第5話 フラワーアレンジメント ~伊織編~
火曜、5時を過ぎて、会議室に同期のみんなで集まった。そこに川西君が来て、代表で総務部の子が花束をあげた。
「大阪支店に行っても頑張って」
みんなに拍手をされ、川西君はちょっと照れくさそうに花束を受け取り、
「サンキュ」
と笑った。
会議室を出て、営業2課に戻った。その会議室は営業2課のすぐ近くにあり、ドアを開けると、まだ残業して仕事をしている魚住主任の姿が見えた。だから、わざわざ席まで一回戻ったのだ。
「残業ですか?」
主任は顔を上げ、私を見た。ドキン。これって、いろんな話をするチャンスかもしれない。だって、営業2課に残っているのは、私と主任だけ。
「茄子、好きなんですか?」
「は?」
わあ。あまりにも唐突過ぎる質問だったかも。
「茄子の煮付け、作られていたから、好きなのかなって」
「ああ。好きですよ」
良かった。一瞬主任、わけがわからないというような顔をしたから、焦ってしまった。
「あの、今度」
うちで作った茄子持ってきます。と言おうとした時に、
「桜川ちゃん!」
と、後ろから声をかけられた。
誰?そんな呼び方する人。
くるっと振り返ると、川西君だった。えっと。なんで、ちゃん付け?
「川西君、どうしたの?」
今まで同期とはいえ、まったく私に声なんかかけてこなかったよね。
「あのさ、あんまり桜川ちゃんとは話とかしなかったけど、大阪では俺、営業なんだ。いろいろとこれから、桜川ちゃんとは仕事で関わることがあるかもしれないから、よろしくね」
「あ、うん、こちらこそ」
「それで…。この花、受け取ってくんない?」
は?何で私が?
「俺がもらうより、桜川ちゃんがもらったほうがいいと思うんだよね。花、好きだって言ってなかった?アレンジメントとか、趣味なんだって」
「覚えているの?」
「ああ、うん。まあね」
そりゃ驚いた。多分、会社入ってすぐの同期会で、自己紹介した時に言ったんだよね。それをよくまあ、覚えていたもんだ。
「だから、もらってくれない?ね?」
「え?う、うん。わかった。ありがとう」
「良かった!じゃあ、ほんと、これからもよろしくね。たまに東京にも来るから、そんとき、飯でも食いに行こう」
え?何それ。
あ、そうか。社交辞令か…。
「うん」
一応、うんと頷いておくかな。きっと、そんな日は来ないと思うけど。
いきなり、花束をもらってしまった。でも、花束は嬉しい。久しぶりにアレンジメントしてみようかな。じゃ、早速帰ってから、いろいろとアレンジして…。わあ、わくわくするなあ。
「桜川さん」
ドキ。主任に呼ばれた。なんだろう。
「はい?」
「花、好きなんですか?」
「はい。好きです」
そう答えると、魚住主任はそれ以上何も言わなかった。そして、
「すみません。トイレ」
と言って、その場から立ち去ってしまった。
何かな。花を好きだっていうことが、意外だったのかしら。
あ、そうだ。アレンジして課に持ってこようかな。小さ目のアレンジメントなら、デスクにも置けるし。ちょっと大きめのも作って、会議室にも置いちゃおうかしら。
数年前、お花を習っている先輩OLさんが、時々お花を持ってきて、部や、応接室に飾っていたっけ。あの人、綺麗だし、人気あったよなあ。女子力高い人だったもんね。
私も、アレンジメントとかしちゃったら、女子力あがるかな。いや、もともと花は好きで、大学時代からアレンジメントは習っていたけれど。そういうところを、魚住主任に知ってもらったら、ちょっとは印象よくなるかしら。
って、そんなことを思っている時点で、もうあれなんだよね。
私、魚住主任のこと、好きってことだよね。
わあ。わあ、わあ、わあ。心の中でそんなことを呟いただけでも、すっごく恥ずかしい。
片思いなら昔、したことがある。中学生の時だ。2年の時は先輩に。3年の時は同級生に。告白することもなく終わった恋だ。
