第43話 決意 ~伊織編~
午前中、佑さんはお客さんが来て、ずっと応接室に入っていた。お茶は、北畠さんがさっさと席を立って入れに行ってしまった。
12時を過ぎ、ランチの間中、
「勇気出すんでしょ」
と、真広に言われ続けた。
昼休憩が終わり席に戻ると、すぐに佑さんは野田さんと塩谷さんと3人で出て行ってしまった。そして、戻ってきたのは5時を回っていた。
デスクに着くなり、パソコンを起動させ、佑さんは忙しそうに入力を始めた。とても声なんてかけられる感じじゃない。私は仕事も終わり、定時に真広と席を立った。
「ちょっと、いいの?」
駅までの道、真広に問いかけられた。
「主任と一回も話していないんでしょ?」
「うん。だって、忙しそうだし」
「も~~~。なんかじれったいよ」
「だよね」
自分自身でもそう思う。だけど、会社だとどう話しかけていいかわからない。
二人きりになる時間も取れないし、話がありますなんて声をかけることもできない。
帰ってからメールをする?電話?
でも、何時まで佑さんが残業をするかもわからないし。
家でもモヤモヤしたまま、結局、携帯と睨めっこをしただけで夜中の12時を回ってしまった。
翌朝、やっぱり佑さんと一緒になるのを避け、ギリギリの時間の電車に乗って、走って会社に行った。
ぼさぼさ頭のままトイレに行き、髪だけとかして部屋に駆け込む。真広も同じようにデスクに駆け込んで座った。
時計を見ると、8時59分。これは、佑さんに怒られるかと思いきや、佑さんは、
「出るぞ、塩谷」
と、颯爽と上着を羽織り、塩谷さんと出かけて行ってしまった。
「今日も外出…」
ぼそっとそう呟くと、
「急な出張だって」
と、北畠さんが教えてくれた。
「え?出張?」
「塩谷さんと仙台に行くんだって。なんでも△△機械の仙台支店に行くんだとかって。明日、ついでにうちの栃木の工場も見学に行くらしいから、戻るのは明日の夕方とか言ってたわよ」
「…そうなんですか」
また、塩谷さんと二人で出張?
ダメだ。モヤモヤする。
「伊織」
ランチの間、暗い顔をしていると、また真広に、
「いいの?」
と聞かれた。
「……」
「塩谷さん、主任のこと好きじゃん?狙ってたらどうする?」
「狙う?」
「そう。二人きりでの出張だよ?思い切りチャンスって思っているかもよ?」
「ね、狙うって?チャンスって?」
「例えば、夜、部屋に忍び込むとか。酔って、迫ったりしちゃうとか?あの人、酔うと別人みたいになるじゃない」
「う、うん。そう言えば」
「いいの?プロポーズの返事も宙ぶらりんにしていたら、他の女にかっさわれるかもよ」
嫌だよ~~~~。
ああ、ダメだ。心がざわつく。
ランチは隣のビルの地下でしていた。そこから、オフィスに戻ってロッカーに行くと、今宮さんが私をとっつかまえてきた。
「あの!ソフトボール大会の日、魚住さんと湯川部長の娘さんって、何もなかったんですよね?」
「え?」
何をいきなり?
「昨日も今日も、朝、主任と同じ電車で出社したんですよ」
え、そうなの?
