第50話 「泊まります」 ~伊織編~
今日も「泊まっていきますか」なんて聞かれるのかな。ドキドキしてると、
「そろそろ送ります」
と佑さんはソファから立ち上がった。
あれ?
あ、私ったら、泊まっていきますかって言葉を期待していた。もし言われても、首を横に振るだけなのに。
ソファから立ち上がり、カバンを手にすると、佑さんの携帯が鳴った。
「はい?」
佑さんは携帯を見て、すぐに電話に出た。
「うん。家にいるけど。え?」
誰からかな。お姉さん、お母さん、それとも。親しそうな感じだから、やっぱりお姉さん?
「なんだって、そういう突拍子もないことを言ってくるんだ。無理だよ。これから出かけるから」
お姉さんかな~~~。
私をちらっと佑さんは見た。私はまたソファに座りなおした。
佑さんはそのまま、ダイニングの方に行き、私に背を向けて話し出した。
「わかった。月曜に話は聞く。用はそれだけか?」
月曜?会社の人?まさか。
「だから、夕飯はもう済ませたんだ。飲みに行くのにも付き合えない。言っただろ?これから出かけるんだよ」
やっぱり、塩谷さん?
「ああ。まっすぐに帰れよ。家でちゃんと夕飯食えばいいだろ?お母さん、作って待ってるんじゃないのか?」
やっぱり、そうかも。
こうやって、時々佑さんに電話をしてくるの?まさか、今までも家に来たことがあったりするの?
「塩谷。前にも言っただろ。うちにはもう呼べない」
え?
「名古屋にいた時と違うんだ」
っていうことは、佑さんのマンションに来たことはないってこと?
「他の連中も呼ばないって言っただろ?え?」
佑さんが少し言葉に詰まった。でも、私の方をちらっと見てから、
「いるよ。だけど、僕のプライベートのことなんだから、塩谷が口に出すことじゃないだろ?僕も塩谷のプライベートのことまで干渉したりしないから」
と、また背中を向けて話し出した。
ん?なんの話?
「じゃあな。さっさと帰れよ」
佑さんはそう言って電話を切った。そして、私の隣に座りに来た。
「塩谷さんですか?」
「…大学時代の友人と会った帰りで、この近くにいるから飯に行こうと誘ってきたんですよ」
「…そういうことって、よくあるんですか?」
「ん~~。そうですね。仕事の帰りならたまに夕飯食べに行きますが…」
二人きりで?とは聞けなかった。
「名古屋では部下を家まで呼んだりしていたので、東京でもうちに来たがってうるさいんですよ」
「そうなんですか」
あ、ダメだ。私の声暗いかも。
「でも、呼びませんよ?ここには誰も」
「……」
「それに、ちゃんと彼女がいるってことも、今話したし」
「え?」
私のこと?
「相手が伊織さんだってことはまだ話していません。ただ、彼女がいるから家に行ったらダメなのかってしつこく聞くから、そうだって答えただけなんですが」
「そうだったんですか」
それで、塩谷さんの反応は?聞きたい。でも、なんだか聞きにくい。
だって塩谷さんは、絶対絶対佑さんのことが好きだもの。きっと佑さんは今まで彼女もいなかったから、塩谷さんは安心していたのかもしれないし、結婚もしないって聞いていたから、塩谷さんも告白とかしなかったのかもしれないし。
なんて言うのは想像だ。もしかすると、名古屋で佑さんには彼女がいたかもしれないんだし。
元カノのこと、聞きたくない。でも、すっごく気になってきた。
「あの」
「はい?」
私はゴクリとつばを飲み込んだ。さっき、佑さんもこんな複雑な気持ちで私に聞いてきたのかな。
「その、佑さんは今まで付き合ったことありますよね?」
「ああ、はい。大学時代に」
「そうですか…」
やばい。もっと声が暗くなってる。きっと、気持ちが凹んでいるの、バレバレだ。
「喧嘩もたえなくて、そのうちだんだんとお互い、連絡も取らなくなって…。すっかり冷めた状態になり、別れることになったんです」
「……喧嘩?佑さんが?」
信じられない。
「ぶつかってばかりいましたね。気が強い女性だったし…。僕も僕で、けっこう我儘なことばかり言っていましたし」
ますます信じられない。我儘なんて言われたこともないのに。
