第49話 「癒されます」 ~伊織編~
佑さんのマンションに着いた。佑さんはニコニコしながらエレベーターに乗り込み、エレベーターの中でもなんだかご機嫌だった。
「今夜は、ビールでも飲みますか?」
「え?佑さんもですか?」
「いえ、僕はノンアルコールビールを飲みますが」
「…じゃあ、私もノンアルコールでいいです」
「遠慮しなくてもいいのに」
「いえ。遠慮じゃなくて、飲むと寝たり失態をさらすから…」
「くす。可愛いのに」
「え?!」
可愛い?
「お酒入ると、伊織さん、少し大胆になりますよね?」
「だ、大胆?!」
「……。そういう伊織さんもたまには見たいんですけど」
ちらっと私の方を見ながら佑さんはそう言った。
「え。えっと。ええ?」
ものすごく戸惑った。どう返事をしたらいいんだかわかんない。
「くすくす」
慌てていると、また佑さんは笑い出した。
やっぱり、今日の佑さんはいつもよりご機嫌だ。なんでかな。
今日もまた、夕飯は佑さんが作ってくれた。その間、とても暇。洗濯物を畳んだり、ベランダに出て野菜を眺めたり。
「お野菜、どうですか?元気に育っていると思いますか?」
佑さんもベランダに顔を出した。
「はい。順調です」
「早くに食べたいですね。きっと美味しいんだろうな」
そう言いながら、佑さんは私が部屋の中に入るのを待っている。
「そういえば、もうすぐしたら社内旅行ですね。熱海の温泉だって聞いていますが」
「はい。毎年熱海とか、箱根あたりの温泉なんですよね」
「実は、苦手なんです。名古屋では出張を入れて、旅行には参加しませんでした。大阪でも、いろいろと理由をくっつけて、旅行に行かなかったし…」
「じゃあ、今まで一回も?」
「いえ。入社した年に行きましたよ。1年目は強制参加ですよね。上司にお酒注いだり、いろいろと面倒くさかったですよ」
「マーケティング部だったんですよね?」
「はい」
「同期では?私たち同期はけっこう仲良くて、スキーとか、夏はテニスをしに1泊で旅行とか行っていたんですよ」
「へえ。女子だけで?」
「いいえ。男性社員もいました」
「……」
そんな話をしながら、キッチンに戻りかけた佑さんが立ち止り、私の顔に顔を近づけてきた。
ドキ!近い。
「まさか、同期で彼氏がいたとか…」
「私ですか?いません!全然相手にされなかったんです」
「…本当に?」
「3年目で結婚退職した同期がいるんですけど、その子ばかりがすんごいモテて。私なんか誰も相手にしてくれなくて、いつも真広たちとわいわいやっていました」
「……そうですか」
佑さんは、キッチンに入り、料理を再開した。
「伊織さんは…」
なんとなくダイニングに佇んでいると、佑さんはこっちを見て話しかけてきた。
「はい」
「その」
「…はい」
「いえ、いいです」
……え?なんだろう。言いかけてやめちゃった。すんごい気になる。
「あの、なんですか?」
「いいんです」
佑さんはそう言うと、フライパンに油を引いた。
「伊織さん、親子丼好きですか?」
「はい」
「今日は親子丼にします」
「あ、はい」
あれれ?さっきの言いかけたのって、いったいなんだったの?
「……え、あの。なんだったんですか?とっても気になるんですけど」
「ああ…。ちょっと聞いて見たかっただけですから、いいです」
「何をですか?」
気になる。もっと気になる。
「伊織さんは、お付き合いした人…いましたか?」
あ、そう言う話?
「え、えっとですね。その……」
どうしよう。正直に言うべき?言ったら佑さんも教えてくれるの?
いやだ。佑さんの元カノの話は聞きたくない。
「いるような、いないような…って感じです」
ものすごく曖昧にそう答えた。佑さんはちらっと私を見ると、またフライパンの方を向いた。
変なこと言ったかも。この年で彼氏がいないってどうよって思われたかも?
「あのっ。お付き合いはしたことあるんですけど、私、見る目がなくて。すぐに別れたんです」
思い切り言い訳をした。でもやっぱり、変な言い方だよね。
「美晴さんが、伊織さんはメンクイだって言っていましたね」
ギク!
やっぱり、聞こえてた!
「あれは、その。…まあ、そうなんですけど」
困った。佑さんはこっちを見ないで、鶏肉を炒めだした。
「……僕は、伊織さんの好みのタイプですか?」
「え?あ、はい。どストライクです」
「ぶっ!なんですか、その、どストライクって」
くすくすと佑さんはまた笑った。
「すみません、変なこと言って」
いきなり恥ずかしくなって、私は赤くなりながらダイニングの椅子に腰かけた。
キッチンを見た。佑さんがお料理をしている姿が見える。そうか。リビングで暇していないで、料理をしている佑さんを見ていたらいいんだ。横顔、かっこいい。フライパンを振る腕も素敵だ。
なんだって佑さんは、どこもかしこも私好みなんだろう。
前髪のたれ具合も、目元もまつ毛も眉毛も、鼻の形も唇の形も、こめかみにあるほくろまでが素敵だ。
耳の形も、首から肩にかけての線も、肩幅も、腕の筋肉も…。胸板も、腰つきも、背中の広さや足の長さ、それから喉仏の出ぐあいも。
「お腹すきましたか?」
突然こっちを見て佑さんが聞いてきた。
「え?あ、はい。空いてきました」
「もうすぐできますよ」
「何か手伝いましょうか?」
慌てて椅子から立ち上がると、
「じゃあテーブル拭いたり、お皿出してもらおうかな」
と佑さんが私に頼んできた。
「はいっ!」
仕事だ!
