第48話 「伊織さんだから」 ~佑編~
お昼は妹さんの手料理だった。テーブルの上には何品も並んでいたが、どれも彩やかな見栄えのいい料理ばかり。食べてみると、まあ、嫌いな味付けではないが、好んで食べたいとも思わないものだった。味よりも何よりも、見栄えや手が込んでいるかどうか…、そこに重きを置いているのかもしれない。
「フードコーディネーターを目指しているんだそうですね」
食事が終わり、僕は妹の美晴さんに聞いてみた。
「はい。料理作るのが大好きだから、もう仕事にしちゃおうと思って」
美晴さんはなんでだかわからないが、首を斜めに傾げてそう答えた。
「夢があるのはいいことですよね。頑張ってください。僕も応援しますよ」
「魚住さんって、働く女性をどう思いますか?」
「いいと思いますよ。僕の部下にも仕事熱心な女性がいますが、僕は応援していますし、何か力になることがあれば、できるだけ助けたいと思っていますし」
「姉は、仕事好きじゃないですよ?」
「え?あ、はい。…それが何か?」
何でそんな質問をしてきたんだ?
「あ、もしかして結婚するなら、家庭に入ってくれる女性がいいとか?」
「いえ。どちらでも、伊織さんが仕事をしたいと言うのであれば、仕事をしてもらってもかまいませんし、応援もしますよ」
「仕事をしないなら?」
「……伊織さんが好きなことをしていてくれてかまいません。アレンジメントや野菜作りなど…」
「へえ。すごい。魚住さんって寛大なんだ。できた男なんだ」
いや。僕は別に寛大なわけじゃないんだが。
「…いいえ。別に寛大なわけじゃないです。ただ…」
ただ、なんだろう。僕は途中まで言いかけて、しばらく悩んだ。みんな僕の言葉を待っているのか、黙って僕を見ている。
「ただ、伊織さんだから…ですね」
「…お姉ちゃんだから、なんですか?」
「ああ、ですから、伊織さんだから…なんです」
「え?」
お母さんが不思議そうに僕に聞いてきた。
「伊織さんだから、伊織さんが好きなことをしていてもかまわないんです。いえ、むしろ、伊織さんの自由に好きなことをしていてほしいって思っています」
「…。え?何それ。もしや、それだけお姉ちゃんに惚れていますっていうこと?」
は?
そうか。そういうことになるのか。
「………。そういうことに、なりますかね?」
そう言うと自分の顔が熱くなったのがわかった。あ、やばい。
「まあ!まあ、まあ。ミラクルね」
ミラクル?お母さん、不思議なことを言い出したな。なんなんだ、そのミラクルって。
「すごい驚き。お姉ちゃん、愛されちゃってるね。でも、幸せになれるね。やっぱり、愛されて結婚するのが一番だよね?」
「そうね~~」
お母さんも美晴さんの言葉に頷いた。だが、
「だけど、本気で好きになった人じゃないと、結婚は嫌かも…」
と、誰も聞いていないのに美晴さんは自分のことを話し出した。
「私、愛されようが、条件がよかろうが、やっぱり結婚まで踏み込めなかったし。今は仕事一本でいきたくて、とても結婚なんか考えられないしなあ」
「……。あんたの方が先に結婚すると思っていたのにね」
「お姉ちゃんも魚住さんが大好きでしょ?大好きな人だから、結婚に踏み込めるんだよね?」
「え?」
突然すごいことを聞いてくるんだな、美晴さんは。ほら、伊織さんが困っている。
「あ、あの」
困った顔で僕を見た。そして、
「う、うん」
と頷くと、伊織さんは真っ赤になった。
「…」
可愛い。だが、ここでにやけるわけには…。
「そろそろ帰ります。あまり長居してもご迷惑でしょうし」
ボロが出る前に、早々切り上げることにした。だが、
「あら。うちはかまいませんよ。泊まっていってもらってもいいくらい」
と、とんでもないことをお母さんが言ってきた。
「お母さん、そろそろ二人にしてあげよ。二人きりに早くになりたいだろうし」
「あ、そうね」
ほ…。やっと解放される…。
「今日はごちそうさまでした」
「いえいえ。また遊びに来てくださいね。あ、そうだ。日取りとか、いろいろと決めないと」
「式は挙げるんでしょ?お姉ちゃん」
美晴さんが伊織さんに聞いた。
「……」
無言でまた伊織さんが僕を見た。僕にどうしたらいいですか?と心の中で聞いているんだろうな。
「伊織さんが挙げたいなら挙げますよ?」
と僕がそう言うと、伊織さんははにかみながら頷いた。
「はい。じゃあ…」
「忙しくなるわね。ああ、楽しみ」
伊織さんが言い終える前に、お母さんの方が意気揚々とそう言って嬉しそうに笑った。
帰りの車で僕は、ようやくほっとリラックスできた。伊織さんと二人なら、いくらでも安心できて癒されるのになあ。
本当に伊織さんは、不思議な存在だ。
「………あの」
「はい?」
なんだ?なんだか伊織さんは暗いな。何か今日、暗くなるようなことがあったんだろうか?
