第45話 面談の前に ~佑編~
塩谷にお金を貸して、仕事を再開した。定時をあっという間に過ぎ、まだ仕事は終わらず。
「主任、プロジェクトのことなんですが」
「はい」
野田さんが僕のデスクに来て、話しをし始めた。
僕は、ずっと伊織さんのことが気になっていた。今日、なんとか話す時間も取りたいと思っていたし、帰りに食事も誘うつもりだった。だが、無理そうだ。
「それで、企画書なんですが」
野田さんの話は当分終わる気配がしない。熱く語り出している。
「魚住主任!」
「はい?」
北畠さんが僕を呼んだ。野田さんも黙って、北畠さんの方を見た。
「桜川さんの面談、終わってないですよね。今、時間取ってほしいそうですけど」
「え?」
面談?桜川さんの?
「あ、ああ。はい。面談ですね」
……。これはチャンスか。なかなか二人で話せないなら、面談と言って二人になればいいのか。
「いいんですっ。忙しいでしょうから、私、明日でも明後日でもいいんです」
「明後日は土曜。明日だって主任、忙しいかもしれないし、とっととすればいいじゃない。どうせ、話なんて5分もかからないでしょ?」
また、塩谷がきつい口調で言っている。
「……わかりました。野田さん、この企画、明日までにまとめてきてください。桜川さん、じゃあ、会議室来てもらえますか?」
「あ、は、はい」
「ちょっと1件メールを送るので、5分待ってください」
「は、は、はい」
伊織さん、緊張しているんだな。でも、こっちも緊張している。メールを送るのにさえ、時間がかかってしまう。
「主任、ちょっとこれだけ確認なんですけど」
「…」
塩谷、こんな時に、ややこしいことを聞いてきた。
結局、5分と言ったのに、軽く10分は過ぎてしまった。
「すみません、お待たせしました」
伊織さんの横に立つと、伊織さんはビクッと姿勢を正し、こっちを見た。あ、思い切り緊張している。
「会議室、行きましょうか」
僕は緊張しているのを悟られないよう、無表情を装ってそう言った。
「私も報告あるから一緒にいいですか?」
「え?はい。じゃあ、先に溝口さんから」
なんだ?なんの報告だ?
「いえ。伊織も一緒に話を聞いてほしいから、一緒でいいです」
一緒に?
「…はい」
何で一緒に来るのかわからないが、まずは溝口さんの話を聞こう。少し時間が稼げれば、それだけ気持ちに余裕が持てるかもしれない。
「どうぞ」
会議室に入り、二人を先に座らせて僕も座った。
「では、溝口さんからお話聞きますが」
「あのっ!月曜までに返事をすると言っていた件ですけど」
溝口さんまで思い切り、緊張しているのか?いつもと様子が違うぞ。
「はい…」
「今、返事をします。私、来年、辞めます」
「………え?」
来年?いきなり?と僕がびっくりしていると、伊織さんが、
「結婚?!」
と大声をあげた。
「うん」
「え?岸和田さんの話って、プロポーズ!?」
「は?岸和田が、プロポーズ?!」
なんだって?あの、岸和田が?独身主義を貫き通そうとしていたあの岸和田が?
「はい。さっき、応接室に呼ばれて、そこで話をして、それで」
「……あの、岸和田がプロポーズですか?」
僕はまたそう聞いてしまった。
「私も信じられないんですけど」
「どうして?なんでそういうことになったの?」
伊織さんも、相当驚いているようだ。今、伊織さんも初めて聞いたんだな。
「さっきの、塩谷さんに対して言った言葉が、背中を押したみたいで」
「背中を?」
さっきのって、塩谷に溝口さんがまくしたてていた、あれだよな。あれで岸和田が?
