第41話 プロポーズ ~伊織編~
佑さんのマンションの駐車場に、佑さんは車を停めた。そして、私の荷物と自分の荷物を持ち、
「足、大丈夫ですか?」
と、私の背中まで支えてくれた。
「だ、大丈夫です」
一緒にエレベーターに乗り込み、その間も佑さんは私を気遣ってくれた。
なんでこうも、優しいんだろう。私はこの優しさに甘えていていいんだろうか。
部屋に入ってからも、
「足、見せてください。手当てします」
と、私をソファに座らせ、佑さんは救急箱を持って来てくれた。
「大丈夫です。自分でできます」
「安心してください。姉もよく怪我をしていて、僕が手当てをしていましたから慣れています」
「そ、そういう心配じゃなくて、佑さんに足をお見せするのが恥ずかしい」
「え?」
佑さんは目を点にして私を見た。
「どうしてですか?足と言っても膝ですよ?」
「そ、そうですけど」
ジーンズだし、脱がなきゃ膝を見せられないし。
「……。いったん、またスポーツウェアに着替えますか?それなら、裾をまくれば大丈夫ですよね?」
「はい」
カバンを持って私はパウダールームに行った。
スキニーのジーンズを脱ぐのも、怪我した膝が痛くてやっとの思いだ。そして、膝を見ると、見事に擦りむけ、血が滲み出ている。それに、青く腫れ上がっている。
スポーツウェアのパンツに着替え、またリビングに行った。
「座ってください」
佑さんは、救急箱からすでに包帯や、消毒液を出してテーブルに置いていた。
「はい」
言われたとおりに座ると、
「捲りますよ?いいですか?」
と、佑さんはそう断ってから、私のスポーツウェアの裾を捲し上げた。
「痛いですか?」
「だ、大丈夫です」
「でも、かなり擦りむけていますし、腫れていますよ」
「はい」
本当は痛い。でも、恥ずかしさの方が勝っている。
佑さんは本当に、テキパキと手当てをしてくれた。包帯の巻き方も上手だった。
「ありがとうございます」
「いいえ」
にこりと微笑み、佑さんは救急箱を片付けた。
「佑さん」
「はい?」
「私、本当に足手まといですみません」
「足手まとい?そんなこと思っていませんよ」
佑さんは優しく微笑みながら、私の隣に座った。
「さっきも話したことですが」
そう言うと佑さんは、真面目な顔をした。
ドキン。さっきって?何を話したっけ?
「部長に伊織さんと付き合っていることを、勝手に言ってしまってすみません」
「いいえ」
そのことか…。別に怒っていないけどな。
「部長、菜穂さんとのお付き合い…、いや、結婚までかなり本気で考えていたので、伊織さんと付き合っていることを話さないと、諦めてくれなさそうだったんです」
「そうですか」
そんなに菜穂さんと結婚させたかったのか。
あ、でも、菜穂さん、言ってた。佑さんの出世のことを考えたら、菜穂さんと結婚したほうがいいんだよね。
私じゃ、佑さんの出世を邪魔するだけなんじゃないのかな。
「それで」
コホンと佑さんは咳ばらいをした。私が佑さんの方を見ると、佑さんは真剣な目をして私を見ていた。
「部長にも、伊織さんとは結婚を考えているのかと聞かれまして」
結婚?
ドキン。
さっきも、菜穂さんに聞かれて、佑さん、返事しなかった。もしかして、結婚はできないと言われるのかな。
でも、そうだよね。私じゃ、結婚は考えられないよね。それに、佑さんは結婚願望なかったんだし。
「ちゃんと、真剣に結婚を考えてお付き合いをしていると言いました」
「え?」
今、なんて?
「結婚を考えてお付き合いをしていると言いました。それで、ちゃんと部長も菜穂さんのことは、諦めてくれたんです」
ま、待って。えっと…。私と結婚を考えているってこと?
いや、違うよね。菜穂さんとの結婚を断るために、そう言ったんだよね。
ってことは?
「すみません。そんなことを勝手に部長に話してしまって」
「い、いいえ」
どういうことかな。何を佑さんは言いたいのかな。
えっと。えっと。菜穂さんとの結婚を断る言い訳に、私と結婚を考えているだなんて嘘ついて、すみませんと謝っているのかな。
「それって、私はいいんですけど、佑さんはのちのち、困ったことになりませんか?」
「……のちのち?って?」
「だって、あの…」
私と結婚するって、部長は本気にしちゃったら、今後、いつ結婚をするのかとか、あれこれ言ってこないかな。
「ああ、僕の出世とか、そういうことですか?それだったら、安心してください。部長は僕が菜穂さんと結婚しなくても、僕の出世を邪魔したりしませんよ。それに僕も、自力でこれから頑張って行きますし」
「そうですか」
私は一瞬ほっとした。でも、
「そ、それも心配だったんですけど、そうじゃなくて。あの、部長にそんな話をしたら、部長、いろいろと今後のこと言ってこないかな…って」
と、慌てて付け加えた。
「…今後?」
「私と、佑さんの…、その、結婚のこと」
「……ああ!式とか、そういうことですか?」
「え?あ、はい」
「それは、部長がどうのと言うより、伊織さんの意見を尊重しますよ」
「私の?」
どういうこと?
