第41話 プロポーズ ~佑編~
僕のマンションに着いた。腹は決まった。必ず今日、プロポーズをする。
そんなことを思いながら、部屋に伊織さんと入った。
でも、まずは伊織さんの足の手当てだ。リビングのソファに座ってもらい、手当てをしようとすると、伊織さんが抵抗した。
「足、見せてください。手当てします」
「大丈夫です。自分でできます」
「安心してください。姉もよく怪我をしていて、僕が手当てをしていましたから慣れています」
「そ、そういう心配じゃなくて、佑さんに足をお見せするのが恥ずかしい」
「どうしてですか?足と言っても膝ですよ?」
「そ、そうですけど」
そうか。姉と違って、足を見せるのにも抵抗があるのか…。
「……。いったん、またスポーツウェアに着替えますか?それなら、裾をまくれば大丈夫ですよね?」
「はい」
伊織さんはようやく納得し、スポーツウェアのパンツに履き替えてきた。
僕はさっさと傷の手当てをした。かなりしみたかもしれない。時々、伊織さんは顔をしかめた。だが、姉の怪我の手当てでわかっている。ゆっくりとしているほうが、痛がる時間が長引くばかりだ。
手当てを終えると、伊織さんはほっとした顔になった。でも、その次の瞬間にはシュンと肩をすぼめて小さくなってしまった。
かなり痛かったのか。まだ、痛むのか?
「佑さん」
「はい?」
「私、本当に足手まといですみません」
「足手まとい?そんなこと思っていませんよ」
また、そんなことを思って暗くなっていたのか。
あ、そうだった。僕はプロポーズをするんだった。と、思い出した。
いきなり緊張してきた。とにかく、落ち着け。
伊織さんの隣に僕も座った。そして、
「さっきも話したことですが」
と話し出したが、言葉が続かない。
ゴク。生唾を飲み込んだ。
「部長に伊織さんと付き合っていることを、勝手に言ってしまってすみません」
「いいえ」
「部長、菜穂さんとのお付き合い…、いや、結婚までかなり本気で考えていたので、伊織さんと付き合っていることを話さないと、諦めてくれなさそうだったんです」
「そうですか」
「それで」
コホン。咳払いをして僕は伊織さんを見た。伊織さんも緊張しているようだ。
「部長にも、伊織さんとは結婚を考えているのかと聞かれまして」
そこまで言うと、伊織さんは少し目を丸くした。
「ちゃんと、真剣に結婚を考えてお付き合いをしていると言いました」
「え?」
「結婚を考えてお付き合いをしていると言いました。それで、ちゃんと部長も菜穂さんのことは、諦めてくれたんです」
「…」
あ、もっと目が丸くなった。と思ったら、俯いてしまった。
「すみません。そんなことを勝手に部長に話してしまって」
「い、いいえ」
伊織さんの表情が見えない。黙ったまま俯いている。
しばらくして伊織さんは顔を上げ、僕の方を見た。
「それって、私はいいんですけど、佑さんはのちのち、困ったことになりませんか?」
「……のちのち?って?」
「だって、あの…」
「ああ、僕の出世とか、そういうことですか?それだったら、安心してください。部長は僕が菜穂さんと結婚しなくても、僕の出世を邪魔したりしませんよ。それに僕も、自力でこれから頑張って行きますし」
「そうですか」
伊織さんはほっとした顔をした。そうか。そんなことを心配してくれていたのか。いじらしいなあ。
「そ、それも心配だったんですけど、そうじゃなくて」
おや?そうじゃなくてって?
「あの、部長にそんな話をしたら、部長、いろいろと今後のこと言ってこないかな…って」
「…今後?」
「私と、佑さんの…、その、結婚のこと」
……。結婚…?
「……ああ!式とか、そういうことですか?」
「え?あ、はい」
「それは、部長がどうのと言うより、伊織さんの意見を尊重しますよ」
「私の?」
「式、挙げたいですか?」
「え?!」
「最近は、結婚式を挙げない人もいますし。部長も式を挙げないと言っても、特に何も言わないと思いますよ。あ、もちろん、式を挙げたいのであれば、挙げますが」
「い、いえ。そういうことじゃなくてですね」
なんだろう。伊織さんは何を言いたいんだ?