「お互い一緒にいても疲れるだけでした。ただ、まだ若かったからなのか、最初はお互いの意見をぶつけあっているのも楽しく感じたんですよ」
「……その女性は、私とはまったく違うタイプなんですね」
「そうですね」
「……お姉さんや、塩谷さんと同じタイプですか?」
「ちょっと違います。姉は行動派で、頭で考える前に行動しているって言う感じです。塩谷もどっちかって言ったらそういうタイプです。でも、大学の時に付き合っていた女性は、論理的で、口が達者で、なかなか動かないで考え込むタイプでしたよ」
へえ。どっちにしても、私とは違っている。
私は行動派じゃない。お尻が重たくて、なかなか行動しようとしない。だからと言って、あれこれ考えているわけでもない。つねにボケッとしていると思うし。
「会社に入ってからも、付き合ったりしましたが…。いや、付き合うまではいかないかな。食事に行って終わりでしたよ」
「………」
「伊織さん?」
「その、大学時代の彼女とは…、もうまったく?」
「ああ、はい。会っていませんよ。今、どこで何をしているかもわかりません」
「そうなんですか」
「気になりますか?」
ドキ。
「いいえ!すみません」
「伊織さんは、付き合った経験があまりないようですが、僕もです。付き合ったと言えるのはその女性くらいで、あとは、食事に行ったことがある程度ですから」
でも、でもでも、私と違うよね。だって私は、キスすらしたことがなかった。でも、佑さんは、その女性と…。
うわ!ダメだ。そういうのを想像するだけでも嫌かも。
「帰ります」
突然そう言って立ち上がると、佑さんは少し驚いたように私を見た。
「あ、はい」
そして佑さんも立ち上がった。
やばい。今の態度は変だった。絶対に変だったよね。
「あ、あの。すみません。自分で聞いておきながら…、なんか、私」
「はい」
「ちょっと落ち込んじゃって」
「どうしてですか?」
「わからないんですけど。もう前の彼女に嫉妬したりしてもしょうがないんですけど。でも、なんだか、落ち込んじゃって」
立ったまま俯いて、私は正直にそんなことを言っていた。自分でも、こんなバカ正直に言ったりして、アホだと思う。
「僕も、伊織さんの元彼が気になりましたから、なんとなくその気持ちもわかりますが。でも、落ち込むことはないですよ。さっきも言いましたけど、そんなに仲が良かったわけじゃないんです」
「………」
だけど、気になる。その人のことは名前で呼んだ?呼び捨て?こんなふうに敬語じゃないよね。
一緒に手を繋いで歩いたり、腕も組んだ?あ、まさか、一緒に暮らしていたりした?
どのくらいの期間付き合っていたの?
そんなこと知らなくてもいいのに、なんだか気になる。
「伊織さん」
「はい」
ドキ!佑さんが私の背中に腕を回してきた。そして、そっと私を抱きしめてきた。
わあ。ドキドキドキドキドキドキ。
「泊まっていきますか?」
きゃあ。言われた!
どうしよう。首を横に振るんだ、伊織!
いや。ここは頷くべき?
どうしたらいいの!?
「帰したくないんです」
ドキーーーッ!
「明日も休みだし。伊織さんは何か用事ありますか?」
「な、ないです」
あ、ないって言っちゃった!
「じゃあ、泊まっていきませんか?DVDでも一緒に観ませんか?」
「はい。DVD…、観ます」
それだけ?それだけだよね?
「はい」
え?何で今、はいって言ったの?私、声にまさか出てた?
「くす」
あれれ?
「そんな目で訴えてこなくても大丈夫です。手は出しませんから」
うわ!目で訴えてたの?私。
「ただ、一緒にまだいたいって、そう思ったんです」
ドキン。
まだ、佑さんは私を優しく抱きしめている。
ドキドキ。それだけでも、顔がすっごく熱い。
「DVDでも一緒に借りに行きますか?」
そっと私から離れ、佑さんがそう言った。
「あ、はい」
そして、二人で夜の道をぶらぶらと歩きながら、駅の反対側にある大きなレンタルショップに入った。
「いいですね、最寄駅にこんな大きなレンタルショップがあって」
「もうすぐ、いつでもこの店に来ることになりますよ」
「え?」
「一緒に住むようになれば」
あ、そうか。そういうことか!
