91話
深夜ーー
最近、王には密かな楽しみがあった。それはある1人の小間使いの娘と逢瀬を楽しむ事だった。初めてその娘が入城した時に一目見て惚れてしまった。それは城の他の男達も皆同じようだった。
元々「そういう事」の為に召し抱えた訳ではないが、王の権限で夜の相手をさせるように計らった。抵抗するそぶりも見せずその娘は素直に寝所に姿を現した。自分だけが独占できる事に王は密かに優越感を抱いていた。
その娘との夜は素晴らしい物だった。かつて味わった事の無い快楽、美しく扇情的な肉体を持つ少女。そして何よりその心の奥まで響くような細やかな気遣い。一途に自分を思って動いてくれている事が伝わってくる。
少女と逢瀬を重ねるうちに肉体の目合いよりもその後のゆったりとした心の目合いを楽しみにするようになっていた。いい年をした大人が、初恋に揺れる少年のように胸をときめかせて毎晩を待ち侘びていた。
そんな感じで1週間程過ぎたが何だか最近は調子が良かった。それまでは酷い倦怠感と頭痛に苛まれ、思考能力が奪われていた気がする。日に日に頭が冴えていくようで気分が良かった。
そんなある日の事、転機は突然やってきた。いつものように自室で少女を待っていると物音がして裸の姿になった妙齢の美女が息も絶え絶えに悶えながら虚ろな目でこちらを見ていた。
「も……駄目ぇ……許してぇ」
そう言って身体を震わせると音もなく崩れ落ちた。何とも扇情的な光景だった。目の前の美女は全身から色香と汗を立ち上らせ、未だに快感が収まらないのだろう。時折身体をびくん、と震わせる。
以前の自分ならにもなく興奮し襲いかかっていただろう。……というより、目の前の女はかつて自分が入れ込み毎晩のように抱いていた占星術師長マーガレットだった。だが今はその裸身を見ても心揺さぶられる事は無い。もっと美しいものに心を奪われていたからだ。
「こんばんは……王様♪」
そう言って姿を現したのは見た事もない超絶的な美貌を持つ女だった。見た目は全然違うし歳も何歳か違うように見える。だが王の口から出たのは最近の自分が夢中になっていたあの小間使いの名前だった。
「アンヌ……なのか?」
くすり、と微笑を浮かべると少し意外そうな顔をして、
「よく分かったね。でもあれは仮の姿。こっちが本当の姿だよ」
そういう彼女の姿は人間のものではなかった。闇夜の色の腰まで伸びた長い髪に見る者の魂を吸い取ってしまいそうな金色の瞳。悪戯気な表情は幼く、豊かな乳房と細く括れた腰、桃のように可憐で重量感のある尻はアンバランスな魅力を醸し出している。黒い薄手のショールを羽織り、そこからのぞく肌は白く美しい。背中には大きな黒い翼が二つ左右対称に並んでいた。
「その姿、淫魔族なのか……? 私は魔族に心を奪われていたのか」
「そうだね。でも貴方はもっと前からずっと心を奪われていたんだよ。邪悪な薬の効果でね」
そう言うと右手に引き摺っていた物体をこちらへ放り投げた。 それは、魔法庁のトップ魔術師長ゴードン=ウルバルクだった。この名前も久方ぶりに思い出した気がする。気絶しているようでピクリとも動かない。
「薬の効果で……? まさか、ゴードンが?」
「そう、貴方は長い事薬の効果で操られ魔術師長ゴードン、引いてはザカリクの意のままに動かされていたのさ」
「そのような事が本当に……?」
訝しげに言うと淫魔は逆に尋ねてきた。
「王様。貴方は魔族信仰者を滅ぼそうと、戦争を仕掛けるつもりはあるかな?」
「戦争……? 馬鹿な。確かに彼等は異教徒ではあるが、力を持って排除するなどという事をするはずがないではないか」
「でも残念、戦争は実際に起きてしまっているんだよ。4年も昔にね。そして多くの罪無き人々と魔族が正義の名の元に粛清されたんだ」
「馬鹿な! そのような事が……」
「あったんだよ。ね?」
そう言って淫魔が声をかけるとマーガレットは涎を垂らしながらコクコクと頷き、
「ひゃい、そうですう。ありましたあ。私とお、ゴードンがぁ、王様を操ってえ戦争を起こさせましたあ……」
「………………!!!!」
信じ難い事をマーガレットは言った。王を操って戦争を起こさせた? それが本当なら何と恐ろしく罪深い事を成してしまったのだろうか。苦悩する王に優しく淫魔は声をかけた。
「キミが悪いんじゃない。落ち込まないで」
何故か魔族の言葉だと言うのに胸が熱くなる。それが真からこちらを思って出された言葉なのだと思えて仕方が無かった。
「だが……それが本当なら私は王失格だ。どうすれば……どうやって償えばいい……?」
「償いたいのなら、ボクの言うとおりにして?」
呆然とする王に淫魔は妖しく語りかけた。