「ぶっ」
あれ?また笑われた?
「伊織さん、会社と同じで僕が何か頼むと、本当に張り切ってやってくれますよね」
「あ…」
張り切り過ぎ?なんか恥ずかしかったかも。
「伊織さん、面白いですよ」
面白がられてる。
私は、佑さんのことが全部素敵って思っているのに、私は面白いって、そう思われているんだ。複雑な気分だ。
くすくす。と佑さんはまだ笑っている。
テーブルを拭いたり、お皿やお箸を並べたり手伝っていると、
「できましたよ」
と、佑さんがにこやかにそう言った。
食卓には、お味噌汁、親子丼、サラダ、煮物、お漬物が並んだ。
「美味しそう」
見た目も匂いも超、美味しそう。美晴には悪いけど、佑さんが作った料理の方がより美味しそうに見えちゃう。
そして、いただきますと手を合わせ、佑さんと食べだすと、味も最高級だった。
「ん~~~~~」
思わずうなると、佑さんが私をじっと見た。
「美味しい」
「くす」
「私も、和食が好きです。和食ってほっこり幸せな気持ちになるんですよね」
「ですよね?日本の食卓って、やっぱり和食かなって思いますよ」
うんうん!黙って私は頷いた。するとまた、くすっと佑さんは笑った。
ああ、幸せだ~~~~~~~~~~~~~。
ご飯を食べ終わり、佑さんは食後のコーヒーを入れてくれた。これまた美味しい。
「こんなに幸せでいいのかな」
ぼそっと呟くと、
「え?」
と、キッチンにいたのに佑さんが飛んできた。
「あ、なんでもないです」
慌てて顔を横に振ると、佑さんは優しい目で見て、
「僕もそう思うことがありますよ」
とそう言った。
「え?」
「こんなに幸せでいいんだろうかって」
なんだ!ちゃんと聞こえていたんだ!
そして佑さんも隣に座り、コーヒーを飲んだ。
「…伊織さんの隣って、本当に癒されるんです」
「そうなんですか?」
その辺が不思議。私、そんなに癒し系じゃないと思うんだけどな。見た目だけでいったら、美晴の方がずっと癒し系だ。色白でちょっとぽっちゃりしていて。
「それなりに外では気を張ってるんですよね。そんなつもりはなかったんですが」
「…」
「会社でも、どうしてもピリピリしてしまって。だけど、こうやって家で伊織さんといると、肩から力が抜けて、本当にほっとできるんです」
「そうなんですね。会社ではやっぱり、気を張っているんですね」
「伊織さんといると癒されるので、疲れも取れます。また明日から仕事頑張れるって、気力もわきます」
わあ。そう言ってもらえると嬉しい。
「だから、最近の僕は仕事を張り切っていると思いませんか?」
「え?…でも、佑さんはずうっとテキパキと仕事をしています。最近だけじゃなくって」
「そうですか?そう見えますか?」
「はい」
「…でも、僕自身は、伊織さんといて癒されると、その分仕事を頑張れるって、そう実感しているんですよ」
佑さんはそう言って、優しい目で私をじっと見つめてきた。
ドキ。
ドキ、ドキ、ドキ。
「不思議ですよね。前はあんなに一人でいるのが好きだったのに」
「……え?」
「最近は、どうも伊織さんがいないと、寂しいんですよね」
ドキ!
顔、なんか、近づいている気がする。もしや…。
わ!やっぱり!佑さんの手が私の頬に触れた。それも、すごく優しく…。
思わずギュッと目を閉じた。
あ、いけない。これじゃ、まるでキスの催促?
ふわ。
佑さんの唇がそっと触れ、すっと佑さんが私から離れた。
ドキン。なんだか、顔をあげられない。
ドキドキ。
「式の日取りとか、決めないと…」
「え?」
いきなり、そんな話になって、私は驚きながら目を開けた。佑さんはもう私の方を見ていない。壁にかかっているカレンダーをじっと見ていた。
「いつ頃がいいですか?」
「…いつでも」
「じゃあ、来年5月か6月あたり、式場があいているかどうか調べてみましょうか」
「はい」
「ただ…」
カレンダーから私に視線を移し、佑さんは少し間を開け、
「結婚式よりも先に、籍だけ入れてもいいですか?」
と聞いてきた。
「え?」
ドキン。先に籍を入れる?
「それで、一緒に住みませんか?」
ドキーン!
来た。一緒に住む!とうとう、来た。
「そそそそ、そうですねっ」
ああ、大変。声が裏返った。
「嫌ですか?」
「まさか!」
ブンブンと首を横に振った。佑さんはそんな私を見て、にこりと笑い、
「よかった」
と呟いた。