ボワッとまた顔から火が出た。「一緒に住む」という言葉に、私は過剰に反応しているよね。恥ずかしい。
レンタルショップの中を、二人でゆっくりと歩いた。他にもカップルで来ている人がいて、その二人の距離感と私たちの距離感が、だいぶ違っているのが気になった。
あ、彼氏、彼女の腰に手を回した。彼女の方はそんなのおかまいなしに、DVDを手に解説を読んでいる。
私と佑さんの間には、ほんのちょっとの隙間がある。
「あ。これ、観たかった映画」
佑さんが足を止めそう言った。私はカップルに気を取られ、佑さんが止まったのに気が付かず、ドスンとぶつかってしまった。
「大丈夫ですか?伊織さん」
「だ、大丈夫ですっ。こめんなさい、ぶつかって」
「いいえ」
ぱぱぱっと佑さんから離れた。くすっと佑さんは笑って、
「これにしますか?」
と、手にしたDVDの表側を私に向けて見せてくれた。
「私もロードショーで見損ねたんです」
にこりと佑さんは笑って、そのままレジへと進んだ。
そのうしろをとぼとぼと歩いていると、
「借りてくるから、待っててください」
と、佑さんは優しく言って、レジに並んでいる列の最後部に並んだ。
「……」
あのカップルはべたべたしながら、まだDVDを探している。あ~~あ。私、羨ましいのかなあ。さっきからなんだって、あのカップルが気になるんだか。
ふっと入口の方に目を向けると、一瞬塩谷さんが見えた。え?なんでこんなところに?と思い、もう一度目を凝らしてみたが、塩谷さんの姿は見えなくなっていた。
「……」
見間違い?錯覚?幻覚?い、嫌だなあ。私、疲れているのかなあ。
「何か、コンビニで買っていきますか?」
佑さんがDVDを借りて、私の方に来て聞いてきた。
「あ、はい」
「飲み物と…、適当につまみと…。ビール飲みますか?」
「いいえ」
「いいんですよ、飲んでも」
「だって、私いびきとかかきそうだし」
「……ああ、そういえば」
「え?!」
そういえばって何?!
「この前、飲み会のあと、酔っぱらって寝ちゃった時」
「私、いびきかいていたんですか?!」
ひ~~~。なんたる失態をお見せしてしまったんだ。
「いえ。いびきというほどのものじゃないですよ。寝息の大きくなったくらいで」
寝息の大きい…。それって、立派ないびきじゃないの?!
きっと佑さん、本当はいびきだったのに、優しくそう言って誤魔化してくれているんだ。
「くー、くーってすごく可愛かったですよ。寝言も言っていましたし」
「寝言?!ど、どんな寝言ですか?」
「……」
何?佑さん、ちょっと意地悪っぽい目をしているけど、何?
「内緒です」
え~~~~~~っ!!
「気になります。なんて言ったんですか?私、恥ずかしいこと言ったんですよね?」
だから、言えないとか。どうしよう、なんかすんごいこと言っちゃってたら。
「どうしようかな。あんまり教えたくないな」
ええ?
佑さんはくすっと笑い、コンビニに入って行った。私はそのあとを追いかけながら、
「なんでですか?そんなにとんでもない寝言ですか?」
としつこく聞いた。
「いいえ。可愛い寝言です。だから、僕だけの秘密にしておきたいような…」
可愛い?秘密?ますます気になっちゃうじゃないか。
あ、佑さん、口元がにやにやしてる。もしかして、わざとそんなことを言って私を困らせてるの?
「……う、すっごく気になる」
そう言って、私はくるっと後ろを向き、お菓子を見に行った。つまみって何がいいのかな。佑さん、お酒飲まないし。
「そう言えば、寝言は熱出していた時でした」
「え?」
突然すぐ後ろから佑さんの声がして、びっくりして振り返った。
「伊織さん、僕の夢を見ていたようですよ?」
佑さんの?
「なんで、佑さんの夢を見ているってわかったんですか?」
そう言うと、佑さんは私の耳元に顔を近づけ、
「だって、僕に告白してきましたから」
と囁いた。
告白?!夢の中で?!
「え?」
振り向くと、すぐ横に佑さんの顔があった。
ドキーー!
「あはは」
え?
佑さんが珍しく声をあげて笑ってる!
「なんだってそんなに、面白いんだろうな、伊織さんは」
面白い~~?
「お、面白いんですか?私ってそんなに」
ちょっとガッカリ。面白いって表現はあんまり嬉しくない。
「……すみません。面白いって言われても、嫌ですよね」
「……」
コクンと小さく頷くと、くすっと優しく笑い、佑さんは私から視線を外した。そして、斜め下を見ながら、
「すごく、可愛いと思っています…よ?」
と小さな声で言ってから、ちらっと照れくさそうに私を見た。
わあ。佑さん、耳が赤い。照れてるんだ!
かあっ!私まで耳まで熱くなった。
「あ、あの。何のおつまみ買いますか?」
「あ、そうですね。すっかり忘れてました」
二人でぎこちなく笑い、おつまみを買ってコンビニを出た。




