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第44話 トラブル ~佑編~

 溝口さんは忙しそうに電話をしていて、つかまったのは11時半を過ぎていた。


「すみません、もうすぐ昼って時に呼んだりして」

「いいえ」

 溝口さん、僕と会話をするのも嫌そうだな。かなり嫌われたもんだ。

「実は、来年度の予定を聞きたくてお呼びしました」


「来年度、辞める予定は今ないですけど」

 無表情のままそう溝口さんは答えた。

「そうですか」

「でも」


「はい?」

「途中で、いきなり結婚ってことになっても、辞められますよね?」

「予定あるんですか?」

「だから、今はないんですけどっ」

 あ、怒った。


「まあ、絶対に辞められないわけではないです。そうなったら、さすがに人事も派遣社員を呼ぶと思いますし。ただ、派遣だといろいろと周りも教えたりとか、時間を取られることにもなりますし、あまり派遣社員は使いたくないんですよね」

「…わかりました。いつまでに返事をしたら間に合うんですか?」


「来週の月曜には、人事に報告をします」

「じゃあ、それまでに、来年結婚するかどうか決めます」

「は?」

「いえ。決めることは無理かな。でも、結婚できそうかどうか、聞きます」


「…」

 聞くって岸和田にか?そこまで突っ込むのは失礼だな。

「そうですか。じゃあ、月曜に僕まで返事をしてください」

「はい」


「じゃあ、これで…」

「伊織を呼びますか?」

 ドキ!


「いや、もう昼なのでいいですよ」

「午後に伊織と面談ですか?」

「午後は会議があるので、また明日にでも」

「……早めにした方がいいと思いますけど?」


「え?」

 なんでだ?

「ちょっと、伊織、変って言うか、元気ないって言うか?」

「伊織さんが?」


 あ、しまった。つられて、伊織さんと言ってしまった。だが、もう遅い。訂正が出来ない。

「主任もそう思いませんか?あ、そっか。出張とかでいなかったですもんね」

「何か、あったんですか?」


「いいえ。ただ、様子が変かな~~って思って」

「………」

 変って?どう変なんだ?!

「それじゃ、私はこれで」


 待て!どう変なんだ?!

「溝口さん!伊織さん、いえ、桜川さんの様子が変って、どう変なんですか?」

「伊織、来年度仕事続けるって言ったら、主任はどうするんですか?」

「え?!」

 何でそんな質問をしてくるんだ。あ、そうか。溝口さんは僕らが付き合っていることを知っているのか。


 さすがに伊織さんと同期だし、仲いいんだし、知っているか。でも、どこまで知っているんだ?僕がプロポーズをしたって言うのも知っているのか?


「それは…、彼女の希望であれば、来年度も働いてもらいます」

「それで、主任はいいんですか?」

「……どういうことですか?」

「どういうって…」


 溝口さんは口に手を当て、何やら考え込んだ。

「伊織、やっぱり仕事辞めるかもな~~」

「はい?」

 僕と結婚をするってことか。


「なんか、親に見合いしろとか言われているみたいだし」

「え?!」

 見合い?!

 お、落ち着け。そういうことを確かに伊織さんも、前に言っていた。妹さんが仕事に生きると言い出して、親があれこれ自分に期待するようになったとかなんとか。


「…桜川さんは、見合いに乗り気なわけじゃ…ないですよね」

 あ、まずい。こんな質問を溝口さんに投げかけてどうする。

「私は、わからないから直接聞いてみたらどうですか?」

 溝口さんはそう言うと、口元を緩ませて会議室から出て行った。


「…それって、どういう意味だ…」

 見合いをするのか?見合いをするみたいだけど、それでもいいのかと溝口さんは僕に聞いてきたのか?それとも…。


 モヤ…。すごく気になる。昼になるが、今すぐに伊織さんに聞いて確認するか。 

 い、いや。落ち着け。とにかく、今日の夜、食事に誘おう。それからだ。


 応接室を出て、デスクに戻った。野田さんがすぐに午後の会議の資料を持って来て、

「主任、確認をお願いします」

とデスクに置いた。

「ああ、はい」

 伊織さんに声をかけるタイミングを失った。

 