学校に行くだけでドキドキした。目が合うだけで、その日はハッピーだった。会話を交わしただけで、飛び跳ねて帰った。そして、毎日のように日記をつけた。
その頃のときめきが甦ったみたいだ。
家に帰り、簡単にレトルトのカレーで夕飯を済ませ、シャワーもさっさと浴びて、フラワーアレンジに取り掛かった。
家には、いろんなフラワーアレンジ用の花瓶だったり、籠だったり、リボンや、他にも材料が買い揃えてある。最近は、あまりしていなかったが、一時、本当によくはまっていたから。
そして、できあがり、レトルトカレーを3袋と、桃の缶詰と、小さなアレンジを持って、お隣に行った。すでに時間は11時。隣からは、誰かがいる音だけはしていた。でも、話し声は聞こえなかったので、多分、泊りに来ている人はいないとふんだ。
案の定、誰も泊りには来ていなかった。そして、
「いつもありがとう、伊織ちゃん。花もありがとう。またアレンジするようになったんだ。前はよく、作って俺にもくれてたよね」
と、お隣さんは笑った。
くったくのない笑顔。無精ひげだけ見ると、むさくるしいだけの人だが、笑うと途端に八重歯も見えて、可愛くなる。
「今日、花をもらったので」
「男から?!」
「えっと~。転勤する同期から。自分がもらった餞別のブーケだったんだけど、多分、持って帰るのが億劫だったんじゃないかなあ」
「なんだ。彼氏じゃないんだ」
「はい。まだ、彼氏出来ていないですよ。残念ながら」
「そうなんだ。じゃあ、本当に俺がもらうことになっちゃうかもね」
「東佐野さんが役者で売れて、養っていけるようになったら、嫁にもらってやるっていう、あの約束ですか?」
「そう。それも、伊織ちゃんが、30になるまで独身だったらっていう、あの約束」
「まだ、5年もあります」
「4年と半年だろ?あっという間だよ、きっと」
「あっという間って言うのはやめてください。ちゃんと婚活する気でいますから、大丈夫です」
「まじで?婚活すんの?え?どうやって?」
「お見合いパーティとか行って」
「伊織ちゃんが?無理なんじゃないの?男と話すのも苦手だよね?俺とだって、半年かかって話せるようになったじゃん。最初、怖がって話しかけても、なかなか答えてくれなかったし」
「あれはだって」
すごく痩せてて、髪はぼさぼさで、いつも不思議な服装していたから、かなりの変人さんだと思っていたし。
「好きな奴いないの?」
「え?」
ドキン。一瞬、主任の顔が浮かんだ。
「あ、なんだ。いるんだ」
「い、いいえ。いません」
「でも今、顔赤くなったよね?」
「…好きじゃないです。気になるだけで」
「あはは。それ、好きと同じだって。なんだ。いるんだったら、婚活する必要ないよ。そいつ頑張って、落としたら?」
「どうやってですか?私、女子力ゼロですよ」
「そうかな。こんなフラワーアレンジ出来るくせに、そんなことないだろ?俺じゃなくて、これ、そいつにあげれば?」
「大丈夫です。ちゃんとその人のデスクにも飾るつもりですし」
「あれ?社内恋愛?」
「あ…」
ばらしちゃった。
「話聞くよ」
「でももう、遅いですし」
「いいじゃん。まだ、12時になっていないし。ささ、入って入って。ビールでいい?」
ああ。けっこう東佐野さんは強引なんだよね。
結局、
「ビールでいいです」
と言いながら、部屋に入り、4畳半の部屋の座布団に座り込んだ。ちらっと6畳の部屋が見えたが、女物の下着が干してあった。
誰のだ?けっこう派手な下着。やっぱり、あの派手な女性のだよね。やっぱり、よく泊りに来るってことかな。だよね。
「で?」
ビールを冷蔵庫から持ってくると、東佐野さんはちゃぶ台に置いた。そして、6畳へと続く襖を閉めた。
「どんなやつ?」
「上司です」
「オヤジ?まさか、不倫」
「まさか。独身です。……多分。一人暮らししているって言っていたし、指輪もしていなかったし」
だよね。確認したことはないけれど。
「彼女はいそうなわけ?」
「さあ?でも、いなさそうな雰囲気漂っていましたけど」
