続けた魔神の力はお前の魂を蝕む」
魔神は淡々とただ事実のみを告げる。
「お前の魂が魔神に呑まれた時、お前という存在は消え、二人目の魔神が地上に現れるだろう。そして魔神は地上を」
「大丈夫」
今度はクロが魔神の言葉を遮るように言った。
「そうなったら魔神になる前にぼくは死ぬから」
「魔神の力はお前の意志を無視して肉体を生きながらえさせるぞ」
「大丈夫」
再びクロが言った。
「ぼくには頼りになる仲間がいるから」
それは、もしもの時はクロを仲間達が始末するという意味だった。当然彼等は拒絶し抗おうとするだろうが、世界の破滅とクロの命を天秤にかけて選択を間違えたりはしないだろうとクロは思った。
クロは信じていたのだ。女神をこの世に顕現させた人々の、仲間達の事を。
迷いも恐怖も見せず言い切るクロに魔神は気付いた。魔神が話をするまでもなくクロは気付いていて、とっくに覚悟を決めていたのだと言うことに。
魔神は微かに表情を歪ませた。
「お前は、何があっても最後の最後まで貫き通そうというのだな。救世主としての使命を」
「ぼくが自分で望んで決めた事だから」
「そうか。ならばもう何も言うまい。……己の決めた道を貫き通すがいい、クロ」
「うん。……それじゃあ、行ってくるよ」
その言葉とともにクロの身体が薄く透明になっていく。
やかて完全に透明になりクロの姿が消え去っても魔神は身動きせずしばしその場に留まり続けた。




