134話
大聖堂の中枢に位置する大ホール。そこで今救世の天子の処刑が執り行われようとしていた。大ホールの中心にある円上の舞台。その舞台を360度取り囲むように設置されている客席には誰も居らず、ポツンとした印象を与えている。
本当はこの客席いっぱいに女神信仰者達が敷き詰められ、その中で処刑が執り行われる予定だったのだが、切り札である魔獣吸身を出した為に観客が巻き添えになってしまう可能性を危惧して救世の天子と処刑の実行役を自ら務めるマードリック以外は誰も中に入れる事はしなかった。
その変わり処刑の映像はリアルタイムで世界中で同時放送される。放送に使われる虫はこのために新たに開発されたものである。一匹の大きさは蟻並みの小ささだが何百匹何千匹集結して一匹一匹が細かく正確にコントロールされる事により虫の集合体そのものが映像を表し羽音が音声を伝える。
なによりも場所を選ばず世界中どこにでも発信できるのがこの虫の最大の利点であり特徴である。
世界中でこの処刑の一部始終は同時放送されていた。ザカリク首都キエヌルカで。ザカリク領土大砂漠で。マガミネシア首都メグロボリスで。ミロス三国、カルネデス、ダイダロス、ノルアドスで。世界各国主要都市で同時に行われていたのである。
人々は足を止め、手を止め、外へ出て、戦いを止めて、その映像を見やった。世界中の人間がその一挙手一投足を見守っていた。
「クロオオオッ!!」
片目が叫んだ。
そう、この大聖堂の1階でも放送は行われていたのだ。救世の天子の処刑の瞬間を全て見せ、戦う意志を挫けさせる為に。魔獣達も突如表れた異変に気を取られ暴れる事を止めていた。
クロは見たところ何も束縛を受けていないように見えた。だが、何も抵抗せずじっとしているところを見ると目に見えない何らかの呪縛を受けているようだ。その顔は伏せられており表情は伺えない。
「さて、いよいよ処刑の時間だ。最後に何か言いたい事はあるか?」
そうマードリックはクロに語り掛けた。無論クロに対する最後の情などではない。救世の天子が醜く泣き叫ぶところを見せて魔族信仰者達の心の拠り所を完膚なき迄に叩き潰す事が目的だった。
マードリックの言葉を受けてクロは顔を上げる。その表情は堂々たるものだった。死に怯える訳でもなければ自暴自棄になるでもない。その紅い両目には確かな理知の輝きと、強い意志の力が現れていた。
「皆さん……」
クロは言葉を紡ぎ出した。救世の天子としての最後の言葉を。
「ここでぼくが死のうとも、魔族と魔族信仰者の未来は死にません」
クロがずっと考えていた、今の自分にできる事。それは、助けを求める事でもなく、己の運命を呪う事でもなく、自分が居なくなった後に残される者達に希望を残す事だった。
(ぼくが死んでもぼくの意志を後に続く人達に託せれば、それは終わりじゃない)
いつかきっと、クロの意志を受け継ぐ者達が、志を同じくする者達が、きっと世の中を変えてくれる筈だ。
「ぼくは、負けません。最後の瞬間まで救世の天子として誇りを持って、襲い来る悪意と戦いきって死にます。だから、皆さんも負けないで下さい」
「クロ……お前という奴は……!」
「クロ……」
「最後の最後まで救世の天子としての勤めを果たすつもりなのか……」
片目が、ジュレスが、ユータが、クロの決意を受け止める。
「この世界は……醜くて、汚くて、そして残酷だ。だけど、負けないで。人には、魔族には、その悪意に立ち向かえる力がある。手を取り合って、前に進んでいける力がある。世界は変えられる。たとえぼくがここで死んでも、心ある人達がぼくの遺志を継ぎ、世界を変えてくれると信じている」
「クロ殿……!」
「クロ……!!」
「救世の天子様……」
「これが、救世の天子……なのか」
サーベルグが、
コーデリックが、
魔族信仰者が、
各国の指導者が、
その勇姿に圧倒されていた。
それは、到底これから処刑される人間の姿では無かった。誰よりも輝き、尊厳を持った一人の人間だった。その輝きは、敵対している筈の者達にまで届いていた。
「これが、救世の天子……? まだ子供じゃないか……」
「なんて美しい……その姿も、その心も」
「魔族信仰者達が崇めるのも分かる気がする」
「これから殺されるっていうのに……なんて強い子供なんだ」
この時になって女神信仰者達の多くは初めて救世の天子の実像を知った。それまではただ教えの通りに悪魔の使いだと、邪悪の化身なのだと盲目的に信じていた。
だが、実際に目にしたその姿はどうだろう。彼等は、これ程までに美しい体と心を併せ持つ者を見た事は無かった。
その存在を今自分達女神信仰者は亡きものにしようとしている。
(ーー本当に、いいのか? 殺してしまって)
誰かが、そう思った。誰もが、そう思った。
最後の最後、この僅かな語りだけでクロは多くの人々の心を掴んだ。そして、心を掴まれた者達は皆等しくこう思った。
(ーー死んでいい筈がない。殺していい筈が無い)
そして、誰もが心を一つにし、こう思った。
(殺さないで。ーー死なないで)
世界中の人々が、同じ思いを抱き、心を一つにするーー
人はそれを祈りと呼び、信仰と呼んだ。
「最後の最後まで己の道を貫き通すか。大した奴だよお前は」
呆れたような、関心したような表情を浮かべると、マードリックは無慈悲にギロチンの刃を落とした。