「そういうのは、ちゃんと確認しないと。本気になってから、奥さんがいたとか、彼女がいたとか知ってもショックなだけだよ?」
「ですね」
缶ビールを開け、グビッと私も東佐野さんも飲んだ。それから、その辺に転がっているコンビニの袋から、東佐野さんはポテチを出した。
それをちゃぶ台に広げ、私も一緒に食べた。
「顔は?」
「いいです。イケメンです」
「伊織ちゃん、面食いかあ」
「はい」
「性格は?」
「嫌われています。特に女子から」
「なんで?」
興味津々といった顔で、東佐野さんが聞いてきた。
「仕事人間ぽくって、いちいち細かいことにうるさいんです」
「ああ、いるいる。俺の知り合いにもそういうやつ。女に嫌われようがどうだってかまわないっていう変人が」
「あ、そんな感じです」
「そんな奴のどこが良かったわけ?伊織ちゃんって、マゾ?」
「違います。いろいろと気が合ったんです。好きな映画が一緒だったり。そうしたら話をしてても楽しくて、それに、いつもむすっとしているんだけど、笑うとけっこう可愛いんです」
「へえ。俺みたいに?」
東佐野さんは、にかっと笑った。
「いえ。そういう笑顔じゃなくて。「くす」って笑うんですよ」
「なんか、俺はあんまり好きそうなタイプじゃないな」
「そうですか?いいじゃないですか。くすって。それに、私、女子力ゼロで、お料理まったくしないんですけど」
「ああ。一回、失敗してハンバーグ黒こげにしてたね。あの時は隣から、すごい焦げ臭いにおいがしてきて、びっくりしたな」
「すみません。だけど、その人、料理好きだって言うし、家事全般得意らしいし」
「じゃあ、主夫になったらいいんじゃないの?それで、伊織ちゃんが働いたら?」
「無理無理。私なんて、なんの取り柄もないし。今だって、腰掛けOLですよ。それにその人、仕事好きそうだし。辞める気なんかないと思います」
「ふうん。もしや、バリバリ働くタイプ?それも、出世コース乗っていたりして」
「はい。若いのに、もう主任なんです。普通主任って、30歳超えたくらいからなれるのに、まだ、28なんですよ」
「あれ?俺とタメ?」
「あ、そうかも」
「そいつの名前、聞いていい?」
「え?なんで?」
「いや。なんとなく」
「魚住さんです」
「………」
「あの?」
なんか、目が点になってるけど、どうしたのかな。
「あ、まさか、知り合いとか?」
「い、いやいや。まさかね。そんな世間は狭くないって~~~。あははは!」
「ですよね~~~?」
びっくりした。だいいち、こんな役者している人と、魚住主任、接点があるとは思えないし。
私はひと缶ビールを開け、自分の部屋に戻った。
いつも思う。たまに、本当にたまにだけど、お隣さんの家にお邪魔することがあるが、特に手を出されることもなく、無事部屋に戻ってくる。
一回、ベロンベロンに酔っちゃった時もあったけど、気が付いたら自分の部屋の布団で寝ていたし。ちゃんと服も着ていて、何の間違いも起きなかった。それを妹が知り、
「それだけ、お姉ちゃんには女としての魅力がないんだよ。逆にやばいと思うよ」
と、言われてしまった。
まあね。自覚はしている。服だって地味だし、妹みたいにセクシーな体つきもしていないしね。
アレンジメントを持って、翌日、会議室、そして、課長の席と主任の席に飾った。そのために、いつもより20分も早く会社に着くよう頑張って起きた。
8時50分。デスクの上や引き出しを片付けながら、ドキドキして待っていると、魚住主任が現れた。
どうする?花に気付いて何か言ってくれる?
「おや。この花は誰かな?」
知らぬ間に南部課長もやってきていて、主任より先に花に気が付いてしまった。
「あ、あの。私が…」
「へえ。朝早くからご苦労さん。たまに、花が飾ってあるのもいいね」
そう言うと、課長は椅子に腰かけ、持ってきていたコーヒーを飲んだ。
魚住主任は?なんにも言ってくれないけど。もしかして、邪魔なだけだった?