「私、まだ佑さんのこと知らないことだらけなんですよね」
「え?」
「あ、すみません。家庭の事情とか、あんまり話したくないですよね。い、いいんです。ただ、ちょっとそう思っただけで」
「ああ、親の離婚のことですか?」
「は、はい」
そうか。そう言えば、そういうことはあまり話したことがなかったな。
「別に話したくないわけじゃないですよ。そういう話題に触れたことがなかったって言うだけです」
「……」
「父と母は、僕が高校生の時に離婚をしましたが、中学の頃から不仲でした。原因は母が仕事に夢中になって、父や家庭をほっぽらかしたせいなんですが」
「え?」
「父が浮気をしたんです。まあ、それが離婚の直接の原因ですね」
「……」
「離婚してからも母は、仕事に夢中でした。会社を創り、姉も一緒にその会社で働き、二人とも多忙だったので僕が家事をしていました」
「…」
伊織さんは黙ってただ、僕の話を聞いている。
「僕は浮気をした父を許せなかった。母が仕事をすることをちゃんと受け入れることが出来なかった父も、器の小さい男だと勝手にそう思っていました」
「……」
「僕も大学生の頃、母の会社でバイトをしてこき使われていたんですよ。そのまま、この会社に就職しろと言われ、一生母にこき使われるのかと思ったら嫌で、今の会社に就職しました」
「…そうだったんですか」
「でも、母や姉が働くこと自体は反対もしませんし、応援していましたよ。家に帰ってくると、風呂にも入らずソファで寝てしまう母とか、酔ってリビングで泥酔する姉とか…。嫌って言うより、しょうがないなあって感じで面倒を見ていました」
「優しいんですね」
優しい?いや、優しかったわけじゃないな。
「優しいとかそういうことじゃなくて。大学の費用とか、母が出してくれたわけだし…、女性が会社を創るって、ものすごく大変なことだと思うし、本当によくやっているよなあ、弱音もはかずにって思っていました」
「だから今も、仕事をする女性を応援したいんですね?塩谷さんのことも」
「ああ、塩谷…。あいつは姉や母に似ています。仕事が好きで、男に負けたくなくってっていう気の強いところまで」
「……」
「応援したくなりますよ。そういう人は…」
「でも、あの…。私は…」
伊織さんの声が暗くなった。塩谷のことを気にしているんだろうか。
「塩谷を応援はしますけど、一生共に生きたいとか、隣にいてほしいとは思いません」
「え?」
「もし、伊織さんが何か夢を見つけて、それに向かって生きていきたいっていうのなら、きっと僕は全力で応援すると思うし、そばで守りたいと思うし、それも一生守っていきたいって思いますね」
あ、伊織さん、赤くなった。
「って、なんでそう伊織さんだと思うのかが、僕にも謎です」
くす。
僕が笑うと伊織さんは僕をじっと見つめてきた。そのあとも、ずっと運転している僕を見ている。赤信号で車を停めた時、伊織さんの方を見た。目が合うと明らかに伊織さんは恥ずかしそうに顔を赤くした。
「それだけ、惚れているってことなんですね。美晴さんの言うように」
そう言うと、さらに伊織さんは赤くなった。
ああ、本当に可愛いよなあ。
伊織さんの隣で癒されながら家路に着いた。
「マンション、寄って行きますか?」
「…はい」
「夕飯も食べて行きますよね?」
「いいんですか?」
「もちろん。作りますよ」
「…ごめんなさい。なんか、いっつも作ってもらってばかりで」