「あ、あの。私と佑さんは、結婚するんですか?」
「え?」
「……すみません、変なこと聞きました」
やばい。そうだ。まだ何も伊織さんの返事を聞いていない。いや、その前にプロポーズすらしていない。
「そうでした。順序が逆転しました。すみません!まずは、あれですよね。プ、プロポーズが先ですよね。返事すらまだ、聞いていないのに、勝手に式の話なんかしてすみませんでした」
そう言ってから僕は、伊織さんの目を見て、
「では、改めて…。伊織さん、僕と結婚…、結婚…」
とそこまで言ってから、考え込んだ。
どう言ったらいいんだ?結婚してください。結婚しましょう。それとも。
「伊織さん、結婚してもらえますか?」
やばい。声が震えた。こんなに緊張するものなんだな。
「……。あの」
「はい」
ああ、変な汗も出てきた。
だけど、きっと伊織さんなら、OKと言ってくれるはず。
「……、少し、考えさせてください」
「………え?」
今、なんて?
「ごめんなさい。すぐには答えられません」
「あ、はい」
…OKじゃないのか?
そうか。
OKじゃないのか……。
やばいことに、心が沈みこんだ。そのあとの言葉が全く出てこない。
どうして、少し考えさせてくださいなのか。
もう、僕のことは好きじゃなくなったのか。
結婚をしたくなくなったのか。
まさか、他に好きな人でもできたのか。
一気にいろんな思考が浮かび、しばらく声を失った。
いや。動揺している場合じゃない。とにかく、伊織さんとちゃんと話をしないとならないよな…。
でも、ダメそうだ。僕はかなり落ち込んでいる。
「お腹空きましたよね?」
とりあえず、料理をして気持ちを落ち着かせようと、僕はキッチンに向かった。だが、
「あの!」
と、伊織さんに呼び止められた。
ドキ。なんだ?
「すみません。私、本当に何もできなくて」
「え?」
「今日はもう、帰ります」
「……あ、はい。じゃあ、送ります」
反動で、送りますと言ってから、しまったと思った。
いや、今日はもう話もできないかもしれないから、帰ってもらった方がいいのかもしれない。
アパートに着くまでの間、伊織さんは俯いたまま何も話さなかった。僕も、どんな話をふっていいかもわからず、黙っていた。
その間も僕の頭の中は、暗いことばかりが浮かんでいた。
別れたいのか?
嫌気がさしたのか?
嫌われるようなことを僕はしてしまったのか?
アパートに着き、伊織さんの荷物を部屋まで運んだ。伊織さんは、
「送ってもらってありがとうございます」
と、頭を下げた。やっぱり、話をしたほうがいいのか。伊織さんの部屋に上がらせてもらって、考えさせてくださいと言った理由を聞くべきか。
いや。いきなり、もう佑さんのことは好きじゃないんですなんて聞かされたら、立ち直れそうもない。
「お大事に」
僕はそれだけ言って、足早にその場を去った。
階段を降り、車に乗り込んだ。車を走らせている間も、胸が痛んだ。
すぐに「はい」と言ってくれると思い込んでいた。まさか、「考えさせてください」と言われるとは思ってもみなかった。
「は~~~~~~~~~~~~~~~」
マンションについて、車を停めてからしばらく力が抜けてそのまま動けなくなった。原因は?なんだ?いったい、なんなんだ。
なんとか重い足取りで部屋に行った。だが、何をする気も起きず、ソファに座り込み、また大きなため息をついた。
まいった。やばいことに、地の底まで落ちた。
何がどうなってこうなったんだ。
まさか、塩谷が何か言ったのか。
それとも、菜穂さんの存在が原因か。
わからない。どう考えてもわからない。僕を好いていてくれたんじゃないのか。結婚までは考えられないってことか。
僕は、伊織さんを失うのか…。
ズキ。また胸が痛んだ。失ったらどうなるんだ。伊織さんがいることで、心が満たされていた。いきなりいなくなったら、大きな穴がぽっかりとあくんじゃないのか。
ズキ。ズキズキ。そう考えただけでも、胸の痛みが尋常じゃない。
まいった。
僕はここまで、伊織さんが好きなのか。
やばいことに、泣きそうだ。
翌日は、朝起きてから何もする気が起きず、ボ~~ッと過ごした。午後になり、携帯が鳴った。伊織さんかと一瞬緊張したが、電話は塩谷からだった。
「はい?」
少し面倒くささを感じながら電話に出た。塩谷はやたらと元気で、もっと話すのが面倒になった。
「主任、昨日はお疲れ様でした。ところで、帰りどうでした?!」
「…帰り?」
「部長の娘さんです」
「……それが?」
「それがって…、まさかと思いますけど、お付き合いするんですか?!」
うるさいな。そんなこと、塩谷にはどうでもいいだろ。それどころじゃないんだ。
「しないよ」
そう言って、さっさと電話を切ろうかと思った。だが、
「今日、空いてます?」
と、塩谷が突然、近くに来ていると言い出した。
「近くって?」
「主任のマンションの近くです」
「は?」
なんで、僕のマンションを知っているんだ?
