90話
「わあ、とってもいい匂い。美味しそうな紅茶ですね」
屈託なくニコニコと笑顔を浮かべているこの娘こそ件の娘である。廊下を歩いていた彼女を呼び止めてお茶に誘ったのだ。
無論、仲良く紅茶を啜る為ではなく、毒を盛って殺す為である。部屋には私と小間使いの娘しかいないように見えるが、そうではない。魔法によって透明化したゴードンが目を光らせている。
ゴードンは他人を信用しない。何事にも必ず自らの目で見て確認する癖がある。私はどうやっても逃げられないのだ。
人を殺すという罪からは。
何の疑問も浮かべず娘は紅茶を手に取り、口に運ぼうとする。
「待って」
思わず声をかけてしまった。不思議な顔をしてこちらを見る娘。いけない。何をしているんだろう、私は。ゴードンが物凄い目でこちらを見ている。
「ミルクも入れた方がよりコクが出て美味しいわ。今持って来るわね」
そう言って席を立ち調味料などが置いてある棚にまで移動する。ミルクの入った瓶を震える手で手に取る。席に戻ろうとするが、瓶を落としてしまう。
カシャン、という音と共に中に入っていたミルクが外に漏れ出す。
「あっ!」
「大丈夫ですか?」
そう言って駆け寄ってこようとする娘を大丈夫だからと押し止め、雑巾で汚れを拭き取り箒で瓶の欠片を片ずける。
作業が終わり、テーブルについて一息つくと思わず喉が乾いて紅茶に手が伸びる。こく、と飲み干す。勿論自分のには毒は入っていない。この時点で私はしまった、と思った。娘は私に習うように紅茶を手に取り今にも口をつけようとしたからだ。
「ところで」
また思わず声を出してしまう。ぴた、と反応して娘の動きが止まる。いけない。またやってしまった。話を何とか繋いで誤魔化さないと不審に思われてしまう。この時点でゴードンの顔は恐ろしくて見えなかった。
「随分城の男達におモテのようだけれど、誰か決まった人はいるのかしら?」
この手の恋愛話を嫌う女はまずいない。不審に思われる事はないだろう。……恋愛か。この娘も既に決まった相手がいるのだろうか。それともまだなのか。いずれにしてもこの娘の美貌と器量の良さがあればいくらでも相手は見つけられるのだろう。
「いえいえ、そういうのはまだちょっと……怖くて」
「あら、随分と奥手なのね。貴方なら望めば引く手も数多でしょうに」
心からそう思う。こんな所にさえ来なければいくらでも青春を謳歌できただろうに。
「マーガレット様の方がよほどおモテになられるかと思います」
などと言ってきた。例えお世辞でも褒められるのは嬉しい。自然と頬がにやける。我ながら現金な女だ。
「あら、そうかしら?」
「そうですよ。だってマーガレット様はお優しいお方だから」
優しい? 私が? 今から貴女を毒で殺そうとしているのに?
「そんな事ないわよ? ひょっとしたらこの紅茶には毒が入っていて貴方を殺そうとしてるのかも知れない」
……さっきから私は何をやっているんだろう。わざわざ自分の首を絞める事ばかりしてる。
「だから、優しいって言ってるんですよ。貴方は、本当は殺したくないと思っている。だから気付いてほしくてさっきから助けを求めている」
「え?」
「この馬鹿者がああ!!!」
ゴードンがノンタイムで風の上級魔法を放つ。私ごと切り裂く軌道で。全てがやたらスローモーションに見える。ああ、こんなつまらない事で私は死ぬんだな、と思った。
だが、仕方の無い事だった。今までの私がしてきた事を思えば。悪党には悪党らしい死にざまがお似合いだろう。
だが、いつまで経っても私の身体は傷付けられる事はなかった。目前に貼られた結界によって風の上級魔法は弾かれていたからだ。
「え?」
何が、一体どうなってーー
混乱する私をよそに次々と上級魔法が撃ち込まれていく。だが結界はびくともしない。業を煮やしたゴードンは大魔法を放つため呪文の詠唱を始める。が、次の瞬間黒い疾風が通り過ぎたかと思うとゴードンは壁に叩き付けられ気を失っていた。
呆然とする私の前に立っていたのは先程までの小娘ではなく、常軌を逸した美貌と力を称えた淫魔だった。この魔族が化けていたのか。
「そう……どういう理由で城に潜入してきたのか知らないけれど、いいわ。好きになさい」
そう言うと面白がるような顔をして、
「抵抗しないの?」
と聞いてきた。
「私は今まで散々悪事を働いてきたわ。その男に脅されてはいたけど、そんなもの言い訳にならない。その報いが来たのでしょうね」
と私は自重げに笑った。
次の瞬間柔らかい唇が私の唇に重ねられ、押し倒された。
[ん!? んん~~~~~~!!」
ぷはっと口を話すと嬉しそうにその淫魔は言った。
「そう? じゃあ好きにさせてもらうね。お姉さんは今からボクの性慾解消のお手伝いさんね」
「ま、待ちなさい! そんな……ふつうここは処刑するとか罰を与えるとかでしょう? 何故こんな……!」
「知らないの? 淫魔の王の相手をするのは、それこそ処刑と同義なんだよ?」
クスクス、と笑い言い放つその姿はまさに悪魔そのものだった。