「うん。岸和田、結婚はまだいいかなとか言いつつ、私と付き合いながらずっと考えていたんだって。でも、なかなか決心できなかったらしくて」
溝口さんは、伊織さんに向かってそう言った。
「それが、さっきの溝口さんの言葉で、なんでまた?」
僕は気になり、ついそう聞いてしまった。
「えっと。よく私もわからないんですけど、私が結婚を望んでいるってわかって、ここはプロポーズするところだよなって、そう思ったらしくって」
岸和田、絶対に遊んでいるのかと思った。真剣に付き合っていたんだな。
「私も、岸和田さんと遊びで付き合っているとか、結婚なんて考えていないみたいな、そういう雰囲気出していたから、向こうも、本気で結婚考え出しているって言いにくかったようなんです」
「ああ、なるほど。それが、結婚したいって思っているってわかって、プロポーズしてきたってことですか」
「なんて岸和田さん、言ったの?」
え…。人のプロポーズの言葉が気になるのか。僕のプロポーズと比較するんじゃないよな。
「い、言わないよ。そんなこと。恥ずかしい」
溝口さんはガラにもなく赤くなって照れた。僕は岸和田のプロポーズの言葉なんて聞きたくなかったから、ほっとした。
でも、そうか。溝口さんはすぐにOKの返事をしたんだな。
「そうですか。おめでとうございます。じゃあ、人事にそう報告します。来年の3月まででいいですか?」
「いえ。そんなに早く式挙げないし、ボーナス出るまで待って辞めてもいいかなって」
「ああ、どうせなら、ボーナス欲しいですよね」
なるほどな。ボーナスをちゃっかりもらってから辞めるっていう手もあるというわけか。
「…6月に結婚ですか?」
「それもまだ、何も。ただ、来年、結婚しようねくらいで」
「はい、わかりました。6月と言うことで報告しておきます。おめでとうございます」
「……あの」
「はい?」
「同じ課の事務員がいきなり二人辞めても、大丈夫ですよね?」
「え?!」
同じ課?伊織さんのことか?
「あ、だって、ほら、ねえ?」
溝口さんは伊織さんを見た。でも、伊織さんはそっぽを向いている。
「…それは、大丈夫ですよ。ちゃんと新人に引き継ぎさえできたら、問題はないです。まあ、残った事務員の人がちょっと最初大変でしょうけど、他の課のみんながフォローもしますし」
「良かった。ね、伊織」
溝口さんの言葉に、伊織さんは明らかに動揺している。かなり、困っているみたいだ。
「どうせなら、伊織も6月まで」
「溝口さん、報告ありがとうございます。僕と伊織さんの話は、二人でしますので、退席してもらっていいですか?」
僕は、伊織さんの困った表情を見ていられず、さっさと溝口さんを追い出してしまった。
二人きりになると、伊織さんは俯いた。
「びっくりですね、溝口さんには」
「はい」
俯いたまま、顔をあげようともしない。なんて切り出したらいいんだろうか。
僕は手元にある用紙をしばらく眺めた。人事から渡されたプリントだ。それをボ~~ッと眺めながら、やっぱり、返事はNOなんだろうか…と暗いことを考えていた。
いや。ここで悩んでいてもしょうがない。話を切り出さないと。
「さてと」
そう言って、プリントの1枚目をめくった。2枚目には、3人の名前がすでに記されている。
「来年度、仕事を続けるかどうかの、面談なんですが」
「は…はい」
「それよりも前に、返事を聞いてもいいですか?」
「え?」
一瞬、伊織さんがこっちを見た。
「プロポーズの返事です」
そう言うと、また慌てたように俯いた。
「………」
無言だ。言いづらいのか。どうやって断るか悩んでいるのか?
