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第49話 「癒されます」 ~佑編~

 エレベーターに乗り、

「今夜は、ビールでも飲みますか?」

と聞いてみた。

「え?佑さんもですか?」

 伊織さんは、ちょっとびっくりしながら聞き返してきた。


「いえ、僕はノンアルコールビールを飲みますが」

「…じゃあ、私もノンアルコールでいいです」

「遠慮しなくてもいいのに」

「いえ。遠慮じゃなくて、飲むと寝たり失態をさらすから…」


「くす。可愛いのに」

「え?!」

「お酒入ると、伊織さん、少し大胆になりますよね?」


「だ、大胆?!」

「……。そういう伊織さんもたまには見たいんですけど」

「え。えっと。ええ?」

 あ、真っ赤になった。本当に可愛いよなあ。


 まずいことに、相当僕は浮かれている。自分でもわかる。さっきから顔がにやけっぱなしだ。でも、会社にいるわけじゃなし、わざわざクールに装う必要もないよな。


 鍵を開けドアを開けた。

「どうぞ」

 そう言うと伊織さんは、遠慮がちに「お邪魔します」と言いながら玄関に入った。


「あ、スリッパ履いてくださいね」

「あ、はい」

 スリッパを履くのも遠慮がちだ。そして僕を先に歩かせ、あとからちょこちょことついてくる。


「夕飯作っちゃいますから、テレビでも観ていてください」

「洗濯物、取り込みましょうか?」

「あ、お願いします」

「はい」


 ベランダに出ると伊織さんは、急ぎながら洗濯物を取り込みだした。ゆっくりしてもいいのになあと思いつつ、僕はキッチンに入った。


 その後、しばらく伊織さんはリビングで静かにしている。そっとキッチンから覗くと、正座をして洗濯物を畳んでいた。顔は真剣そのもの。

 面白いなあ…。


「あの、プランターの野菜見てもいいですか?」

 キッチンで味噌汁を作っているとそう聞いてきた。

「どうぞ」

 伊織さんは、僕の返事を待ってからベランダに出て行った。


「お野菜、どうですか?元気に育っていると思いますか?」

 部屋からベランダに顔だけ出してそう聞くと、

「はい。順調です」

と伊織さんが笑顔でそう答えた。


「早くに食べたいですね。きっと美味しいんだろうな」

 顔を出したままそう言うと、伊織さんはとことことこっちにやってきて、部屋に入ってきた。


「そういえば、もうすぐしたら社内旅行ですね。熱海の温泉だって聞いていますが」

 窓を閉めながらそう言うと、伊織さんは嬉しそうに僕を見た。

「はい。毎年熱海とか、箱根あたりの温泉なんですよね」

 社内旅行、楽しみなのかな。伊織さんの目が輝いたぞ。だが、僕はあまり社内旅行は得意なほうじゃない。


「実は、苦手なんです。名古屋では出張を入れて、旅行には参加しませんでした。大阪でも、いろいろと理由をくっつけて、旅行に行かなかったし…」

「じゃあ、今まで一回も?」

「いえ。入社した年に行きましたよ。1年目は強制参加ですよね。上司にお酒注いだり、いろいろと面倒くさかったですよ」


「マーケティング部だったんですよね?」

「はい」

「同期では?私たち同期はけっこう仲良くて、スキーとか、夏はテニスをしに1泊で旅行とか行っていたんですよ」

「へえ。女子だけで?」


「いいえ。男性社員もいました」

 男性社員も?