「式、挙げたいですか?」
「え?!」
式?!結婚式?!あ、あれ?なんか、話が飛んだ。っていうか、え?どういうこと?
「最近は、結婚式を挙げない人もいますし。部長も式を挙げないと言っても、特に何も言わないと思いますよ。あ、もちろん、式を挙げたいのであれば、挙げますが」
「い、いえ。そういうことじゃなくてですね」
ダメだ。なんか、わけわかんなくなってきた。え?なんで、式?そもそも、佑さん、結婚は考えていないんだよね?
「あ、あの。私と佑さんは、結婚するんですか?」
「え?」
あれ?佑さん、目が点になった。
「……すみません、変なこと聞きました」
慌てて謝ると、佑さんも慌てた様子で、
「そうでした。順序が逆転しました。すみません!まずは、あれですよね。プ、プロポーズが先ですよね。返事すらまだ、聞いていないのに、勝手に式の話なんかしてすみませんでした」
と、早口でそう言った。
「…?」
プロポーズって今、言った?
「では、改めて…。伊織さん、僕と結婚…、結婚…」
そこまで言うと、佑さんは目をそらした。そして、しばらく悩むようなそぶりを見せ、また私を見た。
もしかして、困っている?もしかして、本当は結婚したくないのに、部長に言った手前、結婚しようとしているとか?
「伊織さん、結婚してもらえますか?」
佑さんの声は、少し震えていた。顔もすごく緊張している。こんな表情をする佑さんを初めて見た。
「……。あの」
「はい」
「……、少し、考えさせてください」
「………え?」
「ごめんなさい。すぐには答えられません」
「あ、はい」
私は俯きながら返事をして、そのまま顔をあげられなくなった。
佑さん、なんで、結婚なんて考えられないと言っていたのに、急にプロポーズなの?
それも、私なんて、足手まといで、迷惑しかかけていないのに。
全然、佑さんと釣り合わないのに。なんで、いきなり。それって、やっぱり、菜穂さんとの結婚を断るために、部長に言っちゃったから?
ダメだ。さっぱり、わからない。ただ、一つだけ、さっきから私の頭の中で、木霊している言葉がある。
「私は、佑さんに相応しくない」
しばらく、俯いたまま黙り込んでいると、佑さんは静かに立ち上がった。
「お腹空きましたよね?」
そう言って佑さんは、キッチンに行った。
ほら。こんな時も、私は何もしないでいる。佑さんがお昼を作り、私はまたソファに座ったままだ。
「あの!」
「はい?」
大きな声をかけると、佑さんはびっくりしたように振り返った。
「すみません。私、本当に何もできなくて」
「え?」
「今日はもう、帰ります」
「……あ、はい。じゃあ、送ります」
そう言って佑さんは、テーブルに置いた車のキーをポケットに入れた。
私もソファを立ち上がり、カバンを持とうとしたが、それも佑さんが先に、ひょいと持ってくれた。
佑さんの後に続き、玄関を出た。廊下を歩きながら、佑さんはなんでこんなに優しいのかな、とか、いろいろと考えてしまった。
会社では、クールだ。優しいと言うイメージすら感じさせないくらいだ。きっと真広は、佑さんは冷たい人だと思っているだろう。
でも、本当は違う。だけど、きっと私じゃなくても、菜穂さんにでも、塩谷さんにでも優しいんだ。
塩谷さん。本当は塩谷さんも、佑さんが好きなんじゃないかな。塩谷さんの方が、仕事もできるし、佑さんだって塩谷さんといると、なんだか、生き生きしているし、合っているのかもしれない。
そもそも、なんで、私と付き合おうって思ってくれたのかな。癒されるって言ってくれたけど、私のどこが?
それに、大事だって言ってくれたけど、塩谷さんを大事に思うのと、どう違うのかな。きっと、塩谷さんのことも大事だよね。
でも、それは、部下だから?じゃあ、私は?