「それで、部長の娘さんの話題を振ったら、なんか変な感じだったから。何かあったのかなって思って」
「…さ、さあ?私はよく知らないけど」
そうすっとぼけた。それにしても、今宮さんって積極的なんだな。朝、一緒に出社しちゃうなんて。
会社まで一緒だったのかな。
私が佑さんと一緒の電車に乗るのを避けている間に、佑さんは今宮さんと一緒に会社に来ていたんだ。
なんか、もやもやする。
「なんとか、主任にもっと近づけるチャンスってないですか?」
「は?」
「今宮さん、やり過ぎじゃない?朝まで主任と一緒になんて」
真広が呆れかえりながら、そう今宮さんに言ってくれた。
「え~~~。でも、偶然を装っていますよ~~」
「いやいや。いくらなんでも二日続けてなんて、主任だって偶然とは思っていないでしょ」
「でも、そのくらいアピールしないと近づけないでしょ?名前はもう覚えてもらいましたよ」
「…そうなんだ。へえ」
真広とデスクに戻ってから、
「伊織、あの子の半分でもいいから、頑張んなよね」
と言われてしまった。
家に帰り、携帯を見た。佑さんからメールが来るわけがなかった。
「はあ…」
夕飯はまたコンビニ弁当。そして、お風呂に入り、何も考えたくなくてすぐに布団に入った。
だけど、今頃、佑さん、まさか塩谷さんと二人きりでいないよね。佑さんの部屋に忍び込んだりしていないよね。そんなことを思うと、なかなか寝付けなかった。
ああ。自信がなかろうがなんだろうが、やきもちだけは立派に妬いちゃう自分が嫌になる。
翌朝、佑さんはまだ出張から戻ってないんだな…と、そんなことを思いつつ電車に乗った。いつものようにギリギリの時間に会社に着き、ギリギリの時間に席に着いた。
佑さんのいないオフィス。なんだか、気の抜けたサイダーだ。緊張感も何もあったもんじゃない。北畠さんのやる気の無さも丸わかりだ。
夕方、4時を過ぎた頃に佑さんと塩谷さんが戻ってきた。ああ、顔を見ることすらできないくらい気まずいのに、やっぱり佑さんが戻ってくると嬉しいなんて。
「塩谷、ちょっといいか」
戻ってくるなり佑さんは塩谷さんを呼び、会議室に入って行った。
モヤモヤモヤモヤ。佑さんってずうっとここのところ、塩谷さんといる。仕事のパートナーだもん。しょうがないよ…と思いつつ、モヤモヤする。
ここ何日も佑さんと話すらしていない。これって、付き合ってるってことになるの?やっぱり、私が「考えさせてください」なんて言ったからこんな状況になっているんだよね。
せっかく、いい雰囲気になっていたのに。
そうだよ。プロポーズをしてくれたんだよ?なのに、私ったら、なんですぐにはいって言わないかな。ああ、なんだかだんだんと、自分のバカさ加減が嫌になってきた。
塩谷さんと佑さんが会議室から出てきたのは5時半。
「伊織、仕事終わった?」
「うん」
最近は、残業するほど忙しくもなく、私はすぐに真広とオフィスを後にした。
「どんより~~」
「え?」
「ずっと、伊織はどんよりしている」
「うん」
わかってるよ。
「まだ、話していないの?」
「うん」
「しょうがないなあ。メールでも電話でもしたらいいのに」
「うん」
暗くなりながらエレベーターを待っていると、後ろから、
「ご飯でも食べて行かない?」
と、塚本さんがいきなり声をかけてきた。
「行きませんよ。塚本さんも早く帰れる日くらい、とっとと家に帰ったらどうですか?」
「奥さん、実家なんだよね」
「喧嘩ですか?」
「まあね~」
塚本さんはそう言うと、私の隣に並び、
「ね、確か一人暮らしだったっけ。一緒に夕飯食べない?家に帰ってから作るのも大変だよね?」
と聞いてきた。
もう~~~。なんなの。それに近いよ。
「塚本さん!奥さんと喧嘩しているからって浮気しないでください」
真広がそう言ってから、
「それに、伊織には彼氏がいるんですよ」
と、ばらしてしまった。
「嘘。じゃ、諦めたんだ。そう言えば最近、残業して気を引くこともなくなったし、声もかけられなくなったね。何?主任にふられた?」
ええ?!!
