第42話 勇気が出ない ~伊織編~
野田さんに送ってもらって、真広が来た。
「野田さんも心配してたよ」
と、真広は手にコンビニの袋を下げ、部屋の中に入りながらそう言った。
「みんなに怪我して心配かけて、申し訳ないよね」
「怪我もだけど、主任のことで心配してた。菜穂さんと一緒の車だったしさ」
「……どういう心配?」
「主任が菜穂さんばかりを優しくしたりとか、伊織がいじけたり、拗ねたり、落ち込んだりしていないかとか」
「う。そういう心配?」
ドヨンとしていると、真広はテーブルの前に座って、
「暗いね。まさか、主任、菜穂さんと仲良くなったわけじゃないよね?」
と、心配そうに聞いてきた。
「うん。それはないけど」
「あ、お菓子買ってきた。食べない?」
コンビニの袋から、真広はポテチや、チョコレートを出した。
「ありがとう」
冷たいお茶を二つ入れ、テーブルに置いて座椅子に座った。
「それにしても、相変わらずの部屋だね」
真広はお茶をゴクンと飲んでから、辺りを見回した。
「女の子らしくないってこと?」
「うん。もうちょっと女の子らしくしないと、彼氏が来た時、びっくりしない?」
「真広の部屋、一回行ったことあるけど、可愛いもんね」
「まあね。でも、実家だから、男呼べないし。一人暮らし、羨ましいよ。岸和田も実家だし、お互い家を遊びに行くってことができないじゃん?」
「……実家だと、そういうもの?」
「伊織、羨ましい。主任も独り暮らしでしょ?いいなあ。付き合ったら、お互いの部屋、ちょくちょく泊まったりできるし。っていうか、私だったら主任と一緒に住んじゃうね」
「え?!」
何それ。
「あ、主任と住むわけじゃなくって。だから、岸和田が一人暮らしだったら、同棲してるっていう話」
「…同棲か。そういう話出ているの?」
「まったく」
そう言って真広は、思い切りため息をした。
「真広は、岸和田君と結婚したい?」
「うん。したい」
「もし、プロポーズされたらどうする?」
「どうするって?」
「結婚する?」
「もちろん。当たり前じゃない」
「そうなの?不安とかない?」
「う~~~ん。そうね。結婚した後、こいつ浮気しないかなとか、そういう心配はするかもね」
「……」
私と違った不安なんだな。
「でもね、岸和田は絶対にプロポーズなんかしないよ」
「なんで?なんでそう言い切れるの?」
「結婚したくないって思っているもの。俺、結婚なんか、40でもいいやって、この間飲みに行った時にも言ってた」
「40?」
「私、そんな年まで待てない、おばさんになっちゃうって笑ったら、待たないで、とっとと誰かと結婚すりゃいいじゃんって」
それ、酷いかも…。
「そうだね。いい男がいたら、すぐにでも結婚するって笑って言ったら、あいつも笑ってた」
「…そうなんだ」
「でも、別れられないなんてさ…」
「岸和田君は?何で真広と付き合ってるの?」
「遊びでしょ。飽きたら、他の女と付き合うんじゃないの?」
「そんなでいいの?真広」
「よくないってわかっていても、しょうがないじゃん」
私は何も言えなくなった。そんな男と、さっさと別れな…。なんて、そんなことも言えない。
「伊織は?なんで悩んでいるの?」
「…自信がなくて」
「自信って?」
「好きになってもらう自信。好きでいてもらう自信」
「好きになってもらうのに、自信って必要?」
「佑さ…じゃなくって、主任って、きっと本当は誰にでも優しいんだと思うんだ」
「主任が?あの主任が?まさか!誰にでも冷たいの間違いでしょ?」
「そんなことない。名古屋での話も聞いたけど、面倒見がある、部下のことを大事にする人だよ」
「そうかな。そりゃ、塩谷さんは主任を慕っている感じあるけど、主任は塩谷さんに厳しいじゃん」
「でも、大事って思っているよね」
「どうかな。わかんないよ」
「……塩谷さんはね、仕事のパートナーなんだって。部下として、パートナーとして、大事に思っているんだよね」
「ふうん」
「私や、北畠さん、真広のことも部下として大事って思っていると思うんだ」
「私のことも?ない、ない。嫌っているって」
「でも、怪我したり、病気になったりしたら心配するだろうし、優しいと思う」
「そうかな~~~」
「多分、ううん、きっと」