「いいですか?今から行っても」
「ダメだ。疲れてるんだ。まだ着替えだってしていない」
「ええ?珍しくないですか?休みの日もきちんとしているのに」
なんでそんなことを知っているんだ。ああ、みんなが泊まっていった時のことか。
「何か差し入れ持っていきましょうか」
「……。どうしても来る気なのか?」
「はい。わざわざ千葉から出てきたんですよ~~」
勝手に来たくせに、こいつは。
「わかった。駅ビルの地下に喫茶店がある。隅にあるからすぐにわかる。そこで待ってろ。着替えて行くから」
「え~。部屋には?入れてもらえないんですか?」
「前に言ったよな?そういうことはもうしないって」
「…しょうがない。喫茶店で待っています」
やれやれ。
顔を洗い、歯を磨き、着替えをした。ろくすっぽ何も食べていなかったから、喫茶店でトーストでも食べるとするか。
それにしても何の用だ。仕事のことか?ああ、菜穂さんのこと気にしていたな。それを聞きにわざわざ来たのか。
誰とも話す気にもなれないっていうのにな。
「は~~あ」
ため息をつきながらマンションを出た。電話が来てから、20分も経っている。少し早歩きで駅まで歩いた。
喫茶店に着き店に入ると、塩谷はすぐに僕を見つけた。
「主任!」
でかい声で僕を呼び手を振る。小さな店だから、どこにいるかもわかるっていうのに。
「お前、元気だな」
そう言いながら席に着き、店員にブレンドとトーストを頼んだ。
「それ、お昼ですか?」
「ああ」
「それだけで足りるんですか?」
「…食欲なくてな」
「具合悪いんですか?」
「疲れてるんだよ」
そう言って、店員が持ってきた水を飲むと、塩谷はしおらしく静かになった。
「…。お疲れのところすみません」
「まったくだ。で、何の用だ?」
「どうしても、部長の娘さんのことが気になって」
「だから、付き合わないって言っただろ?」
「でも、主任の出世に響きませんか?昨日家に帰ってから、すっごく気になって眠れなくなって。まさか、地方に飛ばされませんよね?」
「ああ。大丈夫だ」
「……主任は、結婚、しませんよね?」
「僕が結婚しようが、塩谷には関係のないことだろ?」
「あります」
「…」
なんだか、今日の塩谷は変だな。
「どう関係するんだ?」
「私が、仕事出来なくなります」
「は?」
「主任がずっと独身で、仕事一筋だから私も頑張れるんです」
「だったら、お前も誰か掴まえて結婚したらどうだ?」
「私には主任しか考えられません」
「………」
え?
「結婚するとしたら、主任としか考えられません」
「僕が塩谷と?」
「はい」
「合わないだろ?仕事のパートナーだからうまくやってきたが…」
「女性として見れないってことですよね?」
「ああ」
「見てください」
「いや。部下としか見れない」
「だから、これからは見てください。私を人生のパートナーとして見てください」
「人生の?」
それ、プロポーズか?
「はい」
ものすごく真剣な目をしている。
「ま、待て。いきなりそう言われても」
突然のことすぎて、頭が働かない。
「返事はまだ先でもいいんです」
「わ、わかった。考えさせてくれ…」
「はい」
ん?待てよ。昨日の僕と伊織さんみたいだな。ただ、立場が逆だ。僕が昨日は、考えさせてくださいと言われた。まさか、伊織さんも今の僕と同じような心境だったのか。
頭が真っ白になって、何も考えられなくなって、こいつ、何を言い出したんだ…みたいな。
「考えてくれるんですね。良かった」
「え?」
なんで塩谷は喜んでいるんだ。OKをしたわけじゃない。ただ、考えさせろと言っただけだぞ。
「それって、可能性があるってことですよね?」
「は?」
どうしてそう、プラス思考なんだ。待てよ。じゃあ、伊織さんも、考えるってことは可能性あるってことか?
もし、可能性ゼロなら、その場で断られていたのか?
じゃあ、僕は落ち込まなくてもいいってことか?