「まさか、同期で彼氏がいたとか…」

 突然気になり、僕はとっさにそう聞いていた。


「私ですか?いません!全然相手にされなかったんです」

「…本当に?」

「3年目で結婚退職した同期がいるんですけど、その子ばかりがすんごいモテて。私なんか誰も相手にしてくれなくて、いつも真広たちとわいわいやっていました」

「……そうですか」

 

 会社に入ってからは、彼氏がいないのか?いや、同期にいなくても、学生の頃からの付き合いとか、そういうのもあったかもしれないし。

「伊織さんは…」 

「はい」


「その」

「…はい」

「いえ、いいです」

 元彼のことを気にする必要はないよな。そう思い直し、聞くのをやめた。

「あの、なんですか?」


「いいんです」

 僕は話を切り替えようと、話題をわざと変えた。

「伊織さん、親子丼好きですか?」

「はい」

「今日は親子丼にします」

「あ、はい」


 よかった。どうやら聞くのをあきらめたようだ。と思ったのもつかの間、

「……え、あの。なんだったんですか?とっても気になるんですけど」

と、また伊織さんは聞いてきた。…切り替えられなかったか。

「ああ…。ちょっと聞いて見たかっただけですから、いいです」


「何をですか?」

 伊織さん、これはちゃんと話さないとずっと聞いてきそうだな。しょうがない。

「伊織さんは、お付き合いした人…いましたか?」

「え、えっとですね。その……」


 あ、ものすごく戸惑ってるぞ。突然固まって、目も泳いでいる。


「いるような、いないような…って感じです」

「…」

 それは、どっちなんだ?

「あのっ。お付き合いはしたことあるんですけど、私、見る目がなくて。すぐに別れたんです」


 見る目がない?あ、そういえば。 

「美晴さんが、伊織さんはメンクイだって言っていましたね」

 突然思いだし、思わずそう言ってしまった。

「あれは、その。…まあ、そうなんですけど」

 

 やっぱりそうなのか…。

「……僕は、伊織さんの好みのタイプですか?」

「え?あ、はい。どストライクです」

 は?


「ぶっ!なんですか、その、どストライクって」

「すみません、変なこと言って」

 伊織さんは恥ずかしそうにしている。僕もなんだかすごく照れくさくなり、そのあとは伊織さんの顔も見ず、ひたすら料理に集中した。


 だが、さっきから、ひしひしと伊織さんの視線を感じる。じっと僕を見ているようだ。

 あ、もしや、お腹が空いてきたのか?

「お腹すきましたか?」


「え?あ、はい。空いてきました」

「もうすぐできますよ」

「何か手伝いましょうか?」

「じゃあテーブル拭いたり、お皿出してもらおうかな」


「はいっ」

 え?