「ちょっと!失礼でしょ!そういうこと言うなんて」
真広は思い切り怒った。来たエレベーターにすぐに真広は私と乗り込み、
「次のエレベーターに乗ってください。気分悪いから」
と、塚本さんはそのエレベーターに乗せなかった。強い。さすがだ。そして、なんて頼りになるんだ、真広。
「ああいう無神経男、大っ嫌い」
エレベーターから降りると、真広はまだ怒っていた。
「うん。ありがと、真広。怒ってくれて私もすっきりした」
「あ、でも…」
「え?」
「今日、課の男性に聞かれたんだ。主任、まさか部長の娘さんと付き合うことになった?って。だから、伊織が沈んでいるのかってさ」
「え?」
「伊織が元気ないの、みんなにばれているみたいだよ。主任も伊織に話しかけないしさ」
「…そう」
そんなこと、思われていたんだ。
「早いとこ、返事しちゃいなよ。結婚OKですって、それだけじゃない」
「うん。でも」
「何?」
「もう遅いってことはないかな」
「え?」
「例えば、他の子がよくなっちゃったとか、ないかな」
「そんなに早くに心変わりするような男?」
「ないよね。佑さんに限って」
「いや、わかんないよ。男なんだから、もし他の女性に言い寄られたら、魔がさして、なんてこともあったりするかも」
え~~~~~~。
「うそ、うそ。でも、そうなる前に、ちゃんと返事しなよね」
「そういう真広は?結婚の話、してみた?」
「…岸和田?」
「うん」
「まだ。最近、あいつも忙しくてデートもできていないから…」
「そう」
「私から見たら、伊織、贅沢だよ。プロポーズされたの」
「うん」
本当だよ。大好きな佑さんに、プロポーズされたんだよ。結婚したら、ずっと一緒にいられるんだよ。
毎日、佑さんと…。
アパートに帰り、いつものようにお弁当を食べていると、電話が鳴った。母からだ。ああ、絶対にお見合いの話。
「もしもし、伊織。今週末には戻れるわね」
「帰れない。今、それどころじゃない」
「何がそれどころじゃないなの!こっちだって、もう待てないわよ。先方にも言っちゃったし」
「先方?」
「見合い相手よ!」
「見合い?私、見合いなんてしないからね」
「するの!帰ってらっしゃい。真面目で、あんたにはもったいないくらいいい人なのよ!」
「お母さん、私、いるの」
「何が?」
「好きな人」
「……好きな人?何よ、それ。まさか、不倫?」
「違うよ」
「じゃあ、何。中学生じゃあるまいし、なんなの、その好きな人って言うのは」
「お付き合いもしているの」
バクバク。いきなりそう言ってから、心臓が早く鳴った。とうとう言ってしまった。言っちゃったよ。
「へえ、そう」
あれ?何、その、薄っぺらな反応。なんでもっと、驚いたり、テンション上がらないわけ?
一度連れてこいとか、何で言ってこないの?
「とにかく、土曜日帰ってくるのよ、伊織」
「お見合いはできないからね」
「じゃあ、いつ結婚できるの?」
「だ、だから、お付き合いしている人がいて…」
「だから、なんなの?あんたの言うお付き合いって、たいしたことないんでしょ?あ、まさか、結婚相談所とかで紹介されたとか?その人、大丈夫なの?詐欺師とかじゃないわよね」
「違うよ!なんでそうなるの?!!」
信じられない。娘のことをなんだと思っているの。
「いいから、一度お見合いの相手に会ってごらんなさい。あんただって気に入るわ。お父さんだって、申し分ない人だって言ってるのよ?」
「帰らない。お見合いなんてしない。好きでもない人となんだって、結婚しないとならないの」
「へえ。そこまで言うならわかったわ。今度の土曜、お見合いはしないでもいいわ。でも、あんたが付き合っているって言う男を連れてらっしゃい」
「え?」
やばい。やっぱり、そうなった。
「いい?ちゃんと連れてらっしゃいよ。わかったわね」
「……い、忙しい人だから、どうかな。仕事あるかも」
「そんな言い訳許しませんよ。あんた一人で来るなら、お見合いしなさいね!」
そう言って母は、電話を切った。
うわ。
うわわわ。
えらいことになってしまった!どうしよう。
誰かに相談。美晴…、いや、真広。
すぐに真広に電話をした。真広も夕飯が終わり、部屋でのんびりしているところだった。
「え?何か問題でもある?プロポーズOKしたら、次は両親に紹介でしょ?ちゃんとした順番になっているじゃない。とっとと主任にOKして、今度実家に来て両親に会ってくださいって言えばいいだけでしょ?」
「……そんな簡単に言わないで」
「簡単なことじゃない。なんにも問題ないわよ。あの、クソまじめな主任だったら、ご両親もすぐにOKするって」
「だよね。私もそう思う。いや、なんで、あんな素敵な人と結婚できるのかって、疑われるかもしれない」
「は?」
「だって、佑さんほど素敵な人っていないし。最高だし」
「……恋は盲目って言うもんね。私から見たら、クソまじめで、細かくて、性格悪くて、最低!な男だけど」
「酷い。真広」
「でも、伊織には素敵に見えちゃうんだね」
真広は知らないからだよ。本当は優しくて、あったかい人なんだから。
そうだよ。私、本当に佑さんのことが大好きだよ。ずっと一緒にいたいよ。
自信はない。でも、一つだけ、きっとだれにも負けないところがある。それは、佑さんを好きなことだ。
「へ、返事する」
「え?」
「頑張って、返事をするよ!」
「うん。頑張れ、伊織!」
電話じゃ嫌だ。ちゃんと顔を見て返事をする。明日、思い切って言おう。時間、作ってくださいって。ちゃんと、結婚、お受けしますって…!云うぞ!!!