ドキドキ。主任は上着をハンガーにかけ、私の席の後ろを通り、自分の席に座った。そして、花をしばらく見つめると、それを横にずらし、パソコンの電源を入れた。
ガックリ。感想も何もなしか。期待しただけアホだったかな。
昼になり、ランチから戻ると、なぜか席に同じ部の女性陣が集まっていた。
「あ、待っていたのよ、桜川さん。あの会議室のアレンジメント、桜川さんが作ったの?」
「え?はい」
「すご~~い。ねえ、魚住主任の席にあるものそう?」
「あ、はい。そうだけど」
「簡単にできるものなの?」
「え?はい。案外楽に…」
「教えて!」
「へ?」
一人の先輩OLさんが、身を乗り出してそう言った。その横からは同期の経理の子まで、
「私も習いたい。お願い、伊織ちゃん、教えてくれない?」
と言ってきた。
「は?私が?でも、そんな資格持っていないし」
「大丈夫。本格的な感じじゃなくて。あ、そうそう。サークルみたいな感じで。でも、少しはお金も払うから」
「いいよ。お金なんかもらう資格ないし。もし、もらうんだったら、材料費だけで」
「え?ほんと?それだけで教えてくれるの~~?」
しまった。
「やった~!私、前から、アレンジメント興味あったの。でも、習いに行く暇もお金もなくて」
「私は近場で、そういう教室がなかったから。お花の教室はあっても、アレンジメントってなかなかないのよね」
「えっと、でも、そんなにたいしたこと教えられないと思う」
「いいの、こんなのが作れたら十分!自分のデスクや、部屋に飾りたいもん」
経理部の同期はそう言って喜んだ。そして、
「あ、もう1時になる。部に戻るね。あとでまた来るから、詳しいこと決めよう」
と、みんなわらわらと去って行った。
「私も習いたいな」
真広がそう言った。真広、そんなの興味あったっけ?
「女子力あげたいもんね」
かくして、私はフラワーアレンジメントの先生になることになってしまった。週1で、終業時間後、会議室を借りて。生徒は4人。真広と、同じ部の先輩と、経理の同期と、同じ部の後輩。第1回目は、その週の金曜日。簡単にできるものを前の日に揃え、会社まで持って行った。花は、昼休みにビルの一階の花屋に頼み、揃えてもらっていた。
そして、終業時間が過ぎ、会議室で、約1時間かけて、私とみんなはフラワーアレンジを楽しみながら、わいわいと愉しく話をした。ほとんど、女子会だ。先輩OLさんは、美味しい紅茶を持ってきてくれていて、みんなで給湯室から持ってきたお湯でそれを飲み、経理の同期の子が持ってきてくれたクッキーを食べた。
楽しかった。教えるのも楽しいし、みんなが作るそれぞれのアレンジを見るのも楽しかった。
へえ。こんな楽しみもあるし、私にもこんなことができるんだなあ。
「じゃあね。ありがとう!早速これ、デスクに飾ってから帰るわ」
そうみんなは言って、それぞれの部署に戻り、私と真広も営業2課に戻った。すると、ぽつんと魚住主任が仕事をまだしていた。
「あ、お疲れ様です」
「楽しそうでしたね。声、聞こえていましたよ」
「すみません。仕事の邪魔でしたか?」
「いいえ。別に終業している時間ですから、問題ないです」
真広は何も言わなかった。さっさと花を置くと、
「私、先にロッカーに行ってるね」
と、主任に何も言わず、部屋を出て行った。
「あ、あの。お疲れ様でした。お先に失礼します」
私もそう主任に挨拶をして、ロッカールームに行こうとすると、
「アレンジメント、ありがとうございました。もう、半分枯れかかっていますが、これ、水とかあげたら元気になりますか?」
と聞いてきた。
「すみません。多分もう、水をあげても元気にならないと思うし、週末には全部枯れちゃうかも。そうしたら、捨ててください」
「もったいないですね。捨てるなんて」
「え?でも…」
「こんな才能があったんですね。素晴らしいですね」
「私ですか?たいしたことないですけど」
「女子力ないって嘆いていましたけど、十分ですよ」
「いえいえ。そんなこと」
「すみませんが、一つお願いがありまして」
「はい?」
「僕にも教えてもらえませんか?」
「何をですか?」
「フラワーアレンジメントをです」
え?!主任が?!なんでまた?!