「まあ、仕事に支障が出るから、病気にならないようにしてください、とか言いそうだけどね。ほら、現に伊織が休んだ時も、いつ出社できるのかとか気にしていたけど、仕事に支障が出るから気にしていたって感じだったし」
「え?」
「あ、ごめん!そういうふうに私が感じただけ。ごめん、伊織」
「…そう主任が言ってた?」
「ううん。私が勝手にそう思っただけ」
真広は慌ててその場を繕い、
「あ、このチョコ、美味しい」
と、私にもすすめてきた。
「……主任は、仕事が大事で、仕事が好きなんだと思う」
「仕事人間だもんね」
「それに、優秀だとも思う。だから、出世したいだろうし、成果をあげたいだろうし」
「だろうね~~。だったら、部長の娘と結婚すりゃ、出世間違いなしなんじゃない?」
「そうだよね?」
「あ、ごめん。また、私、軽はずみなこと」
「ううん。私もそう思う。菜穂さんとなら出世する。塩谷さんは、仕事のパートナー。でも、私は何もない。私と結婚しても、なんの得もしないよね」
「得するから結婚するわけじゃないし」
真広、目が必死だ。
「じゃ、真広はなんで岸和田君と結婚したいの?」
「そりゃ、好きだから?一緒にいたいから?」
「……」
「伊織は?主任と一緒にいたくないの?」
「いたい。ずっと一緒に」
「じゃあ、得するとか関係ないでしょ。主任もそうだよ」
「私と一緒にいたいとか、好きとか、そう思って結婚するってこと?」
主任は、私と一緒にいたいって思ってくれているの?ほんと?
「伊織。結婚が目的かもしれないけど、まず、気持ちを伝えたり、アタックするほうが先」
「真広!」
「何?」
私が大声を出したから、真広はびっくりして目を丸くした。
「ごめん。ずっと黙っていたけど、私、主任と…、佑さんと、お付き合いしているの」
いたたまれなくなり、私は真広に告げた。
真広は数秒、目を点にした。それから、
「え~~~?!」
と大声を出した。
「いつから?え、どうしてそういうことになってんの?迫った?コクった?それとも、寝た?」
「寝てない!!!!」
ブンブンと首を横に振り、今迄のいきさつを真広に話した。そのうえで、今日のプロポーズも話してみた。
「プロポーズ~~~~?え?なんで、保留にしたの?」
「だから、自信がないの。だって、佑さんはずっと結婚は考えられないって言ってたんだよ。なのに、いきなり」
「そんなの関係ないでしょ。OKして、とっとと籍入れちゃわないと、主任の気が変わったらどうすんの」
「離婚とか?」
「いや、離婚なんて、そうそう簡単にできないんだから、とっとと結婚しちゃいなよ」
「そんな簡単には…」
「簡単でしょ。はいって二文字言うだけでしょ」
「でも…」
「伊織は、主任が好きなの?嫌いなの?」
「好き」
「一緒にいたいの?いたくないの?」
「いたい」
「答え出た!さあ、すぐにでも、返事をしろ!電話しろ!」
「無理」
「なんで?私だったら、喜んでOKして、すぐにでも婚姻届もらいにいくわ」
「無理だよ~~~」
「…そんなに自分に自信ない?」
「……うん」
「そっか」
真広は、テーブルに頬杖をつき、宙を見つめた。
「わからなくもないけどね」
「え?」
「私も、岸和田、結婚してって言えないの。断られるだろうってわかっているし。自信ないんだよね」
「……」
真広…。
「岸和田、私のこと好き?ってことすら、聞けないの。バカでしょ?それに、好きって言えないんだよ。私の方も、遊び感覚で付き合ってあげてるのよ…って、そんな匂いをさせちゃうの。本気になっているのにさ」
真広は真広で、悩んでいるんだな。
「でも、主任は真面目だし、あの主任が結婚を考えたんだもん。相当な覚悟があるってことじゃないの?」
「覚悟?」
「だって、結婚を考えず付き合っているって、私らの年齢にしたら酷でしょ?ちゃんと、結婚を前提に付き合いたいじゃない」
「…うん」
「それだけ、伊織に誠実ってことだよ。ちゃんと真剣に考えているって、部長にも言ってくれたんでしょ?その言葉を信じたら?」
「…信じる?」
「あの筋金入りの真面目人間だよ?遊びで付き合えるわけがないじゃない。伊織と付き合うって時点でもう、覚悟していたのかもよ?」
「覚悟?」
「結婚を覚悟。ほら、男の人って、特に独身主義の人って言いそうでしょ?結婚は人生の墓場ってね。岸和田もしょっちゅう言ってるよ」
「墓場?」
佑さんもそう思っているの?だとしたら、ますます結婚なんてしたくないんじゃないの?