 昼を野田さんと外の定食屋で食べた。会社に戻り、メールチェックや、デスクの上にあった書類に目を通し、2時から会議が始まった。

「何かあったら、会議室にいるので呼んでください」

 そう言って席を立った。


「お茶の用意、よろしくね、桜川さん」

 課長がそう言うと、伊織さんは「はい」と頷いた。

 ああ、伊織さんが来るのか…。


「桜川さん、昨日の出張費立て替えているから、今日中にもらってきてくれない?明日も外回りあるからお金がいるの」

 デスクから離れようとしていた伊織さんを塩谷が呼び止めた。伊織さんは、

「あ、はい」

と、用紙を受け取りデスクの上に起きに戻った。

 今月は伊織さんが、交通費の担当だったかな。と思いながら僕は会議室に向かった。

 

 全員が揃い、会議が始まって5分後、お茶を運んできたのは溝口さんだった。

 あれ?なんで伊織さんじゃないんだ?と不思議に思ったが、何か急な用事でも入ったのか、それともわざわざ塩谷の出張費の清算をしに経理に行ったのか…と、特に気に留めなかった。


 会議は長引いた。3時半を回りようやく会議が終わった。その後、課長と会議室に残り、

「どうだい?誰か来年度辞めることになったかい?」

と聞かれた。


「まだ、桜川さんの面接ができていないんですが」

「……ああ桜川さんね」

 なんとなく、何かを含んだような言い方を課長はした。そして、言いにくそうに、

「桜川さん、結婚するのかな?」

と聞いてきた。


「え?まだ、聞いていないので」

 そう、冷静に答えたが、

「いいんだよ、隠さなくても。部長から聞いているから」

と課長に言われ、一気に僕は動揺してしまった。


「聞いているって?何をですか?」

「桜川さんと君が付き合っていることだよ」

 部長!なんだって、課長に!!

「部長が菜穂さんと魚住君の縁談はなくなったからと、そう言われてね。ついつい、追及してしまったんだよ。悪いね。君の将来のこととか、ちょっと心配になったものでね」


「そうですか」

 それで、部長、理由を課長に話してしまったのか。

「大丈夫だ。他の連中には言っていないから。で、桜川さんと結婚するんだろ?桜川さんはいつまで、会社にいられるのかな」


「それは、その。まだ、詳しく決まっていないので、決まったら部長にも課長にも報告しようと思っていたんです」

「あ、そうか。まだ具体的に決まっていないんだね。だが、そろそろ人事に報告しないとならないし…。もし、来年結婚をする予定でいるなら、早めに人事には言っておいたほうがいいよ」

「そうですね…」


「いや~~~。ははは」

 いきなり、肩をぽんと叩かれた。なんだ?

「部長も喜んでいたよ。僕も嬉しいな。桜川さんと魚住君、お似合いだよ。うんうん」

 そう言うと課長は、ニコニコしながら会議室を出て行った。


 どっと疲れが出た。これで、結婚しないことになりました。お付き合いもなくなりました。なんて、課長や部長に言ったらどうなるんだ。あれだけ、喜ばせておいて、菜穂さんとのお付き合いも断っておいて…。

「はあ…」

 また、気持ちが暗くなっているな…。


 書類を整理し、会議室を出た。会議が終わったから、お茶の片づけに来るだろうと思っていたが、誰も来なかった。少しだけ、伊織さんが来るんじゃないかと期待もした。もし、二人になれたら、夕飯を一緒にと誘ってみるつもりだったのにな。


 そんなことを思いながら、とぼとぼと2課に戻ると、何やら塩谷が大きな声で誰かを怒り飛ばしているようだった。

 なんだ?何か問題でも起きたのか?