「あ、あの」
「はい」
「それですけど」
「……答えは?NO?もし、そうだとしても、覚悟します」
思わずそう言ってから、待て!何を言っているんだ。ここで、断られて、はい、そうですかと諦めるのか?そんなことができるのか?と自分に聞いた。
無理だ。失うのがずっと怖かったじゃないか。
「あ、すみません。今の、嘘です。ちょっと待ってください」
「は?」
伊織さんは、顔を上げた。今度は僕の方が、視線を外してしまった。
「は~~~。すみません。生きた心地がしないんです」
思い切り息を吐き、そう本音を言った。
「え?」
「伊織さんに断られることを考えたり、伊織さんを失うことを考えると、生きた心地がしないんです。本当は全然覚悟できていません」
「…え?」
伊織さんをちらっと見た。あ、びっくりしている。いや、呆れているのかもしれない。僕は相当かっこう悪いことを言っているよな。
でも、ここまで言ってしまったんだ。こうなったら、全部本音を言ってもいいよな。
そうだ。ちゃんと伝えようと決めたんだ。ぶっちゃけてもいいじゃないか。
「ぶっちゃけていいですか?」
「は、はい」
伊織さんは視線を外さず、しっかりと僕を見た。
「僕は、嫌われましたか?もう嫌になりましたか?」
「え?」
「なんで、考えさせてくださいだったんですか?それがわからなくて。なんか、ここ数日、そのことばかり考えてしまって、夜もちゃんと眠れていないんです。ああ、かっこう悪いですね、こんなことばらして」
いきなり、情けなくなり、下を向いて頭を掻いた。
「……うそ」
伊織さんのびっくりしたようなつぶやきが聞こえ、僕はまた伊織さんを見た。
「嘘じゃないです」
しっかりと伊織さんの目を見つめてそう答えた。
伊織さんも、真剣な顔つきになった。ああ、伊織さんも本音を話そうと決心したのかもしれない。口を一回閉じ、真剣な目で僕を見つめ、そして話し出した。
「私、…結婚しないって言っていた佑さんが、いきなり結婚の話をしたから、わからなくて。私のどこがいいのかも、本当に私を好きなのかも、わからなくて、すぐに返事ができなかったんです」
「は?」
「私、自信もなくて。女子力ゼロです。腰掛けOLです。佑さんが嫌っていたような女性の代表みたいな、なんにもできない、結婚したらきっと旦那さんによっかかって生きていくような、そんな人間です」
「……」
「そんな私、嫌われるんじゃないかとか、そういうのも怖くて」
「……そんなこと考えていたんですか?」
じゃあ、僕のことを嫌ったわけでもなければ、他に好きな奴ができたわけでもなければ、結婚が嫌だったわけでもないのか。
「佑さんと私、釣り合っていないような…。塩谷さんとは本当に気が合っているように見えるし」
「塩谷は、だから、仕事のパートナーですよ」
また、塩谷の名前が出てきた。
「だけど、すごく大事に思っているんだろうなって、今日も思ってしまって」
「どこがですか?」
今日も思ったって、いったいいつ?どっちかって言ったら、塩谷の言動に頭に来ていたんだけどな。
「あ、すみません。部下ですから大事と言えば大事ですが」
「…」
「でも、伊織さんのことも大事です」
「部下…ですし、私も」
「伊織さんのことは、すごく、だからですね」
「……」
そのあとの言葉が続かない。なんて言えばいいんだ。部下だなんてもう思っていない。一人の女性として好きだと思っていると云えばいいのか。
ものすごく照れくさい。抵抗がある。だけど、云わないと。ここで、ちゃんと僕の気持ちを伝えないと。
ああ、変な汗が出てくる。
「こういうことを言うのは、慣れていないんです。すみません。でも、ちゃんと云います」
そう言ってから、ゴクンと生唾を飲み込んだ。そして、息を吸い、
「伊織さんのことは、すごく好きですよ。じゃなきゃ、プロポーズなんてしません。ずっと一緒にいてほしいって思っていますし、伊織さんとだったら、家族を持ちたいって思っています」
とそこまで言って、あ、変な言い回しをしたかもしれないと思い言い直した。
「いえ。伊織さんだったらって言うのは変だな。伊織さんと家族を持ちたい。家庭を築きたい。子供も欲しい。伊織さんがいないと、僕はどうも、ダメなんです」
あ、しまった。なんか、思い切り白状しすぎた。ここまで言うつもりはなかった。
「え?」
「心がぽっかり空いたみたいになる。ここのところ、話もできないし、ずっと、ちょっと、恋しくなってたって言うか」
ああ、ますます変なことを言っている。そうじゃないだろ。
伊織さんを見た。伊織さんは、目を丸くして僕を見ている。ああ、そんな表情も可愛い。
伊織さんが赤くなっていく。黙ったまま、真っ赤になり僕を見ている。
「自分で思い知りました。伊織さんのことをどれだけ愛しているかって」
そう言うと、伊織さんの目はもっと丸くなり、両手で口を押え、しばらく動かなくなってしまった。
今、愛しているって、僕は云ったんだよな。
自分でもびっくりだ。だけど、それを伝えたかったんだ。ちゃんと、伊織さんに。