車の中でも私は黙っていた。佑さんもずっと黙っていた。気まずい空気の中、私のアパートに着き、佑さんは私の荷物を持って、部屋の前まで来てくれた。
「すみませんでした。いろいろと迷惑かけて」
「いいえ」
「送ってもらってありがとうございます」
「………」
ぺこりとお辞儀をしてそう言ったが、佑さんは何も言ってくれなかった。
私は鍵を取り出し、ドアを開けた。佑さんは、私の荷物を玄関に置くと、
「お大事に」
と、なんだか事務的な口調で言うと、階段を降りて行った。
部屋に入り、よたよたと座椅子に座った。そして、テーブルにうつっぷせた。
「なんで?」
わかんない。
「どうして?」
いきなりのプロポーズ。
結婚は考えられないって言っていたのに。
もし、もしも、ちゃんと結婚を考えようと思ってくれたのなら、嬉しいけど、だけど、思い切り不安だ。
私でいいの?私なんかでいいの?料理もできない、仕事もできない、なんにも取り柄がない私なんかで。
これが、美晴だったらわかる。結婚したいって、きっと男性が思うよ。現に今までだって、付き合う人、付き合う人、美晴と結婚を考えていた。
女子力あって、可愛くて、こんな子、お嫁さんにしたいって誰だって思う。でも、私だよ?この私なんかでいいわけないよ。
自信ないよ。好きになってもらう自信もないのに、なんで結婚?
ううん。結婚したかった。佑さんと結婚なんて、天にも昇るくらいの、夢みたいなことだ。
だけど、自信がない。嫌われるかも、呆れられるかも、そんなことばかり思ってしまう。
携帯を手に取り、美晴に相談しようと電話をした。美晴はすぐに電話に出た。
「お姉ちゃん、どうした~~~?」
「…今、暇?」
「うん。料理しているけど、ちょっとならいいよ」
「学校にいるの?」
「今日は休み。家で、料理の勉強中よ」
「そうか。ごめんね、料理中に。でも、ちょっと聞いて」
私は、美晴に今日の出来事を簡単に説明した。
「え?すごい!結婚、おめでとう!」
「まだ、返事していないんだってば」
「なんで?なんでしないの?あ、じらしているの?それとも、もっといい男が現れるんじゃないかって思っちゃった?私もなんだよね。手に入れると、冷めるっていうか、もっといい男がいるんじゃないかって、そんな気になるんだよね」
「違うよ!そんなこと思うわけないよ。佑さん以上に素敵な人がいるわけないもん」
「じゃ、なんでOKしないの?」
「自信がないの。それに、佑さん、部長に言った手前、結婚を考えたんじゃないかって、そう思えて」
「菜穂さんって人と結婚したくないから?」
「うん」
「菜穂さんと結婚したくなくて、お姉ちゃんなら結婚してもいいってことでしょ?じゃ、いいじゃん。問題ないじゃない」
「でも、なんで私なんかがいいのか、わかんないよ」
「そんなの、私だってわかんないよ。だけど、お姉ちゃん、これ逃したらいい人捕まんないかもしれないんだから、わけわかんないこと言ってないで、とっととOKしたらいいじゃんよ。結婚したいんでしょ?したくないの?」
「し、したい」
「じゃ、即、OKしな。話はそれだけ?それって、悩むこと何もないよ。じゃあね。あ!やばい、こげちゃう!」
そう言うと、美晴は電話を切った。
美晴に聞いたのが間違いだったか。自分に自信がないっていう、そういう気持ちがきっと美晴にはわかんないんだな。自分が相手に相応しくない…じゃなくて、相手が自分に相応しくないって理由で、別れてきたんだから。
「ああ、誰か…。どうしていいかわかんないよ。話を聞いて」
頭を抱え、床に寝っころがって、すったもんだしているうちに、お腹が鳴り、起き上がってカップ麺を食べた。こんなに悩んでいる時でもお腹は空く。
そして、午後もぼ~~っと過ごしているうちに、日は傾き、携帯が鳴って、我に返った。
まさか、佑さん?ドキドキしながら携帯を見ると、真広からだった。
「怪我大丈夫だった?」
心配してくれたのか。
「真広、私、今、どうしていいかわかんないの」
「え?何が?」
「もう、頭、真っ白」
「悩み事?あ、主任のこと?あ、まさか、部長の娘のこととか?」
「それも関係あるんだけど」
「よっしゃ、わかった。このまま、伊織のアパート行くよ。私も聞いてほしいことあるし、泊まっていいよね?夜通し話をしようじゃないの」
「うん。待ってる」
どうやら、野田さんが車で送ってくれるらしい。私の怪我が心配だから…という理由で、私のアパートまで送ってもらうことにすると真広は言った。
「は~~~~~」
佑さんと結婚、佑さんからのプロポーズ。きっと嬉しくて、喜びまくると思っていたけど、現実は、受け入れることすらできないくらい、自信の無さの方が勝ってしまった。
どうして、いきなり、結婚?
また、疑問が湧いてくる。
なんにも考えず、ただただ、喜んで受け入れられたらどんなにいいか。