「そうか。付き合っているのか~~~~。それは知らなかった。わかんなかった。だって、主任、伊織と話していても、クールだし、顔色変えないし、っていうか、ムスッとしていることも多いじゃない。あ!でも、この前の飲み会では、伊織が肩にもたれて寝てたら、ちょっと嬉しそうだったなあ。そっか。もう付き合っていたんだよね?」
「う、うん」
「なるほど!そうか~~~」
真広はにやにやして、「今度、主任をからかおう」と呟いた。
「ダメ。主任、そういうの嫌がりそうだからダメ」
「はいはい」
真広はまだにやついていた。
夕飯は、ピザを頼んだ。冷蔵庫にあるビールで乾杯した。そして、夜中の2時まで、いろんな話をした。
真広は私の知らない世界の話をし始めた。私が主任とやっとキスをしたと言ったら、大笑いをされた。
「二人とも一人暮らしなのに、何もないの?主任の家に行っても、なんにもないわけ?あはははは」
なんで、笑われるんだか…。まあ、いいけど。
そして、いつの間にか私たちは寝ていた。
翌日、11時まで爆睡し、起きて二人とも筋肉痛で苦しんだ。でも、それも大笑いをした。
久々の女子会。楽しかった。たまに、こうやって笑いあおうね…と真広と決めた。
翌日。まだ、足の怪我は痛かった。ちょっとだけ引きずりながら、早めに会社に行った。ついつい、佑さんとは顔を合わせたくなくて、乗る車両をうんと離れたところにした。
佑さんに、いつ返事をしようか。そう思うと、胸がもやもやした。このもやもやはなんなのか、わからなかった。
会社に行けば、顔を合わせることになる。早くに答えを出さなきゃいけないのに。
ううん。「はい」とOKしたらいいだけだ。素直になって、返事をしたらいいだけのことだ。
ロッカールームで真広に会った。
「おはよう」
「おはよ!」
真広は元気だ。
「どう?心は決まったかな?」
「う、う、うん」
「迷ってるの?じゃ、断る?」
「ううん」
「だったら、答えは一つでしょ?」
真広にそう言われ、バシンと背中を叩かれた。
トイレに寄ってから、2課に行った。主任はすでに席にいて、何やら塩谷さんと話し込んでいた。
「おはようございます」
真広がいつものように挨拶をして席に着いた。私は黙って椅子に座った。
「おはようございます」
そう挨拶をしてきたのは、北畠さん。
「あ、はい」
私は小さく頷いた。そして、
「やあ、怪我はどう?大丈夫?」
と、大きな声で課長に聞かれ、私はみんなに向かって、
「ご迷惑をかけました。もう、大丈夫です」
と、頭を下げることになった。
佑さんもこっちを見ている。ああ、できたら、存在感を消していたかった。
「大丈夫?病院行った?」
「いえ」
「行かなかったの?」
わざとらしく、塚本さんは大げさにそう言った。
私は返事をせず、パソコンを起動させ、すぐに仕事をし始めた。さすがにもう、塚本さんは何も言ってこなかった。
「桜川さん」
10分くらい、仕事にひたすら没頭していると、後ろから声をかけられ、びっくりして振り返った。後ろには、部長がいた。
「怪我したんだってね。大丈夫かい?」
「はい。ご心配お掛けしました。あ、菜穂さんの怪我は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だよ。ちょっとした打撲だ」
そう部長が言うと、部長の隣に塩谷さんが来て、
「すみませんでした」
と、ぺこりとお辞儀をした。
「ああ、いいって。気にしないでくれ、塩谷さん」
部長はそう言うと、席に戻って行った。
「ちょっと、部長の娘と主任、本当に何もなかったんだよね?」
小声で塩谷さんにそう聞かれた。
「え?はい」
私は囁き声で返事をして、すぐにまたパソコンの画面に目を向けた。
はあ…。すぐそこにいる佑さんのことが、めちゃくちゃ気になる。仕事に没頭して忘れようとしていたのに。
あああ。どうしよう。このままにしておけない。いつ返事をしたらいいの?
返事しないと。はいって。
でも、この自信の無さや不安は、拭えるんだろうか。
私はいったい何を求めているのかな。佑さんが私を好きだって言う、確証?