「どうした?塩谷」

「あ、主任!!もうっ。この人、ほんと、つかえないんですっ!経理に3時までに持っていかないと、出張の清算できなくなるって知らないの?知ってたよね!なんで行かなかったの?忘れたわけ?!」

 塩谷は伊織さんの席の隣に立ち、座っている伊織さんにそうでかい声を上げた。


「すみませんでした」

「すみませんじゃ、すまないのよっ。給料前だし、明日の外回り、どうしてくれるの?あなた、お金立て替えてくれるの?!」

 せこい。せこいぞ、そんなことでこんなに声を荒げて…。


「塩谷っ。出張が急で前借できなくて悪かった。僕が出張費を払っておく。それでいいだろ?銀行でおろしてくるよ。いくらだ?」

「主任!そんな甘っちょろいこと言ってないで、桜川さんのこと注意してください。どうせ、男のこととかろくでもないこと考えて、忘れたんでしょ?これだから、腰掛けOLは嫌なんです。自分は出張とか行ったことないからわからないだろうけど」


 塩谷?

「とっとと、結婚してやめちゃえば?そんな中途半端なことしてたら、他の人に迷惑」

「塩谷!いい加減にしろ」

 塩谷の言葉を止めた。伊織さんは俯いて、ただ黙って聞いているだけだ。


「なんで?主任だって前から言っていたじゃないですか。事務員はみんな腰かけで、結婚するまで適当にぬるく仕事をしているだけだ。すごく迷惑だから、さっさと誰かその辺の男つかまえて結婚してやめちまえばいいのにって」

「塩谷!」


 いや。怒れない。確かに僕は名古屋でずっとそういうことを言っていた。それに思い切り塩谷は感化されたんだ。

「結婚相手見つけるために会社来てるんじゃないの?それとも、仕事出来ないからって、結婚に逃げようとしてんの?相手に養ってもらえばいいやって、そんな気持ちでいるんじゃないの?」


「塩谷、お前、言い過ぎ…」

と僕が止めようとしたとき、

「何様のつもりなんですか?」

と、今まで静かにデスクに座っていた溝口さんが口を開いた。


 そして、揺れるように席を立った。

「何様のつもりなんですか?塩谷さんってそんなに偉いんですか?結婚しないで働くことが偉いんですか?管理職ってそんなに偉いんですか?結婚を望むのがそんなに悪いことですか?結婚退職したいって思っちゃいけないんですか?」


 溝口さんは、息をする間もないくらい、一気にそうすごむような声で言った。そして、塩谷が何か言おうと口を開けると、その前に一回すうっと大きく息を吸い込み、

「結婚望むのって、そんなに悪いことですかっ!?結婚したいって思ったって、いいじゃないですかっ!!仕事優先にして、バリバリ働いて、結婚もしないで一生を終るって、そんなに偉いことなわけ?!結婚して家庭に入って、好きな人と一緒に暮らして、子供産んで、幸せになるって望むのが、そんなに悪いことなわけ!?そのために、結婚するまでだけ働くのが、そんなにいけないことなわけっ?!」

とまくしたてた。


 そのあと、溝口さんはぜいぜいと苦しそうにした。でも、目だけは塩谷のことを睨んでいる。

「べ、別に悪いって言っているわけじゃ」

 さすがの塩谷も何も言えなくなっている。


「まあ、まあ。仕事中なんだし、その辺でやめようか。ね?」

 課長がそう言って二人をなだめた。

「ほら、魚住君、早くにATMに行って、お金おろして来たら?」

「え?あ、はい」


「塩谷さんは、デスクについて仕事をして。溝口さんも仕事再開して」

「あのっ!」

 黙ってただ俯いていた伊織さんが顔を上げた。目が赤い。泣くのをこらえていたのか?


「しゅ、主任。すみません。□□機器さんからの注文で、急ぎの注文があって、工場に電話を入れたんですけど、明日の朝の便に乗せられないって断られて。今後、そんな急ぎの注文は受けるなって、前の日の午前中までの注文しか、翌日出荷しないって言い張って…。担当者の人、今日から移動になって新しい人に代わって、まったくこっちの言い分も聞いてくれなくて…」


「……」

 あいつか、新しい担当って。確かに融通きかなさそうな人だったな。


「□□機器さんに、間に合わないと言ったんですが、いつも午後一の注文でも聞いてくれたのに、何で聞いてくれないんだと怒られて…。すみません!!!何度も、何度も工場に電話をして、上司の人にもお願いしたけど取り合ってくれなくて」