 伊織さんの返事はものすごく元気で、意気揚々とテーブルを拭きだした。

「ぶっ」

 可愛い。思わず可愛くて吹き出してしまった。すると伊織さんはびっくりしながら、こっちを見た。


「伊織さん、会社と同じで僕が何か頼むと、本当に張り切ってやってくれますよね」

「あ…」

 真っ赤になったぞ。

「伊織さん、面白いですよ」


 そう言うと、ますます顔を赤くした。

 ああ、やばいな。なんだってああも、可愛いんだ。


 夕飯ができて伊織さんは親子丼を食べだすと、

「ん~~~~」

と目を瞑って唸りだした。それから幸せそうに微笑んで、「美味しい」と呟く。


 伊織さんは本当に美味しそうに食べるよなあ。この顔が見たくてまた作りたいって思ってしまう。


 食後コーヒーを淹れて、リビングのテーブルに持って行った。トレイを片付けにキッチンに行っていると、

「こんなに幸せでいいのかな…」

と、微かな伊織さんの呟く声が聞こえてきた。


「え?」

 思わず伊織さんのもとに駆け寄り、聞き返すと、

「あ、なんでもないです」

と伊織さんは赤くなりながら首を横に振った。


「僕もそう思うことがありますよ」

「え?」

「こんなに幸せでいいんだろうかって」

「……」


 伊織さんは僕の言葉にはにかみながら俯いた。どうやら独り言を聞かれたのを恥ずかしがっているようだ。


 そんなはじらっている伊織さんの隣に座り、コーヒーを飲んだ。はあ。落ち着く。ものすごく幸せを感じる

「…伊織さんの隣って、本当に癒されるんです」

「そうなんですか?」

 少し不思議そうに伊織さんは首を傾げた。


「それなりに外では気を張ってるんですよね。そんなつもりはなかったんですが」

「…」

「会社でも、どうしてもピリピリしてしまって。だけど、こうやって家で伊織さんといると、肩から力が抜けて、本当にほっとできるんです」


「そうなんですね。会社ではやっぱり、気を張っているんですね」

「伊織さんといると癒されるので、疲れも取れます。また明日から仕事頑張れるって、気力もわきます」

「……」

 伊織さんは本当に?と言うような目で僕を見ている。


「だから、最近の僕は仕事を張り切っていると思いませんか?」

「え?…でも、佑さんはずうっとテキパキと仕事をしています。最近だけじゃなくって」

「そうですか?そう見えますか?」

「はい」


「…でも、僕自身は、伊織さんといて癒されると、その分仕事を頑張れるって、そう実感しているんですよ」

 そう言うと伊織さんは、嬉しそうに微笑み、それから恥ずかしそうに視線を下げた。


 僕はじっと伊織さんを見つめた。伊織さんはまだ恥ずかしそうに自分の手元を見ている。


「不思議ですよね。前はあんなに一人でいるのが好きだったのに」

「……え?」

「最近は、どうも伊織さんがいないと、寂しいんですよね」

 そう言うと伊織さんは僕を見た。


 そっと伊織さんの頬に触れた。伊織さんは目をギュッと瞑り、緊張した様子で固まっている。

 くす。

 可愛いよな、こういう表情も。


 純朴で可愛いから、僕は伊織さんのことをまるでガラス細工を扱うようにしか触れられない。そうっとキスをして、すぐに顔を離した。

 伊織さんはずっと赤くなったまま俯いている。


「式の日取りとか、決めないと…」

「え?」

 そう言うと伊織さんはようやく顔を上げた。

「いつ頃がいいですか?」


「…いつでも」

「じゃあ、来年5月か6月あたり、式場があいているかどうか調べてみましょうか」

「はい」

「ただ…」


 伊織さんをじっと見た。伊織さんも、僕の次の言葉をじっと僕を見つめて待っている。顔を赤くし、ほんのちょっと不安そうに。

「結婚式よりも先に、籍だけ入れてもいいですか?」

「え?」 


「それで、一緒に住みませんか?」

「そそそそ、そうですねっ」

 予想以上に慌てているな。

「嫌ですか?」


「まさか!」

 伊織さんはブンブンと首を横に振った。

「よかった」

 嫌がっているわけじゃないとわかり、僕は心底ほっとしてしまった。


 僕は多分、少し焦っている。

 いや、焦っていると言うより、なんだろう。伊織さんとずっと一緒にいたいと思っているのかもしれない。

 伊織さんと二人でいる時の幸せなこの空気。一人になると、やけに寂しくて、早くに一緒に住みたいと願っている。


 この幸せを手放したくなくて、早くに手に入れたくて、ああ、やっぱり焦っているのかもしれないな。


 でも、焦りは禁物かもしれない。隣でなんとなく緊張した様子で恥らっている伊織さんを見て、そんなことを感じた。

 

「そろそろ送ります」

 僕はそう言いながらソファから立ち上がった。本当は泊まっていってほしい。そう思いつつ。


 伊織さんから「泊まります」と言ってくれないものだろうか。お酒でも飲んでいたら、もしかしたらそんな大胆なことを言い出すかもしれない。でも、シラフの伊織さんが、そんなことを言い出すわけはないよな。


 ブルルル。そんなことを考えていると、僕の携帯が振動した。誰から電話だ?と見てみると、塩谷だった。

 ああ。なんだってこんな時に電話をしてくるんだ。


 嫌な予感を感じつつ、僕は電話に出た。

「主任、今、主任のマンションの近くにいるんです。これから行ってもいいですか?一緒に夕飯食べませんか?」

 やっぱり。嫌な予感は的中した。


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