「気にしないでください。伊織さんが来なかったとしても晩飯は作りますし。意外と一人分だけ作るのって困るんですよ。つい、多く作ってしまって」
「そうなんですか?」
「誰か食べてくれる人がいるほうが、作り甲斐もありますし」
「…美晴の料理はどうでしたか?」
「上手でしたね。凝っているものばかりで」
「ですよね。綺麗に盛り付けもしてあったし」
「フードコーディネーター、頑張ってほしいですね」
「………はい」
あれ?今、間があったな。
「美晴の方が結婚して家庭に入ると思っていたんです。私も両親も」
「……でも、今日ちょっと話をしただけですけど、家庭に収まるようなタイプじゃないと思いますよ」
「美晴ですか?」
「はい」
「だけど、家事も得意だし、女子力高いし」
「女子力っていうより、う~~~ん」
はっきり言っていいんだろうか。
「はい?」
伊織さんは運転している僕をじっと見た。マンションの駐車場に着き、僕は車を停めた。そして、伊織さんの方を見て、
「美晴さんは、世渡り上手だと思いますよ」
と感じたことをそのまま告げた。
「え?」
「要領もいいし、良く言えば賢い…。悪く言えば計算高い。そんな印象を受けました」
「あ、そうかもです」
「だから、外で働いてもうまくやっていけると思います」
「私は?」
「伊織さんのほうが、ご両親は心配してますよね?」
「…私の方がしっかりしていないんですよね」
「そういうことじゃなくて」
僕はシートベルトを外した。伊織さんはまだ、暗い顔をしながらシートベルトを着けたままでいる。
すっと手を伸ばし、伊織さんのシートベルトを外してあげると、
「あ!すみませんっ」
と、伊織さんがびっくりした様子で大きな声を上げた。
「いいえ」
そう言って伊織さんの顔を見ると、真っ赤だった。
「…くす。伊織さんは、顔に全部出ますよね」
「え?!」
「裏表がないですよね。全部正直に出てしまうから」
「う…。確かに…」
「そう言うところが伊織さんの魅力だと思うんですが。でも、ご両親は心配なんじゃないんですか?」
「要領が悪いから…ですよね」
「僕はそういう伊織さんに惚れてますけど」
「え?!」
あ、さらに真っ赤になった。そして両手で頬をおさえて、「あつ…」とささやいた。
「くす」
僕が笑うと伊織さんは、ちらっと上目づかいで僕を見た。そんな表情も可愛い。
伊織さんの仕草は計算されていない。美晴さんは多分、どうやったら自分が可愛く見えるかを知っていてわざとそういう仕草をしているんだろう。斜めに首を傾げるとか、わざとらしく上目づかいにするとか…。
「車、降りますよ、伊織さん」
「あ、は、はい」
僕が運転席から出ると、伊織さんも慌てながら助手席のドアを開けた。そして、ゴツンと頭をぶつけ、
「いたっ」
と言って、頭を抑えながら伊織さんは車から降りた。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
「ぶっ」
やばい。思い切り吹き出してしまった。あまりにも、伊織さんが可愛くて。
「ど、どんくさいんですよね、私。すみません」
そう伊織さんは頭を下げて謝った。
「謝ることはないですよ。そういうところも可愛いと思いますから」
「え?!」
思い切り顔を上げた伊織さんは、相当驚いたのか目をまん丸くして真っ赤になっている。
「本当に伊織さんって、飽きないですよね」
「は?」
「あはは」
笑いながら僕は伊織さんとエレベーターに乗った。伊織さんは僕の隣で困ったようにはじらっていた。