「それは、何時ごろの注文ですか?」


「いつもなら、1時ごろ電話をしてくるんですが、今日はちょっと遅くて1時半を過ぎていたんです」

「それ、会議の前でしたよね」

「すみません。会議だし、なんとか一人で切り抜けられると思ったんです」


「…いえ。□□機器さんも、ちょっと遅い電話だったんですね」

「でも、前にも2時を過ぎてからの注文も、受けてくれてたんです」

「前の担当者の人ですよね」


「はい。いろいろと融通きかせてくれて。□□機器さんは、いきなり顧客から急ぎの注文が入ってくるそうで、時々、急な注文があったんです。でも、なんとか今迄対処できていたんですが」

「わかりました」

「すみません。担当者が変わることも、前の人が移動になることも知らされていなかったので、私もびっくりして」


「そうだった!すみません。それは僕の責任です。昨日工場に行って、それは聞いていました。今朝、すぐに桜川さんに言わないとならなかったですね。それは僕のミスです。でも…。そんな大変なことになっているなら、会議中でも呼んでくれてよかったんですよ」

「…え、でも。迷惑かけたくなくて」


「つかえないわね。そういうところがダメなのよ。優先順位間違っているんじゃないの?ちゃんと上司に報告しないとならないことくらいわかんないわけ?結局、迷惑かけているじゃないの」

「塩谷!お前はいいから黙ってろ」

 バシッと塩谷を黙らせた。それから、すぐに僕は工場に電話を入れるためにデスクに着いた。


「桜川さん、大丈夫です。僕がなんとかしますから」

 そう言ってから、工場に電話を入れた。桜川さんは不安そうな、暗い表情をして頷いた。


 迷惑をかけるから、だけじゃなく、僕に話しかけづらかったんじゃないのか。


 工場に電話をして、新しい担当者に事情を説明した。今迄してもらったことが、いきなりできなくなるのはおかしいじゃないか。とかなり、強引に出た。すると、あっさりと引き受けてもらえた。どういうことだ?まったく、こんな時間になってもトラックに荷物を乗せられるってことか?


 年は向こうが上でも、立場は僕の方が上だ。上の人間にはへつらい、自分より下の人間は軽くあしらう。よくいるタイプだ。

 …いや。僕もそうだったのかもな。事務員の女性を軽蔑視していたところがある。確かに管理職の女性のことは、男性社員同様扱っていたが、事務員の女性のことは、どこかでバカにしていた。だから、腰掛けOLなんて呼んでいたんだ。


「桜川さん、明日朝の便に乗せてもらえます。ただ、今後のこともあるので、□□機器さんには僕から電話をしておきます。いいですか?」

「あ、はい。すみません。お願いします」

 伊織さんの声は微妙に震えていた。


 □□機器さんには、せめて1時までに注文を下さい。それより遅いと、翌朝出荷のトラックに乗せられないこともありますと念を押した。わかりましたと了承してもらえた。


「あのっ!」

 伊織さんがまた、僕の電話が終わると声を上げた。

「本当にすみませんでした。そのことで頭がいっぱいになって、出張費の清算も忘れてしまって、私の責任です。私が立て替えます」


「え?いいですよ。塩谷だって、そんなに急を要するなら、自分で経理まで用紙を持っていけばよかっただけなんですから。塩谷も、そのくらいの処理は自分でできるようになれよな」

「は?私の責任ですか?主任」

「いくら必要なんだ?今、おろしてくる」


「え?えっと。とりあえず、明日の電車賃分あれば…」

「1万で足りるか?っていうか、1万もお前、銀行に金が入っていないのか?」

「はい。給料日前なんで、苦しいんです」

「おい。給料日まで何日かあるぞ。大丈夫なのか?」


「……とりあえず、実家暮らしなんで、食べ物には困りませんから」

「そうか。じゃあ、2万貸しとくよ」

「すみません、主任」

 一階にあるATMに行った。


 それにしても、溝口さん、迫力あったな。あの塩谷が言い返せなかったもんな。

 いや、今はそんなことどうでもいい。それより、伊織さんだ。一気に落ち込んだりしていないといいんだが。


 



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